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みつい よしお

三井慶夫

みつい よしお

1904.10(明治37)〜 1975.3.8(昭和50)

昭和期の実業家(精養軒)

埋葬場所: 11区 1種 10側

 愛知県岡崎出身。司法官・検事の三井十三二、慶(共に同墓)の二男として父が検事として赴任していた地で生まれる。長男の富男が早く亡くなったため家督を相続す。
 広島一中学校卒業、1929(S4)東京帝国大学商業科卒業。卒業後、南朝鮮鉄道勤務を経て、西洋料理の草分け精養軒に入社。慶夫は安房国勝山藩の第9代藩主の酒井忠美(4-1-21)の二女の富美子(同墓)と結婚。富美子の姉は福島静子(15-1-2)であり、静子の夫が経営難の精養軒を立て直した社長の福島茂富(15-1-2)である。
 '50.2.15(S25) 社長の福島茂富が病を発し急逝。これに伴い、精養軒 8代目社長に茂富の妻の福島静子が就任した。実業に不慣れであった静子が社長就任後は、上野精養軒専務取締役、精養軒本社経理部長として社長の業務を全面的に支えた。
 '57 精養軒と相鉄不動産と相模鉄道と日本麦酒の出資で「横浜精養軒」が設立され、相鉄文化会館・横浜髙島屋・横浜ステーションビル(旧横浜駅西口駅舎)で食堂・宴会場・結婚式場などを経営(1998 相鉄ローゼンの完全子会社になり、相鉄ローゼンに吸収)。静子社長を支える一方で、'59.4 横浜精養軒 2代目社長に就任。'73.2 に社長を退くまで約14年間務めた。享年70歳。

<精養軒150年史>
<大衆人事録 東京篇>
<人事興信録>


墓所 三井慶夫氏之像

*墓石は和型「三井家之墓」、裏面「昭和三十二年三月建之 三井慶夫」と刻む。右面が墓誌となっており俗名・歿年月日が刻む。父の三井十三二から刻みが始まる。母の慶(M9.8-S37.6.22)は広島出身、延田吉兵衞の3女。兄の富男の刻みはない。妻は富美子(M34-H16.7.10)。慶夫と富美子は1男2女を儲ける。長男は三井恭(S4-H27.9.29:同墓)、長女は澄子(S9-R3.8.29:同墓)、二女は洋子(S13-)。

*墓所左側に「三井慶夫氏之像」が建つ。台座には三井家の家紋。裏「贈 創業九十五周年 再建三十周年 記念 昭和三十九年五月 株式会社精養軒」とあり、その下に「立体嶌眞像 発明者 威岡勇夫 作」とある。


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