広島県出身。三井忠三郎の二男として生まれる。 司法官として奉職し検事となる。1901.12(M34)愛知県岡崎で検事をしていた際に、愛知慈恵会三河支部(更生保護法人岡崎自啓会)の創立に参画し支部長に就任。岡崎町伝馬の真宗大谷派別院内に事務所を置き、少年犯罪者の更生につとめる。 その後、朝鮮総督府検事に就任し、平壌覆審法院検事を兼ねた。享年75歳。
<人事興信録>
*墓石は和型「三井家之墓」、裏面「昭和三十二年三月建之 三井慶夫」と刻む。右面が墓誌となっており俗名・歿年月日が刻む。三井十三二から刻みが始まる。妻の慶(M9.8-S37.6.22)は広島出身、延田吉兵衞の3女。2男4女を儲ける。長男は富男(墓誌に刻みがない)。二男は横浜精養軒社長などを務めた三井慶夫、慶夫の妻の富美子(M34-H16.7.10)は安房国勝山藩の第9代藩主の酒井忠美(4-1-21)の二女。富美子の姉は精養軒社長を務めた福島静子(15-1-2)であり、静子の夫が経営難の精養軒を立て直した社長の福島茂富(15-1-2)である。 *墓所左側に「三井慶夫氏之像」が建つ。台座には三井家の家紋。裏「贈 創業九十五周年 再建三十周年 記念 昭和三十九年五月 株式会社精養軒」とあり、その下に「立体嶌眞像 発明者 威岡勇夫 作」とある。
三井慶夫、 福島茂富、 福島静子、 酒井忠美