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くぼ かくたろう

久保角太郎

くぼ かくたろう

1892.1.7(明治25)〜 1944.11.18(昭和19)

昭和期の宗教家(霊友会初代理事長)

埋葬場所: 16区 1種 2側 10番

 千葉県安房郡湊村(天津小湊)出身。松鷹美弥の四男。肉親に縁が薄く、母とも10歳のとき死別する。父親代わりに育ててくれた祖父の清九郎もその二年後に死去。
 村の尋常小学校を卒業後、近くの大工に見習いとして奉公。15歳(13歳説あり)のとき上京し、昼間は大工職人として働き、夜は建築技師となるために建築学校に通学する。 1919(T8)宮内省内匠寮(建築課)に勤務し、翌年、当時の宗親課長の仙石政敬(12-1-5-17)に認められ、仙石家の家臣久保家の養子となる。 久保家に寄宿しながら義母となるべき志んに仕え、'22に入籍が許される。入家して後、志んの異常な程の潔癖症と神経症に悩まされる。 夜中に憑きものがついたように暴れ回ったり、口うるさく小言を言うので、長く勤める女中がいなかったという。 この頃、縁戚の山口かねから、西田無学(利蔵)の説く先祖供養の教えを「親孝行の道」と教えられ、また義母の影響を受けて信仰の道に入る。 信仰に興味を抱き、信仰上の問題で議論をしたり、自ら法華経の勉強にいそしんだ。
 久保家に入籍した翌年1月、佐藤小一郎の長女のきみと結婚するが、きみは46日目に急性腹膜炎を患い、死去。 この時、角太郎は妻と離別する因縁を痛感し、新たな修行を決意した。志んや小一郎と相談し、香典で西田が編纂した経本を再発行して大乗仏説護念会に寄贈し、きみの追善菩提とした。 この経本は、関東大震災によって原版を焼失したために、'24に復刻・再発行された。この間、'21宮内省を退職し、山階宮邸の建築を手掛けるなど、文部省関係の建築に携わった。
 '24志んの憑きものを特定するために、霊能者の若月チセと出会う。 やがて、西田の先祖供養法にチセの霊術を加味すれば、人心を捉えて人々の困苦や社会的危機を救済できると確信するようになった。 積極的な布教活動を展開しようと、チセに替わる霊能者を育てる必要を感じ、'25兄の小谷安吉の妻の小谷喜美(同墓)に白羽の矢を立て、喜美を霊能者として育成するために次々と過酷ともいえる修行を与えた。 この修行とは、生活費は月7円50銭で赤貧の生活を強いられ、毎日数時間におよぶ読経と水行、21日間の断食や一日そば粉一合のみの食生活を51日間続けさせる「そば粉の修行」、「写経」などである。 これらには全て意味があるとされ、断食は喜美の前世や悪い因縁を折伏(しゃくふく)するためのものであり、「そば粉の修行」は業障(ごうしょう)さを直すためとされる。
 日に信者約100名を集め、青山会館にて霊友会の発会式を行った。永山武敏(83-1-14-35)男爵を初代会長、名誉会長に小谷喜美をすえ、自らは理事長に就任。 表面的には喜美を押し立て自分の宗教的確信を喜美に代弁させ、自身はもっぱら喜美をはじめ側近幹部の指導に当たった。信者一般には温和な態度をもって接したが、側近の幹部には厳しい指導を行った。 その指導方針は'34に制定された会員規範「正行」の一節に端的に表されている。 (1)自らの先祖は、自らの手で供養する、(2)自らが在家の立場であることを深く認識し、(3)会員間において金品の貸借関係を結ばず、(4)信仰を悪用して営利をむさぼるなどの行為をせず、(5)御中元、御歳暮、御年始、謝礼、供物、その他いかなる名目においても金品は一切拝受せず、(6)無駄口、悪口、虚言、人身攻撃など、舌根の悪を慎み、もって会員間に生きた因縁を作らない、という規範が説かれる。
 街頭演説会や説法会なども盛んに行い、立法府や行政府の要人に諫書を送付するなど積極的な宗教活動を展開し、'37には本部講堂(延約500平方メートル)を竣工するなど著しく教勢を拡大。敗戦を予見しながら'44に死去した。

<新宗教教団・人物事典>


【角太郎没後の霊友会】
 角太郎没後の喜美は自身が角太郎に指導されたように、厳しく幹部に接するも、直情的ともいえる言動についていけず教団から離反していく信者・幹部が出てくるようになり、更に、'50(S25)共同募金横領事件によって摘発されたことを機に、側近幹部があいついで離反独立をし、分派した。 第六支部長をしていた関口嘉一(3-1-25)の佛所護念会教団をはじめ、立正佼成会、思親会、妙智会教団、妙道会教団、大慧会教団、正義会教団、法師宗などの新宗教団体が霊友会から分派した。
 '71小谷喜美没後、久保角太郎・トシ子の二男で、幼少より喜美の元で教団後継者として英才教育をされてきた久保継成が霊友会の2代目会長に就任した。 先祖供養や布教組織など教団伝統の中核を保持しながらも時代環境の変化に対応できる教団機構刷新のための施策を展開した。 インナートリップ・魂の開発運動と名付けられた新運動により、マスメディアなども動員して積極的な広報活動を行なったり、在家主義をより徹底するために教団機構改革を行ったり、平成期に入り会長職を廃止し理事長職に切り替えたり、地域の宗教施設の充実、海外布教の展開など布教・教化活動に力を入れた。 しかし、その反面、側近幹部からの女性関係に纏わるスキャンダルを暴露されたり、会長職問題などでの幹部との対立や派閥を生み、ついに2000.8.27久保継成らは、支持した一部の会員と共に霊友会から完全に脱会、独立、在家仏教こころの会を結成した。 なお現在、霊友会は、大形派(団体名称「霊友会」)、松本派(団体名称「Inner Trip REIYUKAI International」)の2つが存在する。


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