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せきぐち かいち

関口嘉一

せきぐち かいち

1897(明治30)〜 1961(昭和36)

佛所護念会教団創設者

埋葬場所: 3区 1種 25側

 関口嘉一とトミノ(二代会長)夫妻は子供の病弱から霊友会へ入会した。 嘉一が支部長だった時に霊友会が脱税容疑で取り調べを受けた事などから「会長即時辞任、教団内部の大粛清」を求めたが認められず、この際に「新しい教団を設立せよ」との神仏の啓示を受けたとして、1950(S25)に《仏所護念教団》を発足した。 嘉一は'61に死去し、その後、妻のトミノが二代目会長になった。本部は東京都港区にある。
 会の名称を「法華経(序品・譬喩品)の中でも一番大切な言葉=平等大慧・教菩薩法・仏所護念から採っている」とし、法華三部経を所依の教典として「在家に於ける先祖供養を行践し広宣流布し」国家の安泰・世界平和を祈願するとしている。 本尊としては久遠実成の釈迦牟尼世尊を挙げる一方で、礼拝の対象には大聖人が御図顕されたと称する「日本国衛護の本尊(真筆はない)」を用い、更に先祖供養の為として総戒名も祀っている。 「仏所護念」について嘉一は「日蓮大聖人の時には、日朗菩薩にその奥義を讓り渡されている。その要中の要とは即ち、仏所護念である」といい、トミノは「神を敬い、仏を崇め、祖先に対して自ら供養し、おのれの悪い癖を直す。 そういう人を諸仏は守護したもう。これを仏所護念という」と言う。「団参」と称して神社などに参拝する。 これについては日蓮大聖人が比叡山から故郷に帰られる途中、法華経を日本に弘めるには天照皇大神の許しを得ねばと参詣したと主張し、伊勢神宮・靖国神社・身延山久遠寺などに参拝している。
 「仏所護念」という言葉は、法華経序品第一・譬喩品第三などに説かれているもので、譬喩品では「説是大乗教。名妙法蓮華。教菩薩法。仏所護念」となっている。 これは「妙法蓮華経という大乗経は菩薩に教える大事な教であり、仏が護念してきたものだある」という意味で「仏所護念」の一語だけ取り出しても何ら意味を成さない。

<宗教大事典など>


関口家

*墓所前の道路をひとつ渡っての裏手にある3区1種2側に正墓の関口家が建つ。 なお、11月18日には全国から大型バスなどで大挙して信者が訪れる。


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