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こうやま とくへい

神山徳平

こうやま とくへい

1888(明治21)〜 1974.10.24(昭和49)

明治・大正・昭和期の海軍軍人(大佐)

埋葬場所: 22区 1種 10側 10番

 熊本出身。1910.7.18(M43)海軍兵学校卒業(38期)。同期に稲垣生起(9-1-14:後の中将)、栗田健男(21-2-57:後の中将)らがいる。同.12.1少尉に任官。様々な乗組を経て、'17.12.1(T6)大尉となり、'22.5.30霰艦長に就任。
 '23.3.1夕張艤装員を経て、同.12.1少佐に進級し、霧島水雷長となる。'27.12.1(S2)谷風艦長を着任後、'28.1.25中佐となって天津風艦長を歴任する。'30.8.1夕霧艤装員長、同.12.3夕霧の初代艦長となる。'31.11.2第15駆逐隊司令となり、'35.11.15大佐に昇進したが、同.12.1予備となった。
 '37支那事変から日中戦争が勃発し充員召集され、'38.3.26べるふあすと丸 監督官として復帰。主に佐世保から中支・北支・南支方面への特設運送船(給炭油船)として活動していたが、同.5.30揚子江鶏骨礁にて座礁沈没。その後、'41.7.10日海丸艦長、'42.12.3新興丸艦長(〜'44.8.3)を務めた。終戦までの間は、大湊海兵団団長として新兵教育や練習部教育を行った。従4位 勲3等。享年86歳。


墓所

*墓石は和型「神山家之墓」。裏面「昭和十年十一月三十日建之」と刻む。右側に墓誌がある。戒名は海洋院本成日徳居士。従四位勲三等の刻みもある。俗名・没年月日・行年(87才)が刻む。同墓には、実子で俳優の神山繁、繁の前妻で女優の文野朋子も眠る。


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