メイン » » » 栗田健男
くりた たけお

栗田健男

くりた たけお

1889(明治22)〜 1977(昭和52)

昭和期の海軍軍人(中将)

埋葬場所: 21区 2種 57側 26番

 茨城県出身。海兵38期。1932(S7)大佐に昇進し第十二駆司令。34阿武隈艦長。翌年水雷学校教頭。37金剛艦長を経て38少将、第一水戦司令官。 39第四水戦司令官、40第七戦隊司令官を歴任し42中将に昇進した。同年第三戦隊司令官となり翌年第二艦隊長官を務めた。43(S18)勲一等瑞宝章受章。45海兵校長となり終戦を迎える。

<日本海軍将官総覧>


 捷一号作戦(レイテ沖海戦)では機動部隊の指揮を取り、小澤艦隊の囮作戦により目的達成(レイテ湾突入)の直前で、「謎の反転」をしたことで知られる。 当時の事とて艦隊同志の連絡が不備であり、敵国のチャーチルも、著書「第二次世界大戦回顧録」のなかで「この戦場と同様の経験をした者だけが、栗田を審判することができる」と述べた。 戦後、栗田中将の誤判断、勝負度胸の欠如などを責める意見が大勢を占めましたが、栗田中将自身は一切の弁明をしなかった。 1966(S41)栗田は小澤中将を死の数日前に見舞い、小澤は目に涙をうかべてやせ細った手をさしのべ、無言のまま栗田の手を握って離さなかったという。ともに戦った二人の男の胸中に去来したものは何であっただろうか。 こういう経歴も有ってか墓碑には碑銘も無く簡素な印象だが、海兵出身者の会報から得た情報なので、間違いは無いと存じる。

<軍人研究家峯一央氏の調査報告文より>


*父親は栗田勤(号:晦屋)漢学者、「大日本史」編纂員などで活躍。祖父の栗田 寛(号:栗里)は歴史学者で文学博士、東京帝國大學教授。墓石には名が刻まれていないので、埋葬されている確率は低い。


関連リンク:



| メイン | 著名人リスト・か行 | 区別リスト |
このページに掲載されている文章および画像、その他全ての無許可転載を禁止します。