歴史が眠る多磨霊園 |
メイン » 著名人リスト » か行 » 児玉貞雄 |
児玉貞雄 | |
こだま さだお | |
1879.1.15(明治12)〜 1945.7.7(昭和20) | |
明治・大正・昭和期の実業家(三井)、真珠事業家 | |
埋葬場所: 区 種 側 番 | |
明治陸軍の三羽烏の一人で陸軍大将の児玉源太郎、マツ(共に8-1-17-1)の二男として生まれる。兄は大蔵官僚で国務大臣・伯爵の児玉秀雄(8-1-17-1)。弟(3男)の友雄は陸軍中将、弟(4男)の常雄は陸軍大佐、、弟(5男)の国雄は大同セメント社長、弟(7男)の九一は内務官僚・県知事、妹(3女)のモトは法制史学者の藤田嗣雄(19-1-13)の妻、妹(4女)のツルは木戸幸一(18-1-3)の妻。 <大衆人事録東京篇など> *墓石前面は「兒玉家之墓」、裏面「昭和三十二年六月」と刻み、また墓誌になっている。墓所右側にも墓誌が建つ。裏面の墓誌は児玉貞雄から刻みが始まる。戒名は覺照院静観貞雄居士。妻のシヅ(M17-S32.2.27)は江副廉蔵の二女。二人の間には1男3女を儲ける。長男は児玉宣雄(M42-S49.12.20)。宣雄は東北帝国大学卒業し、愛知時計電機につとめた。妻は幸子(九州帝国大学教授の山口修一の長女)。なお、長女の君子(M42生)は満鉄の川田赳に嫁いだ。二女の文子(T1生)は男爵の小畑年太郎に嫁いだ。三女の英子(T3生)は三井鉱山の岩田欽也に嫁いだ。 | |
関連リンク: |
| メイン | 著名人リスト・か | 区別リスト | |
このページに掲載されている文章および画像、その他全ての無許可転載を禁止します。 |