東京渋谷区山谷出身。洋画家の岸田劉生、茶人の蓁(共に同墓)の長女。弟に岸田鶴之助(同墓)。祖父は明治時代に新聞記者として活躍した岸田吟香。叔父にオペラ歌手・作家の岸田辰彌(13-1-5)がいる。辰彌の妻は宝塚歌劇のスターだった浦野まつほ(13-1-5)。
3歳(数え5歳)の頃より父が亡くなるまで約12年間、劉生作品「麗子像」のモデルをつとめた。様々な「麗子像」の作品があり50点ほど描いたとされる。その中でも学校の美術の教科書に必ず載っている「麗子像」は東京国立博物館所蔵の絵である。
父のモデルをつとめながら、父の指導のもとで描く喜びも得る。'25(T14) 父の劉生は著書『図画教育論−我子への図画教育−』で麗子への図画育成を愛情をこめて論じている。'29.12.20(S4) 15歳の時に父の劉生が亡くなる。
父没後、梅原龍三郎(5-1-7-43)らに師事し父と同じ画家を志す。また父の友人であった武者小路実篤の「新しき村」の演劇活動を知り、'33 女優という表現方法に挑戦。「新しき村」の仲間であった歯科医師の瀧本貞次郎と結婚。三人の子供に恵まれる。二女の岸田夏子は後に画家や岸田家の書物を多数刊行している。
戦後、瀧本と離婚。これを機に絵画制作に本格的に打ち込み、大調和会創立会員、朱葉会会員として作品を出品。また個展の開催を行った。'62 『父 岸田劉生』を上梓。
年下の臼井幸四郎と再婚。臼井は岸田姓を名乗り、麗子も岸田麗子として活動をした。しかし、活動の道半ばにして病に倒れる。享年48歳。