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かない えいいち

金井英一

かない えいいち

1900(明治33)〜 1982.4.22(昭和57)

大正・昭和期の出版人

埋葬場所: 22区 1種 66側

 東京出身。安価絵本出版社・金井信生堂の経営者の金井直三(1878-1952)の長男として生まれる。東京帝国大学法学部卒業後、商事会社に入社。のち家業の出版者経営を継ぐ。
 1931(S6)〜'45(S20)のいわゆる15年戦争時の物資不足と言論・思想の統制下に、赤本絵本の出版社だった金井信生堂が、生き残りをかけて、営業を少国民教育に相応しい良質の絵本の出版に転換を図った。 また、昭和10年代半ばに、内務省による児童文化統制が行われた際、日本児童絵本出版協会を組織して、動揺する安価絵本出版業界で指導的役割を果たした。太平洋戦争時期は絵本業界が弾圧されて発禁となるも、「児童絵本を良くする座談会」を開催し、全9冊にまとめて刊行した。
 この間、'40(S15)から3年半程、当局からマークされていた詩人の吉田一穂を避難させるために、内務省警保局図書課で検閲にも従事していた詩人の佐藤郁郎が金井信生堂に紹介。 金井は吉田一穂を編集長として迎えた。吉田一穂は自らもテキストを書き、内田巌(12-2-1-1)、佐藤忠良、島田訥郎、伊勢正義、金子茂二、鈴木寿雄など、すぐれた画家・イラストレーターと組んで、金井信生堂から36冊の絵本を出版した。

<物故者事典など>
<森光俊様より情報提供>


*墓石は「金井家之墓」。

*吉田一穂の墓所は神奈川県茅ケ崎市赤羽根にある西光寺。


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