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かない なおぞう

金井直造

かない なおぞう

1878.3(明治11)〜 1952.9.13(昭和27)

明治・大正・昭和期の出版人(金井信生堂)

埋葬場所: 22区 1種 66側

 金井家は代々神職であったが、父の金井開牛が神職を辞して印刷業を始めた。三男として生まれる。
 分家する予定であったが、次兄の金井午吉の後を継ぎ家督を相続することになり、中学を中退して長兄の金井金蔵と協力して父の図書出版の印刷業に従事する。木版の版木屋から石版印刷屋に転じ、長兄に仕事を習った。
 1895(M28)独立し、金井信生堂を創業し社長に就任。次第に絵本出版を主体とし、5銭、10銭の絵本(いわゆる赤本)を多数販売し、安価で購入できると繁盛した。また鏑木清方、河合英忠など日本画家を多く起用、なかでも清方の女子作法の絵解き『女礼式』などが評判を生んだ。
 全国出版物卸協同組合の前身である東京地本彫画営業組合に属した。1936(S11)三井物産台湾支店で働いていた長男の金井英一(同墓)に金井信生堂に譲り、英一が二代目社長に就任。'39.3 内務省による児童文化統制が行われた際、日本児童絵本出版協会を結成組織して、動揺する安価絵本出版業界で指導的役割を果たした。
 '43 日本出版文化協会の解消に際し、清算人をつとめている。享年74歳。

<出版人物事典>
<人事興信録>


*墓石前面「金井家之墓」、「信山書」とも刻む。裏面「昭和二十六年七月 金井直造 建之」。右面が墓誌となっており、直造や金井信生堂を継いだ長男の金井英一も刻むが、墓所右側に墓誌も建つ。金井直造の妻は とよ(M16.6-S26.1.10歿・行年67)。

*妻の とよ は增澤門也の5女で長野県出身。金井直造との間に5男4女を儲ける。長男の金井英一は金井信生堂を継いだ出版人。英一の妻は尚子(M37.5-S62.9.13)。英一と尚子の長男の謹一郎(T15.4-S18.6.23)は18歳の若さで亡くなっている。英一と尚子の二男の金井弘夫(1930-R4.2.28・行年91)は植物分類学者であり、墓誌には「理学博士」と刻む。金井直造のその他の家族は、二男の俊介(M36.2生)は宗家の金井金藏の養子となる。三男は淑雄(M39.6.9歿・3才:同墓)。長女のクニ(M39.7生)は加藤彌三八の4男の加藤文治に嫁す。なお、加藤彌三八の孫に外交官の加藤外松(8-1-17)がいる。次女は八重子(M41.7生)、三女は愛子(M43.3生)、四女は睦子(M45.3生)。四男は徳二(T3.2-H9.8.4:同墓)、五男は達雄(T4.10-S20.7.10:戦死・陸軍大尉:同墓)、六男は敬吉(T6.11-H9.3.7:同墓)。なお、同墓には徳二と敬吉の妻の百合子(H6.10.28歿・行年71才)、和子(H22.4.24歿・行年91才)、5歳で亡くなった徳二の長男の健一(S27.4.26歿)も同墓に眠る。なお墓誌裏面には金井明(H20.10.21歿・行年46才)「KORG JLRC」と刻む。


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