神奈川県出身。母方祖父は児童文学者の巌谷小波(12-1-2-18)。橋口正哉(同墓)の二男として生まれる。広島銀行頭取の橋口収は叔父にあたる。
1953(S28)東京大学英文科卒業。東京大学教養学部助手、専任講師、助教授を経て教授となる。専門はイギリス文学。
主な著書は『イギリスの言語文化 ルネサンスから現代まで』(1981)、『イギリスの言語文化 文学作品による文化史』(1986)、『イギリス・ルネサンスの人々』(1988)、『ブルームズベリー・グループ ヴァネッサ、ヴァージニア姉妹とエリートたち』(1989)、『詩人オーデン』(1996)があり、共編著に『ニュークリティシズム辞典』(小川和夫共編:1961)、『新しい詩を読む 現代イギリス・アメリカの詩』(合評:金関寿夫、川崎寿彦:1972)、『コンパクトイギリス文学史』(1983)、『イギリス文化事典』(2003)がある。
翻訳は多数あり、ハーヴィ・マツーソウ『偽証−迫害のための証言』(1956)、クリストファー・イシャウッド『ライオンと影』(1958)、スティーヴン・スペンダー『世界の中の世界 自伝』(高城楢秀、小松原茂雄共訳:1959)、アラン・シリトー『ウィリアム・ポスターズの死』(1969)、オーウェル『カタロニア賛歌』(1971)の他、イギリスの作家のG・K・チェスタトンやアラン・シリトー、デイヴィッド・ストーリー、リットン・ストレイチーなど多数訳書を刊行した。
'91(H3)停年退官、東京大学名誉教授。その後は鶴見大学で教授を務め、2001 退職。2010 瑞宝中綬章。晩年は、母方先祖の巌谷家の研究を行う。2013 曽祖父の書家の『巖谷一六』、祖父で児童文学者の『巌谷小波』の自伝本を刊行。2014 巌谷小波に関する研究で巖谷小波文芸賞特別賞を受賞した。享年90歳。
*墓石は和型「橋口家之墓」、裏面「昭和七年五月 橋口正哉 建之」。左面「従四位勲四等 橋口正美 昭和六年五月三日卒去 行年六十六」、「従五位 橋口正哉 昭和九年五月二十一日卒去 行年四十」と刻む。右面「橋口 稔 令和二年九月十八日歿 行年九十歳」と刻む。その他の方々の刻みが見当たらない。
*橋口稔の母は巌谷小波(本名:巌谷季雄)の二女の三八。母の兄弟で伯父叔父にあたる人物は全員が巌谷小波(12-1-2-18)の墓所に眠る。小波の長男は劇作家・演出家の巌谷槇一(本名:巖谷三一)、小波の二男は児童文学研究者の巌谷栄二、小波の三男は映画監督・演出家・日本ユマニテ協会会長の巌谷平三、小波の四男で文芸評論家の巌谷大四。なお従兄弟に、栄二の長男の巌谷國士は仏文学者、平三の長男の巌谷鷲郎は映画監督、大四の三男の巌谷純介は装丁家。なお巌谷の漢字は正しくは「巖谷」。