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いわや しんいち

巌谷槇一

いわや しんいち

1900(明治33)〜 1975.10.6(昭和50)

昭和期の劇作家、演出家

埋葬場所: 12区 1種 2側 18番

 本名三一(墓誌には本名が刻む)。童話作家の巌谷小波(同墓)の長男。東京都出身。 1923(T12)東京外国語学校仏語科卒業、のち東京帝大国文科に入ったが、戯曲創作熱に駆られて中退。 翌年松竹合名社に入り、'25新設の歌舞伎座の舞台監事室で川尻清次の助手として舞台監督の業務に携わった。 劇作にも専心し、同年4月『大地は微笑む』を最初として多くの脚色物を手がけたが、'37(S12)10月明治座の『残菊物語』の御色が好評を得て、これが終生の代表作となった。 作品は百十余。また'31から真山青果に師事してその演出に携わり、'41からの前進座による『元禄忠臣蔵』連続上演にはそのすベての演出を担当した。 '54歌舞伎座監事室長となった。

<日本人名現代103頁>
<五輪塔様より情報提供>


*同墓には父の巌谷小波、小波の次男で児童文学研究者の巌谷栄二も眠る。 親類には祖父の修(一六)は書家・貴族院勅選議員、小波の四男の巌谷大四は文芸評論家。


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