メイン » » » 巌谷大四
いわや だいし

巌谷大四

いわや だいし

1915.12.30(大正4)〜 2006.9.6(平成18)

昭和・平成期の文芸評論家

埋葬場所: 12区 1種 2側 18番

 東京市芝区(港区芝)出身。童話作家の巌谷小波(同墓)の四男。兄三人とも著名であり、劇作家の巌谷慎一、児童文学研究家の巌谷英二、日本ユマニテ協会会長などを務めた巌谷平三(全て同墓)がいる。
 早稲田大学英文科卒業。戦後、鎌倉文庫を皮切りに、「週刊読書人」編集長など編集生活を送る。「文藝」編集長などを経て、1965(S40)から評論や随筆の文筆活動をはじめた。『明治文壇外史』『物語大正文壇史』『私版昭和文壇史』『戦後日本文壇史』『現代文壇人国記』などのユニークな文壇史を描き、文壇消息通として知られる。父の生涯をまとめた『波の跫音−巌谷小波伝』などを手がけるなど、著書は数多い。
 日本文芸家協会副理事長、日本ペンクラブ副会長、日本文芸著作権保護同盟相談役、近代文学館常務理事などを歴任した。'89(H1)勲三等瑞宝章。'91第五回大衆文学研究賞受賞。老衰のため死去。享年90歳。告別式は9日に杉並区南荻窪の願泉寺。喪主は三男の純介氏がつとめた。

<現代評論家人名事典など>


*墓石は十字架「小波巌谷季雄一族墓」と刻む。左側に墓誌があり父の小波の本名「巖谷季雄」から刻む。なお巌谷の漢字は正しくは「巖谷」。

*同墓には小波・勇の長男で劇作家・演出家の巌谷槇一(墓誌には本名:巖谷三一)、二男で児童文学研究者の巌谷栄二(墓誌には巖谷榮二)、三男で映画監督・演出家・日本ユマニテ協会会長の巌谷平三、四男で文芸評論家の巌谷大四も眠る。なお長女の三四は泉源吉に嫁ぎ、二女の三八は橋口正哉(共に8-1-3)に嫁ぎ、三女のきの江は最高裁判所長官の藤林益三に嫁いだ。甥に栄二の長男の巌谷國士は仏文学者、平三の長男の巌谷鷲郎は映画監督、大四の三男の巌谷純介は装丁家、三八の次男の橋口稔(8-1-3)は英文学者らがいる。


関連リンク:



| メイン | 著名人リスト・あ | 区別リスト |
このページに掲載されている文章および画像、その他全ての無許可転載を禁止します。