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うすい しげき

臼井茂樹

うすい しげき

1898.10.30(明治31)〜 1941.12.23(昭和16)

大正・昭和期の陸軍軍人(少将)

埋葬場所: 15区 1種 15側

 鹿児島県薩摩郡高江村大字久見崎(薩摩川内市久見崎町)出身。臼井恕助(同墓)の長男として生まれる。1919.5.28(T8)陸軍士官学校卒業(31期)。同期に有末次(後の中将:22-1-22)、公平匡武(後の中将:22-1-86)、岡田重一(後の少将:21-1-5-1)、八里知道(後の少将:16-1-12)らがいた。同.12.25少尉に任官。'26.12.7陸軍大学校卒業(38期)。
 ソ連・ポーランド駐在を経て、'35.3.18(S10)参謀本部附としてベルリン駐在。'38.7.20(S13)参謀本部謀略課高級課員を経て、'39.3.9航空兵大佐に進級し、参謀本部謀略課長に就任した。
 同年より日中戦争打開のために、参謀本部と陸軍省が行った極秘工作「桐工作」を今井武夫、鈴木卓爾らと代表に任ぜられた。蒋介石との直接対話による和平によって戦争終結させようと、中国側と難航しながらも香港などで会談を繰り返していたが、第二次近衛文麿内閣発足時の新陸相になった東條英機は桐工作に冷淡であり、中国側とも平行線が続き、ついに中止となった。
 '41.3.1浜松陸軍飛行学校教官となり、同.7.21飛行第98戦隊長に就任。同.12.23太平洋戦争が勃発し、飛行隊長としてビルマ・ラングーンの戦闘にて戦死。没後少将に進級した。

<帝国陸軍将軍総覧>
<日本陸軍将官総覧など>


*墓石は和型「臼井家之墓」、左面「昭和十五年五月 臼井茂樹 建之」。右側に墓誌が建つ。戒名は禅譽院殿天巌良樹居士。44才と刻む。妻はウメノ(H1.5.9・89才)。


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