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うらぐち まさ

浦口真左

うらぐち まさ

1914.1.13(大正3)〜 1984.10.27(昭和59)

昭和期の植物学者、教育者

埋葬場所: 18区 2種 13側

 東京府荏原郡大森町新井宿(東京都大田区)出身。英文学者の浦口文治・たつ(共に同墓)の3女として生まれる。兄の浦口健二は薬理学者、浦口勇三は工学者。義姉の浦口照子はソプラノ歌手。
 1935(S10)東京女子高等師範学校理科卒業。卒業後、母校の普連土女学校に勤務。
 '39〜'40 アメリカのフィラデルフィア郊外に存在するクエーカー運営の学寮ペンドル・ヒルに留学。この寄宿生活を送る際、同室になった生涯の友人となる神谷美恵子(1914-1979:旧姓は前田)と出会う。ペンシルベニア大学生物学部大学院修士課程修了(マスター・オブ・サイエンスを受ける)。同大学のサイフリッツ研究室で植物学を修めていたとき、同研究室の同僚に神谷宣郎がおり、後に美恵子の夫となる。
 '40 帰国後、普連土女学校に復帰。'41 原形質に関する研究2篇を発表。'45 長野県北佐久郡御代田村に疎開。戦後も疎開先で留まり、'46 長野県北佐久郡小諸町で高原学舎の創設に加わる。'47 小諸新制中学校に勤務。'49〜'51 国立小諸療養所に病理助手として勤務。
 '51普連土学園教諭に再度復帰したが、同年8月、三重県大台ヶ原に研究旅行中、谷に転落し大怪我をし治療のため2年近く休職。'53.4より復職。以降、'76 定年退職を一年前倒しして退職するまで普連土学園で教壇に立った。
 普連土学園は米国フィラデルフィア市の友会派(クエーカー)により「友會婦人外國傳道協會」を設立され、新渡戸稲造(7-1-5-11)と内村鑑三(8-1-16-29)の助言により学校設立が決定し、1887(M20)フレンド女学校として開校した学校である。教諭をしていた、'43(S18)戦時中の敵性語規制に伴い聖友女学校に改名し、戦後、'47 学制改革により普連土女学校の旧名に復帰。翌年より普連土学園高等学校を開設している。
 著書に『虫と草ーある生物教室の記録』(1950)がある。この本は生物や植物を観察した日記帳で、'41〜'43を第一部、'46〜'50を第二部、'51〜'54を第三部として、その時代の観察録である。翻訳として『野の白鳥:アンデルセン童話集』(1947)。「医学と生物学」への論文発表や植物学雑誌への寄稿も多数執筆している。また『神谷美恵子・浦口真左 往復書簡集』(1999)がある。神谷美恵子はハンセン病患者の治療に生涯を捧げたことで知られる精神科医で、前田多門(16-1-3-7)の長女である。享年70歳。

<「虫と草ーある生物教室の記録」著者略歴など>


 


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