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うらぐち ぶんじ

浦口文治

うらぐち ぶんじ

1872.3.21(明治5.2.13)〜 1944.3.8(昭和19)

明治・大正・昭和期の英文学者

埋葬場所: 18区 2種 13側

 摂津国有馬郡三田屋敷町(兵庫県三田市)出身。三田藩士で家禄六拾石御隠居様付を勤めた長弘・千代の子として生まれる。12歳の時に神戸の川本恂蔵の家に寄宿。キリスト教に感化を受け、1884(M17)神戸教会において原田助より受洗。
 同志社普通学校に入り、1890卒業。英文学を志し神戸、東京、仙台、函館を転々とする。神戸にいた1894夏、ウェストン,W.の通訳として日本アルプス登山に同行。笠ヶ岳、常念岳、御岳に登る。1897教員検定試験に合格し、函館、熊本、越後長岡、台北で英語教員を務めた。1913(T2)同志社の大学昇格とともに英文科教授に就任。ハーバード大学に留学し、'15帰校。主任教授として草創期の学科の編成や教授陣の強化を図ったが、校内紛争の渦中に入り、'18退職。同年、神田乃武(2-1-2-10)の斡旋により、東京商科大学教授となる。'29(S4)退職後も、各種の学校や教会で教え、また教養講座を開いていた。
 心臓病のため東京大森の自宅で永眠。享年72歳。東大森教会で告別式が営まわれた。主な著書に『英詩の栞』『ジャン・ラスキン』のほか、浦口の創案になるグループ・メソッドによる『新訳ハムレット』、『にげゆく想ひ』などがある。

<日本キリスト教歴史大事典>


*墓石正面「浦口家之墓」。右面「文治建之」。裏面は墓誌となっており、台湾時代に早死した長男から刻む。「浦口文治」の名が大きく刻む。妻の たつ 没後にこの墓を建之した。文治の三女の浦口真左は植物学者・教育者で同墓に眠る。

*1899(M32)塚本たつと結婚。子宝に恵まれる。次男の浦口健二は薬理学者で東京大学医学部名誉教授・東京農業大学教授。三男の浦口勇三は工学者で東京大学工学部教授。子女は理科系に進んだ者が多く、三女の浦口真左は植物学者。

*長男は早死しているため次男の浦口健二が家督を継いだと思われるが刻みがない。三男の浦口勇三は教授在任中にガンにより逝去しているが刻みはない。


浦口健二 うらぐち けんじ
1906.2.3(明治39)〜 1989.12.10(平成1)
昭和期の薬理学者
 新潟県出身。父は英文学者の浦口文治、次男として生まれる。1932(S7)東京帝国大学医学部卒業。'56東京大学教授。黄変米のカビ毒など、種々のカビ類の毒素を分離し研究した。'63共同研究で日本学士院賞を受賞。'76勲3等旭日中綬章。停年退官し、東京大学名誉教授。後に東京農業大学教授。


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