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うえむら やすかず

植村泰一

うえむら やすかず

1934.3.24(昭和9)〜 2022.5.16(令和4)

昭和期のフルート奏者

埋葬場所: 11区 1種 13側

 東京出身。写真化学研究所や東宝映画初代社長の植村泰二、マサ(同墓)の長男として生まれる。男児は泰一のみであり、その後産まれた5人は全員妹。父方祖父は札幌麦酒・大日本麦酒の経営者の植村澄三郎(共に8-1-13)。伯父に経団連会長を務めた財界人の植村甲午郎(8-1-13)。従兄弟に固体物理学者の植村泰忠(8-1-13)や仙台放送会長を務めた植村泰久がいる。
 中学の頃から川崎優に師事。1954(S29)東京芸術大学別科卒業。'57 慶應義塾大学卒業。'59 フルーティストとして初リサイタルを行い、同年にNHK交響楽団に入団。以来、同楽団で活動。
 '64〜'66 パリ音楽院、フライブルク音楽大学に留学し、オーレール・ニコレらに学ぶ。東京木管合奏団のメンバーであり、ほかに武蔵野音楽大学の講師や、'79 NHK教育テレビ「フルートとともに」の番組内での講師を担当した。
 作家の横溝正史とは自宅が隣同士であり、植村家から聴こえるフルートの音色を聴き、小説『悪魔が来りて笛を吹く』を着想。この作品が映画化(1979)されるにあたり、テーマ曲「黄金のフルート」を担当したのが植村泰一であったという逸話がある。
 オーレル・ニコレ、アンリー・アルテス、エルネスト・ケーラー、ミシェル・デボスト、ヨアヒム・アンデルセンらフルート奏者が著した本の翻訳している。
 '90(H2) NHK交響楽団を定年退職。退団後は東京音楽大学教授に着任。'93 東京音楽大学学長に就任した。2001 東京音楽大学理事長を務める(〜2006)。誤嚥性肺炎のため横浜市の病院で逝去。享年88歳。喪主は長男の公彦により葬儀を近親者で執り行われた。

<音楽家人名事典>
<訃報記事など>


墓所

*墓石は洋型「植村家」。右面に「昭和四十六年九月建之」と刻む。裏面が墓誌となっており、植村泰二、文、妻のマサの俗名、没年月日、享年が刻む(2022年9月現在)。植村家の墓石の右側に寝石の墓石が建つ。十字を刻み「植村文ここに眠る 昭和三十六年六月十九日」と刻む。植村文は泰二とマサの二女であり、25才の若さで没している。


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