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おやどまり ちょうたく

親泊朝擢

おやどまり ちょうたく

1875.1.23(明治8) 〜 1966.6.4(昭和41)

明治・大正・昭和期の教育者

埋葬場所: 25区 2種 8側 27番

 向氏で第二尚氏第3代尚真王の廃嫡となった長男・尚維衡(浦添王子朝満)の後裔。
 1896年に沖縄県尋常師範学校卒業後、小学校の訓導となるが、1901年には弱冠26歳にして大宜味尋常小学校校長に抜擢される。 その後も教育に力を注ぎ、『沖縄教育』や『通信教育』などを編集発行、ほか『沖縄写真帖』『沖縄県案内』の編集や喜舎場朝賢の『琉球見聞録』の発行も行っている。

 多磨霊園の親泊家の墓所には、親泊朝擢と妻・ウシ、長男・朝省と妻・英子と子の靖子、朝邦の一家四人。それに次男・朝晋と夭逝した朝晋の長男が眠っている。
 長男の朝省は軍人の道を歩み陸軍大佐に、次男の朝晋は父と同じく教育者の道を選び、最終的には千葉県教育委員会教育次長をつとめた。 なお朝晋は同霊園にも墓所がある松山御殿(尚順男爵家)の芳子(尚順五女)と婚姻している。
 また長女・ツルは「日本のカキ王」と称される宮城新昌に嫁いでおり、その長女に道子、次女に朝子をもうけている。 道子は料理研究家でタコさんウインナーの考案者として知られる尚道子(夫・尚明はダイニングキッチンの提案者で知られる)、朝子はテレビ番組「料理の鉄人」でもお馴染みの料理記者、岸朝子であり、彼女らは親泊朝擢の孫にあたる。

<仲村顕様より情報提供>


 


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