父は教育者の道を歩んだ親泊朝擢で、その次男として生まれる。 長兄に職業軍人となった親泊朝省(陸軍大佐)がいるが、朝晋のほうは父と同じ教育者としての道を選んだ。 大戦前は台湾の嘉義高等女学校教諭や台南師範学校教頭をつとめ、戦後は千葉県教育庁にあって、公立学校の統合・スリム化(実に3分の2に縮小)により、経費の削減と学校配置の適正化、通学区域の合理化を図った。 また男女共学の奨励と定時制教育の普及にも力をそそいだ。千葉県教育委員会教育次長が最後の肩書きである。 妻は同霊園に墓所のある松山御殿(尚順男爵家)の芳子(尚順五女)。 姉のツルが「日本のカキ王」と称せられる宮城新昌に嫁いでおり、その子の尚道子(タコさんウインナーの考案者)やテレビ番組「料理の鉄人」でお馴染みの岸朝子らは姪にあたる。 なお、ここ多磨霊園の親泊家墓所には親泊朝晋と彼の夭折した長男、父・親泊朝擢と母・ウシ、長兄の親泊朝省一家が眠っている。
<仲村顕様より情報提供>
親泊朝擢、 親泊朝省、 尚 順、 尚 道子