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おおくぼ たつ

大久保 立

おおくぼ たつ

1871.4.22(明治4)〜 1941.2.11(昭和16)

明治・大正・昭和期の海軍造船中将、貴族院議員、子爵

埋葬場所: 11区 1種 2側 3番

 東京出身。元老院議官の大久保一翁(同墓)の三男。一翁没後、嗣子の業が子爵を継承したが、1891(M23)に没したため、一翁の直系の立が子爵を継承した。1898イギリスのグラスゴー大造船課卒、翌年帰着、同年海軍造船少技士となる。海大教官、検査官、横工廠造船部長などを経て、1919(T8)海軍造船少将。'22艦本出仕となり、 海軍造船中将に昇進し、同年侍命。翌年予備役となった。'25から貴族院議員として活動。'33(S8)後備役となり、'38退役。享年69歳。

<コンサイス日本人名事典>


おおくぼ いちおう

*大久保一翁(忠寛)は1888.5.24(M20)子爵を授爵した年に没したため、業が子爵を継承した。その後、立→寛一→忠昭が後継継承した。また常陸丸遭難で戦死した大久保正少尉も同墓に眠る。 業は鉄道技師、寛一は帝室林野局技師。なお、大久保家之墓は青山墓地にあったが、1937(S12)10月20日区画整理のため多磨霊園に改葬した。

*墓所正面自然石に上部に「大久保氏墓」と横書きで刻み、正面に縦書き「一翁忠寛之墓」と刻む。これは「勝海舟の書」。また小さく生没年月日も右上に刻む。また裏面に「東京市都市計画に因り 昭和十二年十月二十日 青山墓地より当多磨墓地に改葬す」と刻む。

*墓所には5基建つ。正面は「一翁忠寛之墓」、右側に古い墓誌、左側に並んで左から「大久保谷子 墓」、「大久保業世廣 墓」。墓所右手側に「大久保立 / 幾子 墓」。左手側に「大久保家之墓」。建立之者は大久保忠昭。その左側に新しい墓誌があり、大久保喜久子、為國、俊茂、恵子(徳川家達の娘で寛一の妻)、寛一(帝室林野局技師)、能忠の刻みを見ることができる。


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