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おおくぼ なり

大久保 業

おおくぼ なり

1862(文久2)〜 1891(明治23)

明治期の鉄道技師、子爵

埋葬場所: 11区 1種 2側 3番

 元老院議官の大久保一翁(同墓)の嗣子。諱は世広。1878(M10)欧米に留学クリストルパレスコンパニースクールに入り鋳冶円学測量鉄道学を修め1887(M19)帰朝し、鉄道局五等技手下に任じ、翌年11月29日従五位に叙し、1891(M23)7月盛岡地方線路架設の実測中、偶々強雨に遭遇、自ら奮つて荒川を通る際奔流に溺没す。享年29歳。8月7日弟の立が後を相続し1892従五位に叙せらる。

<明治過去帳301頁>
<五輪塔様より情報提供>


おおくぼ いちおう

*大久保一翁(忠寛)は1888.5.24(M20)子爵を授爵した年に没したため、業が子爵を継承した。その後、立→寛一→忠昭が後継継承した。立は海軍造船中将・貴族院議員、寛一は帝室林野局技師。また常陸丸遭難で戦死した大久保正少尉も同墓に眠る。なお、大久保家之墓は青山墓地にあったが、1937(S12)10月20日区画整理のため多磨霊園に改葬した。

*墓所正面自然石に上部に「大久保氏墓」と横書きで刻み、正面に縦書き「一翁忠寛之墓」と刻む。これは「勝海舟の書」。また小さく生没年月日も右上に刻む。また裏面に「東京市都市計画に因り 昭和十二年十月二十日 青山墓地より当多磨墓地に改葬す」と刻む。

*墓所には5基建つ。正面は「一翁忠寛之墓」、右側に古い墓誌、左側に並んで左から「大久保谷子 墓」、「大久保業世廣 墓」。墓所右手側に「大久保立 / 幾子 墓」。左手側に「大久保家之墓」。建立之者は大久保忠昭。その左側に新しい墓誌があり、大久保喜久子、為國、俊茂、恵子(徳川家達の娘で寛一の妻)、寛一(帝室林野局技師)、能忠の刻みを見ることができる。


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