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いしづか えいぞう

石塚英蔵

いしづか えいぞう

1866.10.31(慶応2.7.23)〜 1942.7.28(昭和17)

明治・大正・昭和期の官僚、政治家

埋葬場所: 8区 1種 17側

福島県出身。会津藩士の石塚和三郎(同墓)の長男。第一高等学校を経て、1890(M23)帝国大学法科大学政治学科を首席で卒業。同年、法制局試補となる。法制局参事官、兼法制局書記官などを歴任。1894.12〜1895.7内閣顧問官として朝鮮国に出張。
 1898台湾総督府に転じ参事官に就任。児玉源太郎(8-1-17-1)総督いわく「後藤(新平)は民政、石塚は法制、我輩が軍政」と。以後、参事官長、民政部外事課長心得、総務局長を経て、1905関東州民政署民政長官を兼務した。 1905関東州民政署民政長官の専任となる。'06関東都督府が設立されると民政長官に就任(〜'07.4)、統監府に転じ参与官となり、監査部長、総務長官事務取扱を歴任。
 '10朝鮮総督府設置に伴い取調局長官。'12〜'16(T5)朝鮮総督府農商工部長官。'16〜'23東洋拓殖株式会社総裁。同年、貴族院勅選議員に任命され同和会に属す(〜'34)。 非政友会系とみられ、'27(S2)総選挙では選挙監視委員会に参加し、'29(S4)浜口内閣により第13代 台湾総督に任命された。 '31.1台湾の原住少数民族が日本に抗して武装蜂起した霧社事件(1930)の責任をとって辞任。'34枢密顧問官となり在任中に逝去。享年75歳。勲一等旭日桐花大綬章追贈。娘婿は外交官の石井康。

<コンサイス日本人名事典>
<朝日日本歴史人物事典など>


*墓石は和型「石塚英蔵墓」。左側に墓誌があり、戒名は凌雲院殿忠節斗南大居士。

*13代台湾総督(1929-1931)の石塚英蔵であるが、多磨霊園に眠っている歴代台湾総督は、4代目(1898-1906)児玉源太郎、8代目(1919-1923)田健治郎、17代目(1936-1940)小林躋造がいる。なお、台湾総督は太平洋戦争終結の1945年までであり、19代目の安藤利吉が最後。


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