| 歴史が眠る多磨霊園 |
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石川三四郎 |
いしかわ さんしろう | |
| 1876.5.23(明治9)〜 1956.11.28(昭和31) | |
明治・大正・昭和期の | |
| 埋葬場所: 25区 1種 85側 | |
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生家は五十嵐姓、のち微兵忌避のため石川姓を名のる。埼玉県出身。号を旭山。 東京法学院(中央大)卒。堺利彦・花井卓蔵の紹介で万朝報社に入社。 1903(M36)幸徳秋水らが非戦論を主張して同社を退き平民社を結成、週刊「平民新聞」を創刊するとそれに参加。 05平民社楼上で日本最初のメーデー集会として5月1日茶話会を開く。 平民社解散後キリスト教社会主義の立場から安部磯雄・木下尚江らと「新紀元」を創刊。 07「新紀元」と西村光ニ郎(18-1-19)らの「光」が合同して堺・幸徳・西川らと日刊「平民新聞」を発刊。 翌年、同紙掲載記事が朝憲紊乱罪として起訴され入獄。 大逆事件後、13(T2)日本を脱出、ヨーロッパを放浪し20帰国。23再び渡欧、翌年帰国。 自由連合派の労働運動、黒色青年連盟に係わり、また中西伊之助・下中弥三郎(24-1-10-6)らと農民自治会を創設。 戦後46(S21)日本アナキスト連盟結成に参加した。 <コンサイス日本人名事典>
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