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にしかわ こうじろう

西川光二郎

にしかわ こうじろう

1876(明治9)〜 1940(昭和15)

明治時代の社会主義者

埋葬場所: 18区 1種 19側

 号を白熊。中学時代に詣縦教入信、札幌農学校で新渡戸稲造(7-1-5-11)や内村鑑三(8-1-16-29)の影響を受け社会主義に傾倒。 片山潜に協力し雑誌「労働世界」を発刊、1901(M34)社会民主党結成にさいして創立発起人となる。 その後、社会主義協会をへて、03幸徳秋水の平民社に参加し、社会主義・非戦論を主張して日露戦争に反対した。 平民社解散後、06「光」を発刊し、同年創立された日本社会党の機関紙たらしめた。社会主義者の直接行動論と議会政策論の対立は後者にたつ。 この間、「平民新聞」の筆禍事件、東京市電値上反対運動などで数回投獄された。大逆事件後転向し、その後は精神修養家として著述活動などに従事した。

<コンサイス日本人名事典>


墓所

*妻の西川文子(同墓)は婦人運動家として活躍した。


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