メイン » » » 麻生 久
あそう ひさし

麻生 久

あそう ひさし

1891(明治24)〜  1940(昭和15)

大正・昭和期の社会運動家

埋葬場所: 9区 1種 13側

 1917(T6)「東京日日新聞」記者となる。黎明会を組織し、雑誌「解放」を編集。19友愛会に入会し、鉱山部長・主事等をつとめ、日立・夕張・足尾鉱山縦で入獄。 25総同盟政治部長のとき労働農民党脱退。26総同盟を割り、河野密らと日本労働党を創立。以後中間派の指導者として日本大衆党・全国労農大衆党等の書記長を歴任。 32(S7)社会大衆党書記長となり、実権を掌握。次第に親軍・ファッショ的色彩を明確にし、躍進する社大党を率いて近衛新党計画に参画。 36・37東京より衆院議員に当選。39東方会との合同を策し、新体制準備委員となるが、企図実らず、急死した。

<コンサイス日本人名事典>


*長男は衆議院議員を務めた麻生良方(同墓)である。


関連リンク:



| メイン | 著名人リスト・あ行 | 区別リスト |
このページに掲載されている文章および画像、その他全ての無許可転載を禁止します。