多磨霊園正面門を入ると、大植込みのある広場から園内に何本も通じて行く園路のうち、真中の最も広い園路を進んで行くと霊園のシンボルである高さ15メートルの大噴水塔が見える。
この園路の両側千坪(3300平方メートル)の区域が、国家的功労者の埋葬を予定した名誉霊域である。この辺りは多磨霊園でも最も風致が優れ、公園墓地の代表的なところである。
この名誉霊域は、元帥海軍大将の東郷平八郎(7区特種1側1番)〔国葬〕・元帥海軍大将の山本五十六(7区特種1側2番)〔国葬〕・元帥海軍大将の古賀峯一(7区特種1側3番)の3人のみが使用されている。
3人とも連合艦隊総司令官の軍人である。今の時代のフィルターで考えれば、なぜ名誉霊域内に軍人なんかがと思う人もいるかもしれない。
しかし、当時の環境面や考え方からたどると、妥当な策であったのかもしれない。
現在、古賀峯一が埋葬されてから50年以上経つが、誰一人として名誉霊域内に葬られないのは、民主主義と時代が変わり平等社会になったからなのかもしれない。
多磨霊園を研究すると日本の歴史がおもしろいように感じることができる。
今では学校の授業ですらタブーとなっている軍国主義時代を学ぶ上で、これほど適した環境はない。ここでは名誉霊域について語っていこうと思う。