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役に立つことって誰の役に立つこと? 「あれはムダだけど、これは役に立つ」なんて言葉を君も使うかな。自動車もテレビも携帯も土鍋も耳掻きも役に立ちます。でも自動車は自動車にとって役立つのではなく、耳掻きも耳掻きのために役立つのではなく、みんな誰か他のものの役に立っているのです。なのに、僕らが勉強や資格や就職のことを考えるとき、それが役に立つのかムダなのかという話をするとき、それはいつも自分にとって役に立つかどうかを考えがちです。僕も大学を卒業するころまでは、勉強する意味や価値をそんな風にしか考えていませんでした。 でも大学を卒業して、教師になって、いろんな生徒やその親や、それにまつわるいろんな問題と出会うなかで、自分の役に立つかどうかよりも自分が誰かの役に立てる存在であるのかどうかの方が、ずっと大きな問題になってきました。もっと言えば、自分がこの世で一人の人間として生きていく力をつけるというのは、誰かの手助けになりうる力を身に付けることだと思うようになったのです。それで今日まで24年間、女子校の教師として身に付けるべきだと自分が思ういろんなことを、チンタラボチボチ勉強しました。それでも今も力不足を痛感しています。そして、迷います。これからどうして生きていったらいいのかと。 特に妻が僕より先に死ぬと知った時から、自分に残された時間をどう使うべきか、胸を詰まらせながら思う日が続きました。
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■ 当たるも八卦(はっけ)、当たらぬも八卦 君は占いが好きですか?今朝のテレビの星占いをチェックした?書店に積んである『今年の運勢』買った?昔、名古屋に住んでいた頃、『中日新聞』に毎朝載っていた「十二支占い」(ちなみに僕は犬年)に目を通すのが日課でしたが、僕は占いと少なからず縁があります。僕の母方のオジの一人に高嶋易断の占い師(竹の細い棒をシャカシャカやる八卦見)がいました。オジは小児麻痺で足が悪く、座って一生稼げる仕事をと考えて占い師になったそうです。そのオジは僕の人生の節目で二度関わることになりました。 その最初は姓名判断。父は僕の名前を百太郎(ももたろう)にしようと思っていたのですが、母の勧めでオジに姓名判断をしてもらったのです。オジはその名を却下して違う名をいくつか父に示し、そこから父が選んだのが僕の今の名です。 二度目は高校一年生の冬、今度は母がオジの元へ僕を連れて行きました。それはなんと、僕が理系に進むべきか文系に進むべきか占ってもらうためでした。母がそれを言い出した時、僕は正直言って「アホか」と思いました。進路を占いで決めてどうするんだと思ったのです。明治生まれのオジは小学校を卒業してすぐ占い師の弟子になったのですから、大学のことなど何も知らず、文系・理系がどんなものか分かっているはずがないからです。そこには母の思惑が透けて見えていました。母は僕を理系に進ませるため「オジの力」を借りようとしたのです。事実、オジの占いの結果は「理系を選べ」でした。 高度経済成長の時代、科学技術に近いところにいる人間ほど職にありつきやすく、理系の大学を出れば豊かな将来が約束されているという「理系神話」があったのです。しかし僕は数学がまるでだめで、一年の二学期末テストは一ケタ(たしか5点か7点)でした。で、当然のごとく「理系になんか行けるわけがないやろさ!」と思っていたのです。それなら文系科目は得意だったかと言えば英語も散々で、単語を覚えるのは苦手だし文法は問題集を開くだけで頭が痛くなりました。 僕が通った高校は伝統ある進学校とは正反対で、できて二年目の新設校。僕の入学時には高3はおらず、進学実績どころか体育館すらない学校でした。そんな学校の1学年6クラス250人ほどの中で、1年の秋に出された成績順位は218番(今でも覚えているほどガ〜〜ン)でした。理系だの文系だの言う以前に、大学進学自体ムリちゃうかと僕は思っていたのです。 母は、そんな僕を国公立の理系に進ませたいと思っていたのです。はっきりと口にはしませんでしたが、父に対する母の愚痴にそうした思いが読み取れました。僕の父と母は共に大変勤勉で堅実な生活をしていましたが、夫婦関係はとても冷え冷えしていたのです。母は父を罵る事はありませんでしたが、尊敬や親愛の情に欠けていました。高校1年の類型選択に始まって、進学、就職、結婚そして葬式に至るまで、僕の進路選択には常に両親の不和が影を落としていました。 ■ 何をしに、何処へ行くのか 父方の祖父の実家は知多半島の農家で、かなりの田畑も持っていたそうです。しかし祖父は昭和の初めに田畑を売り払って外車を買い、名古屋の中心部だった大須の歓楽街の脇で個人タクシーを開業したのです。タクシーなど町中に数台しかなかった時代ですから、大変繁盛したそうですが、まもなく戦争が始まってガソリンも配給されなくなり、開店休業状態になったところを米軍の空襲で家も車も何もかも焼かれて、一文無しになったのです。 敗戦時に海軍予科練習生として横須賀の基地にいた父は食べていくために翌春就職し、定時制の工業高校に進みました。後から入社した大卒の後輩が夜間高校卒の父を次々と追い抜いて昇進していく中で、父は残業と休日出勤に明け暮れながら57歳で退職するまで、40年間ひたすら真面目に仕事をして家族の生活を支えました。しかし、父が玄関のドアを開けた音を聞くなり寝転んでいた体を起こし、食事の時も正座を崩せなかった父とのかかわりの中で、一緒に過ごした記憶は初詣以外にはほとんどなく、いま年老いた父と語る思い出はありません。 一方、母方の祖父は名古屋の農家の三男坊で、小学校を出てすぐ東京のクリーニング屋の丁稚になりました。やがて麻布に自分の店を構え、何人もの使用人を使って手堅く商売していたそうで、母もそこで生まれました。ところが1945年5月の東京大空襲で店は焼きつくされ、母が通っていた女学校も燃えつき、実家を頼って名古屋に疎開に来たのですが、そこでもまた空襲に会い、母の一番下の弟は戦後まもなく栄養失調で死にました。 母は女学校の卒業証書もないまま洋裁学校に通い、戦後の名古屋の中心地となった栄町に友人と洋裁店を出しました。母は結婚して僕が生まれる二日前まで店に出て、出産を機に店を友人に譲って仕事を止めました。それが父との約束、と言うより父の希望だったからです。その後は店を出していた頃からの御得意さんの信用を得て、自宅で洋裁の内職をはじめ、毎晩夜中までミシンを踏み続けていました。店を手放した事を後悔し続け、真面目なばかりで面白味に欠ける父を疎んでいた母は、その代償のように僕の将来に期待を掛けました。 僕は中2の秋までは母の期待に素直にこたえていましたが、ある事件を境に、次第に母とも口をきかなくなりました。そして高2になる頃僕が願っていたのは、何とかしてこの窮屈な家を出ることでした。父の身勝手な倫理観に縛られたくないし、母に僕の人生を絡め取られるのはまっぴらごめんでした。ただ高卒で就職するのは嫌だったので、親にみてもらう面倒は最小限にして、なおかつ家を出て大学に行きたいと思うようになりました。それはすなわち、名古屋以外の国公立大学への進学を目標にするということを意味していました。 結局文系・理系の選択はムリのないように文系を選択し、高2の終りから高3の秋にかけて僕の考え方や行き方を左右するいくつかの事件があって、いよいよ家を出る決意を固めました。ただ塾や予備校には金がかかるので通わず、僕なりのやり方でチンタラボチボチ勉強し、高3最後の学年順位は42番になっていました。 あれこれの末、京都教育大学国文学科に入学し、京都に住んで30年が経ちました。盆と暮れに名古屋に帰っても、父とも母ともほとんどしゃべることはなくなり、この30年間の親子の会話は、全部足しても24時間にもならないと思います。そうしているうちに老人性鬱病になった母は今年の1月29日の深夜、父に気付かれることもなく心臓麻痺で死にました。 (つづく) |
つづく |
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■ 一人では、後姿は見られない。鏡がなければ自分の顔さえ見られない。 今日の合同HRで説明された、類型コースの違いや科目選択のポイントは理解できたでしょうか? 明日からいよいよ秋の個人面談を開始します。受験科目と授業料を調べた用紙を記入し終えて、知りたいことや迷いごと、自分の願いごとなどを箇条書きにしておいてください。 今の自分がどこに立ち、どっちを向いて何を見て、どこに行こうとしているのか?それを言葉にすることは、自分を明らかにすることです。仮に、不細工で見っとも無くて情けない自分がうずくまっていたとしても、それがこの世に二つとない、掛け替えのない自分です。いとおしみつつ励ましてあげましょうよ。 相談とは、誰かに答えを教えてもらうことではありません。相手に向って放つ言葉を探すことで、混沌とした自分の頭や心を整理することです。自分一人では自分がどこで迷い、何にこだわっているのか、あるいは何から目をそむけようとしているのかに気付きにくいものです。 君自身を客観的に見つめる道具として、僕を使ってもらえれば幸いです。このところ僕はとても忘れっぽいので、後になって『いったいアレはどうなったんや?あの時君はアア言ったやろ!』と僕が君をなじったり、ぐちぐち問い詰めたりすることはありません。安心してご利用下さい。 ■ 紙の上の数字に惑わされずに 受験科目や授業料を確かめるため、君はどんな資料を見つけたり取り寄せたりしたでしょうか?インターネットが使える人は、河合塾の新課程受験科目紹介ページものぞいてみましたか?
予備校が提供してくれる資料に出会った君が、そこで見つけた大学や専門学校の「難易予想ランキング表」なるものに目を奪われ、目がくらんでしまっていないかと、少し心配しています。 ランキング表は、大学を学部や受験科目ごとのくくりで「合格するのが難しい順」に並べた表です。難易度が高いほど人気の高い大学だと考えてよいわけですが、「ランクの高い大学が良い大学で、だから自分もそこに行きたい」と思うのは、一生を狂わす大間違いの元になりかねません。 ランキング表を眺めて「世間の評価」をあれこれ口にしていると、受験生気分が味わえていいかもしれませんが、本当に語るべきことは自分の抱いた夢であり、確かめるべきは自分の日々の努力です。 ただ、「難易予想ランキング表」を見たこともないというのんびりした人のために、たとえば私立大学の家政生活科学系と文・人文・外国語系のランキング表の一部を裏に載せておきます。 君たちの多くが「内部推薦」で入学しようとしている京女大の学部学科に、「外部の人」がどれほどの汗と涙を流してやってくるのかを知っておくのも大事なことでしょう。 外部受験する人にとって、ランキング表は長い受験の旅の一里塚のようなものかもしれません。 ■ 生きた人の言葉をしっかり受け止めて 今週末、11月13日土曜日の『先輩との懇談会』に、できる限り参加してください。二十年近くこうした取り組みを途切れることなく続けている学校はそうありません。そこに足を運ぶことが、京女に来た値打ちの一つだといっても言いぐらいです。 今回懇談会に来てくださる方の一人、奥野あゆみさんは京都女子大学教育学科音楽教育専攻を卒業後、1998年から公立中学校に勤め、2001年から2年間『青年海外協力隊員』として、太平洋に浮かぶミクロネシア連邦のポンペイ島に行かれた方です。自分が学んだ音楽を通して世界とつながりたいという彼女の願いがどのようにして実現できたのか。懇談会ではスライドを一緒に見ながらポンペイでの生活を交えて語ってくださるそうです。 テレビで「うるるん」している以上に、君の中の何かがはじけるかもしれません。毎日を同じ年頃の女の子ばかりで過ごしている君たちに必要なのは、今の自分ととても違ったいろんな人と出会うことです。それも自分とどこかで繋がっている人ならば、余計に自分の可能性を見つける糸口が見えてくるかもしれません。 自分の人生を導く道祖神(どうそじん)を見つけるチャンスを大切に。 |
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つづく | |
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■ すべては、足元から始まる 昨日配った「類型コース科目選択のための基礎資料記入用紙」を前に、「そんなんいわれたってどーしよ〜〜、まだ大学なんて決められへん」と頭真っ白&心真っ青になりかけの人がいます。 でも大丈夫。君が目標とする大学が決まろうと決まるまいと、類型コース科目選択の日は確実にやってきて、よく考えずに適当に書いて出しておいてもちゃんと二年生の授業は受けられます。で、また高三になるときに適当に科目を選択して進級すれば、好きや得意と関係なしに受験科目が限られて、それに応じた大学や学部学科を受験していけるのです。 決められなくても、勝手に決まっていくならそれも人生。どーとでも生きていけるんだから深刻に考えず、差しあたり一番無理がなさそうなものか、おもしろそうなのを選んでおく。でなければ「みんな一緒の保護色」に染まっておくのも気が楽かも。そんな具合に進学していった卒業生は数え切れないほどいます。それで結構自分なりに納得しながら日々を送っている人もいるのです。 でも、その一方進学した後もグズグズクヨクヨ学生生活を送り、一年経たないうちに大学を中退する卒業生も毎年います。また、4年間で500万円以上の学費を親に払ってもらいながら、大学卒業後も何となくフリーターで過ごしている子もいます。前回紹介したように、いったん就職してから仕事を止めて学び直している子もいます。 何にせよ、今ここからしか始まりません。そして、夢がなければ歩き始められません。まずは、憧れましょう。そして、そこに向って歩き出すことを決意しましょう。歩き出すこともしないで、そこに到達するまでの道のりの遠さに、気後れしてもしょうがありません。チンタラボチボチでかまわないから、はじめの一歩を踏み出しましょう。 ■ 親の思い込みを解きほぐすのも仕事の一つ たとえば、国公立大学の学費がいくらか君のお父さんは知っているでしょうか?僕が京都教育大学に入学した時の授業料は、たしか年間3万6千円。月々1万5000円ほどの奨学金をもらっていたので、言ってみれば授業料はただ同然でした。その時、私学で一番授業料が安いといわれていた立命館大学でも、年間50万円ほどしたと思います。昔は国公立と私学では、10倍ほどの差があったのです。 ところが、「公私間の格差をなくせ!」と言う掛け声がどこからともなくわきあがって、国公立の授業料はどんどん値上がりし、今年度は次の通り。京都女子大学の文学部と比べて見てください。
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■ 黄菊にとまる露のはかなさ、真っ赤に染まり散り行く楓 裏面(省略)に2学期中間バーチャル五段階を載せました。寒さの冬にも青々と繁る松、嵐の風もしなやかに受け止める竹、春一番に香り高くつぼみをほころばせる梅のように君も生きてほしい。冷たい露にしおれ、木枯らしに散る菊や楓のはかなさは、若い君には似合わない。 さて、君は「京女で学ぶ情熱」を持ち続けていますか?右に載せたのは2004年10月27日付け朝日新聞の記事です。(記事省略。第2京都版 シリーズ黒板 白板 「定時制 やり直し 『現役』であり続ける」朱雀高校定時制教諭 久田晴生さん) 京都の定時制高校で学ぶ10代から70代の生徒の「学ぶことへの情熱」が伝わってきます。中学卒業したから「あたりまえのように高校に来」だけ、高校卒業したら「あたりまえみたいに大学に進む」というのが、君の人生とは限りません。 ■ できない、から勉強しなければならない、のではない。 返却された答案を見て、今度はガンバル!と何度思ったことでしょう。でも、思ったほどには頑張れないまま次のテストを迎えてしまったことが、何度あったことでしょう。できないことを親や教師に怒られたり、やってないことを叱られて、やれるようになる人はめったにいません。 夢があるから、やりたい何かやなりたい自分があるから、面倒くささや辛さを乗り越えられる。 空虚に浮かれたその後に、ずしりと沈んで落ち込む君に必要なのは、叱られることではなく、夢や希望や理想や信念を持てるように導かれることです。まずは、真っ直ぐ自分を見つめてみましょう。そして、自分の助けになってくれる人のもとに行きましょう。 ■ 自分を勇気づけるもの、生きてく希望を手に入れる そこそこうまいこといけてるのなら、今まで通り今のまま、何かをやっていけばいい。でも、そうじゃないなら、自分を変えるか世の中変えるかしなくちゃなりません。そんな勇気や希望を手にするために、いろんなところに足を運んでみるのもいい。
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■ はじめに言葉ありき 「初めに、神は天地を創造された。地は混沌であって、闇が深い深淵の面にあり、神の霊が水の面を動いていた。神は言われた。『光あれ。』こうして光りがあった。神は光を見て、良しとされた。」 上の引用は君も知っている『旧約聖書』の第一章、「創世記」の書き出しです。この世に光りが存在していて、神がそれに「光」という名を付けたのではなく、神が放った「光よ存在しろ」という言葉が、光を生み出したというのです。 そんなアホなと思うかもしれません。しかし、君にも花の名を知ってはじめて森の中のその花に気付くといった経験があるでしょう。多くのものの名を知っている人は、一つ一つのものの見分けがつく人です。新しい言葉を口にすることは、モヤモヤした世界をすっきりと整理し、新しい世界を手に入れることなのです。 この世で最も身近にあって最も混沌としていているものは自分の心でしょう。自分の心のモヤモヤが隠し、ドロドロの中にひそんでいるものは何か? 心にポッカリ開いた穴をふさぎ、ガランとした空洞を満たしてくれるものは何か?その正体を知り、その先に開けているはずの世界を手に入れるためには、モヤモヤ・ドロドロ・ポッカリ・ガランに隠れていたり欠けているものの名前を見付けることが必要です。 そのものの名前を見つける方法の一つは文章を読むこと。この広い世の中には、自分と同じモヤモヤガランを心の内に抱えている人が何千何万といたはずです。読書の不思議な魅力とは、「そこに悩んでいる君自身を見つけること」ができ、そして「そこから君の未来を読み取ること」ができるかもしれないということです。 もう一つの方法は文章を書くこと。すでに見つかっているものを言葉にして書くのではなく、自分が求めているぴったりした言葉を見つけるために書くのです。はじめは消えては浮かぶ、何の意味があるかもわからないような言葉の断片であっても、それをノートにでも携帯のメモにでも書きとめておく。そして、その言葉と言葉をつなぐ次の言葉を探していく。その繰り返しを何度も何度もするうちに、求めていた言葉の連なりにたどりつく。その時君は、自分が求めていたものが何だったのかを知るのです。 テストが終り一段落ついた今こそ、多くの本を読み、たくさんの言葉を綴ってみてください。 ぼんやり頭の中でとりとめのない空想を楽しむのもよいですが、君が自分の古い皮を脱ぎ、固い殻を破りたいなら、時間を割いておおいに読み、苦しくとも書き続けて下さい。 ■ 節目を作る言葉 出会いの時には「こんにちは」、うれしかったら「ありがとう」、失敗したら「ごめんなさい」、別れの時には「さようなら」。 その時々にふさわしい言葉があり、それを口にし筆にすることが、人と人との関わりや、自分の過去と未来とに節目をつけ、心の整理をうながします。言葉が「自分のいま」をはっきりさせてくれます。 モヤモヤガランの一人である僕も、これからの自分を見つけるために、二つの詩を作ってみました。一つは、死んだヨメさんの誕生日の10月19日、もう一つは新しく作ったお墓にヨメさんの骨を納めた昨日を節目にするための言葉です
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■ あるものは簡単に否定できても、ないものを創造するのは難しい
■ 暖かな眼差しに守られた涼しい目許 「鉄は熱いうちに打て」などと言います。「何事も時期を逃してはならない」とか「若いうちに鍛えろ」といった意味ですが、2004年10月16日付朝日新聞夕刊に興味深い記事を見つけました。 その日の科学特集「日本刀の秘密を探れ」の始めに、『鉄は少し冷やして、いろいろな方向から打て』という言葉が出てきました。これは物質・材料研究機構(茨城県つくば市)の実験室に掲げられている言葉なのですが、普通の鉄をはるかに越えた、日本刀のようにしなやかな強さを持った鋼を作るには、熱した鉄を少しさましていろんな方向から幾度もたたくことが必要とのこと。 そう知って、鉄も人も一緒だなと何やらおかしく、何だか悲しくなってきました。 何かを育てていくためには、それ相応の熱が必要。それでも熱く燃えろと熱し過ぎたら、君は熱にうなされ寝込むかも。そしてまた、熱に浮かれている君に、頭を冷ませと水をかけたら、今度はこごえて動けない。 君が真っ赤な鉄であっても、一つところをおんなじように、幾度もたたかれ続けたら、へこんで歪んで穴が開き、決して強くはならないでしょう。 ましてや君が絹ごし豆腐だったなら、一度たたいたその瞬間、あとかたもなく崩れます。白い豆腐は慎重にそっとすくってあげないと。 君が真っ赤な鉄でも白い豆腐でもない人ならば、たたきもすくいもすることなく、そっと支えるだけでいい。 愛情は育つことを信じる心。暖かな眼差(まなざ)しが、知性をたたえた澄んだ目許(めもと)を育てることを信じましょう。
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つづく | |||||||
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■ 笑顔にあふれたあの瞬間が力強い思い出にかわってゆく 昨日の朝はキンモクセイの香りで目が醒めました。新聞を取りに出るとひんやり甘い空気が満ちていました。今朝、学校の向いのイチョウを見上げると、黄色く色付き始めた葉が、空の青に浮かび上がっていました。 君の「青春の1ページ」は確実にめくられて、新しい日々がすでに始まっています。何十年か後に「あのすばらしい愛をもう一度」と高校生活最初の文化祭を思い起こせたらステキですね。 それは君だけでなく、君や君の友達の姿を客席から見入ったお母さんやお父さんも同じだと思います。メールで頂いた、あるお母さんの感想の一部を紹介します。
こんな暖かな目と熱い心で見守られている君はとても幸せです。一方、いろんな事情で劇場に足を運べなかった家もたくさんあります。そうしたお母さんやお父さんも、文化祭を節目に成長した君の姿を、心の隅でしっかり感じ取ってくれているはずです。 ■ 願いに応じた努力の仕方がある 残念ながら入賞はできませんでしたが、一人でも多くの世界の人々に愛を届けるという目標は、たくさんの人が劇場に来てくれたことで、ちゃんと達成されました。そして、君は学びました。 もし、次は「優勝」を願うなら、そしてもっと多くの人に感動を抱いてもらうためには、何をどうしたらよいかということを。企画の立て方、構成の仕方、練習の方法、人間関係の結び方etc. 来週から始まる中間考査が終るといよいよ2年生に向けての類型・コース・科目選択のオリエンテーションが始まります。自分にとって豊かな人生とは何か、そのために必要な努力とは? ぼちぼち考えて行きましょう。試験明けから秋の面談を始めます。 |
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つづく | ||
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■ 流した汗と涙の数だけ 昨日の6時過ぎ、教務の部屋に行くと2年生の子が二人、担任の先生の前でハラハラ涙をこぼしていました。聞けば、みんながそろわなくてクラスの準備が進まず、このままだと本番に間に合わないとのこと。大変だねぇと他人事のように慰めていたのですが、僕のいない1年6組の教室で、同じように涙に暮れていた君たちがいたことを知らずに過ごしていたなんて、のんきな担任だと君からしかられても仕方ありません。 ただ思うのは、発表がうまくいって入賞して流す喜びの涙と同じか、それ以上に準備が進まず苦しんだり、思いが通じなくて悔しかったりもどかしかったりして流す涙には値打ちがあるということです。 ■ 縛られてでなく、つなぎあって 人にはそれぞれ事情があって、それぞれに価値観や人生観がある。まずはこれが大前提。 そのうえで、人と人とが結びつくことによって、一人では決してできない何かを生み出すことが出きるということを学んで欲しいと思います。強制や脅しによって成長することは極わずかですが、感動や共感は人をとんでもなく大きく成長させてくれます。 『時間』は命そのものです。何に時間を掛けるのか?何を捨てて何に時間を割くのか?それは大げさでもなんでもなく「何に命を掛けるのか」ということです。 自分一人の力で自分の人生を豊かにすることは無理です。より多くの人と結びつき、より深く支え合う力を養うこと。それが、いま君たちが学んでいることです。縛らずにつながり合うには、自ら手を差し伸べること。ほどけかけた手は握り返すこと。遠くに離れているのなら駆け寄ってそばに寄り添うこと。そして語り掛けること以上に耳を澄まして聞き取ること。 僕は今日の朝礼で頬をつたった前芝君の涙と、斎藤君がいった「あきらめることはない。まだ時間がある。もっと上手に歌えるようになる」という言葉に『希望』を見ました。とても健康で、とても僕らのようにしなびた大人にはまねのできないことだと心打たれました。 ■ 僕なりの応援 僕らは『学校』という特殊な世界で暮らしているので、何でも予定通り時間割通りにことが進むのがあたりまえ、そうならないのは『問題』だと錯覚しがちです。でも、ちょっと落ち付いて考えればJRの時刻表のように人生が進むわけなどないということを、君も少しずつわかりかけているでしょう。 袋小路に迷い込み、落とし穴にはまりかけ、ようやく出口が見つかったと思ったら、そこはもと来た入口だった……それが生きて行くってことなのかもしれません。 今この学校で学びながらあれこれ悩んでいる君がいるのと同時に、この校舎から去って、もう一つの人生を歩もうとしている人もいます。裏に、一組の林先生が出している学級通信『笑顔がいっぱい 第61号』を転載させてもらいました。こうしたことを知った時、「自分はいくつかある道の一つを選んで生きているのだ」という事実を実感できます。 そして今、地球のあちこちで学校に通うこともできずひたむきに生きている同じ年頃の少女たちがいます。君が文化祭で歌うのは、そうした少女たちとも手をつなぎ合おうということなのですから、すごくImagination=想像力が必要になるわけです。 でも地球の裏側を一生懸命見ようとする目は、きっと隣にいる人の心も見えるようにしてくれるはずです。 そんな君を応援できればと思って、この文化祭で僕も『発表』することにしました。カメラ部の展示教室に『We are the world アフガニスタンのぞき窓』というコーナーを作って、去年の12月にカブールで撮った写真を展示します。小さな妹の子守をしながら暮らす少女や、畑仕事をしていて地雷で手足を失った少女の写真などです。 今週末までの残された時間、自分ができる精いっぱいを文化祭に掛けてみない?そうした体験が、きっと君を一回り大きくするはずです。 |
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つづく | |
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■ Let it be 今日から神無月。日本国中の神様は出雲に出張して地元にはいなくなります。 さて、明日10月2日から滋賀県立近代美術館で「YES オノ=ヨーコ展」が始まることを事務室前の掲示板を見て知っている人も多いかと思いますが、君が歌う「Imagine」はジョン=レノンが妻のヨーコからインスピレーションを得て作詞作曲したと聞いたことがあります。忙しい折ですが、そんな縁を手繰って足を運んでみてはどうでしょう。 ジョン=レノンはビートルズのメンバーでしたが、彼らの曲の一つ「Let it be」はサビの部分で題名が繰り返される有名な曲なので、君もメロディが思い浮かぶでしょう。実は、そのティンティントトンというメロディが、朝の職員室に幾度となく流れているのです。それはなぜか!? このところ朝8時過ぎは体調不良による欠席連絡ラッシュアワーとなっていて、『お呼びしますので少々お待ちください』と受話器を置かれた電話から流れている曲がLet it beなのです。 で、最近気付いたのですが、職員室だけでなく、生徒部も宗教教育センターも教務係も、学校すべての電話のお待ちくださいメロディはLet it beで、事務員さんから聞いた話では幼稚園から大学まで京都女子学園中の電話はすべてLet it be らしいのです。(ホンマか?!) 「だからどうだって言うの? うちの電話もLet it beだけど文句ある!」という声が聞こえてきそうですが、ここでそう言う君に聞きたいのは「ところで、その歌詞全部知ってる?」っていうこと。 「Let it be」は「あるがままに」と訳されていることが多いようですが、それ以外の歌詞を頭に思い浮かべられる人はまれです。ましてや歌詞の意味を知る人は少ない! で、参考になる訳詞はないかとインターネットでカチャカチャ検索したところ「The Beatles ..サウンドからソングへ」(http://gatecity.gaiax.com/www/gatecity/t/e/thebeatles/bbs.html)というホームページの管理人さんオリジナルの訳詞が目にとまったので、それを以下転載させてもらいます。ただし長くて繰り返しの多い歌なので一部を省略しました。 Let it be
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ちなみに『衆会』の歌詞は右の通りです。 知っておくのも京女生の教養かも。 知性と感性を磨き教養を深める場所が学校です。 |
衆会(しゅうえ) |
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つづく | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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■ 死刑でも償えなかった罪、罰では生まれなかった罪の意識 このところ死刑の執行が続いていますが、僕は先日死刑を執行された宅間守元死刑囚のことがずっと気になって仕方ありません。下に載せたのは9月20日の京都新聞の記事です。僕はこの記事ではじめて、彼が獄中結婚していたことを知りました。 死刑囚の彼と結婚をした女性はいったいどんな人で、何をどう思って結婚したのか?君も驚きや疑問を持ちましたか?それとも素直に感動しましたか?
■ 「愛の力」を信じられる人、信じられない人 この記事を読んですぐに思い出したのは1967年11月2日に処刑された元死刑囚島秋人と、獄中の彼を支えた女子高校生のことでした。島明人(本名中村覚)は病弱で、中学校でも成績は一番下。邪魔者扱いされた彼の性格はすさみ、少年院にも入ります。1959年、25才になった彼は空腹に絶えかね農家に押し入り、2千円を奪おうとして争った家の人を殺し、死刑囚になりました。 獄中の彼は、誰にも相手にされなかった中学時代にたった一度だけ彼をほめてくれた先生のことを思い出して手紙を出します。死刑囚の彼に返事をくれた先生との縁で、彼は短歌を作り始め、彼の内面は大きく変化し始めます。
世の中を変えるために、君が武器の力や金の力に頼りたくないならば、どれだけ頼りなくても愛の力を信じるほかありません。 そんな厳しい選択をした君に、僕の精一杯の言葉を贈ります。
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■ 願うことは信じること 近付いてきた台風が送り込む蒸し暑さと、間抜けなクーラーの妙な冷気が交じり合った教室は、何とも言えない不健康さが澱んでいるようで、今日はついに五人がお休みになってしまいました。日直さんが付けてくれている『学級日誌』の備考欄には、文化祭で歌う歌を「そろそろみんなそろって練習したい!」「みんなでそろって歌いたい」という願いが書き継がれるようになっています。 「願う」っていうのはステキな「行為」だと思います。願えるってことは明日を信じられるっていうこと。期待できるってことは絶望していないっていうこと。もうダメだじゃなくって、まだ大丈夫っていうこと。そう思える君の心はとても健康です。そして、そう君が思えるのは、きっと誰かに愛され、これまでずっと誰かに支えられてきたからです。 そんな健康で幸せな君なのだから、のしかかった不安や焦りにくじけそうにな人の肩を抱き、面倒くささや怠け心に引きずられかけている人の手を握って、暖かな声を掛けてください。 「なんなん?」とか「なんでやの?」といった言葉の裏に引っ付いている意地悪な気持ちは、人の心を遠ざけ萎えさせることはあっても、けっして人の励ましにならないってことを、君はよく知っているはずです。 ■ 学ぶチャンスはいつも、今ここにある さて昨日の手紙の続きですが、僕は「ヨハネによる福音書」の次の一節が好きです。
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新約聖書 マタイによる福音書 第五章山上の説教 | ||||
「幸い」 心の貧しい人々は幸いである、天の国はその人たちのものである。 悲しむ人々は、幸いである、その人たちは慰められる。 心の清い人々は、幸いである、その人達は神を見る。 平和を実現す人々は幸いである、その人たちは神の子と呼ばれる。 義のために迫害される人々は、幸いである、天の国はその人たちのものである。 「復讐してはならない」 悪人に手向ってはならない。 誰かがあなたの右の頬を打つなら、左の頬をも向けなさい。 あなたを訴えて下着を取ろうとするものには、上着を取らせなさい。 求める者には与えなさい。 あなたから借りようとする者に、背を向けてはならない。 「敵を愛しなさい」 敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい。 あなたがたの天の父の子となるためである。 父は悪人にも善人にも太陽を昇らせ、正しい者にも正しくない者にも雨を降らせてくださるからである。 自分を愛してくれる人を愛したところで、あなた方にどんな報いがあろうか。徴税人でも、同じ事をしているではないか。 |
「思い悩むな」 |
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講談社現代新書 聖書のヒロインたち 生田 哲【著】 講談社 2004-07-20出版 |
岩波新書 聖書でわかる英語表現 石黒マリーローズ【著】 岩波書店 2004-08-20出版 |
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聖書には女の欲望、嫉妬、煩悩、知恵と愚かさのすべてが凝縮している。神にそむいたエバ、犬に喰われたイゼベルなど13人のヒロインの生き方。 旧約編 エバ― 人類史上最高の美女 リベカ― 家族を崩壊させた偏愛 ラハブ― 運命を切り開いた売春婦 イゼベル― 犬に喰われた悪女 ほか 新約編 マリヤ― 世界史上もっとも愛された女 ヘロデヤ― 洗礼者ヨハネを斬首させた妖婦 マグダラのマリヤ― イエス復活の最初の証人 サマリヤの女― 罪人を救った「命の水」 ほか |
衛星放送の英語ニュース、英字新聞の見出しなどの意味が日本人に伝わりにくい原因の一つは、聖書やキリスト教の慣習にちなんだ表現が含まれていることにある。 本書は、最新の英語圏のニュース・映画に登場するこれらの表現を生き生きと解説し、より深く英語を理解するための鍵を提示する。英語表現索引、キリスト教祝祭日一覧付き。 1 ニュース英語にみる聖書の表現 2 暮らしのなかのキリスト教英語―行事と慣習 3 聖書を読めば英語はもっと身近に―創世記から 黙示録まで 贖罪の山羊 ほか |
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つづく | ||||
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■ 赤十字、赤新月、日の丸?
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■ 奪うのではなく与え、壊すのではなく育て、競うのではなく支え合う喜びを知る者に
「自分が女性であることをどう理解し、そのことをどう自分の生き方に活かすのか?」 君も、そんな問いかけを自分自身にしてもよいお年頃です。 今の世の中は「男たち」が作り上げた社会が矛盾や暴力に満ち満ちている世の中だとするなら、「女たち」は「男たちが作った価値観の枠にとらわれ」ていたり、「これまでの男たちと同様な生き方や価値観に追従する」だけでよいのか? 新たな世界の創造には、人々の絆を結び直す新たな価値観が必要です。それを見つける旅の一歩を踏み出した君に、考えるヒントとして4枚の写真を贈ります。 いずれも岩波書店から出版されているシリーズ「岩波フォト・ドキュメンタリー 世界の戦場から」(全12巻。裏面参照)より抜き刷りしました。君が興味を抱いたなら、写真集を貸します。
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つづく | |||||
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■ 湧き出た想いがあふれ出た歌 放課後になると、学校中の廊下のそこここに、はぎ合わされた模造紙やダンボールが広げられ、舞台の背景や展示のオブジェが作り出されているのを見ていると、何となくウキウキしてきます。六組の大道具や衣裳がどんなものになっていくのかも楽しみです。 右に載せたのは、お隣の五組のリーダーさんがクラスの人達に発信している文化祭通信です。それぞれのクラスで、練り上げたアイデアの訴えや、励ましの思いや、呼びかけの声があふれているのを知ると、自分たちももっといいものをみんなで作り上げていきたいっていう意欲が湧いてきたりします。 六組の歌は平和や愛を求める歌です。胸の内から湧き出して、唇から溢れ出す愛が、クラスの中で育っていますか? もしそれが足りないような気がしたら、種が芽を出すのに熱と水が必要なように、愛を生み出す暖かさと潤いを互いにそそぎあいましょう。出た芽がスクスク育つのに明るい光が必要なように、愛を育てる夢や希望や理想を語り合いましょう。 校内で風邪が流行り出している上に、朝錬も始まって体力の少ない人には辛い時も多くなるかもしれません。 そんな時こそ暖かな励ましの言葉や、差し伸べられるしっとり柔らかな手が、大きな支えになるものです。 愛が行き交う事ををじゃまする意地悪な気持ちは、焦りや恐れが生み出します。 今日はうまくいかなくても、明日がいい日でありますようにと願いを込めて、堀口大学の詩を君に送ります。
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■ 振りかざした正義が傷つけるもの
相手の言葉に謙虚に耳を傾け、何を尊重すべきかじっくり考えることなく、自分と違う相手をやっつける事しか頭になくなって争いが絶えなくなる。それは親子や姉妹の間でも、学校や国際社会でも同じです。 イスラム系テロリスト達は自分たちの行為を「ジハード(聖戦)」と呼んでいます。一方、ブッシュ大統領はアフガニスタンのタリバン政権を倒した時も、イラクに侵攻したときも、それを「世界の自由と平和を守る正義の闘い」としていました。 しかし今日の朝刊各紙には、アメリカのパウエル国務長官の「イラク侵攻は事実誤認にもとづいたものだった」と認める発言が掲載されています。 ■ 死を恐れず、死の悲しみを知る 僕の妻が息を引きとったのは京都市の北にある薬師山病院というホスピス(緩和ケア病棟)でしたが、そうしたホスピスを支援・運営している「日本財団」という団体が主催するシンポジウムの案内ポスターが、職員室の前の掲示板に貼られています。タイトルは「memento mori 滋賀2004 死を想え」。9月19日日曜日の午後、滋賀会館で日野原重明さんの講演などがあるようです。 “mori”は死、“memento”は想うという意味のラテン語で、いろんな文章で引用される有名な言葉です。 戦争や紛争、対立や差別、イジメやイケズを前にした時、「ややこしいことには関わらないよう見て見ぬ振りするのが一番よい」と教えられてきた人もいるでしょう。しかし今、みんなは歌おうとしているわけです。
と。 |
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つづく | ||||
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■ 暴力が呼ぶ暴力の連鎖 一、男性と女性の裸をビデオと写真で撮影する。 そのアメリカ軍の何割かは沖縄の基地から出発し、そのヘリコプタ―が先日、沖縄の大学に墜落しました。
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つづく | |
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連日の応援練習、ホントにお疲れ様。昨日は蒸し風呂のような体育館とフライパンのようなグラウンドでの3時間、救急車を呼ぶことなく終えられて、ホッとしました。応援リーダーさんによれば、六組は学年の中でとても順調に練習ができているとのこと。本番の演技が終る瞬間まで、励まし合ってできる限りのことを一つ一つ丁寧に仕上げていけるといいですね。 |
つづく |
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新学期が始まり、いよいよ体育祭や文化祭の準備が本格的に始まりました。リーダーの一所懸命の思いが伝わってきます。そんな時こそ、「よい子の落とし穴」にはまらないよう気をつけましょう。
私たちは平和な国に暮らしているけれど We Are The World 作詞・作曲:マイケル・ジャクソン、ライオネル・リッチ 訳詞:亜久野岳六
Imagine イマジン〜(国境の無い星)〜 作詞・作曲:ジョン=レノン 訳詞:高木善之
???????etc. あのすばらしい愛をもう一度 作詞:北山修 作曲:加藤和彦 命かけてと誓った日から
世界が一つになるまで 作詞:松井五郎 作曲:馬飼野康二 まぶしい陽射しが君の名前を呼ぶ
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つづく | ||||
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