■ 左利きとゲイ 今日の仏参で聞いた中島先生の「左利き」のお話しを、僕は多分一生覚えていると思います。左利きが異常なこととして扱われ、矯正(きょうせい)させられて苦労した人の話しや左利き用のはさみがあることは知っていましたが、左利き仕様のサランラップやゲーム機まで商品化されるほど世の中が『進歩』していることを知って驚きました。 その話を聞きながら思ったことはマイノリティ(社会的弱者・少数者)の中でも、セクシュアル・マイノリティ(性的少数者)に対する根強い偏見や無神経な侮蔑や無意識の差別です。中島先生の話では、日本人の左利きは10人に1人ということでした。では、セクシュアル・マイノリティの中でも一番数が多い同性愛者はどれぐらいいると君は思いますか?100人に1人?1000人に1人?様々な調査結果があるのですが、人口の5%〜15%といったところで、1クラスに2〜3人いてもおかしくない数です。 右利きと同じ程度に異性愛者(ヘテロ・セクシュアル)がいて、左利きの人と同じ程度に同性愛者(ホモ・セクシュアル)がいるのです。君は、左利きは趣味ではないのと同じように、性同一性障害も趣味ではないことや、男性同性愛者の全部が女性的な振舞いをするわけではなくマッチョな男性同性愛者もいることを知っているでしょう。君が自然に異性を好きになるのと同じように、自然に同性を好きになる人がいるだけのことなのです。なのに、同性愛者だけが変態とかキモイとか言われるのはなぜなのでしょう。 障害を抱えている人をカタワと蔑んだり経済的に困窮している人をコジキと侮蔑したりすることは不謹慎だと批判する人が、悪びれもせず女性的なしぐさをする人をカマっぽいとからかい、ゲイ(男性のホモ・セクシュアイ)に対してホモは気持ち悪いと平気で言い、レズビアン(女性のホモ・セクシュアル)をオナベと呼んで見世物のようにおもしろがるのはなぜでしょう。 今日の話の中にあった「左利きがおかしなことと思われていない国では左利きが多い」という指摘にはとても深い意味があります。同性愛も全く同じで、同性愛は一つの性愛のあり方であり異常なことではないと思われている国では統計上同性愛者の占める割合は高く出ますし、同性愛は異常で神にそむく行為だとされている国や地域では0に近い数字になります。 そこに存在しているはずのものが社会的に抹殺されてしまうのです。自らの存在を否定されないために、自らの性質=個性=アイデンティティを隠蔽せざるを得ないのです。 君はマイノリティの辛さを想像し、マイノリティを抹殺する社会の残酷さや野蛮に怒りを感じますか?少なくとも、それを許す世間と闘うことの大変さはわかるよね。 ■ かわいいだけが人形じゃない 僕は年末の七日間、奄美諸島を加計呂麻島から与論島までテクテク散歩、しいろんなものを眺めていろんな人と出会ってきました。そして正月からの七日間では「ターミナル」「ハウルの動く城」「透光の樹」の3本の映画を見ました。 それらの感想はいずれ機会があれば話そうと思いますが、今日は先週末から始まり今月末まで京都高島屋7Fのグランドホールで催されている「辻村寿三郎人形展」の紹介をします。たまたま京女の図書館のカウンターに割引券が置いてあった(まだ何枚かあります)のでぶらっと出掛けただけなのですが、これが思いのほか良かった。
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■ 信じられないものを信じられるのが信仰? 昨日で人権週間は終りましたが、もう一つのseiである「聖」について少し……でもないかも もうすぐキリストの誕生祭クリスマスです。処女のまま妊娠したマリアは旅先のベツレヘムで産気づき、産み落とした男の子を飼葉桶に寝かせたそうです。その子は8日目(つまり1月1日元旦)に割礼されイエスと名付けられました。そう聞くと、日本の仏教の守護者である聖徳太子も、母が馬屋の前に来たときに出産したので厩戸皇子(うまやどのみこと)の名がつけられたことを思い出します。しかも、その仏教の開祖であるお釈迦さんは、紀元前463年4月8日、マーヤ(摩耶)夫人が無憂樹の花を手折ろうとして手を挙げたら、その右の脇の下から釈尊が生まれ、自分で七歩歩いて右手で天を左手で地を指さし、『天上天下、唯我独尊、三界皆苦、我当度之』と唱えたという物語を思い出します。 飼葉桶と馬屋、マリアとマーヤ。奇妙な類似に『一つのメルヘン』を感じてしまいます。 さて、君はクリスマスの物語を「歴史的な事実」であり、「アダムとイブが人類の始まり」だと信じていますか?「サンタクロースはパパじゃなくって、ホントにいるんだ!」と真顔でいえますか?「んなわけないでしょ」と言う答えを信じつつ、信じられないようなニュースを紹介します。 京都新聞Webニュース 8割が「処女懐胎本当」 米国民の信仰浮き彫【ニューヨーク5日共同】 http://www.kyoto-np.co.jp/article.php?mid=P2004120600027&genre=E1&area=Z10 このニュースを読んで、あれほど多くの国々がアメリカの政策を批判していながら、なぜブッシュ大統領が再選され、イラクへの派兵増員ができるのか、何となくわかるような気がしました。 では、小泉首相がイラクへの自衛隊派遣延長を日本国民が容認しているのも、多くの日本人が釈迦誕生の物語を歴史的事実として信じているからでしょうか?それとも、ただの無関心? ■ ハワイ-沖縄-アイヌ-本願寺 さて、まもなく高2は沖縄修学旅行に旅立ちます。「今時国内旅行なんて!」と言う声も聞こえてきますが、沖縄の歴史を知ることは現代社会の問題を解く鍵を得ることだと思います。 明治の初めまで沖縄は清(中国)と日本の両方に属しながらも琉球王国として存在していましたが。しかし明治政府は策略を用いて琉球王国を沖縄県として併合したのです。その頃、アメリカはハワイ王国を併合してアメリカの州の一つにしましたが、そこに生活苦にあえぐ多くの沖縄県民が移民として移住しました。海外の地で苦労を重ねた沖縄の人々は、先祖供養の風習を伝える「エイサー」を踊ることによって励まし合い、絆を深めあって来ました。 今、沖縄本島の約20%は米軍基地となっていて、そこからイラクやアフガニスタンへ兵士が送り込まれています。その米軍基地の最大拠点コザ(今の沖縄市)には、コザ真宗寺という西本願寺の末寺があります。ハワイの寺の外観に似せたその寺では「エイサー」が盛んに行なわれていますが、そのエイサーは浄土宗の念仏(ナムアミダブツ)踊りの影響を受けて発展した踊りです。 キリスト教もそうですが、どの宗教宗派もその土地の様々な風習と結びつきながら互いに影響し合って、その土地に根付いていくのでしょう。 アメリカの独立宣言は1776年ですから、アメリカの歴史はまだ200年ちょっとしかないわけですが、その歴史は自由・平等の宣言とは裏腹に先住民の虐殺と黒人奴隷と貧しい移民の歴史でもあります。アメリカ大陸に数100万人いたとされる先住民インディアンは、土地と命を奪われてアメリカ独立100年後には25万人にまで減ってしまったのです。あたらしく『開拓』された町にはキリスト教の教会が建てられ、人々は神の恵みに感謝したのです。 その頃日本の北海道では、蝦夷(えぞ)と呼ばれた北海道でアイヌ民族が不当な支配を受け、奴隷のように扱われていました。明治になるとロシアからの守りを兼ねて全国の貧しい農民が開拓移民として送り込まれ、アイヌの土地は次々とだまし取られていきました。その開拓村には、全国各地の本願寺の末寺から寺を継げない次男・三男がやってきて浄土真宗の寺を開いていったのです。それで北海道には今でも、本願寺関係の寺が多いのです。 そうした門徒を励ましに北海道中を回ったのが西本願寺の門首大谷光瑞の妹、九条武子でした。光瑞の妻籌子(かずこ)の妹は大正天皇に嫁ぎ貞明皇后となり、1924年12月5日、九条武子の出迎えを受けて京女にやってきました。その日が今も伝わる「心の学園記念日」です。 貞明皇后はこの時、神道の精華、仏教の京女、キリスト教の同女の順に学校を視察しました。それは神や仏のもとでの平等を説く宗教系私立女子校でも、天皇制による軍国主義教育を推し進めさせようとした政府の政策(皇民化政策)によるものです。その後本願寺の仏教婦人会も戦時体制に積極的に協力し、多くの若者を戦地に送って行きました。 そうした真宗教団の罪を門首が認め、過ちを繰り返さないことを誓ったのは1995年になってからのことでした。 九条武子は歌人でもあり、海外に行ったきり帰ってこない夫婦関係のクールさを埋めるかのように歌を詠み、歌集『無憂華』を産み(おお、ここで釈迦誕生にやっと戻った)、42歳で病没しました。今学校中に貼られている「いだかれてありともしらず おろかにもわれ反抗す 大いなるみ手に」という歌を詠んだ彼女が作詞した聖歌の一つが、君も仏参で歌ったことのある「聖夜」です。 洋の東西の聖歌を裏に載せたので、夜空を見上げながら静かに歌ってみて下さい。
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■ 別々の教科で学んだことを結びつける力 気がつけば今日は人権週間最終日ですが、そんなこととはお構いなしに学校では期末考査の真っ最中。「人権より明日のテスト」を思いがちですが、学ぶことのおもしろさを知っている君なら、第一日目の保健と現代文のテスト問題を結ぶ「悲しみの方程式」を見つけたのではないでしょうか? たまたま保健のテストの監督をしていて君の解答用紙をのぞくと、性感染症を予防するてだてについて「SEXする時には必ずコンドームを着用する」とか「不特定の人と性交渉をせず特定の人とだけする」といった答案が目につきました。その解答の最中に、君は図書館の詩集から気に入った詩を一つ選んでもらった現代文の授業で朗読された、金子みすゞの詩を思い出すことはなかったでしょうか。みすゞの死は性感染症の「悲しみの性の果ての自殺」でした。 金子みすゞの詩は10年ほど前にテレビのCMで取り上げられてからブームになり、君もあちこちで目にし耳にしているでしょう。ただ僕は、その詩の取り上げられ方に引っ掛かりを感じることがあります。授業でも少し触れたように、金子みすゞの結婚生活は不幸の連続でした。みすゞの結婚は家業にまつわる政略結婚で、夫は結婚後も女遊びが絶えませんでした。それを見かねたみすゞの親は二人を離婚させようとしました。 しかし、みすゞはすでに妊娠していて別れることもできないまま、夫がもらってきた淋病(性感染症)で体も壊してしまったのです。しかも嫉妬深かった夫はみすゞが詩の仲間と文通することや詩を書くことすら禁じ、ついにはみすゞが病気であることを理由に一方的に離婚を申し渡し、みすゞの心の支えであった娘までをも奪おうとしました。みすゞが自殺を図ったのは、別居していた夫が娘を奪いにやってくる前の晩だったのです。 望まない結婚→夫の女遊び→性病感染→家庭内暴力(DV)→離婚→親権剥奪→自殺。そうした日々の暮しの悲しみや苦しさの慰めとして、夫の目を盗んでノートに書き溜めていたのがみすゞの詩です。彼女の詩の優しさは、救われぬ彼女の現実から産まれて来たものでした。その優しさの影に隠れた苦しみに気付くことなく、ただホノボノと「鈴と、小鳥と、それから私、/みんなちがって、みんないい。」と愛唱するのは、どうなんだろうと思ってしまうのです。優しさを求めてやまないみすゞの心が産み出したことばだからこそ、ひびやあかぎれで痛んだ指先を持つ人のささくれた心の奥まで染みいるのだということに、気付くセンスを養いたい。 金子みすゞの夫婦関係が「夫にコンドームを付けてといえるような関係」であったら、彼女は自殺しなくて済んだかもしれません。 ■ この世の光を見ることなく消された34万1588の生命 性的なことがら(セクシュアリティ)に対する無関心や無神経さや生理的な嫌悪感は、性暴力と同様に人間関係の貧しさを示すものだと言うみ方があります。相手を自分と同様のかけがいのない一個の人間として認め、そこに性的な魅力を発見してときめくところに、人生の豊かな色彩があり、生きる喜びも生まれるはずです。しかし、そうしたパートナーシップを得られぬまま「悲しく貧しい性が悲しみの生を宿し、それを自ら殺さざるを得ない現実」があります。 下の表は労働厚生省が出している「母体保護統計」の一部です。これを見て、君は何に気付き、誰がどうすべきだと思いますか?年間1万人の交通事故死は多大な労力によって防止策が立てられ減少してきました。年間3万人を越える自殺は、今ようやく社会の問題として認められ始めました。しかし、年間34万を越える人口妊娠中絶件数を社会全体で何とかしようとする動きはあまりに鈍いのです。今年もまた、4万以上の生命がこの世の光を見ることなく、未成年の女の子のおなかから消されていったことを、君も僕も忘れてはならないと思うのです。 人工妊娠中絶実施率(15歳以上50歳未満女子人口千対)年齢階級・年次別
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■ 生を支える聖と性を大切に 今日で11月が終り、いよいよ明日から今年最後の月になります。と言ったところで「それがどうした、こっちはいよいよ試験一週間前でアセリまくっているとこやのに」とつぶやく君の声が聞こえてきそうです。 さて、君が通った中学校では12月になると「人権週間」という言葉を先生が口にして、ポスターが貼られたり講演会が催されたりしたことはなかったでしょうか。国連で『世界人権宣言』が採択された1948年12月10日を記念して、毎年その一週間前の12月4日からを人権週間と定めて、すべての人が人らしく生きていける社会を作っていこうと呼びかけられてきました。 その柱として最近注目されているのが『性』の問題。法務省の人権擁護局が示している人権週間の柱には、昔ながらの女性の地位を高めることに加えて、同性愛者への偏見がはびこる社会ので「性的指向(男女どちらに恋するか)を理由とする差別をなくそう」という訴えや、新しい法律ができる中で「性同一性障害を理由とする差別をなくそう」といった呼びかけが示されています。 それともう一つが『聖』の問題。日本にも様々な国や民族の人が住んでいます。そうした在日外国人の権利を守ろることに加えて「アイヌの人々に対する理解を深めよう」といった日本の先住民族についての配慮も求められるようになり、日本の中の異民族や多様な文化への理解を深めることが強調されてきました。 そこでは、それぞれの民族が持っている固有の宗教や伝統的な儀式、それぞれの信仰に基づいた習慣や行事を尊重する寛容さがもとめられます。 そこで、これからの何枚かの「手紙」では、そうした僕らの課題について君と考えていきたいと思うのです。個々人の体と強く結びついた『性』も、過去から受け継がれた精神としての『聖』も人としての『生』を支える欠くことのできないものです。ただ、その最初に押さえておきたいのが生=命の問題。中でも自らその『生』に終止符を打ってしまう自殺について触れておきたい。 右上に載せたのは昨日と今日の毎日新聞の記事です。インターネットやメールを介して知り合った「他人同士の心中」=集団自殺が目だってきましたが、半年前から七輪を使った一酸化炭素中毒による自殺が流行のようになってきています。 (記事省略。代わりにProjectG/記事紹介 N354 子どもの自殺 2004年 と ProjectG/記事紹介 N127 大人の自殺・心中・殺害・傷害 2004年をご覧ください) 下に載せた表を見てください。これは厚生労働省が発表している「2003年の性・年齢階級別にみた主な死因の構成割合」でまとめられている男女別死因の第1位と第2位は次の通りです。
君と同じ世代の女の子にはじまって、40代前半のオッサンに至るまで、死因のトップは自殺なのです。ただ、こうした新聞報道や統計資料の陰には数字にならないものすごくたくさんの自殺未遂者や自殺願望が隠れているはずです。それにどう気付きどう支えるかが、僕や君の課題です。 Netに絡め捕られて命を失うのではなく、危うい綱渡りをしている人がたとえ足を踏み外しかけても、それをちゃんと支える人と人とのNetを作っていきたい。 |
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■ 日常生活の中に隠れている思い 保健室前の『冬のボーナスプレゼント作品展』がけっこう好評です。今日まで展示してあった6組の作品は加藤、木ノ下、五嶋、中谷×2、古川、森澤の7人の作品ですが、来週は提出してくれている残り13人の作品を順じ展示していくので、時間のある時に味わってください。 今回の企画に乗ってくれた人は6クラスの108人(今日の11時現在)。もちろん提出すれば期末テストに5点上乗せしてもらえるという、僕からのプレゼントに釣られて応募した人もいるでしょうが、僕はそれだけでこんなにたくさんの人が自分の作品を持ってくるとは思えません。なぜなら、作品は「公表」が条件だったからです。 それは君の中に、聞いてほしいつぶやきがあるということ。慌しく繰り返される日常生活の中では、ことばにできないままになっていて、心の底にたまって溜まってあふれ出しそうになっていた思いがあるということ。 それは君の中に、普段は恥ずかしくて言えないけれど、ペンで記して書きとめたい、声に出して表わしたい、大事なことばがあるということ。 そして君の近くに、そんな思いが形になった、ささやかなことばを受けとめてくれる人がいてくれたら、どんなに心があったまるか。 君が産んだことばを見つけた誰かさんが、産まれたことばを慈しみ、大切に暖めてくれたら。もしも、自分が産んだことばが、誰かの慰めや励ましになったとしたら、どれほど素敵なことでしょう。 ■ささやきに気付く心のゆとりが欲しい おもしろいことに、保健室前のパネルの詩を見て、僕に「すてきな詩がありますね」と「○○さんの詩がとても気に入りました」とか言ってきてくれる先生が何人もいるのですが、そのほとんどは少しお年を召した非常勤講師の先生です。フルタイムで朝礼から終礼まで忙しく過ごし、面談やらクラブやら、入試の仕事やらでバタバタしている専任の先生は、なかなか展示してあることにも気付かなかったり、ましてやそれをゆっくり読む暇はないようです。 はたまた、よ〜くみればあの看板のチカチカリースについている人形はサンタではなく雪だるま、トナカイではなく耳の大きな赤イヌで、ヒイラギではなくポインセチアの造花の葉です。でも赤と緑のチカチカを見たら、それそのまんまクリスマスと思い込んでしまうのが人の普通の感覚でしょう。ただその常識的な感覚では、君の小さなつぶやきや彼女の静かなささやきはなかなか聞き取れないでしょう。 昨日の夕ぐれ時に、中学所属の先生から僕は頼まれごとをしました。その日の午後、いま学校に来づらくなっている娘のことで相談に訪れた中学生のお母さんが、パネルの中の一つの詩「マイペース」に目を止めて、じっと眺めて立っていたそうです。その子にもその詩を読ませてあげたいという願いがあって、担任の先生がその詩をコピーして渡してあげてもよいかどうか、僕にたずねてきたのです。 その詩を裏に載せました。公表が原則ですが、こうして印刷するのは特別扱いになるので、作者の名前は伏せました。テスト前だの年末だので慌しい日々だからこそ、ちょっと歩みを止めて、誰かのつぶやきに耳を傾け、誰かにそっとささやきかける心のゆとりを持ちたいものです。 そんな願いを込めて作った展示の看板をここで紹介
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■ 家に帰るとだらけてしまう君へのお薦め 下に紹介したのは、1年2組の学級通信「Natural No.69」(さすがに英語の先生のクラス通信は横文字。しかも69号というのはすごくマメ!)に掲載されていたある日の「班ノート」(2組ではそういう物が存在するのです)のコピーです。(省略) それを書いた彼女の文章にもあるように、下校時間まで毎日残って宿題をしたり、自分で決めた勉強の課題に取り組んでいる人も結構いるのです。ある人は図書館で、またある人は教室で。学校に残って勉強する利点の一つは、分からないことが出てきたら、職員室に行って教えてもらえることです。習っていない先生でも、自分にあった先生を見つけて質問するのも自由です。(ただし忙しいからまた今度、と言われることも覚悟して。非常勤の先生に教えてもらいたい時には授業の後の『予約』が有効。) 寒い夜道を遠い塾まで通おうとする前に、いまある場所のいまある人を自分のものにすることが、これからの人生を切り開いていく力を付けることにもなると思います。本気で力をつけたい人は、身近なところでちょっと違ったことをしているのだということを、君も知っていてほしい。 ■ 半径100メートルの小さな探検 昼休みに教室のベランダで一人一人と面談していて気付いたのは、昼休みに教室でお昼ご飯を食べている人が結構少ないということです。どこでどうしているのか、休み時間や放課後の過ごし方には君の個性がくっきり表われ、悩みがじんわり隠されているのでしょうかねぇ。 同じ時間に同じ学校という空間の中で過ごしていても、人によって全く違った暮らし方をしているのですから、いつもと同じ時間に「いつもと違った場所」に行けば、きっと全く違った世界が開け、思いもよらぬ何かと出会えるはずです。 たとえば昼休みの職員室。学校によっては、生徒の姿を見ることさえない職員室もありますが、京女の職員室には五つも出入り口があって、生徒が気軽に入れるようになっています。君はどちらか分かりませんが、「職員室は先生に呼び出されて怒られるところ」か「提出物を出しに行くところ」としか思えない人がいる一方、その日の授業で分からなかったことを質問している人、自分で買った問題集の解答をみてもらいに来ている人、授業で教えてもらっているかどうかは関係なく、いろんな先生と熱く語って世界を広げている人もいるのです。 様々な教科の先生が集まっている職員室には、君の知的好奇心を刺激してくれる先生が一人や二人、きっといます。同じ年の同じような趣味を持った友達同士でくつろぐのは気楽ですしょうが、ちょっと一人で、あるいは二人で職員室を探検するのもおもしろいかも。授業内容に限らず、その先生の人となりや経験から何かを学び取るのも、高い授業の元を取るよい方法だと思います。
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■ Saturday night favorite 先週の土曜日、『いま、会いにゆきます』を河原町三条の映画館へ見に行きました。2時間の枠に収まるように、原作とはストーリーや登場人物がかなり変えられていていましたが、映画としても上質の作品に仕上がっていました。ただ、6時50分スタートの最終回の劇場にいた観客は、クラブの試合帰りとおぼしき女子高校生四人組と僕以外、見渡す限り若い男女のペアばかり。前後左右のカップルにはさまれて、オッサン一人であの映画を観るのは、何とも言えない気分でした。 で、興味をひいたのは映画が始まるまでは、楽しげに世間話をしてウキウキした雰囲気にあふれていたカップルが、映画が終って場内の明かりが付いた時には、何やらシ〜〜〜ンと打ち沈んで、言葉を交わす人もほとんどいなかったことでした。 だろうなあ!好きな人と2度別れて、それでも生き続ける父子と、好きな人と死に別れることを知りながら、あえて一緒になることを決意する女の話なのですから、若い恋人達には結構厳しい映画やろうなと思いました。その映画の一番のシーンは彼の上着のポケットに、彼女が「お邪魔します」と言って手を入れる場面でしょう。 映画館を出て京阪四条に向う木屋町通りには、土曜の晩だけあって人があふれていました。そこで気付いたのは、手を繋いで歩いているカップルが多いのに、男の人の腕に手を通して腕を組んで歩く女性や、女の人の肩を抱いて歩く男性がほとんどいないということです。 僕はこの数年、夜の繁華街とは無縁の生活をしていたので、その間の変化なのか、それとも「手を繋ぐ関係」がメジャーになっていたのか分かりません。でも、それは少なくとも20年前とは違った男女のあり方が、この世の中に定着しつつあることを示していると確信したのです。若かった君のお母さんやお父さんが、夜道で二人で歩くとき、肩を抱いたり腕を組んでいたのか、手を繋いでいたのか聞いてみてはどうでしょう。 そして、もう一つ。四条大橋を渡っているとき、僕の前をお母さんの両の手に女の子が二人、小学校1年生と幼稚園の年中さんぐらいの姉妹が手を繋いで歩いていました。その小さいほうの女の子が欄干のすきまから河原をのぞきながら『お母さん、チューしてる人あそこにいるかなあ?』と大きな声で聞くのです。 もし、君が自分の娘からそう聞かれたら何と答えますか?僕は興味深々でその会話の成り行きを聞いていました。すると、そのお母さんは『いるかもしれんねえ』と自然に答え、『チューは自分の大事な人としかしたらあかんのよ』と言うのです。すると小さな娘は『タダシ君のこと好きやしチューしてもええ?』と聞くと、お母さんは『大人になってもずっと好きやったらな』と答えたのです。ええ会話やなあ……とホノボノしてしまいました。そして、そうした妹と母との会話を横で聞きながら、すました顔でなんにも言わずに歩いているお姉ちゃんも、たまらなく可愛く見えました。こんな自然な「性教育」を、小さな頃受けている娘は幸せだと思います。 ■ 個人の尊厳と、相互の協力 来月はクリスマスがあり、大晦日のお参りやお正月の初詣、やがて2月のバレンタインデーと、宗教に対して寛容な人々は、宗教行事にかこつけて出会いのチャンスをものにしようと大忙し。寒い季節であるほどに、あったかい人との結びつきを求めるのかもしれません。 西日本最大の遊郭だった島原が西本願寺の西隣にあるように、昔から神社やお寺のお参りは信心の現れである以上に、男女が忍び会ったり楽しんだりする機会だったことがうかがえます。今でも学校の近所の清水寺や八坂神社の周辺にラブホテルが軒を連ねているのもその名残だといえるでしょう。 さて11月15日現在、1年6組で16歳になっていないのはあと13人です。つまりクラスの3分の2は、共に暮らす意思を持った相手がいて、親が承諾してさえすれば結婚できる年齢に達しているということです。これはすごいことです。君はもう、お子様ではなく、一人の女性として社会でみなされつつあるのです。
■ 女性として生きていくということ
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昨日の「宗教特別講演会」で語られた小林先生の話題は豊富で、感想文に書かれた印象も人それぞれでした。その中でも、大阪の地下鉄でファッション雑誌から抜け出たような若い女性が「うちらは金を払ってるんやから、ただ乗り(無料パス)の年寄りに席を譲る必要はない」と言い放った話は、身近にありそうな話しだけに、自分と重ね合わせて考えた感想文がいくつもありました。そのうち三人の感想文を裏(省略)に紹介させてもらったので、ぜひ読んでみてください。 僕は、その話を聞いて二つの詩を思い出しました。一つは45年前に書かれた吉野弘の超有名な詩、『夕焼け』です。 夕陽に染まった少女の唇の、なんと言ういとしさ。
そしてもう一つは、3年前に出版された『いま中学生に贈りたい70の詩』という詩集に収められている「どうぞ・ありがとう」という詩です。 赤い髪の青年の、なんと言うしなやかさ。 |
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ことの善悪を問うて裁くのは簡単です。しかし、その背景を思って必要な手立てを導き出そうとするところにこそ、人が人とともに生きる意味があるとは思いませんか? ■ 早く走れば走るほど、前しか見えなくなる 君も知っているように、雲の流れや道端の花に気付くのは、ゆっくり歩いている時です。風が運ぶ花の香りや、捨て猫の鳴き声に気付いて立ち止まれるのは、ゆっくり歩いている時です。 遅刻をしないことの値打ちは、決まりをきちんと守ることだという人もいるでしょう。でもそれ以上に意味あることは、かすかな何かを受け止めて、じっくり味わう心のゆとりを手にすることだと思いませんか? 間に合わせのダッシュに一人明け暮れ、息切れしながら一日の終わりを待つのではなく、人との豊かな関わりをしっかり楽しむ「朝のリレー」に参加しましょう。まずは、おはようの一声から。 |
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朝のリレー |
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前にも話したように、うちの学校エアコンは問題があります。 |
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