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チンタラ・ボチボチ 脇道・袋小路の歩き方指導

その50  ごめんね ありがとう さよなら

2004年度  最後の手紙(70枚目) 2005/03/19

■ ごめんね

悪くもないのに「すみません」と反射的に答えてしまうこともあれば、
力で負けて「
ごめんなさい」と不承不承に答えるときもある。
でも、悪いと思いつつ謝れないままの「
ごめんね」がここにある。
迷惑掛けてごめんね。迷惑掛けてでなければ、ここに居られなかった。

文化祭の準備にせよ面談にせよ、もっと丁寧にかかわれたらよかった。
ただ、僕にできたのは君の可能性を信じて待つことだけだった。
それぐらいしかできなくて、ごめんね。


■ ありがとう

何かをもらって「ありがとう」と言う礼儀もわきまえ、
助けてもらって「
ありがとう」と答える謙虚さもある。
でも、ただそこに居てくれるだけのことに「
ありがとう」とつぶやくのは難しい。
居てくれてありがとう。それでやっと僕も、ここに居られた。

入学式で43人の君と会った時、43人の君と終了式を迎えることを願いにした。
一番危なかった僕が今日ここに居られたのは、君のおかげです。
素敵なクラスの思い出をありがとう。




     焼け棒杭(ぼっくい)の記憶

頭を叩かれ、脚は地にめり込み

背丈を揃えられ、腹を横木で留められ

身じろぎもできず一列に居並び

自由を奪った柵の杭



雨に脚が腐り、風に細った胴は浮き

ぶら下がるお荷物となり、くくる縄から外され

名もなく道端に打ち捨てられ

自由を手にした一本の棒



梃子として岩を起こし、杖として盲を導き

ぼきりと折れて焚き木となり

娘の凍えた手を暖めた焼け棒杭



断片を被う白い灰の静寂を娘の息が破り

裂目に一息あかあかと火が点り

娘の瞳に宿った灯りは瞼の闇に溶けてゆく


           

■   さよなら

昨夜「オヤスミ」と言って別れた人と、
今朝「オハヨウ」と挨拶した。
誰もそれを最後のサヨナラだと思わずに声を交わす。

でも、今日「さよなら」を言えないまま、二度と会うことのない人がいる。
それも一時のさよなら。
いつかどこかで僕は君と知らず、君は僕と知らずにめぐり逢う。

休みがちな人、入院したりへたばったり。
遅刻しながらでも全員がちゃんと進級できてよかった。
4月にまた君と顔を合わせても、それはもう新たな出会いの始まりです。


■ 信じて動くから未来が開ける

ロング・エンゲージメント』(監督ジャン=ピエール・ジュネ)を観ました。一言で言えば「美しい映像の反戦映画」(でもR15指定)でした。そしてオドレイ・トトゥが演じる娘の「信じる愛と行動する勇気の力強さ」が映画の見ごたえです。静かなラストシーンが映画の品を高めています。愛と勇気を失って生きる人生には、平穏な退屈と静かな絶望しか待っていないのかもしれません。だとすれば、僕らに必要なのは信じる何かと、手を取り合う誰かです。

それを手に入れ、君が力強く生きて行ってくれることを祈りつつ、
最後の手紙のペンを置きます。


           
       

     君と旅に


昔、このくにの言葉は

いろではじまる美しい言葉だった

色は匂いたつすべてのものの形

うつろう恋のはかなさ



今、このくにの言葉は

あいではじまる優しい言葉だ

愛は飢えたる魂の糧

頬に伝う涙の一筋



だが、そこにかすれて消えかかる言葉がある

冒険と夢

そして勇気



さあ、このくにの明日につながる言葉を

探す旅に出よう

裸の手と手を重ね合わせて



最後になりましたが、保護者の皆様、一年間お付き合い下さりありがとうございました。至らぬ指導の上、何かとご心配をお掛けし申し訳ありませんでした。ご縁がございましたら、またよろしくお願い致します。

※  『手紙』のWeb版はしばらくHP上に残します。
どの検索エンジンでも学級通信手紙≠ナ検索するとトップに出てきます。

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チンタラ・ボチボチ 脇道・袋小路の歩き方指導

その49  何を信じて生きていきます?

2004年度  69枚目 2005/03/02


■  求めよ さらば与えられん

君は、今日図書館から配られた『読書だより』を読みましたか?卒業生を送り出した高3担任の先生たちが語る言葉に触れて、何か感ずるところがあったでしょうか?僕は昨日それを読み、8組の担任の先生が紹介していた詩に目が留まりました。

僕はクリスチャンではありませんが、
信仰を持つ人の生き方の強さと深さと切なさが身に染みました。それで、ホームページでもその詩のことを調べてみました。

  人生の祝福     J・ロジャー・ルーシー


大きなことを成しとげるため 力を与えてほしいと神に求めたのに

謙遜を学ぶようにと 弱さを授かった


より偉大なことができるようにと 健康を求めたのに

より良きことができるようにと 病弱を与えられた


幸せになろうとして 富を求めたのに

賢明であるようにと 貧困を授かった


世の人々の賞賛を得ようとして 成功を求めたのに

得意にならないようにと 失敗を授かった


人生を享楽しようとあらゆるものを求めたのに

あらゆることを喜べるようにと 生命を授かった


求めたものは一つとして与えられなかったが

願いはすべて聞き届けられた


神の意にそわぬものであるにもかかわらず

心の中の言い表せないものはすべて叶えられた


私はあらゆる人の中でもっとも豊かに祝福されたのだ

  A Creed for Those Who Have Suffered



I asked God for strength that I might achieve;

I was made weak that I might learn humbly to obey.



I asked for health that I might do greater things;

I was given infirmity that I might do better things.



I asked for riches that I might be happy;

I was given poverty that I might be wise.



I asked for power that I might have praise of men;

I was given weakness that I might feel the need of God.



I asked for all things that I might enjoy life;

I was given life that I might enjoy all things.



I got nothing that I asked for, but everything I had hoped for.

Almost despite myself, my unspoken prayers were answered.



I am, among all men, most richly blessed.


上は、KiriRuka.net(クリスチャンたちの言葉http://kirika.pekori.to/meigen.htmlで紹介されていた訳詩です。原詩も紹介されていたので一緒に転載させてもらいました。

このホームページの説明によれば、この詩はニューヨーク大学リハビリテーション研究所の壁に、患者だった
J・ロジャー・ルーシーというイエズス会の神父が残した詩だそうです。その経過が渡辺和子『愛することは許されること 聖書からの贈り物』(PHP文庫)に詳しく取り上げられているそうです。興味ある人は読んでみて下さい。

渡辺和子の
『愛を込めて生きる 今≠ニの出逢いをたいせつに』(PHP文庫)にはこの詩へのコメントやそれに関するゴダールの詩が紹介されていたので裏に転載します。(省略)

渡辺和子さんは現在岡山県の
ノートルダム清心学園理事長をしておられるシスターです。『目に見えないけれど大切なもの  あなたの心に安らぎと強さを』(PHP文庫)には教師に対する厳しい問いかけをしている文章と宮沢賢治の作とも言われている詩「私が先生になったとき」が載せられています。(下に転載)それを読むほどに、僕はここでどうやって教師をし続けてゆけばよいのか、心もとなくなります。

君が、目先の利害損得から離れ、広い視野やのびやかな心と、みずから信じる何かを持って生きてくれれば幸いです。



    私が先生になったとき


私が先生になったとき

自分が真実から目をそむけて

子どもたちに  本当のことが語れるのか


私が先生になったとき

自分が未来から目をそむけて

子どもたちに  明日のことが語れるのか


私が先生になったとき

自分が理想を持たないで

子どもたちに  いったいどんな夢が語れるのか


私が先生になったとき

自分に誇りを持たないで

子どもたちに  胸を張れと言えるのか


私が先生になったとき

自分がスクラムの外にいて

子どもたちに  仲良くしろと言えるのか


私が先生になったとき

ひとり手を汚さず自分の腕を組んで

子どもたちに  ガンバレ、ガンバレと言えるのか


私が先生になったとき

自分の闘いから目をそむけて

子どもたちに  勇気を出せと言えるのか


※ 僕はこの詩を読めば読むほどに宮沢賢治の詩ではないと思います。ただその真偽より、これが宮沢賢治の詩として多くの人に語り伝えられたという事実を面白いと思います。

つづく
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その48 あなたと出会えてありがとう

2004年度  68枚目 2005/02/28

■入学式も卒業式も通過点に過ぎないの?

毎年3月1日に、何百人もの京女生が卒業していきます。「卒業式は一つの通過点」という人がいますが、それなら入学式も一つの通過点になるでしょう。

それなら昨日も通過点、今日も一つの通過点なら、明日も単なる通過点。毎日毎日通過点。

それでは君はどこへ行くのか。一瞬一瞬通過しながらひたすら死の終着点に向かっているのか?もしそうだとしたら何とこの日の虚しいことか。

今日は一つの通過点ではなく、君と視線を交わし、君の声を聞き、君に語りかけた掛け替えのない一日。

そして笑い、悲しみ、腹を立て、あるいはへこたれた、二度と来ない一日のはずです。

    ありがとう

無視してくれてありがとう
それで私は自分と深く向き合うきっかけを得た

馬鹿にしてくれてありがとう
それで私は自分が何を大切にすべきか確信できた

傷つけてくれてありがとう
それで私は自分が思いのほか強いことを悟った

疲れさせてくれてありがとう
それで私は自分がここに居た意味が分かった

溜め息つかせてくれてありがとう
それで私は自分にもまだ執着するものがあることに気付いた

泣かしてくれてありがとう
それで私は自分の涙が涸れていないことを知った

振り向いてくれてありがとう
それで私の存在を信じられた

「おはよう」を返してくれてありがとう
それで私も今日一日を始められた

うなずいてくれてありがとう
それで私は受けとめられた

聴いてくれてありがとう
それで私の言葉は命を得られた

語ってくれてありがとう
それで私も器になれた

ありがとうに
ありがとう

擦り合う袖のほころぶ春にありがとう
それではみなさんさようなら

■ とめる ほめる さする

最近読んだ
山折哲雄『涙と日本人』(日本経済新聞社)の中に、印象的な言葉がありました。それは京都四条病院の中野進院長が語った医者の心得「とめる ほめる さする」です。

痛みを止めるというのは他人の心の痛みに敏感になること。
ほめるというのは学校で教師が生徒に対してなすべき第一の心得。
さするというのは言葉の垣根を越える最高のボディランゲージ。


そう解説した『涙と日本人』の一節を以下転載します。(省略)
つづく
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その47  サヨナラダケガ人生ダ

2004年度  67枚目 2005/02/25


■  新たな世界に向けてのカウントダウン

この1年6組の教室で、机を並べて授業を受ける日も、あと5日となりました。夕陽が沈むたびに残された時間は失われていきますが、昇る朝日に明日あることを信じたい。

『山椒魚』の作者井伏鱒二の訳詩に「サヨナラダケガ人生ダ」という一節があります。必ずやってくる別れを知るからこそ、今日君と共にあることの嬉しさを分かちあえる。


    勧酒    干武陵

  勧君金屈巵

  満酌不須辞

  花発多風雨

  人生足別離


中央公論社「日本の詩歌28  訳詩集」所収
        「厄除け詩集」 より


    井伏鱒二

コノサカヅキヲ受ケテクレ

ドウゾナミナミツガシテオクレ

ハナニアラシノタトヘモアルゾ

「サヨナラ」ダケガ人生ダ



もうここで、二度と共に受けることのない授業を、一時間、一時間じっくり味わってください。


■ 女の前に立ち塞がる伝統と習慣 その5

今回で最終回となるKさんからのメールは、Kさんが語ってくれたとてもプライベートな体験です。
誰もがきっと、人には見えない影を背負いながら、次の一歩を探し求めているのだということを、あらためて気付かせてくれたKさんに感謝します。

2005年2月10日木曜日 1:00

私は、東京都心部の私立女子校出身です。校長は右翼思想の人でした。日本史の教科書も縦書きの特殊なものを使っていました。「君が代」を式典で歌わない教師は呼び出しをくらいました。先生達が私達に何も言わずに、休み明けにごっそり辞めてしまっていたときもありました。

その女子校の校歌の2番目の歌詞の中に、「家をも国をも富ます業に、勤しむ男子(おのこ)を、内に助け」という一節がありました。「不愉快なので歌わない」と主張する学生が一部いました。卒業後に1人の国語教師が過労死したなんてこともありました。「過労死と認めろ」と、過労死された先生のつれあいさんが署名運動をし、私と友達が協力したことがあります。


私が大学1年の時、父が胆道ガンで死にました(享年61)。私は一人娘ですので、父が亡くなり母一人子一人となりました。父が亡くなったのは、かなり以前のことであるのにも関わらず、母は「臨終の時の事、昨日のように思い出せる」と、いつも言っております。今でも、TVドラマ、ドキュメント等で病院の臨終のシーンなどが始まると、母は正視していられず、すぐにチャンネルを切り替えます。

父の性格から判断し、癌であることの告知はしませんでした。最期は、全身が変色し、血を吐き、混濁状態になり、顎で呼吸し、病室には独特の死臭が発ち込め…人はこんなに苦しんで死ぬのかと…現実の「死」を知りました。TVドラマでやっている「ありがとう…」とか言った後、がくっと死ぬのは、まったくのでたらめだと思いました。

ドライアイスで冷やされ、自宅の寝室で寝かされていた父のこととか…私は、父の遺体の横で一晩寝たのですが、父に触れると大変冷たくて…それが悲しかったです。死んだ人の冷たさは独特の冷たさだとは聞いていたのですが…。さすっていればまた温かくなって生き返るのではないかなどと思い、父の足をずっとさすったりしました。母は、父の遺体の傍らで「私を一人置いていってしまった。孫の顔も見ないで!」と号泣していました。

父が火葬場に連れて行かれ、焼かれて、焼かれたばかりの骨が収められた骨箱はとても温かく、「温かい…」と思いつつ骨箱を抱きしめ、バスで火葬場を後にしました。皮肉な温かさに感じました。私が印象に残った「死」とは、「冷たさ」と「温かさ」でした。

父と、父方祖母の遺骨を浄土真宗大谷派(東本願寺)の寺に預けてあります。母の見栄で寺の大掃除などに娘の私が借り出される時がありましたが、言うまでもなく、お寺は完璧な性的役割分担の世界です。手伝いに行くのを、現在、私は拒否しています。

大学と大学院の6年間も学費を出し、学んだのにも関わらず、会社を辞めてしまい、親には大変申し訳ないと思っています。私には、残念ながら「これから土木に進出する女性の後輩達のために、待遇は悪くても開き直って先駆者としてやっていこう!」という、バイタリティがまったくありませんでした。逃げ≠スんですね。それでも私は今、私なりに、前向きに目標を持って生きています。目標に向かって、精進中といった所です。

「土木を辞めてしまっている」という言葉で、落胆させてしまったかもしれませんが…私は、私らしい人生を見つけて、歩んでいるつもりです。

                  おわり

つづく
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その46  神ではなくて人を愛せる人を育てる人となる

2004年度  66枚目 2005/02/24

■ 自ら作るコミュニティーの力

三回に分けて掲載したアンケートの回答にあるように、「
家庭」や「子育て」に夢を抱いている人が多いことに、少しばかり驚きました。他人と関わり結びつき、新たな生命を育んでいきたいという意欲を持っている人は、すごいと思います。そんな思いが心に留まっていた昨夜、ニュース番組を見ていると皇太子が子育てについて語っている映像が流れてきました。その会見で皇太子が紹介した一篇の詩が、また心に留まったのでパソコンで検索しました。

そこで分かってきたのは、その詩はドロシー・ロー・ノルトの
「子ども」という題の詩で、日本サッカー協会(JFA)が発行している「JFAキッズ(U−6)ハンドブック」にも載せられており、神野直彦東大教授著「『希望の島』への改革」(NHKブックス)にも引用されているようです。

asahi.comの記事
(http://www.asahi.com/national/update/0223/006.html 02/23 06:11)には、その詩と共に皇太子の次のようなコメントも載っていました。


愛子の養育方針ですが、愛子にはどのような立場に将来なるにせよ、1人の人間として立派に育ってほしいと願っております。愛子の名前の通り、人を愛し、そして人からも愛される人間に育ってほしいと思います。それには私たちが愛情を込めて育ててあげることが大切です。

子供を持ってつくづく感じますが、この詩は、人と人との結びつきの大切さ、人を愛することの大切さ、人への思いやりなど今の社会でともすれば忘れられがちな、しかし子供の成長過程で、とても大切な要素を見事に表現していると思います。非常にこの詩には私は感銘を受けました。

家族というコミュニティーの最小の単位の中にあって、このようなことを自然に学んで行けると良いと思っています。


■ 読んでみたいスウェーデンの教科書

紀ノ国屋のWebページではその詩が引用された図書の紹介があったので転載します。僕は昨日注文したので、来週はじめには読めます。君も読んでみたければその後、貸しましょう。
あなた自身の社会 
スウェーデンの中学教科書
さて、その詩を紹介します

リンドクウィスト,アーネ
ウェステル,ヤン  【著】
川上 邦夫  【訳】
新評論 (1997-06-10出版)
:\2,310


本書は、13歳から年齢とともに増大する法律的権利と義務、消費者としての基礎知識、コミュ−ンの行政と住民の役割、社会保障制度とその内容が、豊富で生き生きとしたエピソ−ドを通して平明に解説されています。

またそれだけでなく、いじめ、恋愛、セックス、結婚と離婚という人間関係についても取り上げています。そして、暴力と犯罪、アルコ−ルと麻薬、男女間の不平等、社会的弱者や経済的・社会的に恵まれない家庭の存在など、いわば社会の負の面も隠すことなく紹介しています。

本書から私たち日本人は、子どもたちに「社会」の何を、どう教えるかについて、深く考える契機を与えられるでしょう。

子ども

          ドロシー・ロー・ノルト

批判ばかりされた 子どもは
非難することを おぼえる

殴られて大きくなった 子どもは
力にたよることを おぼえる

笑いものにされた 子どもは
ものを言わずにいることを おぼえる

皮肉にさらされた 子どもは
鈍い良心の もちぬしとなる

しかし、激励をうけた 子どもは
自信をおぼえる

寛容にであった 子どもは
忍耐を おぼえる

賞賛をうけた 子どもは
評価することを おぼえる

フェアプレーを経験した 子どもは
公正を おぼえる

友情を知る 子どもは
親切を おぼえる

安心を経験した 子どもは
信頼を おぼえる

可愛がられ 抱きしめられた 子どもは
世界中の愛情を 感じとることを おぼえる


  「あなた自身の社会  スウェーデンの中学教科書」より

つづく
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その45  私は交換可能な部品じゃない

2004年度  65枚目 2005/02/23

■  みんなが欲しがるものだからじゃなく、私が欲しいものだから頑張るのです

「選んだ道をどう歩いていくのか―歩き方を互いに学ぶためのアンケート」の回答集そのBを紹介します。アンケートの紹介はこれで一応完結。君が互いに磨きあえる仲間を得て、君らしい輝きを手に入れられることを陰ながら祈っています。

アンケート回答集@〜Bは
こちらのExcelファイルでご覧ください。ただし、教室で配布しているものの一部を削除した一覧です。


裏には、この前紹介した上田紀行著岩波新書
『生きる意味』の抜粋を載せました。時間があったら読んで下さい。


※   
岩波新書『生きる意味』  抜粋の抜粋 P140〜147の一部

自分の「生きる意味」を生きている人の世界には「濃淡」がある。世界のどこが自分としては譲れない「濃い」部分で、どこがあまり自分には問題にならない「薄い」部分なのかの地図ができている。しかし、この社会は人生の中での「濃淡」を奪いがちだ。そして「生きる意味」の「濃淡」を均質化してしまうことで、自分のいる場所は他の場所と交換可能になり、世界のどの場所に生きているのかが分からなくなってしまうのだ。

私自身もかつてはそうした「濃淡」を失い、「均質空間」の中で「生きる意味を見失った若者だった。

自分を最大限効率化して、点数を取るために集中する。自分にとっての「意味」を捨象して、数字と言う目標に最大限効率化できる人間のほうがテストは得意だ。しかし、そこから先「自分はどうやって生きていくか」という問いの前では全く無力になってしまう。それは私と世界が「愛」で結ばれていないからだ。

周りを見回してみると、そこには世界を「愛」している人も少なからずいた。数学の難問にアタックするのを喜びとしている人。生きるとは何かを求めて難しい哲学書を読みふけっている人。源氏物語の甘美な世界に浸りきっている人……。そうか、学問とは点数を取るためのものではなかったんだ。それは世界の中で、「愛」する対象とつながることなんだ、そんなことに遅ればせながらようやく気づいたのだ。

世界と「愛」でつながること。それは学問だけではない。世界とは効率の追求のためにあるのではない。自分が何を愛するのか、世界の何と「愛」でつながることができるのか、そのことを見出さなければ僕はこれから生きていきことはできないんだ。それが、ノイローゼ状態になりカウンセリングに通い始めた私にようやく訪れた、ひとつの啓示であった。

私たちの社会はもはや物質的には十分豊かだ。いま真に求められているのは、生きることの創造性、「内的成長」の豊かさなのである。さて、そうした「内的成長」の」きっかけとなるものは一体何だろうか。言い換えれば、私たちはどうやって私たちの「生きる意味」に気づくのだろうか。

それは私たちひとりひとりが、二つのものへの感性を研ぎすますことから始まる。それは、「ワクワクすること」と「苦悩」の二つである。

つづく
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その44  君の行く道は 何色の道

2004年度  64枚目 2005/02/22

■ 希望を歌う仲間が欲しい

まもなく愛知県で
「愛、地球博」という万博が始まります。僕が生まれた町から万博会場までは車で30分ほどなのですが、「今時何が万博やねん」と醒めた気分でTVCMを見ていた時、昔懐かしい歌『若者たち』が流れてきました。この曲が発表されたのは1966年。僕が8歳の時でした。そして、翌1967年にはザ・ピーナッツが歌った『銀色の道』が世に出ました。

僕が通った中学校の生徒手帳には校歌と共に、この二曲の歌詞が載っていたのです。どちらも重たいメロディーの曲ですが、曲の終わりには未来への希望が込められています。


     「若者たち」

          藤田敏夫作詞、佐藤勝作曲


君の行く道は 果てしなく遠い
だのになぜ 歯をくいしばり
君は行くのか そんなにしてまで

君のあの人は 今はもういない
だのになぜ 何をさがして
君は行くのか あてもないのに

君の行く道は 希望へと続く
空にまた 日が昇るとき
若者はまた 歩き始める

空にまた 日が昇るとき
若者はまた 歩き始める





     「銀色の道」

         
塚田茂作詞、宮川泰作曲

遠い 遠い はるかな道は
冬の 嵐が 吹いてるが
谷間の春は 花が咲いてる
ひとり ひとり 今日もひとり
銀色の はるかな道

ひとり ひとり はるかな道は
つらい だろうが 頑張ろう
苦しい坂も 止まればさがる
続く 続く 明日も続く
銀色の はるかな道

続く 続く はるかな道を
暗い 夜空を 迷わずに
二人の星よ 照らしておくれ
近い 近い 夜明けは近い
銀色の はるかな道



1964年の東京オリンピックと1970年の大阪万博にはさまれたこの時代は、
高度経済成長によって物質的な豊かさが街にあふれていった一方、公害や過疎で人々の暮しが蝕まれた時代でもあります。ベトナムでの米軍による虐殺事件が明るみになり反戦運動が高まる一方、アポロ11号による月面着陸の瞬間を世界中の人々が見守った時代でもありました。そんな混乱と不安の時代に未来を信じようとする曲を、生徒手帳に載せた教師の思いがいじらしい

しかし、その後も世界は戦争を繰り返し、日本は6年連続3万人を超える自殺者を生み出す国となっています。それでも今、
僕は君と一緒に「君の行く道は希望へと続く」「近い近い 夜明けは近い」と歌いたい。それでなければ生きてる意味は見えてこないと思うのです。


■ 女の前に立ち塞がる伝統と習慣 その5

Kさんのメールには、土木関連の仕事の様子が詳しく書かれているので、そういう仕事に興味がある人がいれば教えます。ただここでは、専門的な話は省略して続きを紹介します。

2005年2月10日木曜日 0:26

私の就職希望はゼネコンだったのですが、よほどの大手でない限り資料請求をしても資料が届きませんでした。中堅〜小規模ゼネコンからはほとんど無視されました。大学の先生に泣きつきました。自分より、はるかに成績が下の男子学生たちが、私の横でどんどん採用を決めていっていました。私は就職浪人も兼ねて大学院に進む事になりました。そして、院終了直前、なんとか例の会社に入り、挫折して、私の短い土木人生は終りました。

以前のメールで、『土木の世界では、女性技術者は、女子マネージャーになった気分でないと、うまくやっていけないかも…』と書きましたが…どこの世界でも先駆者・開拓者は必要ですので…長〜い目で見て、徐々に女性達が開拓していくしかないのですよね。進路を考える時、私一人はどこから開拓していこうか?私はどこまでやれるだろうか?と、冷静に考えてほしいと思います。

また、女性全体に願うのですが…もしも、会社に入って、性的役割分担を押し付けられたとき、たとえ、はじめの1年、自分はそれに絶えたとして、それを後輩の新人女性社員に押し付けてほしくないと思います。可能な限り、性的役割分担は自分の代で断ってほしいと…

セクハラ・職場いじめは、泣き寝入りしてほしくないと思います。私は初めて入った会社在籍中、例の因習(就労差別)、セクハラ、いじめなどに遭いましたが、これを回避するには、これを正して行くにはどういった手段をとっていいのか…当時、まったく分かりませんでした。それは、私の知人・友達も同じです。

私が労働組合の存在を知ったのは、泣きながら辞め、転身するための専門学校卒業後でした。「こういった情報は学生時代に知りたかった」と、いじめで辞職した友人と話したりします。

結局、女人禁制を就労差別と認めてもらったのは、退社して数年後になってしまいました。もしも、その会社に在籍中に、その労働組合のことを知っていたら、私には、まったく別の人生があったかもしれません。「自分は間違っていない」と、心を強く持てたかもしれなかったのです。とても残念です…

       つづく

つづく
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チンタラ・ボチボチ 脇道・袋小路の歩き方指導

その43  欲にかられて闇を走るか、無常を知って樹下にほほ笑むか

2004年度  63枚目 2005/02/21

■  就職、結婚、出産、育児、老人介護、そして

先週の土曜、講堂で行なわれた「
涅槃会(ねはんえ)」に参加した人が何人かいました。僕は仏教徒ではありませんが、公立高校に通っていては触れにくい宗教に親しむ機会は貴重だと思います。そして信心の有無は別にして、日本の文化や精神の基礎になっている宗教行事に参加して何かを学ぼうとする自発性はとても素敵なことだと思います。

さて、
お釈迦さんが80歳で亡くなったのは紀元前383年2月15日だと伝えられていますが、その時お釈迦さんの脇に立っていた沙羅(さら)の木が白い花を咲かせたといいます。日本のお寺などではナツツバキが沙羅の木として植えられており、僕もナツツバキがインドに生えているものとばかり思っていました。しかし、先日の京都新聞の記事によれば、インドの沙羅はそれとは全く別の木だそうで、そのインド原産の沙羅が滋賀県草津市立水生植物公園みずの森の温室にあり、ちょうど今、花を咲かせているとのこと。涅槃(ニルヴァーナ)とは、煩悩(欲望や心の迷い)の火が吹き消された状態=悟りの状態です。試験勉強の焦りを払い疲れを癒しに、フラッと見に行くのもいいかもしれませんね。

お釈迦さんが生まれた紀元前463年4月8日に咲いたのが
無憂華(アショーカ)。その花を採ろうとした摩耶の右脇腹からお釈迦さんが生まれた記念日が「花祭」。そして紀元前428年12月8日、スジャーターという名の娘が捧げた乳粥を飲み、菩提樹(ぼだいじゅ)の下で座禅をして悟りを開いた記念日が「成道会(じょうどうえ)」。人生の大きな節目に様々な花が咲く。それは生も死も大きな自然の営みの一つにすぎないことを示しているようです。

とはいうものの、人はそう簡単に欲を離れ人生の無常を受け入れる事などできません。それどころか、学校では経済的=物質的な豊かさやより高い社会的な地位を求める意欲を持つ事や、人を掻き分け勝利することを良しとしています

そんな学校や社会に生きていて、何か変だと感じている人にお薦めの一冊が岩波新書
『生きる意味』(上田紀行著)。

寝屋川の17歳の少年がなぜ教師を殺したのか?その答えはわかりませんが、そうした事件が起きる
社会の歪みを知り、その中で自分が何を考えるべきかを知るたしにはなると思います。裏にその一部を転載します。興味が湧いたら職員室で手にとって見てください



■  女の前に立ち塞がる伝統と習慣 その4

Kさんとメールをやり取りしていて、こうした事実や思いがあることを君にも知って欲しい思いました。そこでKさんにお願いすると、「
転載してくださって、まったくかまいません!しかしあまりにも、前のメールにマイナス面のみ≠書きすぎたとおもいました。(しかし、本当に自分の身に起きた事です。)結果、若い女性達のチャレンジ精神をごっそり削ぎかねないと、危機感を感じました」ということで、追加のメールを頂きました。今回はその一部を紹介します。

2005年2月10日木曜日 0:26

その専門学校の同学年に、「高校時代は、女の子は全員事務職に就くものと思っていた。しかし、事務はやりがいがなかった。自分だけできることをここに探しに来た。」と、10年間やっていた事務職を辞め、専門学校に入学して来た女性もいました。

実社会の事は学生時代にはまったくわかりません。小中高校で「将来、何の職業につきたいか?」など、作文を書かされたり、進路指導時に先生から聞かれたりしますが、結局、世の中にどんな職業があるか、この仕事は今どんな状況なのかなんて、学校の先生方から習ったことがないのです。これは不思議な事だと思います。学校とは、世に出るための下準備のはずなのに…

大変失礼なことを言って申し訳ないのですが…先生方が、もしも新卒採用で教員になられた場合など、実用的な進路指導は難しいのではと感じております…(先生の中には、他職業から転身された方もいらっしゃると思いますし、OB/OGを招き入れ、授業をされている学校も存在するとは思いますが…)もしも、私が女子高生時代にこういうことを知っていれば、私には、もっと違う人生があったのに…というか、どうして誰も教えてくれなかったの!?と思った事、以下付け加えます。

私は、女子高生時代、何も考えず、理系に進みました。また、のんきな女子校生活。女子だけですごしたために、世の中の男女差別、就労差別のことなど、当然、まったく知りません。誰も教えてくれませんでしたし。(いじめはありましたが。)親に守られ、のんきな箱入り娘達の1人でした。

大学は、理系の学科であれば、どこでも良いと思っていました。高校3年生の時、『とにかく大学に入ること』が最終目的になっていました。今思うと、大学だけが人生の選択肢ではなかったと思うのに…「とにかく大学合格して、周囲を安心させてくれ」「せめて、大卒にはなっとかないと…」この周囲からのプレッシャーだけで、冷静に物事を考えることも、先に進むことができませんでした。そして入ったのが土木工学科でした。

当時、もう、好景気時代は過ぎて、不況の時代となっておりました。大学側も生徒ほしさに『土木は公共事業なので、不況は関係ないですよ。』と言っておりました。(大学4年に、皆、それがまったくのウソだったことが分かったわけですが…)大学4年になり、就職活動がはじまり、その時点で初めて、男子学生と女子学生が、就職活動において差別されることを知りました。これが、日本の女性達が生まれて初めて味わう「性差別」です。

つづく

つづく
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その42  種まく人の歩く速度

2004年度  62枚目 2005/02/18

■  就職、結婚、出産、育児、老人介護、そして

「選んだ道をどう歩いていくのか―歩き方を互いに学ぶためのアンケート」
の回答集そのAを裏に紹介しました。(省略)並んでいる順番は、前回と同じです。


君が産まれてきた時に、
どんなに多くの人に期待され、
愛にくるまれてはいても、
立って歩いていく先に、
責任持つのは君自身。

それを知っていながらも、人が生きて行けるのは、
時を過ぎ行く虚しさよりも、
限りあればこそある掛け替えなさを、
慈しみたいからでしょう。

君がどんな道をたどろうと、
最後に必ず待っているのは、
いとしい人との哀しい別れ。

引き裂かれる痛みと引き換えても良い、
出会いの歓びを得られると、
信じてみたいからでしょう。


バリバリキャリアウーマンだろうと、しっかりほんわか専業主婦だろうと、君には「いい女」でいて欲しい。自分を殺して「善い人」であろうとするより、人の心をかき乱す魅力的な「悪い人」になったほうが面白いかも。

セクシュアリティも自分の持ち味。世間が作った女らしさの枠(ジェンダー)にとらわれず、かつ自分の魅力の一つとしての性的魅力も大切にする。

一人の妻である前に、一人の母である前に、一人の人であるよりも、一人の女として生きてみる。そんなスリリングな人生を思ってみるのも面白いかも。

自分の道を、自分のテンポで歩いていきたい君のため、久しぶりに詩を一つ紹介します。岸田衿子は谷川俊太郎の別れた元の奥さんです。

  南の絵本

         岸田衿子

いそがなくたっていいんだよ
オリイブ畑の  一ぽん一ぽんの
オリイブの木が  そう云っている
汽車に乗り遅れたら
ジプシイの横穴に  眠ってもいい
兔にも  馬にもなれなかったので
ろばは村に残って  荷物をはこんでいる
ゆっくり歩いて行けば
明日には間に合わなくても
来世の村に辿りつくだろう
葉書を出し忘れたら 歩いて届けてもいい
走っても  走っても  オリイブ畑は
つきないのだから
いそがなくてもいいんだよ
種をまく人のあるく速度で
あるいてゆけばいい

              
詩集「あかるい日の歌」 青土社 より



■  女の前に立ち塞がる伝統と習慣 その3

Kさんからの最初のメールには、「女人禁制は正しい、と主張する者達は、女人禁制を受けた女性の気持ち・人権などに、まったく触れることはありません。伝統文化とは、人々がその時代の価値観に合わせ、変革し、受け継いでいくものだというのに…いつから、『絶対変えてはいけないもの』になってしまったのでしょうか。同じ女性達が、女人禁制を良しとして受け入れてしまっている傾向は悲しいです。」といった女性差別全般にかかわる思いも綴られていました。会社を辞めたKさんの「その後を教えていただけないでしょうか」とお願いしたところ、丁寧な返信を頂きました。

送信日時: 2005年2月7日月曜日 21:02

残念ながら…『土木の世界からは足を洗ってしまいました』。以下、離れてしまった理由らしきものをつらつらと書きます。

私は、土木の大学と建設工学の大学院を出ました。6年間も学費を出し、学んだのにも関わらずやめてしまい、親には大変申し訳ないと思っております。私が大学院に進んだのは、大学4年の就職活動で、女性ということで、どこの会社からもとりあってもらえなかったからです。

また、私は、私立大から国立大大学院に外部受験で移ったので、4年次大学研究室の恩師からは大変期待されていた存在でした。

大学院のあたりから、建設業界が自分とは合わないと意識はしていました。院生室には、女性の裸のポスターは堂々と部屋に貼ってありますし、院生達が海外の学会に行った時に買ってきた、思わず目を背けてしまう大量の過激な雑誌も、部屋に散乱していました。注意したこっちが逆に文句を言われました。女性職員に相談しても、「気にしなければいい」と、とりあってもらえませんでした。

私は、建設・土木業界の男尊女卑的な体質が嫌ということ“だけ”を理由にして、土木の世界を辞めてしまったわけではなく、

・女性として、ということではなく、個人的に体力が持たない。

・封建的で極度の集団主義。悪い意味での体育会系。

・土木の世界は、皆さんご存知のように、談合など、汚い事を平気でする。こっちもしなければならない。(近隣に隠して、宗教法人の建物を慌てて建てるetc)などです。

現在、日本の土木技術者の女性の割合は、全体の1割もいないと思いますので、女性にとっては、未開発の分野です。技術者として雇用されても、ほとんど、男性技術者のアシスタントとして働かされます。私のいた会社のことですが、入社してすぐに男性技術者には1台、現場に行くための車を与えられますが、女子技術者は3年勤めても与えられません。勿論、ボーナス額も男性と全然違います。

土木を続けるか?と、改めて自分に聞いた時、土木の世界に私が入っても、先が知れている、どこの土木会社も同じ、と思いました。

それだけではなく、自分の人生を振り返り、協調性の無いことを再認識した私は、この世界で才能は発揮できないと判断し、自分には子供の頃から得意としている個人プレー的な技術があり、それを延ばせる専門学校に2年間通いました(転身ということです)。

その専門学校に入る前に、その業界の方に、男女の待遇の差など聞いたら、笑いながら、「そんなの無い。女だけお茶汲みとかも、全然ない」と言われました。安心しました。


        つづく


つづく
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その41  壊すのも創るのも挑戦の一つ

2004年度  61枚目 2005/02/16

■  安楽を批判し既成概念と闘ったラムネ氏=坂口安吾

今日の学級読書会を終えて、今君の心に何が残っているでしょう。作品(にせよ一人の人間にせよ)の欠点をあげつらうことは簡単です。「つまらない」の一言で切って捨てることさえできるからです。それに対し、そのものの面白さや魅力を語るには、
好奇心やセンスと共に努力や寛容さが必要です。そして自分の固定観念を自分で打ち破ることのできる頭の柔らかさと新しいものを試してみようとするチョットした勇気が求められます。

今日読んだ
『肝臓先生』の著者坂口安吾は、個々人の固定観念や社会を閉塞させる既成の秩序を打ち破ることを重視した無頼派の作家です。『肝臓先生』の中の一節「肝臓医者とさげすみを受けることこそ、先生の栄光であることを、彼女はもっともよく知っていたのだ。先駆者の悲劇である。また予言者の宿命でもある。真理を知るものは常に弧絶して、イバラの道を歩かねばならないのだ。」(角川文庫P238)といった言葉にもそれは良く表れています。今日、おまけで配った坂口安吾のエッセイ『ラムネ氏のこと』(ちくま文庫 坂口安吾全集14)の中の「私のように恐れて食わぬ者の中には決してラムネ氏がひそんでいない」「愛に邪悪しかなかった時代に人間の文学がなかったのは当然だ。勧善懲悪という公式から人間が現われてくるはずがない」という言葉=思想に触れることができるのも、本を読む値打ちだと思います。


■  憂いをなくし安らぎを求めた九条武子

もし君が、『肝臓先生』の作中の「九条武子の建設した『あそか病院』」(P226)に目が留まったとしたら、かなりの京女通です。この本がHR文庫に選ばれているのは、坂口安吾の批判精神によるのではなく、京女にゆかりの深い
九条武子が登場するからかもしれません。「あそか病院」は実在の病院で、ホームページもあります。その一部を紹介しておきましょう。

http://www.asoka-hp.or.jp/

社会福祉法人あそか会 あそか病院  東京都江東区住吉1-18-1

□ 病める人の母となり、友となって・・・

あそか病院の創始者・九條武子夫人は、建院にあたって、「病める人の母となり友となって、施療とともに精神的な安らぎを与えること」を理念に掲げました。

□ あそか・・・それは人々の「無憂」を願う心。

関東大震災のとき、西本願寺では、九條武子夫人を中心に救護所を開設して人々の救済に尽くしました。7年後1930年、夫人の歌集「無憂華」の印税を基金に充てて設立されたのが当院です。あそか病院という名称もその
無憂華(サンスクリット語・あそか、和名・無憂樹)に因んでつけられたものです。菩提樹娑羅樹とともに仏教三聖樹の一つとされる無憂樹。多くの人々に、病などの憂いを無くしてさしあげたい・・・。この願いがあそかという病院名にこめられているのです。


■  女の前に立ち塞がる伝統と習慣 その2

前回紹介したKさんからのメールは土木会社の研修現場で『女人禁制の因習』によって工事現場のトンネルに入れず、自分だけトンネルの入口に取り残されたショックが書かれていました。


「女性は現場に入れられない」と、上司から命令され、抗議虚しくトンネルの出入り口に取り残されました。男性技術者達だけぞろぞろと現場に入って行くのを観て、どれほど惨めな思いをしたか。

それだけでは終らず、当時の同期男性社員から、「地元の人々の習わしを理解しない女」「正月の神社参りと変わらぬ伝統」「わからずやのフェミニスト。いずれ淘汰されろ。」「田嶋教授・女性党と同じで、認められずに消えていく」etcと、罵倒を浴びせられました。

その男性社員は、地方大学の文化財部とやらを出ており、「理系出身の君とは違い、人々が習わしを行う心理を理解している」とも、誇らしげに話しておりました。そしてその男性社員から、いじめ・セクハラ行為も受けていました。

この一件は、その会社を辞めた後も忘れられず(トラウマになり)、法務局、機会均等室など、行政側に電話し、訴え続け、ウィメンズプラザなるものにも連絡をとりました。女性団体、政党HPにもメールしました。しかし、「女人禁制は、法から外れた特殊な位置にある古来からの習わしのため、どうにもならない(差別にならない)」と言われたり、無回答であったり、はぐらかす回答が来たり…『習わしだったら、人権侵害も正しいことになる。こんな価値観の国だったのか』と、際限なく落胆しました。

さらに2年後、私は労働組合なるものの存在を知り、女人禁制で就労差別にあったことを打ち明けた所、共感してくださり(この組合さんが、初めて、「間違っている」と認めてくれたのです)その組合さんのご協力あって、厚生労働省に申し入れを行うまでにこぎつけ、国から、『就労差別』と認めていただきました。長かったです。ここまで…セクハラ・いじめに関しては、退社してから年月が経ちすぎたので、訴えるのは諦めました。
 
     つづく

■ ヒップが上がると運まで上がる

今日の仏参での空閑先生のお話も結婚や夫婦の在り方について考える良い材料でした。君のお父さんも、夫婦喧嘩をして家を飛び出しているのでしょうか。結婚するにせよしないにせよ、
素敵な人と出会って楽しい時を過ごしたり、共に苦労を分かち合いながら何かを作り上げていくには、自分の器をしっかり作っていくことが必要です。

さて自分の体も自分の大事な器の一つ。興味本位で買った佐藤富雄著
『愛されてお金持ちになる魔法のカラダ ヒップが上がると運まで上がる!』(全日出版)は結構面白かったので、その一部を裏に紹介(省略)しておきます。関心のある人は職員室のいつもの棚にあるのでどうぞ。

つづく
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その40  目指す世界と立ちはだかる壁

2004年度 60枚目 2005/02/15

■  フロンティア・スピリッツの光と影

映画
『きみに読む物語』(原題THE NOTEBOOK)を観ました。よくできたアメリカ製純愛ファンタジーでした。「人間の一途な愛と信念が奇跡を生み、あきらめずに立ち向かう努力によって未来は開ける」といったメッセージに貫かれた映画だったということです。それを人生の教訓として重く受け止めるか、おとぎ話として楽しむかは、見る人の人生観によるでしょう。僕はハッピーエンドのラストシーンより、その5分ほど前の胸に突き刺さる辛いシーンが心に残りました。そして、青年が娘に放った「99%二人はうまくいいかないかもしれないけれど、僕は努力したいんだ」というプロポーズの言葉が素敵でした。貧乏人の男と金持ちのお嬢さんが一軒の「家」を接点に結ばれていくストーリーから、映画『遥かなる大地へ』(ロン・ハワード監督1992年)を思い出しました。

映画
『遥かなる大地へ』(原題Far And Away)はアメリカの歴史に興味がある人にはお薦めのスペクタクル映画です。結婚したばかりのトム・クルーズニコール・キッドマンが夫婦(後に離婚)で共演したことで話題になりましたが、そんなことより、ここに描かれたアメリカの歴史というか単純素朴なフロンティア・スピリッツ(開拓者魂)が感動的。貧乏で未来のないアイルランド人が裸一貫で新大陸に渡り、自由と財産を手に入れるサクセス・ストーリーのラストシーン、美しい小川の流れる草原に小旗を掲げて立つ若者の姿はストレートに胸を打ちます。

それは、同じく土地に執着するアイルランド移民の娘が主人公となった戦前(1939年)の映画
『風と共に去りぬ』(原題Gone with the Wind)で、ヴィヴィアン・リ―(彼女もまたアイルランド人)演ずるスカーレット・オハラが這いつくばった大地から立ちあがる有名なシーンと重なります。

ただ、こうしたアイルランド移民が
貧乏のどん底から這い上がって手に入れた土地の多くは、アメリカ先住民(インディアン)から白人が奪い取った土地です。それを思うと新たな世界を切り開くことを賛美するアメリカ魂は、他者の生活と人生を奪う危険性と背中合わせであることがわかります。アフガニスタンやイラクでのアメリカの軍事行動を支持するアメリカ人の意識が何に支えられているのかを、こうした映画から読み取ってみてはどうでしょう。


■ あこがれに見る自分の価値観・人生観

先週のHRでは「選んだ道をどう歩いて行くのか―歩き方を互いに学ぶためのアンケート」に取り組んでもらいました。個々の回答そのものも興味深いものがありますが、43人の回答を並べてみた時、そこからいろんなことが読み取れて大変勉強になりました。そこで、これから何枚かの手紙で、その結果を紹介していきます。慣れ親しんだ6組の人々が、
どんな思いや考えを抱きながら暮しているのか、何を夢見てどうなりたいと思っているのか。それを知ることは、君が君の道を歩いていく上でおおいに刺激になり、視野を広げるチャンスになるはずです。

その第1回として紹介(省略)するのは、

問の(2)「自分が尊敬している人、あるいは目標にしている人は誰ですか?(どんな人ですか)」と
問の(3)「自分が母親と同じ年頃になった時、何をしてどんな生活をしていたいですか?」

の回答です。何かの傾向が読み取れるかなと思って、進路希望で第一希望で京女大・短大の推薦を希望した人→他私学の推薦を希望している人→第2希望で京女大や他私学の推薦を希望している人のヨウな順で一覧表にしました。問2と問3は横に並んで居るのは同じ人の回答です。(省略)


「尊敬する人」に親や姉妹やコーチや先輩など身近な人を挙げた人は、今とても幸せな生活を送っているのだなあとうらやましくも思いました。ただそれにどっぷり浸かって居座ってしまうのではなく、自分の生活の中にはない異質なものや思いも付かない何かとたくさん出会って多くの刺激を受け、新しい世界に飛び立っていくのもいいかもしれませんね。

「母親と同じ年頃」に専業主婦になっていたいという人が思いのほか多くて意外でした。いま世の中は大きな変化の渦の最中にあります。その渦の中で、自分が一人の人間としてどんな力を身に付け何を磨いていくべきかを、日々の生活の中で見つけて行けるといいですね。愛する人と家庭を持ち、産んだ子どもを健やかに育てていく上で、最も大きな障害となるのは戦争です。家族を大切にしたい人ほど、社会に対して鋭い目を持ち、声を上げる口と立ち上がる脚を鍛えなければならないのだと思います。


■  女の前に立ちはだかる伝統と習慣 その1

僕が管理しているささやかなホームページは、日に30〜40ほどカウンターが回ります。そして週に1〜2人の見知らぬ方がいろんな立場でメールを送ってきてくれます。そんな中、一人の女性(仮称Kさん)から次のような書き出しのメールをもらいました。君の人生や進路を考える大切なヒントになると思い、送り主のKさんに了解を得て編集し、何回かに分けてこの『手紙』に転載させてもらうことにしました。本文は次回以降となります。お楽しみに。

送信日時: 2005年2月7日月曜日 2:27

はじめまして。私はKという者です。東京都在住。性別は女です。イスラム教と女性の人権について検索をしていたら、貴方様のHPにめぐり会いました。そして、読ませていただきました所、女人禁制、セクシャルマイノリティー、ジェンダーについてのことも書かれていることを知りました。

そんな管理人様ですので、私の意見を聞いてくださるかな?と、期待をして、メールを出させていただきました。以下、読んでいただけると幸いです。これは、私の実体験です。

私は、5年前、地方の土木工事の会社で働いていました。技術者としてです。その会社の研修現場(トンネル工事)において、女人禁制という『因習』に出くわしました。女性は現場に入れられない、と、上司から命令され、抗議虚しく、トンネルの出入り口に取り残されました。大学では、「土木現場において、そんな因習残っていない!」と習っていたので、大変驚きました。

       つづく


つづく
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その39  ジャンヌ・ダルクとバレンタイン

2004年度 59枚目 2005/02/09

■  並んだ杭でいるのか、一本の棒として生きるのか

少し前、世界史担当の神村先生から聞きました。1年6組では
『歴史をさわがせた女たち 海外篇』(文春文庫)のうち一番人気が高かったのはジャンヌ・ダルクだったとのこと。へえ〜と思って、僕もその本(とついでに『日本篇』と『新・歴史をさわがした女たち』の三冊)を買って読みました。

イエスの十二人の弟子の一人であるヨハネの名を付けられた
ジャンヌ(女性形Jeanne)は13歳(今なら中学1年生)で神の声を聞き、17歳(高校2年生)で祖国フランスを救うことを決意して闘い、19歳(大学1年生)で火あぶりの刑で殺されます。もし彼女が宗教裁判で神の声を聞いたことを否定し、教会の言うことに従えば処刑されずに済んだかもしれません。しかし彼女は「自分は神の言葉のみに従います」と信念を曲げなかったために異端者、悪魔の手先として処刑されたことは、君もすでに知っている通りです。そんな彼女を主人公にしたリュック・ベッソン監督の映画『ジャンヌダルク』(1999制作)のキャッチコピーは「逃げない」でした。

自分の信じることに忠実でいようとする人は、世の中を支配しようとする権力者にとって目障りな存在となり、多くは迫害を受けます。そうならないで平穏な生活を手に入れたほうがよいと思う人も出てきますから、「寄らば大樹の陰」だの「長いものには巻かれろ」だの「出る杭(くい)は打たれる」だのといったことわざが世間にあふれています。

その
「出る杭は打たれる」の続きを「出過ぎた杭は打たれない」と言う人もいれば、「出過ぎた杭は引っこ抜かれる」と言う人もいます。君はどっちに共感する?ぼくは「抜けた杭は自由である」とでも続けてみてはどうかと思うのですがどうでしょう。

自分がそこに杭として踏ん張っていることの意味は何か?子どもが池に落ちないように守る柵の杭ならば並んで立つのもいいけれど、強制収容所の鉄条網を支え人を閉じ込めるために並んでいる杭ならば、杭で居続けることを拒否したい。
引っこ抜かれて捨てられることを恐れるよりも、盲人を導き、梃子(てこ)となって岩を動かし、棍棒となって闘う一本の棒になることを夢みたい。そう思う人は、声には出さないけれど、いつの時代にも居るものです。

そう考えると現代文の授業でやっている安部公房の戯曲
『棒になった男』の読み方も変わってくるとは思いませんか?


■ 愛は勇気によって守られる

さて来週月曜の2月14日は聖バレンタインデー。日本では女の子がチョコレートを配る日になっていますが、その日の由来となった
バレンタイン(バレンティヌス)もまた、迫害によって処刑されたことを知っていますか?そのいきさつがf-anecsというホームページに分かりやすく説明されていたので、その一部を次に転載させてもらいました。

f-anecs    http://www.ffortune.net/calen/valen/valen.htm

なぜ聖バレンティヌスの祝日が恋人たちの祝日になったかについても意見が多いようです。たとえばこれはローマのルペルカリア祭あるいはジュノー祭が原形であるという説、この頃の季節に鳥が配偶者を選ぶからだという説、などなどです。聖バレンティヌスに関する断片的な話をつなぎ合わせると次のようになります。

当時のローマ皇帝クラウディウス(在位268-270)は強い軍隊を作るため兵士の結婚を禁じていたが、バレンティヌスはそれを無視して兵士の結婚式を執り行ってやった。これをとがめられてバレンティヌスは逮捕され処刑されることになったが、このときアステリオという判事の手で取り調べを受けた。

このアステリオには目の見えない娘がいたが、この娘が取調中のバレンティヌスと密かに心を通じ合わせるようになり、その愛の力で彼女の目が奇跡的に直ってしまった。それを知ったアステリオはバレンティヌスに感謝し、一家そろってキリスト教に改宗してしまった。

ところがその件が市長に知られると市長はアステリオの一家を逮捕し全員処刑した。そしてバレンティヌスは悪の張本人として数々の拷問を受けたあげく最後は棒でなぐり殺された。

この話のポイントは「1.結婚が禁止されている恋人たちを結婚させてやった」ということと「2.愛の力で目を直した」ということのようです。いづれも愛と関連しており、そこから恋人たちの守護者とされるようです。

風邪やインフルエンザでへたばっている人は、バレンタインデーどころではないかもしれませんが、しんどい時こそ人との温かなかかわりを作っていきたいものです。世間にはチョコだのプレゼントだのを配ることに眉をひそめる向きもあります。

僕も信仰もないまま商業主義に乗っかることには反感を持っていました。でも、今は人と人とを繋ぐかすかな機会=縁は何であれ大切にしたらよいと思っています。

君のお母さんやお父さんは16歳の冬、誰にチョコをあげ誰からもらったのでしょうね。チョコではなくて昔はやりの手編みのマフラーだったかもしれません。ひょっとしたら、お母さんは手編みのマフラーも手作りチョコも渡せぬまま15日を迎えてしまったのかも。そんなほろ苦く甘い思い出にぴったりな文章を裏に載せました。(省略)ロングセラー『届かなかったラヴレター』(文芸社刊)の再編
『届かなかったラヴレター あの空の向こう』からの転載です。(今月発売)

クリックすると拡大画像が見られます


さて、明日の午後から日曜の晩まで休祭日と入試で授業なし。君はどのように過ごしますか?僕はニック・カサヴェテス監督の映画『きみに読む物語』(原題「THE NOTEBOOK」)を観に行くつもりです。アメリカの純愛映画のできや如何に!?

つづく
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その38   軽やかなフットワークは鍛えられた足腰から

2004年度 58枚目 2005/02/07

■  本当は、女が暮しやすい社会は男も暮しやすい社会のはず

1年2組の2月4日付学級通信「ナチュラル」に、先週の仏参でK先生がされた「お話」に対するF先生(2組の担任)のコメントが書かれていました。なるほどね、と思うところがあったので、F先生の了解を得て下に転載させてもらいます。

時間がなくてコメントできませんでしたが、この前の仏参のお話、皆さんはどう思いましたか。個人的には少し極端だと思いました。現実や多数派の意見がどうであれ、個人の生き方や、価値観は、やはり尊重されるべきです。ただ結婚はもちろん、世の中は大勢の人で成り立っている訳だから、どこかで妥協したり、お互いを尊重したりしないと摩擦が大きくなります。そこは本当に難しいところです。

 随分前のナチュラルに「忙しすぎる」という投稿を載せたことがありますが、僕が最も問題だと思っているのは、社会全体の閉塞感(行き詰まり)から来る、競争、能力主義、そして不平等です。多くの人が忙しい毎日におわれ、大人も子供も余裕が無く、家族とゆっくり過ごせる時間などない、というのが実情ではないでしょうか。これは男も女も、大人も子供も、みな同じ問題を抱えています。

こうした社会を変えるためには何が必要なのか、もっと広い視野で考えてみる時期が来ているように思います。

それとちょうど昨日の朝日新聞に右のような記事がありました。合わせて読んで見て下さい。

    「妻は家庭」反対48% 賛成派を初逆転 内閣府調査 現実は仕事より優先多く


■ 女として生きぬくたくましさを

昨日のパン・パシフィックテニスのテレビ中継を見ましたか?女子プロテニス世界ランキング1位のダベンポートに競り勝ったシャラポアの粘りと気迫は男子の試合にまさるとも劣らぬすごいものでした。で、それで思い起こしたのは、ウィンブルドンなどの世界四大大会の賞金が男女では随分と差があるということです。その理由をあれこれ並べる人はいますが、結局は男と女が同列なのが気に食わないという思いがベースにあるようです。

家庭の中でも、そうした男尊女卑の思想にとらわれている人が男女を問わずいます。それでその家庭が円満だと言うのなら、他人がとやかく言うことはないでしょうが、これから社会に出て、自分の家庭を持とうとしている君には、少しだけ考えておいてほしいことがあります。それは、結婚した相手がDV(ドメスティック・バイオレンス=家庭内暴力)をふるうような人であったり、ギャンブルなどで経済的な破綻を招いたり、埋めきれない考え方や感覚のギャップ(性格や性の不一致)がはっきりしたとき、場合によっては離婚によって互いに新しい生活を作り直すことが必要な場合もあるということです。下のグラフを見て下さい。

平成16年人口動態統計の年間推計 図4離婚件数及び離婚率の年次推移
(厚生労働省大臣官房統計情報部)

http://www.mhlw.go.jp/toukei/saikin/hw/jinkou/suikei04/index.html
図4 離婚件数及び離婚率の年次推移

グラフが急な右肩上がり(増加)を示しているのと同時に山と谷があることに気付くでしょう。世の中が不景気になって仕事を見つけにくくなると、離婚をためらう女性が増えるという分析もあります。自分が仕事(収入を得る手段)を持っていなければ、新しい生活をスタートさせることも難しいのです。そして資格を持っていればすぐに仕事が見つかるというものでもありません。

一人の人間が人間として尊重されると言うことはどういうことか、そして女として誇りを持っていきるためには何が必要か。いろんな人の言葉を聞き、本を読み、考えていって下さい。

つづく
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その37   あなたの現実  私の理想

2004年度 57枚目 2005/02/02

■  次年度高2類型コース選択確定

2ヵ月後にはもう、君は1年6組の生徒ではなく、(たぶん)2年のどこかのクラスのメンバーになっています。今週確定したコース選択によって、6組43名は右のように分かれていくことになりました。(省略)学年全体では次のようになりました。(省略)

誰がAB混合コースに入るのかは、選択科目選択の調整がこれから行なわれて決まりますが、君がそれを知るのは4月になってからです。どのクラスになるにせよ、自分の目標を達成するのに必要なことを、めげず怠けずコツコツやり続けて下さい。

高校1年の終わりになれば、学校の勉強の出来不出来が特殊な才能によるのでも、チョットした要領やコツによるのでもなく
、「今日の復習、明日の予習、明後日の小テストの準備」の繰り返しに耐えられる気力と体力が勝負を分けるということが、君にも分かってきているでしょう。もちろん、掛けた時間に対して得られる成果は人によって違います。「成果=持っている力×掛けた時間×天の神様の気まぐれ」だと思います。自分が「エネルギー効率の悪い人間」だと思うのなら、自分に鞭打ちたくさんの労力や時間を掛けるか、寺社仏閣でお百度参りするかです。

でもね、ここで
いつも忘れてならないのは、自分を見失わないこと。でも自分が「ホントにやりたいこと」など簡単に見つかるわけはなく、「ホントの私」は今ここにいる私以外にはいないのです。だからこそ、ああせいコウセイまだできひんのか!という声に押され流され、わけ分からぬまま走り続けた先が戦場だったり墓場だったり地獄の淵だったりすることはよくある話。そうならないためには、まず「自分」が今どこに立ち、どこに向って何を見ているのかを確かめること。1日4回、朝起きて歯磨きする時、朝礼で挨拶する時、終礼で挨拶する時、夜ゆったりとお風呂につかった時、「さあ今から私は…」「さて今の私は…」と思う時間を持ちましょう。


■  現実は一つじゃないのが現実です

とはいっても、人生そんなに思ったとおりに進むわけがありません。今日は久しぶりの積雪で仏参に間に合わなかった人が結構いました。僕も朝目を覚ましてカーテンを開けてびっくり。いつもは6:00起床→風呂を沸かす→朝食を作る→庭のエサカゴに野鳥用のミカンとヒマワリの種を入れる→パソコンのメールをチェック→朝食を食べる→風呂に入る→着替えて出発7:30といった生活をしていますが、今日はスタートからつまずきました。

昨日は夜更かししたので目覚ましを寝ぼけて切ってしまい、意識を取り戻したのが7:00。おまけに、目を覚ましたら右のあごがパンパン。昨日治療していた歯がとうとうだめになって抜歯したのですが、歯の根が折れていてうまく抜けず、抜けた穴が大きくて出血が止まらず、歯茎を縫うはめになった結果です。野鳥のエサだけ用意して朝食も風呂もなしで急いで出発。道に出てみるととても車では行けそうにないので、JRの駅に急ぎ、なんとか8:15に到着しました。

そんな朝の講堂でK先生が語られた「お話」はとても興味深いものでした。
家事が出来ない女の家庭は崩壊します。男と女は違うのだから、女の幸せを得るために大学卒業までに料理が作れるようになりなさい。
男は仕事に100%力を出しきればいいが、女は100%力を出しきって疲れ果てて家に帰っては家事が出来なくなってしまう。仕事と家庭を両立させるためには70%の力で仕事をして30%の力を残して家に帰ることが必要だ。女が男と同じように仕事をするには、男の1.3倍の力が必要なので、男の1.3倍勉強しなさい。
仕事ばかりで家庭を顧みなかった妻と離婚し、すっぱり仕事をやめて家庭に専念してくれる女性と再婚し、幸せな家庭生活を手に入れたK先生の実体験がこうした考えを支えているのだと思います。

さてそこで、考えてみたいのは、男と女が様々な点で違いがあることを前提にした上で、
なぜ料理は女の仕事になるのかということです。なぜ、家事を省みない女は責められるのに、100%仕事に熱中している男は家庭の幸福を手に入れられるのかということです。

僕は今朝、朝食を作れませんでしたが、いつもはご飯を炊いて味噌汁と目玉焼き程度の一品をおかずに作っています。僕が無理なときは、「がんこ寿司」でバイトをしている下の息子が作ります。で、皿洗いは毎回上の息子の仕事です。それは妻が入院していたときからそうでした。妻が元気な時も夕食は先に家に帰った方が作っていて、妻が生徒会担当の仕事をしていた年は、平日のほとんどを僕が夕食を作っていました。そして、休日はその日の気分でイズミヤ、ダイエー、アルプラザ、イトーヨーカドー、ジャスコetc.と二人か家族でドライブがてら一週間分の買い物をしていました。

妻が癌で、あと6ヵ月しか生きられそうにないと最初の病院で言われ、妻の入院用の浴衣を買いに六地蔵のイズミヤに行った時、僕の胸に込み上げたのは「もう二度と二人で買い物カートを押すことはないんだ」という思いでした。

現実は色々あります。だから自分の理想や夢を大切にし、自分が共に暮していきたい人と出会い、共に支え合っていける力をこそ付けてもらいたい

一人でも生きていける。でも一緒に暮した方が楽しいから一緒にいる。そんな関係っていいとは思いませんか?

つづく
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その36   虚無と絶望を乗り越えられるか?

2004年度 56枚目 2005/01/29

■  無頼派のデカダンスに共感できるかな

さて今日から冬の読書期間の始まりです。君も2月16日の
HR読書会にむけて、一冊の本を読むことになりました。1年6組が選んだ本は坂口安吾の『肝臓先生』(角川文庫クラシック)でした。僕はこの角川文庫を手に取ったのは昨日がはじめてでしたが、目次を開いてまずあれっ?これって短編集じゃありませんか。収められた五つの作品の最後が「肝臓先生」。坂口安吾の作品は、あまり馴染みがなくどれも読んだことのない作品だったので、とにかく一つ目から読み始めて、一冊全部3時間半で一気に(居眠りしつつ)読み切りました。で、何が面白かったかというと、6組がこの本を読書会用に選んだいきさつと、この本の内容とのギャップです。

一昨日の終礼で、候補にあげられた上位2冊の本はこの
坂口安吾の『肝臓先生』山田詠美の『放課後の音符』でした。どちらを選ぶかを決める際に、図書委員さんがホームルーム文庫目録の紹介文を読み上げてくれました。すると、『肝臓先生』の紹介文は要するに戦時中に肝炎の研究と治療に走りまわった医者の話ということでしたが、『放課後の音符』の紹介文は「『カナは十七歳だけど、もう男の人とベッドに入ることを日常にしている。彼女の話を聞いていると、色々な男の人が登場して来て、それだけでも驚きなのに、その人たちが彼女と普通にベッドに入るので、もっとびっくりしてしまう。』放課後に音符を奏でる様に様々な愛と性の姿をさらりとした口語で心の奥を奏でていく」というものでした。

その二つの紹介文を聞いて多数決を取ったら圧倒的多数で『肝臓先生』に決まったわけですが、それは多分、
「愛はいいけど性はちょっと」といった引いた気分の結果だったのではないかと思われます。ところがなんと!君が読むことになった短編集『肝臓先生』は『放課後の音符』とは比べようもないほど頽廃的かつ反社会的な作品の塊だったわけ。

一番目の
「魔の退屈」は戦時中が舞台で、「女は魂には心棒がなく、希望がなく、ただ一瞬の快楽以外に何も考えていないだらしなさだった。何のハリアイも持っていなかった。そしてただ快楽のままに崩れて行く肉体だけがあった」(P23)という話。

二番目の
「私は海をだきしめていたい」は「この女は娼婦の生活のために、不感症であった。肉体の感動というものがないのである。肉体の感動を知らない女が、肉体的に遊ばずにいられぬというのが、私には分からなかった。精神的に遊ばずにいられぬというなら、話は大いに分る。ところが、この女の浮気というのは、不感症の肉体をオモチャにするだけのことなのである」(P32)という話。

三番目の
「ジロリの女」が最も長い話で、主人公はインチキ新聞とエロ雑誌を発行している出版社の社長。一つ年下の芸者と病院の院長の未亡人と自分の会社の家庭持ちOLに言い寄って、三人同時に深い関係になったあげく、病院長の娘を誘拐して犯してしまうという話。

四番目の
「行雲流水」の主人公は、「ソノ子はまだ十八。普通なら、まだ女学生に過ぎない発達途上の小娘であった。その姿態にはまだ未成熟なものが多く翳を残しており、お乳とお尻がにわかにムッチリと精気をこめて張りかがやいているようであった」(P173)という売春婦の少女。言い寄ってきた男と心中しようと線路に抱き合って二人で寝るが、首が飛んで死んだのは男だけだったという結末。

そして五番目が
「肝臓先生」。太宰治とともに「無頼(ぶらい)派」(社会の常識や制度に反抗するような姿勢を持った連中)の作家である坂口安吾の特徴は、軍部や社会の常識と闘うという点に出てはいますが、主人公がちょっとカッコ良すぎて一番坂口安吾らしくない作品です。

さてさて、君はどの話に興味を持って、読書会ではどんな議論をしていくのでしょうか。その行方が楽しみです。



■ 死なないでいる理由

偶然と言うのは思わぬところにひょっこり顔を出すもので、この数日トロトロ読み進めていた本の中に、映画化された『肝臓先生』の話が載っていました。その本は現代文便り『ベランダの風』で紹介した
鷲田清一の評論集『死なないでいる理由』で、その部分を紹介します。

「〈死〉という、人間の一生において決定的な意味を持つ出来事が、この社会では知覚不可能なものになっている。家で死ぬ人はめったにいないし、路上で死ぬ人もめったにいない。今日ではひとはほとんど病院のベッドで死ぬ(考えてみれば野垂れ死にする人のめったにいない社会、指一本、手一本道に落ちていないという社会は、ふつう考えられているのとは反対の意味で、異様な社会なのかもしれない)。老衰という、しぜんに消え入るように死ぬこともほとんどなくなって、式が近づけばなんらかのかたちで治療がなされる。治療は医療期間でなされる。坂口安吾の「カンゾー先生」が映画化されたが、カンゾー先生のようにひたすら往診に走る意思の姿など、もう見ることはない。」



鷲田 清一【著】

小学館  \1,785

この評論集では、他にもいろいろな映画や小説が生死を考える素材として示されていましたが、その一つ映画『ジョニーは戦場に行った』は、君にも若いうちに是非見てほしい作品です。30年ほど前の映画ですが、戦場で砲撃に会い、両手両足とあごを失い動くことも話すことも出来ず、医者からは医師や感情はないと診断され、ただ研究用に病院の奥深くで生かされ続ける青年の物語です。看護婦さんのある行為と、ラストシーンで青年が訴えるある願いが心底胸を打ちます。

さてさてさて、
君は君の死なないでいる理由を答えられるでしょうか?

つづく
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その35   あなたの夢はなんですか?

2004年度 55枚目 2005/01/27

■  しなやかでたくましい女のカッコ良さ

今日は類型コース科目選択カードの提出〆切でした。迷った末に予備調査とは違う答えを出した人も少なからずいます。ただ、迷いに迷った人も、あっさり決断した人も、やるべきことは二つです。一つは夢を実現する力をつけること。そしてもう一つは夢を持ち続ける力をつけることです。

自分の生き方に迷いを感じたとき、君はそこからどうやって抜け出そうとしますか?その時一番大切なのは自分向き合う孤独な時間をしっかり持つことだと思います。そして多様な人の生き方を知り、力強い生き方をしている人から生きるパワーを分けてもらうことだと思います。ただ、仲の良い友達や身近な家族との関わりからそうしたパワーをもらえない時は、本と映画にすがってみるのもよいかもしれません。

そんな君へのお薦めの映画が今上映中の『北の零年』と『火火』です。

『北の零年』は淡路島から北海道の静内に移民として渡った武士と百姓の実話を元にした映画です。「自分たちの国を作る」と理想に燃えて海を渡った男達は、厳しい自然と逆境の中で次々へこたれ挫折します。それに対し女達はどこまでも強くたくましく生きぬいていきます。この映画でつくづく感じたのは、男のもろさ情けなさと女の強さしたたかさです。「夢を持ち続ける力を失わなければ、きっと何かが私達を救ってくださる」という吉永小百合の台詞が胸に残りました。

ただ、一番胸にズドンと来たのは、同じく北海道を舞台にして5年前にヒットした映画「鉄道員(ぽっぽや)」の高倉健の渋さと対照的な吉永小百合の異様なまでの美しさでした。60歳でスクリーンいっぱいのアップに耐えられるあの美しさはどこから来るのか! その不思議に触れるだけでも見る価値のある映画だと思います。


それに対して『火火』の主人公の生のエネルギーと、それを演ずる田中裕子の凄みには心底圧倒されました。僕がこれまで見た邦画のなかでもベスト3にいれてもいいと思える出来でした。


『火火』
主演 田中裕子

この映画(現在滋賀県のみの先行ロードショー中)は滋賀県の信楽で初の女性窯元として成功した実在の女性がモデルです。

彼女は離婚や貧乏のどん底の中で子育てをし、一人前の陶芸家として認められていく最中、息子が白血病になり、骨髄移植のドナー(骨髄提供者)を探す運動を繰り広げていきます。

しかし、骨髄の型が一致するドナーが見つからないまま血を吐いて死んで行く息子をベッドの上で抱きかかえて叫ぶ田中裕子の台詞の迫力に息を呑みました。

ただ胸に熱いものが込み上げて切なくなって涙が止まらなくなったのは、釜の中で火にくるまれて焼かれる二つの壷の映像でした。映画の中ではその壷が何なのかは説明されていませんが、誰でもそれが何かわかります。僕にはそれが三つではなく、二つだったのが何とも切なかった。なぜ彼女は壷を三つ焼かなかったのか、三つ焼かないことでどれほどあの子が傷つくか!と、それが息子の死の悲しみ以上に胸を塞ぎ涙を誘いました。

映画館(浜大津アーカス)のロビーに置いてあった骨髄バンクの紹介パンフを読むと、東山七条の三十三間堂の隣りにある日赤血液センターでも骨髄バンク登録の受け付けができることを知りました。かつて夏目雅子のポスターをみて登録しようとおもいながら踏みきれずにいたドナー登録ですが、来週登録しに行くつもりです。


■  私の夢は大人になるまで生きることです

『火火』の余韻に浸って家に帰ると、紀伊国屋に注文してあった池間哲郎著
『あなたの夢はなんですか? 私の夢は大人になるまでいきることです。』が届いていました。で、さっそくページを開くとこれがまたおもしろい!おもしろいなどというと不謹慎だと怒られそうな重たい内容なのですが、子どもたちのストレートでドンと心に迫るメッセージがたとえようもなく新鮮でした。

この本には、ゴミの山をあさって生きぬくフィリピンの子どもたちをはじめ、貧困の中でたくましくけなげに生きるアジアの子どもたちの姿が写真とともに記されています。そして沖縄でそうした子どもたちの生活を支え、学ぶ場を作っているボランティアの人たちの活動が紹介されています。

そこにこんな言葉がありました。



池間哲郎 著
致知出版社  \1,260

・ フィリピンのスモーキーマウンテン(ゴミの山)で出会った少女は『あなたの夢はなんですか?』と聞いた私ににこにこと明るい笑顔を浮かべながら答えました。『私の夢は大人になるまで生きることです』

・ 貧しさのため売られていく娘たちがいます。彼女たちが故郷に戻れるのは、エイズが発病して死んでしまうとき。『死んでしまうかもしれないね』そう聞いた私に、少女は言いました。『お父さんお母さんのためだから、しょうがないよね』
エピローグを裏に転載します。君が夢を持ちたくましく生きて行く手掛かりになれば幸いです。


(エピローグの抜粋)

ボランティアには大事なことが三つあります。そのことをよくわかってほしいと思います。

一つ目は「理解する」ということです。わかる、知ることがとても大切なボランティアになります。(中略)

二つ目は「少しだけ分けてください」ということ。100パーセントの愛はいりません。1パーセント、いや、0.1パーセントだけでいいのです。(中略)

三つ目は私が最も伝えたいこと。それは、一番大事なボランティアとは、誰かのためとか、人のためとか、世の中のため、社会のために何かをすることではないということです。一番大事なボランティアは、自分自身がまず一生懸命に生きるということ。(中略)一生懸命生きる人じゃないと、本当の命の尊さはわかりません。真剣に生きる人じゃないと、人の痛みや悲しみは伝わってこないと思うのです。(後略)

つづく
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その34  二人で生きることの難しさ

2004年度 54枚目 2005/01/20

■別れはいつもやってくる

今日『類型コース科目選択カード』と提出したのは10人でした。残りの33人は、どこでどう迷っているのでしょうか。今回の選択は、君にとって結構大きな分かれ道になるはずです。大切なのは、友達の選択に引きずられたり、噂に振りまわされたりせず、自分自身をしっかり見つめることです。そして、自分の決断を生かすための努力を一つ一つ積み重ねていくことです。

君の人生の進路をめぐって、これからいくつもの選択の場面がくるはずです。すぐ思い浮かぶのは進学・就職・結婚ですが、それ以上の重みで君の目の前にせまってくるのが退学・転職・離婚の選択です。

人は一人で生きては行けません。支え合って生きて行けるパートナーを求めるものです。そして結婚と言う制度に乗るかどうかは別にして、この人と生活を共にしたいと願う相手とめぐり合うこともあるでしょう。好きな人と一緒になるのに迷うことなどありません。思い切って飛び込んでいく若さがあれば大丈夫。大変なのは、経験も習慣も、時には価値観も微妙に違う人と一緒に暮らしていくことです。そしていくら噛み合わないところがあるからといっても、いったん一緒に暮らした人と別れるには余程の決意がいるでしょう。

今朝のテレビのニュースは、母子家庭世帯がこの5年間で30%増え、戦争による死別を除いて初めて100万世帯の大台を超えたと報じていました。次に紹介したのはそれを報じた朝日新聞Web News (http://www.asahi.com/national/update/0119/037.html  2005/01/19  21:38)の記事紹介です。





母子家庭、5年間で3割増 過去最多の122万世帯に

全国の母子家庭は、推計で122万5400世帯と5年前より3割近く増え、過去最多になったことが2005年1月19日、厚生労働省の調査でわかった。離婚の増加が要因。母親の半数はパートや臨時職員として働いていて、不安定な雇用や不況で平均年収は17万円減っている。

調査は1952年からほぼ5年ごとに実施。今回は2003年11月に、国勢調査をもとに無作為抽出した母子家庭1854世帯と父子家庭263世帯に仕事や収入を聞いて推計した。

子どもが20歳未満の母子家庭は1998年の前回調査より28.3%増え、戦争による死別が多かった1961年の調査以来、100万世帯を超えた。

理由別でみると、「離婚」が97万8500世帯(前回より49.7% 増)「未婚の母」が7万500世帯(同1.7% 増)、「死別」は14万7200世帯(同17.7% 減)だった。

母親の仕事では、前回50.7%だった「常用」が39.2%に減る一方、「臨時・パート」が49%(前回38.3%)で初めて常用を上回った。福祉手当や養育費などを含めた2002年の平均収入は212万円で17万円減った。

離婚した元夫と養育費の取り決めをしている人は34%(同35.1%)。実際に「養育費を受け取っている」人は17.7%(同20.8%)で、ともに減少。額も月平均4万4660円と前回より8540円減った。「困っていること」では43.7%の母親が「家計」を挙げた。

父子家庭は17万3800世帯で、前回より6.4%増えた。



一人で生きて行く力を付けることも大切ですが、本当は二人で生きて行く難しさを乗り越える力を身に付けることの方が重要なのです。そして一緒に暮すことでしか分からなかったあれこれで、二人は別れるべきだと判断したとき、あるいは死別のようにやむを得ず別れざるを得なくなったとき、新たな一歩を(ときには子どもを抱えて)踏み出し生きていけるだけの力をどう身に付けるのか。これからの社会を生きる君に問われているのはそういうことかもしれません。


■ 器用に生きようとしなくてもいい

「私は不器用なのでいろんなことができないし、今までと違ったことをするのも難しいんです」と自分を否定的に評価する声を聞くことがあります。ではいろんなことに手を出し変化にうまく適応している「器用な人たち」は、その器用さほどに豊かで幸せな人生を歩んでいるのでしょうか?ひょっとすると、その人たちはその人たちで「人が誉めてくれるほど自分は満足できていないし、何をやっても自分が本当に求めているものと何か違う」と不満や渇きを感じているかもしれません。

ちょっと冷え込むと風邪で欠席者が増えるように、心もしょっちゅう風邪を引いたり下痢したり、便秘になったりするものです。そんな時には風邪と同じく、まずは心をゆっくり休ませて、心があったまる人やものに触れ、少しゆとりができたなら心の栄養になる何かを見つけてみるのが良いでしょう。

病気はこれまで自分で気付かなかった自分の問題を知るチャンスです。そこから自分の生活の仕方や考え方や人との付き合い方を改善させて糸口が見えてくることもあります。ドンクサくても不細工でも、自分の持ち味を生かしていけれたらそれほど素敵なことはないでしょう。地道な一歩の積み重ねこそが自分の自信を生み出し、大きな分かれ目や転機を迎えた時も、着実に次の一歩を踏み出せるのかもしれません。

とはいっても、不安や戸惑いから抜け出すのは結構難しい。そんな君に一冊の新書をお薦めします。『中公新書ラクレ 器用に生きられない人たち―― 「心の病」克服のレシピ』(斉藤弘子著 ¥740)


つづく
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