北原白秋

「郷里柳河に帰りてうたへる歌」

歌集「桐の花」のなかに「郷里柳河に帰りてうたへる歌」と前書きがあって、以下の一首がある。
「廃れたる園に踏み入りたんぽぽの白きを踏めば春たけにくる」

(1)たんぽぽの絮(わた)・冠毛から白いたんぽぽの花に解釈を変える
『「教科書にでてくる短歌の解釈」(東京美術 昭和60年3月1日初版第一刷発行)宮 柊二監修・中山礼治著』より要約を以下に記す。

―白秋は明治42年に二回帰省している。これは荒れ庭に踏み込んだ感慨だろう。東京に戻った直後発表した歌が原型になっていると思うが、それには「たんぽぽ」は詠みこまれていなかった。
帰省の時期から見れば「たんぽぽ」はフィクションかも知れない。表題歌の「たんぽぽの白きを」の所を、従来花のあとに見る白い絮と考えて解釈している。踏まれて浮遊する冠毛を薄暗い廃園の空間に想像するのだが、九州のたんぽぽは白花(クリームに近い乳白色)だという山本健吉氏の指摘(『ことばの歳時記』)に今は従いたい。−

引用者註:ここでは「白秋は明治42年に二回帰省している」ことを示している。ただ”帰省時期から見て「たんぽぽ」はフィクション”であるとしている。そして「たんぽぽの白きを」の箇所について、花のあとの白い絮(わた)、または冠毛ではないかとしていたが、”山本健吉氏の指摘(『ことばの歳時記』)に今は従いたい。”として”白いたんぽぽの花”に解釈を変えている。

引用者註:山本健吉『ことばの歳時記』(文藝春秋社):1980.01(昭和55年1月)発行。

(2)帰郷の時期についての考察
@「郷里柳河に帰りてうたへる歌」とあるが、白秋に関する年表で「明治四十二年十二月、生家破産のため帰郷、翌年一月上京。」などとこの年の冬の帰郷については多くの書籍に書かれているが同じ年の夏の帰郷のことはふれていない書籍も見受けられる。例えば薮田義雄「評伝 北原白秋」(玉川大学出版部)の「年譜」の明治四十二年には「年末、実家の破産に直面し一時帰郷す。」とあるだけである。また、「白秋全集38 小篇4」には[『現代短歌全集』第九巻(昭和四年、改造社)」に掲載した自作の「年譜」があるが、明治四十二年には「十二月 実家の財的破綻に際し、一時帰国。」とあるが、夏の帰郷についての記述はない。冬の帰郷の期間に比べて相当に長い滞在なので夏の帰郷のことはもっと注目されるべきである。
なお白秋の帰省については北原白秋「この道」の原点も参照してください。

A『白秋全集 別巻』年譜によれば「(明治四十二年)六月二十八日より八月初旬まで帰省。」とある。また、「日本近代文学大系第28巻 北原白秋集」(角川書店)の年譜には「(明治四十二年)「六月初旬より八月初旬まで帰省、おそらく生家の経済的な危機に関したものであったろう。」とある。また同書の「補註四五六」には短歌の発表雑誌「スバル」の六、七、九月号の「消息」欄に白秋の動向が具体的に記載されていて、『明治四十二年六月号には、「北原白秋氏は本月十日頃筑後に帰国せらるる由に候。」という予告があり、翌七月号には「北原白秋氏は郷里筑後へ帰省致し候。報ぜられている。(下線部ママ)また九月号には「五日に帰京した北原白秋氏はまるいからだを暑さにもちあつかつて居る。・・」と報ぜられているから、この夏の帰郷は六月十日頃から八月五日までであったことがわかる。・・それでいて二か月にわたって郷里に滞在したのは、生家の経済的破綻のためであったろう。「廃れたる」の歌をはじめ、どこか沈んだ調べが流れているのもそのために違いない。』とある。
B「廃れたる・・・」の歌は、歌集「桐の花」の「銀笛哀慕調」のT春、U夏、V秋、W冬と続くなかの「U夏」の冒頭に「郷里柳河に帰りてうたへる歌」として掲載されている。上述のように白秋が帰省したのは、早い説で6月10日、遅い説で6月28日、帰京したのは8月5日又は8月初旬である。
なお夏は6月から8月、暦の上では立夏(5月6日)、そして立秋(8月8日)である。

(3)「春たけなわの白いタンポポの花」か、それとも「往く春の白い綿毛」か
上記のように帰郷の早い説でもこの歌は6月10日過ぎ、遅い説では6月28日以降の歌であり、「たんぽぽの白き」をタンポポ(シロバナタンポポ)の「白い花」とするするのは可能性としてどうか。「たんぽぽの白き」は「綿毛」である可能性の方が高いと言える。遅い説(6月28日帰京)では「綿毛」も飛んでしまって見つけられないかもしれない。
ことわることもないが、このページでのたんぽぽとはシロバナタンポポのことである。なお、黄色いたんぽぽの西洋たんぽぽは今日のように広範囲に繁殖していなかった時期と思われる。

(4)たんぽぽの穂・綿毛

「日本近代文学大系 第28巻 北原白秋集」(角川書店 昭和45年4月10日初版発行)より。
初出「スバル」(明42・9)には

   廃れたる園に蹈み入る哀愁(かなしみ)はなほしめやかに優しけれども

の改作。「たんぽぽの白き」はたんぽぽの白い穂。その穂が足に踏まれてふわっと舞いたつたのに、春の深さをしみじみと感じたのである。「踏めば」という条件法に今更のように驚く心が表われている。―と解説し、さらに補注四五七では、『明45・6「朱欒」には「吹上」と題し、「吹上の水の白さよ、鳥も鳴く、たんぽぽの花。いまははや春のなごりのたんぽぽの花、君はいづこに。」という詞書のもとに

    廃れたる園に蹈み入り吹上の水の白きを見れば春の泣かるる

とあり、[これは明らかに「スバル」発表の歌の改稿であり、詞書と歌とを合わせて『桐の花』収録の歌が成ったのであろう。]旨が述べられている。

引用者註:『桐の花』(大正二年一月)

同補注ではさらに若山牧水や木俣修の解釈を論じた後に、「白きを踏めば」という条件法が生きることによって「春たけにける」という感動の深さが感じられるとして、『表現に忠実に従うなら、点々と散らばるたんぽ ぽの穂を思いに浸ってわれ知らず踏み、舞いたったその綿毛に暮春の雰囲気をあらためて感じたととるべきであろう』旨を述べている。

引用者註:「白きを踏めば」の「ば」の役割としてたとえば「事実や状況を認識するきっかけとなった行為を示す」という意味を適用すると、補注の意味するところは「白きを踏めば」によって何かが変化し、事実や状況を認識するきっかけとなり、それがより一層感動を深めるととらえることができて「たんぽぽの花」よりも「穂」であろうということになる。なお、「黄色いタンポポ」も「白いタンポポ」も綿毛はどちらも白い。