「赤い鳥小鳥」の初出
雑誌「赤い鳥 大正七年十月号」(第一巻第四号)
「赤い鳥小鳥」の詩の誤読を避ける。
(1)初出の詩の「、」と「。」の位置を見ればわかるように、「赤い鳥、小鳥、なぜなぜ赤い。」という問いと、「赤い実を食べた」と述べている部分とから構成されている。
(2)したがって「赤い鳥、小鳥。」という呼びかけと、「なぜなぜ赤い、赤い実を食べた。」という問いかけとから構成されているわけではない。すなわち赤い鳥に対する”なぜ赤い実を食べたのか?”という問いかけではない。
白秋の「赤い鳥小鳥」の説明ー此の童謡は私の童謡の本源ー
「白秋全集35 小篇1」 童謡私鈔 [大正12年1月1日「詩と音楽」2巻1号]
『此の童謡は私の童謡の本源となるべきものである。たとへば、正風に於ける芭蕉の「古池」の吟の如きものである。童心より観ずる此の原始的単純をただの単純のみと目してほしくない。此の内に虚実の連関、無変の変、因果律、進化と遺伝等、而も万物流転の方(ママ)則、その種々相を通ずる厳としてまた渝る無き大自然界の摂理、―かうした此の宇宙唯一の真理が真理として含まれて居らぬであらうか。
童謡は児童にもその極度に於て解し易く、成人には更に深く高き思念に彼を遊ばしむるものでなければならない。さう私は思ふのである。私は十数年前以来時折童謡やそれに近いものを作った。然し此の一篇は新童謡提唱の機先を開いた自覚した私の第一声であった。』
引用者註:『私は十数年前以来時折童謡やそれに近いものを作った。』というのは詩集『思ひ出』を指している。
「赤い鳥小鳥」と「わらべ唄」について
『「赤い鳥」第一号(大正七年七月一日発行)』より。
北海道河西地方の「ねんねの寝た間に」
ねんねの寝た間に何しょいの
あづき餅の、橡餅や。
赤い山へ持って行けば、
赤い鳥がつゝく。
青い山へ持って行けば、
青い鳥がつゝく。
白い山へ持って行けば、
白い鳥がつゝく。
「日本童謡物語」(アルス 昭和五年十一月廿二日発行)の「赤い山、い山、白い山」より引用
赤い山、い山、白い山
ねんねの寝た間に、
何しょいの。
小豆餅の、
橡もちや。
赤い山へ持つてゆけば、赤い鳥がつつく。
い山へ持つてゆけば、い鳥がつつく。
白い山へ持つてゆけば、白い鳥がつつく。
中扉 表紙
上 笙一郎著「童謡のふるさと 上・春と秋」(理論社)P42からの引用。
『大正13年に出版された「お話・日本の童謡」のなかには、「赤い山・青い山・白い山」という一章があり、そこで白秋はこのわらべ唄を引用したのち、こう書いています。
≪・・・この、赤い山・青い山・白い山のねんねん唄ほどすぐれたお山の童謡は、日本にもありません。絵のようで、夢の中の極楽鳥のようで、色々の霞が匂って、それでかわいらしくて、ぼうっとしてしまいます。ねんねの寝た間のことですからなおさらです。あの橡餅を、一羽ずつ出てきてつつく赤い鳥・青い鳥・白い鳥は、とりもなおさず、すやすやと寝入っている嬰児(ねんね)たちのたましいに、翅が生えて、飛んで行ったのにちがいありません。
その小鳥たちに、小豆や橡の実を砕いて、それをお餅に搗き交ぜて、その、まだほかほか湯気が立っているのを持って行ってくださる町のお母さんたちも、きっと赤い着物や青い着物や白い着物を着ておいでなすったでしょう。
赤い着物のお母さんは赤い小鳥の自分の嬰児を、青い着物のお母さんは青い小鳥の自分の嬰児を、白い着物のお母さんは白い小鳥の自分の嬰児を、それぞれお探しになって、そうしてお夢の中でやさしく頭を撫でたり、掌の上に乗せたり、小六月の日の暮れるまでも、いっしょに遊んでくださるでしょう。私も『赤い鳥小鳥』の童謡をいつか作りましたが、あれはこの唄が本になっております。・・・・≫』
上 笙一郎著「日本童謡辞典」(東京堂出版)P305から引用。
「赤い山・青い山・白い山」のわらべ唄は、子守唄の種類の一つで眠らせ唄に属するもので、『眠らせ唄は、<大人が子どもを眠らすためにうたう唄>であり、(略)意味内容的には、大別して<乳嬰児褒賞型>と<乳嬰児威嚇型>のふたつがあると言ってよいだろう。』
引用者註:「赤い山・青い山・白い山」の型がどちらの型かは、他の眠らせ唄に比べてややわかりにくいが、上述した白秋の話から類推すれば(乳嬰児褒賞型>に属すものであろうと考えられる。
町田嘉章・浅野建二編「わらべうたー日本の伝承童謡 岩波クラシックス52」岩波書店(1983年12月16日)より引用
赤い山青い山(眠らせ唄)〔北海道〕
帯広附近の子守唄として唯一のもの。絵のようで、夢の中の極楽鳥のような美しさをもつ。北原白秋作の新童謡「赤い鳥小鳥」の原歌。
小豆餅(あずきもち):赤小豆の餡をつけた餅。アンコロモチとも。「正月廿日、小豆餅。昆布、栗、かちんにて御祝あり」(嘉永年中行事)。
橡餅(とちもち):橡の実を搗き混ぜた黒赤色の餅。博多地方ではハイノ木の葉の灰汁で染めた米を搗いて製した黄色の餅をいう。
白秋の言う「深い意味」について 大人のように考えないでも、赤い実をたべたから赤い鳥になったのだと思って下さればいい
藤田圭雄編「白秋愛唱歌集」(岩波文庫)P180より引用。
『「小学女性」の1921年8月号から連載を始めた「お話・日本の童謡」では、「童謡私鈔」でいっているむずかしい原理を、子供向けに、やさしく語りなおしている。(註)途中省略 私も『赤い鳥小鳥』の童謡をいつか作りましたが、あれはこの謡(うた)が本になっております。といっている。そして、私の童謡はまた、おなじようで、これとはちがった深い意味を持たせてありますが、そう大人のように考えないでも、赤い実をたべたから赤い鳥になったのだと思って下さればいいのです。白い鳥でも青い鳥でも、白い実や青い実をたべてそうなったのでしょうし、おなじように、
黒い鳥、小鳥。
なぜなぜ黒い。
黒い実を食べた。
黄ろい鳥、小鳥
なぜなぜ黄ろい。
黄ろい実をたべた。
でもかまいません。おなじ色ならなんだっていいのです。茶いろだって、紫だって。ともいっている。』
引用者註:「日本童謡物語」(アルス 昭和五年十一月廿二日発行)の「赤い山、白い山、い山」にも同じ文章が記載されている。
藤田圭雄著 「日本童謡史T」(あかね書房 昭和五十九年七月五日 改訂版第一刷発行)より引用
上記の「お話・日本の童謡」の白秋の文章を引用した後に以下のように述べている。
●この素樸な、北海道のわらべうたを、よく整理して、近代化した、新日本わらべうたの代表作といえよう。(途中省略)赤い実をたべたから赤いのだというこの論理の発見に、白秋童謡の誕生がある。それは「ぞうさん ぞうさん/おはなが ながいのね/そうよ/かあさんも/ながいのよ」という、まど・みちおの「ぞうさん」にも通じる。そしてそれは等しく「こんこん小山の子兎は/なぜにお耳が長うござる/おッ母さんのぽんぽにゐた時に/椎の実榧の実たんと食べたそれでお耳が長うござる」という子守唄の精神を生かしたものだ。そこには目前の事物をたた平板に並べただけの唱歌とは違う、もっと深遠な、しかし子どもに納得のいく歌の心がある。
●ただ残念なのは、この、もとになっている北海道の子守唄は実に美しい、複雑なメロディーを持っているのだが、それを成田為三(九年四月号)が、ごく平凡な唱歌調の歌にしてしまったことだ。詩人と音楽家の気持ちのくいちがいが、せっかくの白秋のわらべうた復興の仕事を中途半端のものにしている。
引用者註:「赤い鳥小鳥」について。
「赤い鳥、小鳥、 なぜなぜ赤い。」→赤い鳥はなぜ赤いのか、という問いには「最初から赤かったのだろうか、なぜ赤なのだろうか。それとも途中で赤くなったのだろうか、そしてそれはなぜだろうか」などがこめられていると考えられる。赤い鳥に対する問いかけというよりも、詩の主人公の自問のようである。
「赤い実を食べた。」→目前のこの事実から、先の問いに対して「赤い実を食べたから赤い鳥になった」との解釈が比較的容易に導ける。赤い実と赤い鳥とのこのような因果関係について、白秋は子どもたちにはこの理解でよい、と述べている。
引用者註:まど・みちおの「ぞうさん」について。
「ぞうさん ぞうさん/おはなが ながいのね」→「なぜながいのか」という問いではなく、「みんな(ぞう以外)に比べてながい。」という事実についての確認の話しかけである。下記に示すまど・みちおの言葉からすると悪口の意味が含まれているので、たとえば「ながくて不便だね」とか「かっこうが悪いね」とかが考えられる。「そうよ/かあさんも/ながいのよ」→「じぶんもかあさんもはなはながい。ぞうだから」という肯定の答えである。因果関係とは無縁である。
以上のように「赤い鳥小鳥」は「ぞうさん」に通じるというのには疑問がある。
服部公一「童謡はどこへ消えた 子どもたちの音楽手帳」平凡社(2015年6月15日)より引用
ぞうさん
母と子の心の結びつきがこのくらい率直に表現されている歌詞は他にないと思う。
「象の子は、鼻が長いねと悪口を言われた時に、しょげたり腹を立てたりする代わりに、一番好きな母さんも長いのと、誇りを持って答えた。それは、ぞうがぞうとして生かされていることがすばらしいと思っているからです。」というまどさん御自身のコメントがある。
藤田圭雄著 「日本童謡史T」(あかね書房 昭和五十九年七月五日 改訂版第一刷発行)より引用
なお、『現代童謡の鑑賞』の中で浜田広介この童謡について次のように論じている。
「この作の用語はきはめて少数で、ほとんど同一語の繰返しとも見られる。一聯二十三音があはせて六十九音、これを今、日本語の母音にあてはめてみると、
アアイ オイ オオイ
アエ アエ アアイ
アアイ イ オ アエア
イオイ オイ オオイ
アエ アエ イオイ
イオイ イ オ アエア
アオイ オイ オオイ
アエ アエ イオイ
イオイ イ オ アエア
音だけにしてみると、勿論意味が消滅する。けれども、それによって、耳にまで、音楽的なひびきが一層明瞭である。こころみに、六十九音を更に分析してみれば、母音アに属するものが二十一で全数のほぼ三分の一となり、イに属するものもまた二十一、ウにあるものは一つもなく、エにあるものは九、あとの十八音はオに属する。すなはち、ア、イの両音だけで全数の六割以上を占めてゐる。別言すれば、この作はア、イの音がゆたかに基調をなしてゐるのである。」
引用者註:第三聯は誤りで、正しくは次のとおりである。
アオイ オイ オオイ
アエ アエ アオイ
アオイ イ オ アエア
「赤い鳥小鳥」と「現成公案」について
「現代日本文学U−3 北原白秋・斎藤茂吉・釈 迢空 集」(学研)のP143より引用。
赤い鳥小鳥の歌詞が載っている。そして二行目の「なぜなぜ赤い。」に「※」がついている。P427に北原隆太郎(白秋の長男)の注解があって、次のように書いてある。
「なぜなぜ赤い これを現成公案という。実を食えばわかる。」
引用者註:「正法眼蔵(しょうぼうげんぞう)」は、日本曹洞(そうとう)宗の初祖、道元(一二〇〇〜一二五三)の主著。現成公案(げんじょうこうあん)は七十五巻本の冒頭に置かれる一巻である。現成公案:現実に完成している公案。真理は常にすべての存在の上に、ありのままにはっきりとあらわれているということ。
公案:禅宗で、修行者が悟りを開くため、研究課題として与えられる問題。優れた修行者の言葉や事績から取られており、日常的思考を超えた世界に修行者を導くもの。
現成公案より引用 「たき木、はひとなる、さらにかへりてたき木となるべきにあらず。しかあるを、灰はのち、薪(たきぎ)はさきと見取(けんしゅ)すべからず。しるべし、薪は薪の法位(ほうい)に住(じゅう)して、さきありのちあり。前後ありといへども、前後際断(ぜんごさいだん)せり。灰は灰の法位にありて、のちありさきあり。かのたき木、はひとなりぬるのち、さらに薪とならざるがごとく、人のしぬるのち、さらに生(しょう)とならず。しかあるを、生の死になるといはざるは、仏法のさだまれるならひなり。このゆゑに不生(ふしょう)といふ。死の生にならざる、法輪(ほうりん)のさだまれる仏転(ぶってん)なり。このゆゑに不滅(ふめつ)といふ。生も一時(いちじ)のくらゐなり、死も一時のくらゐなり。たとへば、冬と春のごとし。冬の春となるとおもはず、春の夏となるといはぬなり。」
ひろさちや「すらすら読める正法眼蔵」(講談社)より引用 「存在のあり方
薪は燃えて灰となるが、もう一度元に戻って薪になるわけがない。だが、そうではあっても、灰は後、薪は先と見てはいけない。知るべきである、薪は薪としてのあり方において、先があり後がある。前後があるといっても、その前後は断ち切れていて、あるのは現在ばかりである。灰は灰のあり方において、後があり先がある。薪が灰となった後、再び薪とならないように、人は死んだ後、再び生にならない。したがって、生が死となると言わないのが、仏法の定まった言い方である。そのゆえに不生という。死が生にならないのが仏の定められた説き方である。そのゆえに不滅という。生は一時のあり方であり、死も一時のあり方である。たとえば、冬と春のようなもの。冬が春になるとは誰も思わないし、春が夏になると誰も言わない。」
中野孝次「道元断章」(岩波書店)より引用
・「薪が燃えて灰となる、その灰が元に戻って薪となることはない。これは常識でわかる当り前のことで、そんなことをなぜ道元がわざわざことわるのか、と疑っていると、ーしかあるを、灰はのち、薪はさきと見取すべからず。という通棒がわたしに襲いかかった。」
・ 「これは物事をたんに原因と結果の関係で見てはならぬ、常識も、いままで得た知識も、すべてを捨てよ、まっさらの無垢の心になれ、そうすればお前にも真実が見えてこよう、と言われていることに気づく。では、真実とは何か。」
・ 「知るがいい。薪は薪としての本来あるべき姿においてある。灰は灰としての本来あるべき姿においてある。そこに先もあり後もある。前後があるといっても、その前後の際は断ち切れている。前(薪のとき)は薪があるだけ、後(灰のとき)は灰があるだけ、その前後関係は際断されているのだ。そこに、どれが過去、どれが現在、どれが未来という関係はないのである。」
・「薪と灰の原因・結果関係は完全に否定されているのみならず、時間の経過も否定され、前後という相対関係も否定されている。そういう既成観念のすべてを越えたところに、薪があり、灰があるのだ。」
・「あの薪が灰となったあと薪になることが決してないのと同じく、人が死んだのち生になることは決してない。そうであるからして、生が死になる、とも言わない。これが仏法の説くところである。だからそれを不生という。死が生にならぬのも、仏法の一貫して説くところであって、ゆえに不滅という。生は生でそのあるべきまったき姿にあり、死は死でそのあるべきまったき姿にあって、ともに完結している。生も一時の位である。死も一時の位である。たとえていえば冬があり、春があるようなものだ。冬が春になると思うべきでなく、春が夏になるとも言わぬのである。」
・「生があり、死がある。それは冬があり春があるのと同じ当たり前のことで、別にどうということではない。ただそのものとして受け取るがいい、と言っているのである。」・「わたしの時間観念、因果観念、生死観念を根底からくつがえし、ぶっ壊してしまうような、おそろしいことを言っているのであった。」
赤い鳥がいて、赤い実を食べている。 そこから、もしかしたら赤い鳥になる前の鳥がいて、その鳥が赤い実を食べたから赤い鳥になったと考えてみる。
ー赤い鳥になる前の鳥(元の鳥)が赤い実を食べて赤い鳥になったとして、赤い鳥は赤い鳥になる前の鳥(元の鳥)になることは決してないであろう。だが、そうではあっても、赤い鳥は後(あと)、元の鳥は先であると理解してはならない。今この現在において赤い鳥は赤い鳥以外の何ものでもない。元の鳥の後(あと)の姿なのではない。今この現在赤い鳥が赤い実を食べているだけで、元の鳥はいない。ー
北原東代著「立ちあがる白秋」(燈影者)P89より引用 『大正期は、白秋が仏教に最も強い関心を抱き、仏典に親しみ、実際に三度も仏教寺院に仮寓し、仏教から深い影響を受けた時期で、とりわけ「観音経」を座右の書としていた。』との記述がある。
引用者註:観音経は大乗仏教の経典の一つ。法華経(妙法蓮華経)第8巻25品(ほん)の観世音菩薩普門品の通称。衆生(しゅじょう)救済のため種々の身を現ずる観音の霊験を説く。
編著 赤い鳥事典編集委員会 「赤い鳥事典」(柏書房 2018.8.10発行)より引用
この童謡は北海道帯広付近の子守唄によったものである。白秋が「此の内に虚実の連関、無変の変、因果律、進化と遺伝等、而も万物流転の方(ママ)則、その種々相を通ずる厳としてまた渝る無き大自然界の摂理、―かうした此の宇宙唯一の真理が真理として含まれて居らぬであらうか」(「童謡私鈔」『詩と音楽』1923.1)と言うように、この童謡は<薔薇ノ木ニ・・・・・>で開眼された「原始的単純」な詩境が童謡に展開された一例となっている。
引用者註:「童謡私鈔」を引用しているが、引用部分の直前の文章「童心より観ずる此の原始的単純をただの単純のみと目してほしくない。」を無視した説明になっている。
川本三郎「白秋望景」新書館(2012年2月10日)では、「赤い鳥小鳥」について次のように述べている。
『繰返しの面白さに加え、この歌には単純とは片づけられないかげりが感じられる。ただ鳥がいるのではない。赤い鳥、白い鳥、青い鳥とそれぞれに違った鳥がいて、それぞれが違った色の実を食べた。その後、鳥がどうなるのか。「なぜなぜ」は、鳥が禁断の実を食べたことをあらわしている。本当は食べてはいけない実を食べたのではないか。だから食べたあとに、なにか異変が起こるのではないか。この歌には、そんな怖さがある。「なぜなぜ」のリフレインは、言葉のうしろに子供が知ってはいけない秘密が隠されていることをあらわしているのではないか。』と述べ、さらに「この歌は、北海道の帯広地方に伝わるわらべ歌を基にしている」として上記の「赤い山、い山、白い山」とほぼ同様の詩を紹介した後、次のように述べている。[子供がようやく寝ついた。そのあと母親(あるいは子守か)は何をするのか。アズキもちやトチもちを持ってどこへ行くのか。この歌にも、眠ってしまった子供にはうかがい知れない秘密が感じられないだろうか。この歌から想を得て白秋は「赤い鳥小鳥」を作ったのだが、それについて白秋は『日本童謡ものがたり』という子供に向けて書いた本のなかでこういっている。先に興味深いことと書いたのはこのことである。「わたしの童謡は、また、おなじようで、これとはちがった、ふかいいみをもたせてありますが、そうおとなのようにかんがえないでも、赤い実をたべたから赤い鳥になったのだとおもってくださればいいのです」。白秋は「ふかいいみ」について何も語っていないが、性的寓意が込められていることは容易に考えられる。]
引用者註:引用者註:歌詞の「寝た間に何しょいの」および白秋の記述「深い意味を持たせてありますが、そう大人のように考えないでも」とから性的寓意なるものを想像したのであろうが、全くの的外れな見解であろう。
同じ白秋の著作なのに
たくさんある「赤い鳥小鳥」の表記に仕方
(1)雑誌「赤い鳥 大正七年十月号」(第一巻第四号):初出誌 「い鳥、小鳥、」とすべきところ、「い鳥、小鳥。」となっていることに注意。
赤い鳥小鳥
赤い鳥、小鳥、
なぜ〈赤い。
赤い實をたべた。
白い鳥、小鳥、
なぜ〈白い。
白い實をたべた。
い鳥、小鳥。
なぜ〈い。
い實をたべた。
(2)白秋の最初の童謡集 『とんぼの眼玉』(大正8年10月15日) 「なぜ〈」のようにくり返し記号を使わずに「なぜなぜ」となっていることに注意。第二・第三連の一行目の行が句点(。)になっていることに注意。
「白秋全集25 童謡集1」(一九八七年一月八日 岩波書店)の「とんぼの眼玉」より引用
赤い鳥小鳥
赤い鳥、小鳥、
なぜなぜ赤い。
赤い実をたべた。
白い鳥、小鳥、
なぜなぜ白い。
白い実をたべた。
青い鳥、小鳥、
なぜなぜ青い。
青い実をたべた。
引用者註:「白秋全集25 童謡集1」(一九八七年一月八日 岩波書店)の「とんぼの眼玉」の第二と第三連の一行目の行末は、(2)の最初の童謡集 『とんぼの眼玉』のように句点(。)ではなく読点(、)に訂正されていることに注意。
引用者註:今野真二「北原白秋 言葉の魔術師」(岩波書店・2017年)には第一連が『とんぼの眼玉』からの引用として掲載されているが、二行目の行末が「、」になっている。
引用者註:藤田圭雄編「白秋愛唱歌集」(岩波書店・1995年)には、第一連は上記の通りであるが、第二連と第三連の二行目の行末が「。」ではなく、次の(3)で示すような「、」になっている。「あとがき」には〔『白秋全集』(一九八四―八八年 岩波書店刊)を底本とした〕とあるが・・。
(3)童謡私鈔 [大正12年1月1日「詩と音楽」2巻1号]:「白秋全集35 小篇1」より
題名が「赤い鳥、小鳥」となっていることに注意。二行目行末が「、」になっていることに注意。
赤い鳥、小鳥
赤い鳥、小鳥、
なぜ なぜ 赤い、
赤い実をたべた。
(4)アルス刊行「日本児童文庫」(全七十巻)の「24」 『日本新童謡集』(昭和二年八月三日)
片仮名であることに注意。同じように片仮名で書かれている下記に示す(7)とは「、」「。」が違うことに注意。一連のみ書き写す。
アカイ トリ、 コトリ
アカイ トリ、 コトリ。
ナゼ ナゼ アカイ。
アカイ ミ ヲ タベタ。
(5)「日本童謡物語」(アルス 昭和五年十一月廿二日発行)(非売品)の「赤い山、い山、白い山」より
私も「赤い鳥、小鳥」の童謡をいつか作りましたが、あれはこの謡(うた)が本(もと)になってをります。
引用者註:以下に一連のみ書き写すが、すべて「。」になっていることに注意。
赤い鳥。小鳥。
なぜなぜ赤い。
赤い實をたべた。
引用者註:国立国会図書館デジタルコレクションより引用
(6)「白秋童謡讀本 尋六ノ巻」(釆文閣 昭和六年十一月五日)の「序」(国立国会図書館デジタルコレクションより)
題名がないことに注意。各連とも二行になっていることに注意。
赤い鳥、小鳥、なぜ なぜ 赤い。
赤い實をたべた。
引用者註:「白秋童謡讀本 尋六ノ巻」(釆文閣 昭和六年十一月五日)の「序」において、白秋は「此の赤い鳥小鳥の羽ばたきから、わたくしの新しい童謡の空が展けて來ました。あれからもう十數年は経ちました。」と述べている。
(7)「白秋童謡讀本 尋ノ一」(采文閣 昭和六年十一月五日)の本文
片仮名で書かれていることに注意。以下に一連のみ書き写す。
アカイ トリ コトリ
アカイ トリ、 コトリ、
ナゼ ナゼ アカイ。
アカイ ミ ヲ タベタ。
引用者註:白秋の注釈には「キロイ トリ、コトリ、・・」及び「クロイ トリ、コトリ、・・」の歌詞が書いてある。
大庭照子著『「小さな木の実」とともにー伝えたい童謡のこころー』(家の光協会)の「6 伝えたい思い出の童謡 七月」より引用
七月 赤い鳥小鳥
あかいとり ことり
なぜなぜ あかい
あかいみを たべた
七月一日は童謡の日です。大正七年七月一日に子どもたちのための芸術誌『赤い鳥』が創刊され、それを記念して、昭和五十九年、日本童謡協会が、この日を童謡の日と制定しました。
当時、日本童謡協会の会長は作曲家の故中田喜直先生でした。先生は、フェリス女学院短大音楽科時代の恩師であり、そのご縁で、日本童謡協会のために、私はさまざまな童謡コンサートを提案・開催し、第一回の「童謡の日コンサート」も制作しました。
その折々に、「童謡の日」が制定された経緯を詳しくお聞きしました。(途中省略)『赤い鳥小鳥』は、児童文学者であり日本童謡協会の副会長だった故藤田圭雄先生が、とても大事にされていた童謡で、「童謡の日コンサート」では必ず歌うようにと言われたことを懐かしく思い出します。
「北原白秋の短く単純で素朴な詩に、成田為三が見事に作曲し、当時の子どもたちの心をとらえた童謡だ」と、藤田先生はよくおっしゃっていました。(後省略)
「白秋全集28 童謡集4」(岩波書店)より引用
童謡拾遺
赤い鳥、小鳥
赤い鳥、小鳥、
いつまで鳴くぞ。
えんじゅの枝に
火はまだあかい。
赤い鳥、小鳥、
何見て出てる。
お馬で駆けた
をじさま見える。
赤い鳥、小鳥、
何処行たお馬。
月夜の雲に
とっとっとっと消えた。
(昭和11年10月1日「赤い鳥」12巻3号)
「白秋全集28 童謡集4」(岩波書店)後記より引用 (上記の童謡について) 雑誌「赤い鳥」の「鈴木三重吉追悼号」に詩「貴き騎士」とともに掲げられた追悼童謡である。