雑誌「赤い鳥」こぼれ話/白秋の童謡論


     

雑誌「赤い鳥」こぼれ話

「赤い鳥」第一號(大正七年七月一日発行)より

引用者註:「七月号」と記載されていない。


・白秋の作品「赤い鳥小鳥」(大正七年十月号)の基歌となった北海道河西地方の「ねんねの寝た間に」が各地童謡(北原白秋選)に早くも掲載されている。
    ねんねの寝た間に


     ねんねの寝た間に何しょいの


     あづき餅の、橡餅や。


    赤い山へ持って行けば、


     赤い鳥がつゝく。


  青い山へ持って行けば、


     青い鳥がつゝく。


  白い山へ持って行けば、


     白い鳥がつゝく。


・芥川龍之介 蜘蛛の糸(童話)


「赤い鳥 八月号」第一巻第二號(大正七年八月一日発行)より
・「通信」欄より
 その1:裏表紙の黒刷はひどく気持ちが悪いです。(北海道 中澤文平)
 
引用者註:「赤い鳥」第一号の裏表紙には黒い背景の中に白い文字の広告がある。この投稿を受けて第二号以降は普通の黒い文字のみの広告になっている。

その2:童謡に譜をお附けになっては如何です。(京都 静生)

引用者註:第二号にして早くも曲を付けることを提案している。


「赤い鳥 十月号」第一巻第四號(大正七年十月一日発行)より
・白秋「赤い鳥小鳥」が発表されているが、中身は二つの作品がある。前者は「鳥の巣」という題で、後者が有名な「赤い鳥小鳥」である。
  赤い鳥小鳥     北原白秋




    鳥の巣




    あれ、あれ、なあに。


    ありゃ、鳥の巣(すう)よ。


    あの巣をとろうか。


    あの木は高い。


    あの山のぼろ。


    あの山寒い。


    なぜ〈 寒い。


    夕焼が寒い。


    まだ空赤いに。


    それでも、風(かあぜ)はさあむいよ。



    赤い鳥小鳥




    赤い鳥、小鳥、


    なぜ〈 赤い。


    赤い實をたべた。




    白い鳥、小鳥、


    なぜ〈 白い。


    白い實をたべた。




    い鳥、小鳥


    なぜ〈 い。


    い實をたべた。



引用者註:「い鳥、小鳥」とすべきところ、「い鳥、小鳥」となっている。



「赤い鳥 十一月号」第一巻第五號(大正七年十一月一日発行)より
・「かなりあ」 西條八十―発表


「赤い鳥 十二月号」第一巻第六號(大正七年十二月一日発行)より
・「通信」欄より
或子供に聞いたら、白秋氏のあの童謡をサッパリ面白くないと言ってゐた。分からないのだらう。そんなら何が面白いと聞いたら、三重吉氏のお伽噺だと言ってゐた。(以下略)(東京市京橋、藤間幸四)

引用者註:十一月号までに発表された白秋の作品。

   ・七月号:りす〈小栗鼠、雉子ぐるま
   ・八月号:とほせんぼ、子守うた
   ・九月号:まる木橋、雨
   ・十月号:お祭、赤い鳥小鳥
   ・十一月号:夕焼とんぼ


「赤い鳥 一月号」第二巻第一號(大正八年一月一日発行)より
・「通信」欄より
 「赤い鳥」の童謡はいづれも立派な嬉しい作である。併しそれを歌はうとすると、大人の僕逹でも諳記するのにちょっと困難を感ずる いふまでもなく童謡は是非聲を上げて歌はれねばならぬ性質のものである。その眞の生命は、子供の聲の律動によって始めて活躍するのである。たゞ單に讀んで濟ますだけのものではない。(途中省略)私は今少し「赤い鳥」の童謡を平易簡單にして欲しいと思ふ。(以下省略)(兵庫懸 山田彦一郎)


「赤い鳥 特別号」第二巻第二號(大正八年一月十五日発行)より
・「通信」欄より
 「赤い鳥」の童謡は、選者白秋氏のも入選のものも、あれで實際唄って面白く感じるかと?に疑問に思ってゐます。例えば、一月號の「風ひき雀」や「おやすみ」にしても、大人が目で見る詩としては或は立派な藝術的作品かも知れませんが、あれに節をつけて唄って御覽なさい。恐く多数の子供はむづかしい顔をするでせう。(以下省略)(東京 小島生)


「赤い鳥 四月号」第二巻第四號(大正八年四月一日発行)より
・「通信」欄より
特別號本欄の「赤い鳥」童謡に對する小島生氏の投書を讀んで、非常に悲しく思ひました。白秋先生のお作や、入選童謡を、實際に謡って興味があるかどうか疑問だと言う御意見には全然不服です。(以下省略)
・「赤い鳥」童謡の曲譜募集
 〇選者諸氏の氏名は五月號で發表いたします。
 〇作譜する童謡は「赤い鳥」に出た諸名家の作と推奨された童謡とに限ります。
 〇一作毎に本譜と略譜と兩方をお送り下さい。
 〇當選した曲譜は別紙に刷って、專門作曲家の所作と共に「赤い鳥」の巻頭に掲げ、廣く社會に推薦します。
 〇毎月一日締切。誌上の變名は御随意。

       赤い鳥社


「赤い鳥 五月号」第二巻第五號(大正八年五月一日発行)より
・(「赤い鳥」曲譜(集)その1)西條八十作歌・成田爲三作曲 かなりや


「赤い鳥 六月号」第二巻第六號(大正八年六月一日発行)より
・(「赤い鳥」曲譜(集)その2)童謡 北原白秋・作曲 成田爲三 雨
・(入選曲譜その一) 北原白秋・作曲 石川養拙 あわて床屋

引用者註:「あわて床屋」の最初の作曲者は山田耕筰ではなかった。

・かなりや(五月號正誤) 西條八十 
  第二連 それはなりませぬ→それもなりませぬ
  第三連 それはなりませぬ→それはかはいさう 

「赤い鳥 七月号」第三巻第一號(大正八年七月一日発行)より
・赤い鳥一周年記念音樂會 期日 六月十四日(土)午後七時開場、會場 ~田美土代町 年會館 會費 壱圓 貳圓 参圓

「赤い鳥 八月号」第三巻第二號(大正八年八月一日発行)より
・通信
 「赤い鳥」第一回音楽會→プログラムのうち「赤い鳥」関係の作品は次の通り。
           合唱:かなりや(西條八十氏)・・・成田爲三氏
                あわて床屋(北原白秋氏)・・・石川養拙氏
                夏の鶯(三木露風(ママ)・・・成田爲三氏
  〇三つの中では「かなりや」が、一番面白うございました。(以下省略)(久米正雄)
  〇「かなりや」に就いての感想を申上げれば、あの無邪気な少女たちが、眼を輝かし、懸命になって、自分の作を歌ってくれたことが、ただもう無條件に嬉しくて、忘れがたい感銘を殘しました。(以下省略)(西條八十)・少女達の合唱はよくそろってをりました。(途中省略)「夏の鶯」は一とう難しい曲でした。(以下省略)(三木露風)

「赤い鳥 九月号」第三巻第三號(大正八年九月一日発行)より
通信
いゝ伴奏だけを弾いていたゞいて、それを聞きながら歌詞をぢっと見てゐて下すったら、私の童謡の感じがほんたうに出はしないか、と、ふと私の空想で、そんなことをおもひました。(西條八十)

「赤い鳥 十月号」第三巻第四號(大正八年十月一日発行)より
・緊急社告
本月號から製版、印刷、製本をはじめ、その他すべての工賃が四割乃至五割も値上げになりましたので、「赤い鳥」もとうとう止むを得ず、本月から定價を貳拾錢に引上げなければならなくなりました。

引用者註:それまでは拾八錢

「赤い鳥 四月号」第十二巻第四號(大正十三年四月一日発行)より
目次
てんと蟲(推薦曲譜)・・・(ニ)・・・上山正祐

てんと蟲(推奨)
作謡 北原白秋
作曲 上山正祐
伴奏 草川 信

鏡のふち見りゃ
てんと蟲、
ちらちら嫁入り
かはいいな。

嫁さんどれでしょ
てんと蟲、
ちらちら行列
赤上衣

鏡の中でも
てんと蟲、
ちらちら嫁入り
かはいいな。

曲譜選評 草川 信
・・上山正祐の「てんと虫(ママ)」「ちいさなお小舎」は作者の個性が發揮されたいゝ作です。殊に前者は優れたもので全く無邪気です。後者とてもさう引けをとつた作ではありません。・・以上の佳作中から、上山正祐君の「てんと虫」を推奨とします。

引用者註:松本侑子「みすゞと雅輔」新潮社にも引用されている。上山正祐(うえやままさすけ)は本名。上山雅輔(かみやまがすけ)は筆名。金子みすゞの実弟。「赤い鳥 四月号」第十二巻第四号(大正十三年四月一日発行)二〜三ページに楽譜が掲載されている。

「赤い鳥 十月号」第十三巻第四號(大正十三年十月一日発行)より
馬鈴薯の花
(入選童謡と詩) 北原白秋選
田舎(詩)(佳作) 下關市(以下不明) 金子みすゞ
引用者註:松本侑子「みすゞと雅輔」新潮社によれば金子みすゞの主な投稿先は西條八十が選者の「童話」で、「赤い鳥」には本作品を含めて三作品のみである。

「赤い鳥 一月号」第十四巻第四號(大正十四年一月一日発行)より
水かへ鳥
(詩と童謡) 北原白秋選
入船出船 下關市西ノ端町商品館内 金子みすゞ

「赤い鳥 二月号」第十四巻第二號(大正十四年二月一日発行)より
仔牛(べえこ) 下關市西ノ端町商品館内 金子みすゞ

「赤い鳥 七月号」第十五巻第一號  七周年記念(大正十四年七月一日発行)より
通信
童謡と自由詩に就て 北原白秋
(前省略)嘗ての私の「てふてふ」について、事實でないやうだと手紙を寄せて下さった向きもありましたがあれは信州の淺間山の裾野の追分の原で、私と妻とが黙堵したもので・・(途中省略)あれは寫生です 何ごとも實相に徹した上での詩でなければなりません。これは私の信條で、眞の象徴は觀念的比喩や空想からは生ずるものではない筈であります。

「赤い鳥 一月号」第三巻第一號(昭和七年一月一日発行)より

・新美南吉 ごん狐(童話) 


新潮文庫「赤  坪田譲治編(昭和三十年)より
童謡編T
北原白秋編
雨・お祭・赤い鳥小鳥・あわて床屋・ちんちん千鳥・りんりん林檎の・吹雪の晩・からたちの花・アイヌの子・お月夜・足踏み・薔薇・落ちたつばき・この道・草に寝て・露・海の向う・春の海・牡丹・春の田

西条八十編
薔薇・かなりや・鉛筆の心・お菓子の家・山の母・玩具の舟・烏の手紙・蟻・お山の大将・かくれんぼ

北原白秋の「赤い鳥」の童謡作品総数について(財団法人 日本近代文学館『「赤い鳥」復刻版 解説・執筆者索引』より)
財団法人 日本近代文学館『「赤い鳥」復刻版 解説・執筆者索引』に掲載された『「赤い鳥」執筆者索引』の北原白秋執筆によるものを数えると331篇、『「赤い鳥曲譜集」作詞者』の北原白秋のものを数えると155篇で併せて486篇であるが、これを補正して「赤い鳥」に掲載された白秋の童謡作品数を求めると368篇になる。
@『「赤い鳥」執筆者索引』の北原白秋執筆によるもの331篇のうち、最終刊の昭和11年10月号(U 第12巻第3号)の「貴き騎士」は、「白秋全集 別巻」(岩波書店)によれば「童謡」ではなく「詩」に分類されており、また、「赤い鳥の詩運動」は「文章」に分類されている。これらを考慮すると「赤い鳥」の北原白秋執筆の童謡詩の作品数は329篇となる。
A「赤い鳥曲譜」の作品として「赤い鳥小鳥」と「雪のふる夜」の2作品が大正9年4月号(第4巻第4号)の欄に、同じく「赤い鳥曲譜」の作品として「月夜の家」が大正9年5月号(第4巻第5号)の欄に誤記入されていて童謡詩と重複している(実際にその年月号に曲譜が発表されているが作品数として重複している)。これらを考慮すると「赤い鳥」の北原白秋執筆の童謡詩の作品数は326篇となる。
B大正7年8月号の「子守うた」は実際には「山のあなたを」と「ねんねのお鳩」の2作品から成っている。また、大正9年1月号の「緑のお家」も「胡桃」と「柱時計」の2作品から成っている。ただし、このうち「山のあなたを」については「赤い鳥曲譜」の作品として大正8年8月号に、たまたま誤って記入されて数えられている(実際にその年月号に曲譜が発表されている)。すなわち本来は4作品と数えられるべきものが3作品と数えられている。これらを考慮すると「赤い鳥」の北原白秋執筆の童謡詩の作品数は327篇となる。
C「赤い鳥」を創刊した最初のころ白秋は一度に多くの作品を発表していたが、財団法人 日本近代文学館『「赤い鳥」復刻版 解説・執筆者索引』の『「赤い鳥」執筆者索引』の白秋の欄にはそのうちのいくつかが掲載されていない。「白秋全集 別巻」(岩波書店)により調べると「鳥の巣」(大正7年10月号)、「盗人」(大正8年3月号)、「鳰の浮巣」(大正8年6月)、「大寒小寒」(大正8年12月)、「切られたお舌」「小さなお嬢つちゃん」(大正9年2月号)、「月の中の人」(大正9年3月号)、「コケコッコ踊」「てんたう虫」「月の夜」「一つの樽に」「気ちがひ家族」(大正9年4月号)、「足」(大正9年5月号)の13篇である。これを上記の327篇に加えると340篇になる。
D同じく財団法人 日本近代文学館『「赤い鳥」復刻版 解説・執筆者索引』に掲載された『「赤い鳥曲譜集」作詞者』の北原白秋のものを数えると155篇である。このうち曲譜が掲載される前に「赤い鳥」に「童謡詩」として発表されていて重複するものを除くと28篇になる(昭和7年2月号に掲載された「おひ」という曲譜作品が、昭和6年3月号に掲載された童謡詩「おひる」と同じと推定して数えた。また、「てんたう虫」と「てんと虫」、「昨夜のお客」と「昨夜のお客さま」、「うさうさ兎の子」と「うさうさ兎」、「離れ小島の」と「離れ小島」、「げんげの畑に」と「げんげの畑」、「ツクシ」と「つくし」がそれぞれ同じ作品として数えた)。すなわち「赤い鳥」に曲譜としてのみ掲載されている作品の数は28篇ということである。したがって先の340篇にこの28篇を加えると368篇となり、これが「赤い鳥」に掲載された白秋の童謡作品の総数となる。
(参考)「赤い鳥曲譜集」作詞者』の北原白秋のもの155篇のうち曲譜が掲載される前に「赤い鳥」に「童謡詩」として発表されていないで曲譜としてのみ発表された28篇。
1揺籠のうた 大正11年10月号(第9巻第4号)
2陽炎 大正11年12月号(第9巻第6号)
3夢買ひ 大正12年1月号(第10巻第1号)
4雉子射ち爺さん 大正12年2月号(第10巻第2号)
5かぐや姫 大正12年3月号(第10巻第3号)
6五十音 大正12年5月号(第10巻第5号)
7月夜のお囃子 大正12年6月号(第10巻第6号)
8おうた 大正12年7月号(第11巻第1号)
9かちかち山の夕焼 大正13年6月号(第12巻第6号)
10雨のあと 大正13年8月号(第13巻第2号)
11虹と仔馬 大正13年10月号(第13巻第4号)
12落穂ひろひ 大正13年11月号(第13巻第5号)
13栗と子栗鼠  大正13年12月号(第13巻第6号)
14ねんねのお国 大正14年1月号(第14巻第1号)
15むかし噺 大正14年5月号(第14巻第5号)
16蝶々と仔牛 大正14年6月号(第14巻第6号)
17川上 大正14年12月号(第15巻第6号)
18すずらん 大正15年1月号(第16巻第1号)
19夕凪朝凪 大正15年6月号(第16巻第6号)
20ぽつぽつのお家 昭和3年2月(第20巻第2号)
21多蘭泊 昭和3年9月(第21巻第3号)
22葡萄の蔓 昭和3年10月(第21巻第4号)
23お馬乗り 昭和6年4月(U 第1巻第4号)
24ウエドロ 昭和6年5月(U 第1巻第5号)
25ニヤニシュカ 昭和6年6月(U 第1巻第6号)
26カロウワ 昭和6年7月(U 第2巻第1号)
27ロートカ 昭和6年8月(U 第2巻第2号)
28ジューヲチカ 昭和6年9月(U 第2巻第3号)



白秋の童謡論

「白秋全集20 詩文評論6」(岩波書店)より

『緑の触角』 童謡本論「童謡私観」より抜粋 

私の童謡は幼年時代の私自身の体験から得たものが多い。あゝ郷愁! 郷愁こそは人間本来の最も真純なる霊の愛着である。此の生れた風土山川を慕う心は、進んで寂光常楽の彼岸を慕う信と行に自分を高め、生みの母を恋ふる涙はまた、遂に神への憧憬となる此の郷愁の素因は未生以前にある。

この郷愁こそ依然として続き、更に高い意味のものとなって常住私の救ひとなってゐる。


関連資料:中野敏男『詩歌と戦争 白秋と民衆、総力戦への「道」』(NHK出版)より

●P22〜23:「郷愁」という心情;遠い故郷や過ぎ去った日々を思う心情。

●P55:明らかにここには、大人の心に生まれる郷愁という感情がそもそも童心に原初的に抱かれる母への思慕を源泉として持っていて、であればこそそれは人間の本然的な感情の表出なのだという理解が示されている。

●P109:童謡において白秋は、童心に人間の「本然的」な感情を見出し、それを「ありのまま」に表現することを求めました。それと並行して郷愁も、単に故郷を離れた者のみに特有な望郷の想いとしてでなく、むしろ童心に原初的に抱かれる生みの母への思慕から生まれる本質的な心情として理解し、それを表現しようとしています。


『大正14年七月 抒情小曲集「思い出」増訂新版』のあとがきである

『「思ひ出」のおもひで』より引用。

この「思ひ出」こそは今日の私の童謡の本源を成したものだといひ得る。尤もそれ以前に昔噺などを題材とした幼稚な小説を書いたことはあるが、兎に角取りまとめとして主として童謡味の勝った抒情の小曲を一冊として公にしたのはこの集を初めとするのである。この中に収めた詩の多くが稚語派の小曲であって、必ずしも童謡としての童語の歌謡体ではないが、その幼児を追憶したものには、その歌調さへ翻せばそのまゝに童謡となるべき題材である。こゝにさうした私の本質が潜んで満ちてゐるやうな気がするのである。


『白秋全集38』(岩波書店)P225−[『白秋全集』第二巻]後記(昭和四年十一月)より

  思ひ出
・・・その内容の主体とするところは、一種の郷土文学としての色彩と、幼少年期に亘る追憶の景と情との交響である。而してその追憶詩のあるものは今日のわたくしの童謡の本源を成すものだとも言えよう。
で、此の『思ひ出』は官能感覚開放運動の先声といふ点よりみても、わたくしにはなほさら意義深い詩集であった。・・・


『「白秋全集38」P202−[『白秋童謡集』]第壱巻解説』ー大正十三年六月記ーより

・・・一、童謡風は私の詩の苗芽であった。明治三十八年、私の二十歳の頃かと思ふ。私は時をり日本の昔噺を題材とした短いものを雑誌「文庫」に投じたことがあった。その後純粋童謡と思はるるものを作したのは「思ひ出」の中の「曼殊沙華」とか、「東京景物詩」の中の「南京さん」「屋根の風見」等であらう。
之等は「とんぼの眼玉」の中に特に挿んだ。
  一、かの抒情小曲集「思ひ出」は全体としては童謡曲集ではない。然し、幼年少年二期の生活を追憶した詩として、童謡以外のわたくしの新風として提供せられつつある童詩(とも云ふべくば)の母体を成したものと云っていい。故に童心童語の歌謡若くば詩の作者として、私は本来の稟質を或は享けて生れたのではないかとも思って見ることがある。この一面は私の他の詩歌にも流通してゐる。・・・(「白秋童謡集」第一巻 大正13年7月10日刊)
<思ひ出>より




曼珠沙華




GONSHAN. GONSHAN. 何處へゆく、


赤い、御墓の曼珠沙華、


曼珠沙華、


けふも手折りに來たわいな。




GONSHAN. GONSHAN. 何本か、


地には七本、血のやうに、


血のやうに、


ちやうど、あの兒の年の數。




GONSHAN. GONSHAN. 氣をつけな、


ひとつ摘んでも、日は眞晝、


日は眞晝、


ひとつあとからまたひらく。




GONSHAN. GONSHAN. 何故泣くろ、


何時まで取つても曼珠沙華、


曼珠沙華、


恐や、赤しや、まだ七つ。


<東京景物詩及其他>より




南京さん




李さん、鄭さん、支那服さん、


あなたの眼鏡はなぜ光る、


涙がにじんで日に光る。


鳥屋の硝子も日に光る。


目白、カナリヤ、四十雀、


鶉に文鳥に黒鶫、


鳥もいろいろあるなかに


おかめ鸚哥はおどけもの


焦れて頓狂に啼きさけぶ。


さてもいとしや、しをらしや、


けふも入日があかあかと


わかい南京さんは涙顔。


<とんぼの眼玉>より




屋根の風見




子を奪ろ、子奪ろ、


「鴻の巣」の窓に、


硝子が光る。


露西亜のサモワル、紅茶の湯気に、


かつかと光る。


江戸橋、荒布目橋、


青い燈が点く・・・・向うの屋根に、


株の風見がくるくるまはる。


晴れか、曇か、霙か、雪か、


雲はあかるし、夕日は寒し、


七歳お店の長松さへも、


黒い前掛ちょいとしめて、


空を見上げちゃ真面目顔、


真面目顔。


  鴻の巣とは西洋料理屋の名です。

『白秋全集38』(岩波書店)P253の[『白秋全集』第九巻]後記より

・・・更にかの抒情小曲集『思ひ出』の新体は、主調としてわたくし自身の幼児の追憶にあった。それ等の詩は形式こそ殆ど文語で綴られてあったが、内容としてはその後の童語の歌謡若くは詩の母胎を成した。その中にもまた口語発想の童謡や、詩としての新童謡体の詩作があった。・・・(昭和四年十月)

「白秋全集20 詩文評論6」(岩波書店)より

『岩波講座日本文学 新興童謡と児童自由詩』一新興童謡に就いてT童謡復興迄


自身の童謡も亦如上の諸家のそれ等と相前後した。特に明治四十五年に上梓した抒情小曲集『思ひ出』こそは、今日の我が童謡の本源たるものであつた。この中に収めた詩の多くは雅語脈の小曲であつて、必ずしも童謡としての童謡の歌謡体ではないが、その幼時を追憶したものにはその歌調さへ口語に翻せば、その儘に童謡となるべき内容であつた。肉身の母以外の母を慕ひ、この世の外の薄明にさだからぬ追憶の所縁を持ち、未生以前、若しくは未知の世界に対する幼い思念、或は現当の夕暮に、かくれんぼの遊びに、囚れてはまたほのかな物の花を覗き見するごときものである。かうした内容に於ける童謡味のみでなく、私は確かにこの中に、私の前期童謡と為すべき「曼殊沙華」をも作してゐるのである。同じ年にまた「李さん鄭さん支那服さん」「屋根の風見」等を雑誌「朱欒」に載せた。之等は後に詩集『東京景物詩』に編入し、童謡集『とんぼの眼玉』に収めた。


「白秋全集 17 詩文評論3」(岩波書店)より
童謡について
大人の作る童謡については、誰しもが童心を以て、または強ひても子供に還つて歌ふべきものと思つてゐるやうである。その為に却つてわざとらしい稚態と稚語とを演じ過ぎてゐるのが、現今の童謡作家の通弊ではあるまいか。
わたくしはこの頃つくづく思つてゐる。わたくし自身が童謡を作るについても、別に今更児童の心に立ち還る必要も無いのだと、詩を作り歌を成すと同じ心で、同じ態度であつてよいのだと。(後省略)
一九二四(大正十三)年五月一日「日光」1巻2号に発表

関連資料:中野敏男『詩歌と戦争 白秋と民衆、総力戦への「道」』(NHK出版)より

●P53:子供の自由な感情や表現と言っても、それを子供には子供に独特な、すなわち大人とは違う子供固有の感じ方や表現があって、それが「童心」なのだというように考えると、例えば同時代の西條八十などが直ちにそれに異を唱えたように、そんな子供の感じ方をすでに大人になっている者がどうしてありのまま捉えて表現に映すことが出来るのかという方法上の疑問が起こってきます。

●P54:そこで白秋が行き着いているのは、子供の自由な感情や表現を童心として尊重するというのが、なにも子供にだけ独特な感情を特別に認めることではないという観点です。「子供こそ物の真の本質を抓むでゐる」といのは、実は子供だけに特別な認識があるというこではなく、そもそも人間には「本然」の感情が内在していて、子供はそれをつねにすでに率直なかたちでつかんでいるということなのだ。だから問題は、創作者の方がその人間の本質を正しくつかんでいるかどうかにある。


「白秋全集 38 小篇4」(岩波書店)より
[『日本童謡十講』]序
日本童謡の淵源は上古の「わざうた」に発して、かの時事の風刺批判或は予言的歌謡の流行より遂には童謡本来の童心童語の歌謡として生育して来た。時として成人の卑俗と猥雑とが之をかき乱したことは事実であるが、純粋な意味に於ける童謡の生育はおのづからにして風土と時代の感情から芽ばえて、輝かしく日本の児童を呼び生かした。
昭和四年の秋
         北原白秋
 [横山青娥『日本童謡十講』昭和4年10月15日刊]

「白秋全集 38 小篇4」(岩波書店)より
[『雪と驢馬』]序
        北原白秋
童謡とは何ぞ。童謡とは童心童語の歌謡である。此の本義を一つの詩の道としてのわたくしたちの新運動であらねばならなかつた。純粋に此の道に就き、詩としての最高精神に立つ者こそ恵まれてあれ。わたくしは常に努めて此の童謡の正風を守持し、開顕すべく意図してゐる。
昭和六年朧月
       砧村の寓居にて
[巽聖歌著『雪と驢馬』昭和6年12月18日刊]

「白秋全集 38 小篇4」(岩波書店)より
[『旗・峰・雲』]序
         北原白秋
童謡を成すに当つて、地方の伝承童謡の形式から出発することは正しい。わたくしの創業はさうであつた。日本古来の童謡を統一し、その大地を平準して、その上に礎石を固め、はじめて近代の詩としての童謡建築を構成しようとした。その本を忘れて猥りに新奇を趁ふべきではない。

「白秋全集 38 小篇4」(岩波書店)より
喇叭と枇杷に寄せて
         北原白秋
童謡も本質に於て詩であらねばならぬ。赤い鳥系統の童謡に就いて、既に世人はその実証を見たであらう。韻律美に伴ふ香気と気品とに於いてその高級に属する童謡は「詩」を多分に包蔵し、少くとも低俗の音盤性を忌避する。
 駿台 杏雲堂にて
[藤井樹郎著『喇叭と枇杷』昭和17年4月20日刊]