開祖語録

少林寺拳法の開祖 宗道臣師家は数々の名言を残しました。

その一部をご紹介します。
人、人、人、すべては人の質にある
開祖 宗道臣

 「一人のいい息子が生まれたということによって、家庭がころっと変わります。一人のぐれた前科者が出ると、その家庭がみんな迷惑する。こういうことは諸君の周辺にごろごろしてるでしょう。すぐれたもの一人が、いかに重要かということである。
 我々は、そのすぐれた人間にまず自らをおこうではないか、そして周辺にもいい影響を与えようではないか、こういう教えなのだ。」

 「この世の中のこと、すべて人間が行い、人間が支配し、管理し、計画しておる。人間の質の問題ですよ、これはね。よくなるのも、よくならんのも、要するに一人ひとり、そのポストに立っておる人の心の持ち方にある。」 【1966年8月 第一次指講より】 

半ばは自己の幸せを、半ばは他人の幸せを
半ばは自己の幸せを 半ばは他人の幸せを

 「自分を大事にしない人間があったらおかしいのであって、己がまず第一だ。しかし、己がすべてではない。相手がある。半分でも相手のことを考えてあげる。相手の、まして幸せを願うようになったら、戦争なんかいっぺんでなくなるっていうか、起きるはずない。」
 【1980年1月 鏡開き式より】

 「少林寺拳法が行そのものである最大の、そして決定的な理由は、行の文字が示す、人間同士が互いに立て合い、生かし合い、拝み合う姿の象徴であるところにある。人間が弱い者を背負い、弱者を背負う人と相対して、ともに励まし合いながら、ともに上達をはかり合うという、この努力の姿をあらわしたのが行である」
 「一刻も早く人を倒し、人を蹴落とすことに専念するのではなくて、だれもが自己の人生を自信を持って生きられ、他人と調和、協調、融和して生きる人を育てる手段としての修練に立ち戻らねばならない。」   【1980年3月 大学指講より】

真の強さについて

 「人生は勝たなきゃいけない。それはチャンバラで勝つことじゃない。私もずいぶんケンカの話を書いてるし、実際やってるぞ。でも負けたことがないんであって、相手をやっつけて、ざまあみろってことはない。向こうが悪いことをしたときに、それを止めたり防いだりするだけで、そういうものさえ持っとればいいのだ。」   【1969年10月 第三次指講より】


 「どんな困難にぶち当たっても、『七転び八起き』じゃなくて、中国では、『九転び十起き』といっている。数字に意味を持たしているのだ。
 『九』というのは、最終、数字の終わりなんだ。次がない。またゼロに返る。『七転び八起き』なんていうのは、これはチョロこい。絶対に死ぬまでは負けたんではないというのが、わたしの信念である。
 生きている間は負けたんじゃない。命さえあれば、どんなことがあったって、いつかは立ち直れるんだ。自信を持てよ。自殺なんかするなよ。」   【1980年3月 大学指講より】