農業風景の日常詩
あぜみち・13
   

3/2付
 先週半ば、前倒しの大分春めいたある夜半。
さてそろそろ休もうかとカーテンを引こうとして、ふと表を見ると、意外と明るい、外に出ると下弦の月明かり淡い輪が。そして足下からかすかな香り、沈丁花が2〜3輪開き始めたのだ。
朧月夜に何も菜の花でなくてもいいのだ。
五感にひびくなんでもいい。
ちょっちょっとかいつまんで季節を知る。
なんと安上がり、手間いらず、ちょっぴりの幸せ感いかがでしょうか。
では又。
(国母)


3/9付
 東へ西へ、二人の母を見舞う道すがら、紅梅の花が私の心をホッと一息つかせてくれます。
 農政不安がますます広がる中、米作り作業が始まります。輸入自由化を急加速させるための戸別補償制度では安定した経営は見込めません。再生産可能な価格補償制度と自由化をやめる事こそ、自給率向上につながり、農業を再生させる道だと思います。
 大企業の派遣切りの中、若者に農業が見直され、関心を持たれている今、現実を知り、失望につながらないような農政へ転換させるべく、新たな闘いの始まりです。
(猪鼻)


3/16付
 毎年3月15日が近づくと、苦手な数字と格闘する日が続きますが、青色申告を始めて30年以上、農業収入は昔とあまり変わりないのですが、収める税額が大きく変わりました。特に消費税の課税基準が一千万円に引き下げられてからというものは、我家でも20万円位は増税になり、農業所得は増えていないのに、税金だけは増えるという、この消費税の仕組みに矛盾を感じます。
 この先、消費税率がもっと上がるようなことになれば、専業農家にとっては益々不公平感が強くなると同時に、大きな脅威です。
(塚原)


3/23付
 ついこの間は枯れ木の様だった花梨の木が、毎朝見るたびに芽を伸ばしています。
さあ仕事を始めようという私に「がんばれ」と言ってくれているようです。こうなると忙しくなります。
お休みだった今日は、田の畔を作る人、トラクターで耕す人、苗代のパイプハウスの準備をする人、皆様春の日ざしを浴びながらの作業です。
 「動けば運がやって来る」と聞いたことがあります。体を動かし農作業をする姿は、どこか幸せのにおいがします。考えてじっとしていないで、とにかく動いてみれば元気も出るし良い事がありそうな気がします。
忙しく働けるのも幸せな事と納得する私です。
(五月女)


3/30付
 花は咲きましたが陽の光は弱々しく連日真冬並みの寒さ、桜前線も足踏み。
「お花見にはコートと手袋をお忘れなく」と予報士のお姉さんの指さすTV画像には列島の北半分に雪だるまがずらりと並ぶ。
季節の逆転に少し目を廻しています。と言うのはうちの主力作物の一つ、春のブロッコリーの小苗がトンネルの中で震えているのが心配で"夜もおちおち眠れない"なんてのは大ウソですが、早くホントの春がと思っているのは本心です。
そして木々の緑映え、田んぼに蛙のコーラスが賑わう頃には自慢のブロッコリーをお届けしたいのです。
では又。
(国母)


4/7付
 4月に入り農家の庭先では稲の苗を育てる姿を見ますが、ひところより庭先での苗作りは少なくなりました。皆農協などから苗を買い、そして田植えも頼み、収穫も人任せ。そんな稲作り姿の様相や田畑を見守るように桜の花が満開!
桜の花同様、稲を見守ってほしいと思う百姓も少なくない。
 食を、農を育てるのは、食べて下さる消費者の皆さんなのだとつくづく思う。
百姓のひとりごと。
(上野)


4/13付
 桜や菜の花が満開の時期になると、そろそろ早植えの田んぼの準備も始まり、私も先日アゼ作りをしました。今はトラクターで専用の機械を使っているので、自分でも感心するくらい立派なアゼが出来ます。
 昔は代かきをした田んぼに四つんばいになって、手で行っていたので、大変な重労働でした。現在はほとんどの作業が機械に乗ったまま出来、有難い限りですが、これでサラリーマン並みの休日と収入があったら、とはいつも思うこと。
(塚原)


4/20付
 もうすぐゴールデンウィークのはずですが、まだソメイヨシノの花びらが風に舞っています。昨日(4/17)は雪でした。
25℃近くまで気温が上がる日があったと思えば5℃まで上がらない日があったり、私たちも大変ですが、セーターやコートを持たない庭の木々は本当に大変そうです。
この時期らしい天候はいつ来るのか、田植えの頃は大丈夫なの?と心配してしまいます。
先日は、ほぼ今年の収穫がないと梅農家の方が答えていました。他人事ではありません。
 人間の力は本当にたよりないものですね。
やっぱり大自然の中で生かされているんですね。
(五月女)


4/27付
 近頃やたらとマスコミが騒がしい。手っとり早い保身術、古巣をとび出した古参たち、それを手助けした首都の首長が名付けて「立ち枯れ日本」。
たしか論語の一節「子曰く名は体を表わす」と。
その後もざわめく「ジミン鳥」自身の止り木を探し求めて永田町から赤坂へと下弦の月下をさまよう。
 それにしても巨額の子ども手当てでぬくぬく育ったやわやわ宰相、米軍基地をあっちこっちと目当にされた街の皆さんが猛反発。
巨木「アンポ」をそのままにして、枝先だけをチョン、チョンではどうにもなるまいに。
 だが国民をなめるなよ!始めはチョロチョロの小川1本でも、3本が5本、10本、100本とまとまったら、もう止まらぬ怒涛うずまく大河となろう。
「行く川の流れは絶えずして、しかも元の水にあらず、久しくとどまることなし・・・」
(国母)


このページの最初へ

前ページへ
次ページへ



私たちのモットー
主な生産野菜





農事組合法人栃木産直センター