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009年11月8日(日)付 中日新聞(朝刊)尾張版
              
「尾張なんやのコレ?」 
        コーナーに掲載された記事、読みやすくするために
      記事の本文を以下に転写させていただきます。

   カトリック一宮教会のキリシタン殉教記念碑

       迫害の歴史 忘れぬために

 一宮市大宮のカトリック一宮教会を訪れると、キリスト像の横に「尾張一宮および周辺切支丹殉教顕彰碑」と書かれた石碑が立っている。よく見ると、けっこう新しい。なぜ、最近になって建立されたのだろう。石碑手前に置かれた解説プレートを読むと、 一宮周辺に残る悲しい歴史が見えてきた。
 キリスト教が国内に広まった約四百五十年前、尾張地方でも花正村(現・美和町) の信者らによる熱心な布教活動で、多くの人たちが洗礼を受けたことが、解説文で分かる。
 しかし、読み進むと、一六三一年
キリシタン禁制を強化した三代将軍徳川家光による命令で、尾張藩もキリスト教を弾圧。取り縮まりに乗り出し、信者五十七人を召し捕った、とある。しかも、一宮周辺で熱心に活動していた四人を火あぶりにしたらしい。
 一六六一年以降、四代将軍徳川家綱がさらに徹底。現在の小牧、犬山市、岐阜県美濃地方にも取り縮まりは広がり、殉教者は増え続けたという。
 石碑が立つ一宮教会の司祭寺尾総一郎さんによると、 一宮市内には「一本松塚」と名付けられた殉教地をはじめ、古くから殉教者の供養碑など迫害の歴史を伝える場所が四カ所ある。「命をかけて信仰を貫いた殉教者を敬いたい」と、信者有志が毎年訪れ、祈りをささげてきた。
 では、あらためて石碑を建てたのはなぜなのだろう。寺尾さんによると、きっかけは昨年十二月、長崎市で行われた「列福式」。模範となる信者に「福者」の称号を贈る儀式なのだが、日本で開催されたのは初めて。式で称号が与えられた多くが、禁教令などの弾圧で殉教した一般の信者だった。これを契機に、一宮の地にも多い殉教者を敬い、その苦難や功績を広く周知し、後世に伝えたいとの思いが信者たちから上がり、地元の殉教者を顕彰する碑が作られた。
 石碑やプレートは道路脇に立てられているため誰でも見ることができ、時々散歩中の人らが足を止めてのぞく姿が見られるようだ。寺尾さんは「殉教を免れたとしても、信者の家族らは後世の代になっても差別の対象となっていった」とも教えてくれた。殉教者の子孫らの中には今でも、過去に組先が迫害された事実を隠している人もいるという。 新たに建てられた石碑は
殉教者の無念さや痛みが今も多くの人の心の中に患づいていることを伝えているようだ。 (山田友美)

(本文に登場する解説プレート文や同記事の写真は下記をクリックなさってください。)
                カトリック一宮教会ご案内の頁


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i○ 紙上の顕彰碑の写真は、ここカトリック一宮教会紹介ページ
クリックしていただきますと、より鮮明な画像でご覧いただけます。