前田の算数

前 田 の 算 数  実 践 事 例
アクティブラーニングの落とし穴
本当の「対話的」な学びとは?
←1、キーワードの落とし穴
←2、本当の「主体的」な学びとは

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 3、本当の「対話的」な学びとは
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★「対話」の一人歩き

 前のページで、キーワードだけが一人歩きすることへの危惧について述べた。
 「対話的」というキーワードも然りである。
 石井先生は、コラム「アクティブ・ラーニングの落とし穴」の中で、
「協働」という言葉に過度に反応 して,特定の学び合いやグループ学習の手法を取り入れなければならないと考えると、実践は形式化する。 
と指摘している。

 「対話」について考える前に、まず、確認しておかないといけないのは、「対話的な学び」とは、ペア学習やグループ学習など、特定の学習の形をいうのではないということである。
 ただのおしゃべり合いも、対話とはいえないだろう。
 ただ関わればよいというものではないと思うのである。


 例えば、次のような光景はどうだろう。
 練習問題の答え合わせの際、ある子が答えを言い、他の子供たちが
「あってまーす」「違いまーす」
と大声で言っている様子を見かけることがある。
 確かに、発言した子に対して、他のみんなが反応してはいる。
 しかし、これは「対話」といえるだろうか。
 そんなはずはあるまい。
 
 正答か誤答かという「ものさし」だけで友達の考えを聞き、間違った子を大声で責める、そんな姿を見ると、何だか寂しくなる。
 というのも、
 「人間は多様であり、他者には自分にはないよさがある
という対話の本質と真逆の発想だと思うのである。
 そもそも、多様な考え方があり、それぞれの考えによさがあるからこそ、子供に発言させるのである。
 正答が一つしかないのであれば、何も子供に発言させなくても、教師が答えを言った方が効率がいい。
 それよりも、答え合わせの後に
「どんな間違いをしたか紹介してくれる人はいませんか」
「この問題には、どんな間違いが予想できますか」
と尋ねた方があたたかいように思うのである。
 

★グループ学習でなくても・・・

 さっきの事例とは逆に、次のような光景はどうだろう。

 正三角形が4個並んだ周りの長さを考えた時のことである。
 答えは6pだということを確かめた後、正三角形が5個の場合の周りの長さを尋ねた。
 すると、ある子が、
「分かった。8pだ」
と即座に声をあげた。
 正解は7pなので、その子の答えは間違いである。

 そこに、
「○○君の考えたこと、分かるような気がする」
と一人の女の子が手を挙げた。
「正三角形を4個から5個に増やす時、線を2本書き足すでしょう。
 だから、○○君は、2p増えると思ったんじゃないかな。
 でも、本当は、1本が周りの長さじゃなくなるから、1pだけ増えます。」
と、その女の子は説明した。

「さっきより1p増える」という説明を聞いて、別の子が
「だったら、正三角形が6個になったら、もう1p増えて、8pになるんじゃないの」
とひらめき、
「7個なら、9p」「8個なら…」と他の子も続いた。

 



  「8p」という答えは正解ではない。
 しかし子供たちは、間違いの中に、「実際に数えずに求める」「前と比べて次を予想する」といった考え方のよさを見いだした。
 そして、「だったら…」と自分の考えを深めていった。
 こうした姿こそ、本当の意味での「対話的な学び」なのだと、私は思う。
 
 対話的とは、決してグループ活動といったように、学習の形態のことをいうのではないのである。

 
 
★対話的とは

 私は、「対話的な学び」とは
  友達の考えの中に自分にはないよさを見いだし、新たな視点から自分の考えを見つめ直すこと
だと捉えている。
 単に友達と関わるだけでなく、関わりを通して、その子自身の考えが深まることが大切だと思うのである。
 
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