その16 日本の場合

戦後の民主教育について

マッカアサーが行ったもう一つの大きな革命は教育改革である。
これはマッカアサーが、日本が再び軍備を増強して、アメリカに歯向かう事のないよう天皇制の復活を極度に恐れ、教育改革で日本古来のものの考え方というものを根底から破壊したかったからである。
その為には民主主義の旗手としてのアメリカの教育制度をそのまま日本に押しつけたわけである。
アメリカの監視下において、我々は教育基本法というものを作って、従来の価値観を全否定するにいたったわけであるが、それとアメリカ流の民主教育というものが妙に合わさってしまって、実に理念の欠いた教育現場になってしまったのである。
教育基本法の理念は素晴らしいものであるが、理念さえ立派であれば人は生きていけるのかといえば、そうではないわけで、その矛盾が今日の青少年の行動に出てきているわけである。
日本の価値観の大転換が1945年、昭和20年であった事から考えれば、その時20歳の人は今では75歳なわけで、当然、普通に生活をして、普通に人生をまっとうしていれば子供は成人し、孫も成人に近い年頃に成長しているはずである。
今の世相がどうも怪しい雰囲気になりかかっていることの原因は、この点にあるような気がしてならない。
終戦当時20歳の人は価値観の大転換を身を以って体験しているが、それ以降の人は、戦後の民主教育のもとで従来の日本の価値観というものを知らずに全く新しい価値観の元で成人に達しているわけである。
その子供の世代が今日の若者の世代であると言う事に気が付くべきである。
ということは、戦後の民主教育の効果が今現れていると言う事に他ならない。
民間企業の幹部による腐敗、国家公務員の高級幹部の腐敗、等々戦後教育を受けた世代の中のエリートの犯行であることに注目を要する。
戦後の物の考え方の中で特に尊重される徳目というのは「平等」ということと「人権」という事である。
この二つは共産主義も同じように重大な徳目と見なしているわけで、共産主義者がものを言えば、必ずこの二つの言葉が強調される。
人間の生きる上の理念から言えば、この二つの徳目は反対するにはあまりにも崇高過ぎて、反対の言葉を差し挟めない。
平等と人権意識を国民の間に普及させたものには、もう一つ教育の効果というものがあるように思うが、この教育に関してもGHQの果した役割は計り知れない。
マッカアサーの行った占領政策の中で、この教育の改革というのも、今日の日本に多大な効果をあらしめている。
つまり日本人を愚民化するのに大いに貢献している。
平等と人権意識の広範な普及という点では、この効果は良い面を表しているが、これを最大限に利用したのが日本共産党であり、それに追従する日本の進歩的知識人と称する人々であった。
それに加え、マッカアーサーの功績の中に労働組合の結成を助成したという点も、戦後の日本を今日あらしめた大きな要因となっている。
平等と人権意識の普及というのは、農地改革とは次元の違う改革であったが、これと労働組合とが合体したのが日本教職員組合・いわゆる日教組である。
しかし、これが不幸にして共産主義者に占領されてしまった事が、今日の日本の基底になっている。
共産主義者というのは、戦後の日本で、そのほとんどの基幹産業の労働組合を乗っ取ってしまった。
日本の教育界においては日教組が政府に対抗する最大勢力となり、旧の国鉄では動労、国労という組合はほとんど共産主義者に牛耳られてしまい、政府の機関の組合はそのほとんどが共産主義者が乗っ取ってしまったわけである。
彼らにして見れば、親方・日の丸で、倒産ということがないので、とことん要求を付きつけ、妥協を拒む事が出来たわけである。
一方民間企業のほうは、一時的に共産主義者に組合が支配されても、彼らに支配されっぱなしでは企業そのものが立ち行かなくなるので、それでは組合員そのものが路頭に迷う事になるため、自浄作用が働き、共産主義者を淘汰する事が出来た。
戦争に勝利したマッカアサーが、「日本を民主化をしなければ」と考えた根底には「日本が再び軍備を持ってアメリカに対抗する事の無いように」、という恐怖感からだと思うが,この彼の政策は見事に今日花開いている。
マッカアサーの行った農地改革、教育改革、労働組合の結成の奨励というのはそのことごとくが基本的に共産主義者のすべき事ばかりであったが、それを資本主義のチャンピオンとしてのアメリカが日本に推し進めた、と言うところがなんとも不思議な印象を受ける。
で、その時、日本の共産主義者達は一体何をしていたのか、といえばただただ民衆をアジっているのみで、何一つ具体的な行為、行動を取り得なかった。
牢屋から解放された時はアメリカ占領軍を解放軍と呼び、「人民に告ぐ!」と大法螺を吹き「天皇はたらふく食っている」とデモをし、ゼネストを企画したもののマッカアサーの一声で不発に終わり、やる事成す事が総て中途半端というよりも、自分達の覇権争いに血道を上げていたわけである。
戦前・戦中は治安維持法のもとで公然たる活動は出来なかったが、戦後になって公然たる活動が可能になったとたん、仲間内で覇権争い、主導権争いが噴出して、革命そっちのけでそちらの方に血道を上げてしまったわけである。
問題は、あの戦後の混乱期においても、日本の国民全体としては革命を望むよりも、食う方の問題解決が先であったわけで、その為にアメリカが日本を援助する度量を惜しまなかった事が、今日の日本の根底に横たわっている。
この部分において、日本はアメリカの温情、好意、善意、度量の大きさというものによって生かされた、といっても過言ではないと思う。
それはアメリカ本土というものが第一次、第二次世界大戦において一度も戦場にならなかった、という地勢的な条件を加味したとしても、旧敵国を人道的立場から救援するという行為はなかなか出来るものではない。
その懐の深さには我々は大いに感謝して余りあるものと思うが、戦後の日本人というのは、そういうアメリカに対して抵抗する事が、進歩的で、革新的な事でもあるかのような言動をろうしているので私は我慢ならない。
戦後の日本をアメリカが援助してくれた事に感謝するということは、民族の誇りを捨てる事とは別の次元の問題で、誇りがあるからこそ「武士の情け」が有り難く想えるのである。
それに対し戦後活躍した日本の知識人というのは、援助してくれたアメリカに直接抗議するのではなく、その援助を受ける日本の政府に対して無理難題を吹っかけていたわけである。
要するに、我々日本人を日本人が統治しているので不満があったわけで、アメリカが直接軍政を敷いて、上から強権力でもって統治をしたとすればなに一つ反抗しなかったに違いない。
要するに当時の知識人というのは、我が同胞の日本人が政治の場に居るのが気に入らなかったわけで、それが外国人である事を望んで居たわけである。
「熱さに懲りて膾を吹く」という諺があるが、あの戦争に我々を引きずり込んで塗炭の苦しみを課したのが日本人の政治家であったから、同じ日本人が政治をリードする事は、再び同じ轍を踏むのではないか、という心配からかもしれないが、とにかく同じ日本人でありながら、同胞を信用していなかった事は歴然としている。
戦後の教育改革で、我々は平等ということと、人権意識を広範に会得するようになったが、そこにもってきて、農民が農地解放で豊かになった為、学校に行く人が格段に多くなった。
つまり教育がより以上に普及して、ほとんど総ての児童が高校にまで進学する事が可能となった。
そして大学に入る人も戦前と比べれば雲泥の差で多くなった。
人々の教育レベルが高くなれば、世の中は清浄なものになると思うのが普通の人間の思考であろうが、事はそう単純に運ばない。
国民の教育レベルが極度に高くなったとしても、全体のレベルが一様に向上したため卑しい素性の人間が高度な教育を受ける機会というのもそれに付随して多くなったわけである。
我々は教育を受ける、高度な教育を受ける、高い教養を身につける、ということはその人格までも高度なものになると思い込んでいるが、現実の人間のあり様というのは、そうそう理想通りには行かないわけで、国民の教育レベルが向上しても、もともと卑しい人間の人格が向上するものではない。
戦前のように日本が貧しい時には、教育を受けられる人というのはかなり選抜されて、限られた人にしかその機会が与えられなかった為、その教育を受けた人たちというのは何がしか社会のために役立つ事をして、その恩恵に報いなければならない、という自責の念を持っていたが、今のように誰でも彼でも高等教育が受けれるようになれば、まさしく玉石混交で、心卑しき人でも、出世の手段として、高等教育を受ける事態を招くのも必然である。
人は誰しも教育が無いよりは有ったほうがいいことは論を待たない。
けれども、心卑しき人がいくら高等教育を受けても、その心の卑しさというものは教育では変えられない事を知るべきである。
昨今の高級官僚の腐敗とか、ビジネス界の不祥事というのは、こういう心の卑しき人が高等教育をうけて、組織の上部に君臨したが為の現象である、と認識すべきである。
若者の誰でもが、本人さえ望めば、高等教育を受けれる環境の中で、問題にすべき事は、その教育の中身である。
高等教育というのは幼児の教育とは違って、分別のある大人に対する教育であるので、教育一般論で一括りにするわけにはいかないと思うが、今の課題は幼少の子供に対する教育である。
戦後世代の人は気が付いているのかいないのか知らないが、小中学校で、共産主義の先生が、共産主義に偏った教育をしていていいものかどうか?と言う点に問題がある。
小中学校の先生といえども、「私は共産党員です」という看板を下げているわけではなく、父兄の側からすれば、どの先生が共産党員で誰がそうでないか、ということは全くわからないわけである。
その上、先生自身が、自分の教えている事が共産主義に偏っているかどうかさえ判断できていないように思う。
平等意識と人権意識を強調しさえすれば、それが民主的な教育をしていると思い込んでいる先生が多いのではないかと思う。
この平等意識と人権意識というのは、共産主義というものが根源的に内在している階級を否定する、というところに依拠しているわけで、それは別の意味で民主的思考にもつながっている。
だから多くの人が自分は共産主義の罠にはまり込んでいる、ということに自分自身気が付かないでいるわけである。
例えば、小中学校の子供にも人権があり、子供の立場に立って教育を考えなければならない、という言い方は如何にも尤もな考え方のように受け取られ、受け入れられているが、ここに大きな落とし穴があるわけである。
この考え方の中には、子供というものは未成熟で、大人の側が上から教育を施す事によって、将来有用な社会人を作る、という自然の摂理というものを無視した発想である。
先生という上からの権威で以って、未成熟で、白紙の状態の子供を、自分達の将来を担う社会人として作り上げなければならない、という思考が抜け落ちており、人間の形をしているものには未熟であろうがなかろうが、皆一律に人権というものがある、という不可思議な思考に陥っているわけである。
又、労働組合と経営者の関係で見れば、労働者を経営に参画させる事が如何にも民主的な経営のように宣伝鼓舞されているが、もしそういう状況が出来あがるとすれば、それは労働者側が組合活動というものを放棄する事に他ならない。
労働者が経営に参画すれば、どうしても利益の追求という事を考慮に入れなければならず、それをすれば労働組合側の要求というものは、その総てが経営にとってマイナスの要因でしかなく、何一つ要求にこたえることが出来なくなってしまうからである。
よって旧ソビエットや中国の企業というのは、共産主義者が経営にあたって、その結果として、その総ての企業で運営が頓挫してしまったではないか。
戦後の日本の場合、国家の体制が共産主義体制ではなかったので、その対抗勢力として共産党乃至は社会党というものの存在が許されており、これらの革新と称せられるグループが常に体制側を監視し、牽制し、抑制する効果というものは認めざるを得ない。
平等意識と人権意識の広範な普及ということは決して悪い事ではなく、民主的な側面も併せ持っている事は論を待たないが、一部の革新的と称する人々が、それを逆手にとって、昔の軍国主義が謳歌したように、これを「錦の御旗」にすれば何事も通る、と思い違いをした所に問題があるわけである。
昨今の青少年による凶悪犯罪を見ると、犯罪を犯した本人は当然悪いが、これらが年端の行かない少年、17、8歳という少年の犯した犯罪というところに注目すべきである。
この少年達の親というのは、自分の子供をどういう風に育てたのか、という点に世間は注目し、問題視すべきである。
青少年の凶悪犯罪が起きると、世間はその犯罪そのものを問題視して大騒ぎをするが、その結果として教育の問題に結論を持ってきてしまう。
教育の問題ということになれば、それは学校の教育の問題に刷り変わってしまうわけで、その親の子供に対する躾しに関しては、一向に問題にされない。
親の方を問題視しない理由付けとして、それは「個人のプライバシーに関することだから」という理由で、親がどういう心構えで子供を育てたのか、ということは不問に付されてしまっている。
犯罪を犯したのは本人であって、親ではないので当然といえば当然であるが、こういう犯罪が起きる背景には、親の世代が受けた戦後50年の民主教育の結果があるに違いないと思う。
この世に生を受けてわずか17年か18年で凶悪犯罪を犯す子供になってしまうということは、その親がどういう子育てをしてきたのか?と世間はその親の方を糾弾してしかるべきである。
その親の側に戦後50年の戦後の民主教育の結果が表れているわけである。
犯罪を犯す子供が悪い事は論を待たないが、その親が戦後50年の民主教育の結果として自分の子供をそういうふうに育てた、と云う事を我々は真摯に受け止めなければならないと想う。
日本の江戸時代ならば、封建制度のもとで、こういう犯罪を犯した人は、当然家族もろとも村八分という社会的制裁を受けたと思われる。
しかし、今日では犯人にも人権があり、その親にも人権が有り、ただ殺された方だけは殺され損で、こちらの方の名誉と人権は極めて軽んじられているわけである。
昔の村八分という制裁は良い事ではないが、これがある事によって、人々は「そうなってはならない」という自己抑制、ないしは自己規制という内からの自立心でそういう行為を抑制する効果というのはあったに違いない。
そして大人も子供も身近にそういう例を見聞きして、自分が悪い事をすればこういう制裁がある、という事を身を以って体験するわけである。
ところが今日では、それが人権意識のもとで、村八分ということが差別という言い方で糾弾されるわけで、加害者の人権のみが過大に評価されてしまっている。
被害者の方の人権は無視されてしまっている。
世間の耳目は、犯罪を侵した青少年の親の子育て、教育、躾というものにはほとんどノータッチである。
これが戦後50年の民主教育の結果である。
悪い事をした者もしなかった者も皆同じように平等、悪い事をした者もしなかった者も皆同じように人権がある、という発想はまさしく共産主義のいう革命の思想そのもので、暴力で以って革命を遂行するということは、人間が潜在意識として持つている倫理観でいうところの「悪い事」を是認しなければ、革命そのものが成りたたないという事に他ならない。
我々は今、戦後世代における第3世代に突入している。
終戦の時、価値観の大転換を経験した世代から見れば、孫の世代に入っているわけで、その時の価値観の大転換の効果が今露出してきているように思う。
戦争が終わった時、日本共産党の面々は、意気揚揚と英雄気取りで牢獄から出てきたが、マッカアサーの占領統治はそうそう甘いものではなかったわけで、あまりにも過激な思想に走った共産党は、再度弾圧の憂き目に遭うわけであるが、その時は民主化という名目で、共産主義の専管事項が資本主義のチャンピオンのアメリカ側から成されてしまい、共産党の出る幕は無くなってしまったわけである。
その事は戦前・戦中の日本政府がアメリカというものの本質を見抜けなかったのと同様、日本共産党というものもアメリカの本質を見抜けなかったわけである。
それはまさしく御釈迦様の掌の上で大暴れしている孫悟空のようなもので、独り善がりな自慰行為に過ぎなかったわけである。
ここで考えなければ成らないのは、アメリカの対日戦略としての日本の民主化というものが、共産主義の目指していた事とほとんど軌を一にしていたという事である。
戦後の日本で、共産党や社会党をはじめとする革新と称する人々がしていた発言、思考、行為、行動というのは、その総てがアメリカの対日占領政策と同じ路線であったという事である。
1945年、昭和20年8月15日の時点で、アメリカは戦争には勝ったとはいえ、アメリカが一番恐ろしく思い、世界中がそのアメリカと同じ思いに至っていた事は、日本が再び同じ事をしでかすか否か、という問題であったわけで、そうならない為には、日本を愚民化しておく必要があったわけである。
その為には日本の天皇と国民を切り離し、教育をスポイルして、愚民、惰眠の民衆とし、国家体制というものを軟弱にしておく必要があったわけで、その手法として日本人に自分達の憲法を作らせず、占領軍として高圧的に憲法を押し付けておいたわけである。
憲法の押しつけという点でもアメリカは実に巧妙に立ち回っているわけで、実質、押し付けにもかかわらず建前上は日本人自身が作った、という風にする所など実に巧妙な才気である。
それをまともに信じている日本の知識人というものを我々はどう解釈したらいいのであろう。
だから、その憲法を押し付けた側としては、そんな憲法が改憲もされず50年以上も継続する事は最初から期待してはおらず、国連から独立を認められ、国連の一員になった暁には当然改正されるものである、という認識であったわけである。
憲法を改正し、自主憲法を作ることを拒否しつづけてきたのが日本の革新勢力で、それは日本共産党であり、日本社会党の面々であったわけであるが、その事はアメリカの日本の愚民化政策というものを内側から協力してきた事になる。
憲法を改正すれば日本は再び武力を強化して、アメリカや周辺諸国を恐怖に陥れる、という発想、思考は、戦後の日本人の本質についてあまりにも無知に等しい。
日本人が日本人について無知であると云う事は、それこそ戦争前の日本人と同じで、実に恐ろしい事であり、「敵を知り、己を知れば百戦危うからず」という格言からすれば、自分を知らないということは、又奈落の底に転がり落ちる危険性があるということだ。
戦争に勝った連合軍は、日本が再び武力で以って世界に挑戦してくる事を極度に恐れ、その為に日本に対して愚民化政策を施していったわけであるが、その愚民化政策を一番有り難がって、それに嬉々として順応してきたのが日本の革新勢力であり、進歩的知識人と言われる人々であったのである。
こういう人々の全部が共産党員や共産主義者ではないが、それに同情を寄せ、マルクス主義というものに憧憬のまなざしを向けることが知識人の必須条件であるかのような雰囲気があったことは確かである。
そういう彼らは、保守主義というものに対しては、あからさまな敵愾心を見せる事で、自分が人よりも革新の側に身を置いている、という錯覚に陥っていたわけである。
「進歩的」という言葉に対して「保守反動」という言葉が対峙するわけであるが、戦後の日本を担ってきた政府当局というのは、狭い意味の保守反動ではない。
彼等の言う「保守」というのは、政策の上では進歩的であろうと前向きの思考を取り入れてはいるが、それに対峙する対抗勢力の側から見れば、自分の意に沿わない政策は総て「保守反動」と言う事になるわけで、55年体制のもとでは政府・自民党の行うことは総てが保守的であるという認識に立っている。
アメリカ占領軍が行った日本の民主化というのは、従来の日本の封建制度及び天皇制を打破したという点で、後世の我々に絶大なる効果をもたらした事は事実であるが、一つの主権国家が50年、半世紀という時系列の中で、特に戦後の日本は目覚しい経済復興を成し遂げ、昔の面影というものが一つも残っていないような国において、占領軍の残した遺物を後生大事に持ちつづけるということは、ある意味で時代錯誤である。
憲法を改正すれば軍事大国になる、という思考はあまりにも狭量で、人間の英知というものを真から信じていない、という事に他ならない。
戦後の日本の知識人というのは、日本人の英知、人間の英知、というものを自分達が代弁しているような気でいるが、これはまさしく戦前の日本人がアメリカの実力を知らず、世界の常識を知らず、世界の展望に欠けた井戸の中の蛙でいたのと同様な状態であった、ということに気が付いていない。
そのことは、戦後の日本の進歩的知識人と称する人々は、自分達が民主的に選んだ、自分達の民主政治というものを頭から否定しているわけで、自分達の同朋を第3国に売り渡す事を知らず知らずのうちに行っているわけである。
その第3国というのは旧ソビエットであり、中華人民共和国であり、朝鮮民主主義人民共和国であるわけで、彼らは自分の祖国をこういう国に売り渡そうとしていたわけである。
だから我々が占領軍の頚木から脱して、時代に即応した地球家族の一員として国際貢献する事にも頭から反対し、民族の誇りを少しでも誇示しようとすると拒否反応をするわけである。
日の丸の掲揚、つまり国旗の掲揚と、国歌の斉唱をすると、どうして軍国主義につながるのか、はなはだ不思議な発想であるが、戦後の日本の知識人というのは、自分の国を否定する事が進歩的な行為である、という間違った思い込みに浸っているにもかかわらず、その事に一向に気が付こうとしない。
戦前・戦後を通じて、日本の政治に関して言えば、国策の論議、国政の論議、政策論争というのは、はなはだ不充分で、国会の審議においても、与党野党とも相手側の揚げ足取りに終始している。
政策の中身についての議論をせずに、相手の揚げ足ばかりを探し出し、言葉狩りで政権交代を要求し、審議を遅らせ、政治的妥協を引き出すような事ばかりをしているわけで、その意味では戦後50年といえども一向に進歩はしていない。
戦前はこういう行為も天皇の名のもとに、又は軍部の力によって、はたまた治安維持法などの法律によって、無意味な揚げ足取りというのは一蹴に伏せる事が出来たが、戦後こういう権威というものが無い状態では、自由に政策の中身について議論してしかるべきであるが、そういう足枷が無くなった状態でも一向にそういう改善は見られない。
戦後の日本の政治が民主化の名のもとに揚げ足取りに終始し、言葉狩りで政敵を論破しているつもりになっているということは、庶民のレベルで云えば、従来の価値観を全部覆して、倫理も、道理も何ら省みる事がない思考を助長すると言う事に他ならない。
我々の場合、民主主義というものがアメリカ占領軍によって上からの押し付けで国民の間に浸透していったものだから、その過程においてマルキストによって、その民主主義の本質というものが変質させられてしまったわけである。
今、マルキストと述べた部分に、戦後の日本の知性というものが全部集約されてしまっているわけで、戦後の日本で進歩的とか、知識人と言われる為には、マルキストの振りをするか、マルキシズムを声高に叫ばないことには、そういう風に見られなかったわけである。
その見方の上に立てば、戦前の日本では軍国主義で、鬼畜米英を叫ばなければ生きていられなかったように、戦後の日本を生きるには、共産主義に理解を示しているとポーズをしないことには知識人として生きていけなかったわけである。
日本の敗戦、占領軍による社会改造、旧の日本の指導者の徹底的追放などで、日本の昔からの価値観の持ち主というものは一斉に追放の憂き目にあったので、この時に新しい世代が社会の指導的立場に否応無しに立たざるを得なかったわけである。
まさしくこの時点で日本の価値観は旧世代から新世代に接木されたわけである。
価値観が接木されて、今では三世代になるわけで、日本の諺には「どんな立派な家でも三代で零落する」と言うものがあるが、日本は今まさにそういう時期に到達していると見るべきである。
戦前の連合軍、特にアメリカの意図した日本の愚民化政策というものは、今、完全にその成功を謳歌しているわけで、そういう結果を導いたのは、他ならぬ日本の革新と称する知識階級が、アメリカの政策を後ろから後押ししたようなものである。
戦後の改革の中で、今から思うと一番罪の深いのは教育改革であった。
日本の旧弊を廃し、民主化の名のもとに秩序を軽んじ、倫理を軽んじ、自己の欲求のみを極度に強調し、それを平等と人権の名において「善」とする認識が一番の大罪である。
平等の名のもとに、先生と生徒が同じレベルの視線でものを言い、考えるということは、そのまま秩序の崩壊を意味しているわけである。
労働者と経営者が同じ人間だからといって、労働者が経営に嘴をいれれば会社が倒産する事は必定であるにもかかわらず、そうする事が民主的な事だ、と言う認識は間違いを通り越して罪悪でさえある。
戦後の改革を経て、三世代も経過してみると、我々は表面的に豊かになった。
豊かになれば「金持ち喧嘩せず」ということになって、それはそれなりに良い事であるが、ただ秩序を無視して自分のことのみを欲求するという発想に悔悟の念を持たない、ということは豊かな国なればこその贅沢かもしれない。
日本共産党とその共産主義をかげひなたに支援している日本の革新と称するグループにとっては、こういう状況をどういう風に受け取っているのか気にはなる点であるが、おそらく自分達もそれなりに豊かな生活の中でマンネリに陥り、更なる革新は放棄しているのかもしれない。
日本が史上まれに見る豊かな国になる、ということは我々自身も、又日本を軍国主義の権化の如く見なしていたアジア諸国、ヨーロッパ諸国、つまり地球上のあらゆる民族が、思いも寄らなかった事に違いない。
その中に住む我々さえも、自分自身、信じられない事である。
こういう状況に置かれれば、我々はやはり時代に即した生き方というものを模索しなければならない。
つまり、豊かな国の豊かな国民として、この豊かさを如何に維持するか、という地球上で如何なる国も経験した事のない、新しい生き方というものを探し出さなければならない。
バブル経済の崩壊後、日本の景気は低迷を強いられているが、それでも我々は地球上で最も恵まれた生活をしているわけで、こういう結果になるということは、半世紀前のアメリカの対日政策の担当者も思いも寄らなかったと思う。
日本に対する愚民化政策というのは完全なる成功であったが、日本が経済大国になるというのは占領当事者としては予想外の事であったに違いない。
けれども、我々は愚民なるが故に、その経済力というものを有効に国益に還元する事が出来ていない。
愚民は何処まで行っても愚民、金があるうちはむしられるだけむしられる他ないようだ。
戦争に負けて我々は食うにも事欠いた状況から、今は地球上でも最も豊かな国になってしまったが、その根本の所には戦後のアメリカ占領軍による大改革があったわけである。
農地改革、教育改革、労働組合の結成の奨励、憲法の改正、政党の自由、言論の自由、結社の自由、内務省の解散、財閥の解体等々のあらゆる改革があったればこそ、今日があるわけであるが、これらは基本的にそのどれもが共産主義の目指したものと軌を一にしている。
共産主義者の目指した事をアメリカ占領軍が成した、ということは一体どう云う事なのであろうか?
この両者は相対峙する正反対の思考であるにもかかわらず、それが同じ目標を持っていたということは、他ならぬ日本に愚民化政策を実施して、再び世界に君臨する事の出来ない国にする、と言う事に他ならなかったわけである。
ところがその結果として、日本が地球上で一番豊かな国になってしまった、ということは彼ら、両者の予想外の事であったわけである。
この相対峙する正反対の思考は、日本を毒にも薬にもならない馬鹿な国にするつもりが、思っても見なかった結果を出してしまったわけで、今困惑の中にあるに違いない。
今の日本は、確かに豊かさの点では世界一であるが、民族の自立という意味からすれば、まさしく愚民、はたまた「烏合の衆」の見本のようなもので、地球上に我々ほど民族の誇りを持たない民族も他にありえない。
戦後半世紀、50年という期間で、一つの民族がこれほどナショナリズムをスポイルしてしまった種族も他にないのではないかと思う。
これをなさしめた最大の手法が教育の改革である。
「教育の改革」という言葉面からすると、それは知的レベルを向上する方向に用いられがちであるが、我々の場合、それは古い価値観を喪失せしめる方向に作用する言葉で、「教育改革」という言葉で秩序の破壊がなされたわけである。
秩序の破壊というのは、共産主義者が基本的に信奉している思考で、これが実施される限り、その当事者が誰であろうと、彼らは内側からそれを支援するわけである。
今の日本の現状というのは、その結果としてあるわけである。
戦後の価値観の転換期に、それまでの天皇中心の価値観が全否定された時、労働組合の結成が奨励され、それに乗じて日本の公立学校の先生が組合を作った。
それが日本教職員組合で、いわゆる日教組である。
これが完全に共産主義者に牛耳られてしまい、その後の日本では、日本の国土で生まれ、日本の自然の中で育ち、日本の学校で教育を受けるものは、この共産主義に汚染された日教組に属した先生から、民主教育という名の秩序の破壊をその基礎から教わったわけである。
共産主義者の革命というのは、旧来の秩序を破壊する事を至上命令としているが、新しい秩序を作るという意味では、絶対主義か、もしくは独裁主義でなければなしえないわけである。
その上、出来た新秩序でも、基本的に秩序に従わなくてもいいという根本理由から、何時までたっても新しい秩序が社会システムになりえないわけである。
戦後世代と云われる人々は、私を含めて、もうすでに60歳を越えようとしている。
その事から考えると、日本人の大部分が戦後世代と言わなければならないが、この戦後世代の人々は、自分の子育てに非常に自信喪失している。
その意味では、今、現代というのは、日本の過去の歴史にはない、新しい経験の中に置かれているとも言える。
我々はこんなに豊かな社会というものを今まで経験したことが無いわけで、こういう経験したことのない中での子育てに関して、試行錯誤をしているわけである。
今、青少年の凶悪な犯罪がマスコミを賑わしているが、その根底には、その青少年の親自身が、全く新しい教育環境の中で、自己の価値観というものを見出せないまま、右往左往している様を髣髴させる。
新しい教育環境と、豊かな経済環境という中での子育てということは、我々、日本人、いや世界の中でも、まだどの民族もそういう経験をした事がないわけである。
こういう新しい事態に対して、それに対応しようとすると、どうしても我々、人類というのは、過去の経験の中から、その対応策を探し出そうとするわけであるが、我々、戦後世代の日本人というのは、その過去の中から対応策を探し出そう、という発想を頭から否定しようとするわけである。
我々、戦後世代が生きる為のキーワードとしてきた事は、「平等」と「人権」という言葉であるが、人類というのはもともと平等ではなく、人権というのも一種の虚偽の言葉でしかないわけである。
「平等と人権」という言葉は、共産主義者が唱えて止まない理想郷の実現と同じように、絵空事であって、人が生きていくためには、不平等と人権の侵害ということは根絶できないわけである。
時間がかかってもそういう方向を目指す、というだけならばまだ許せるが、なんでもかんでも平等でなければならない、という発想、はたまた人の形をしていれば幼児から老衰した老人まで同じように人権がある、というのは極端な発想である。
その事は、人の命を軽んじよ、という意味ではないが、我々に古来から引き継がれた「人倫の道」というものがあるとすれば、ことさら平等意識や人権意識を振りまわさなくても、自然と弱者救済の道は残されているはずである。
小中学校の教育現場で体罰はいけないといわれている。
当然の事である。口で言って相手が素直に聞き入れれば、当然、体罰は起きないはずである。
口で言っても相手が聞き入れないから、究極の処置として体罰になるわけで、親が自分の子供に「学校では先生の云う事を良く聞きなさい」と教えておけば、体罰をしなくてもすむわけである。
口で言われたら「素直に先生の言う事を聞きなさい」という家庭の躾の不備を不問にふしたまま、結果としての体罰はいけない、という論理は基本的に間違っている。
この論理を戦後世代の誰もが不思議に思わず、結果としての現象のみを糾弾しているので、その根本が直らないのである。
数年前、遅刻する生徒を締め出す目的で、時間になったら先生が校門の扉を勢いよく閉めて、女生徒を圧死させた事件が起きた。
この時の世間の反応は、遅刻ぐらいで生徒を締め出す事は行き過ぎで、圧死させた先生はけしからん、という事であった。
これは全く民主主義というものを曲解した発想である。
定められた時間には学校にきて席についていなさい、というのはルールである。
こういうルール、この場合は校則というものであるが、このルールに従うことが嫌ならば高校などに来なければいいわけで、自ら選んで入学しておきながら、その校則に従わないというのは、従わないほうが悪いわけで、圧死というのは偶然の結果に過ぎない。
遅刻ということがルール違反であると云う事を全く軽視している。
5分早く家を出れば遅刻はしなくても済む、と言う事を全く問題にしないということが問題である。
ルール違反だから殺しても良いという事にならないのは当然としても、ルール違反というものに対する罪悪感が世間一般に喪失している状況というのは、民主主義の否定につながっている事に気が付いていない。
、 この事件の時でも、圧死させた先生の方には非難中傷が殺到したが、遅刻した生徒の方は、殺されて気の毒だという同情が寄せられた。
ルールに違反していたことに関しては全く不問に付されてしまった。
世間の感心は、「遅刻ぐらいで殺されてはたまらない」という反応であったが、この「遅刻ぐらい」という認識の中には、ルールは遵守しなければならないという思考は全く見られない。
この「ルールを遵守しなくてもいい」という思考、「秩序は守る必要はない」という思考は、そのまま共産主義の革命に通じるものであるが、今日、誰もその事に気がついていない。
50年前には政府のいう事を素直に聞いた結果として、敗戦という未曾有の苦難にぶち当たったので、その反動として世間のルールとか、秩序とか、規範とか、倫理とか、人間の煩悩を押さえつけるような事は総て反民主的なもの、という思考が蔓延してしまったわけである。
そういう時代になって既に三世代が経過しておいるわけで、その結果として、今日、青少年の凶悪犯罪ばかりでなく、企業ぐるみの犯罪が多発しているわけである。
しかし、何時の時代でも青少年の本当の心の内というのは案外素直で、従順で、率直であるが、それをゆがめてしまうのは戦後三世代を経た、民主教育の名のもとに偏向した教育を受けた親の世代である。
その事を我々は胆に命じておくべきである。

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