あとがき

最後の章に関しては、私が今まで述べてきた事の集大成のつもりであるが、これだけでは言い足りない事ばかりで、もっともっと掘り下げて見たいと思いながらも、今までの成り行きから一応この章で段落に区切りをつけたに過ぎない。
たまたまこの冊子が一段落した時点で私が定年を迎え、齢60歳に到達したので、還暦でもあり、後は暇を持て余す立場になったので、その間に何かしらまとまりのある文章にして見たいと思いつつ、最後のラスト・スパートで頑張らなければと思っている。
思えば日本の戦後というのは実に幸せな半世紀であったように思う。
戦争に負けて、我々は奈落の底に突き落とされたような気持ちを拭い去れなかったのは国民感情として致し方ないが、それがあったればこそ、今日の我々があるわけで、歴史に「もしも…」という言葉が無いと承知の上で、もし我々が先の戦争で勝ったり又は引き分けという状態があったとしたら、今日の日本というのは存在しえなかったに違いない。
我々、日本という国は、あの戦争で無一文になったればこそ、今日があるわけで、あの時に日本古来の伝統なり、因習なり、発想なり、古いままの思考が残っていたとしたらとても今日の状況はありえなかったに違いない。
ここで言うところの「今日の日本の状況」というのは、何も良い事ばかりを言っているわけではない。
今の我々の生活というのは、昔に比べて良くなった物ばかりではなく、悪くなったものも数限りなく存在しているわけで、国民全体として昔の事を知らない世代が多くなった以上、「昔は良かった!」という言い草そのものが通用しなくなってしまった。
それが言えるのは私の世代以上の人にしかそれを言う資格が無い。
しかし、その世代の人々というのが案外だらしなく、昔の事を懐古する勇気を持ち合わせていない。
特に左翼思想に被れた人々というのは、自分達の民族的アイデンテイテイを盛り込んだ、我々自身の憲法を作ることにさえ怯えているわけで、占領軍が押し付けて行った憲法をいじれば軍国主義につながる、という戯言から抜け切れていない。
先日、平成12年5月、森首相が「日本は天皇を中心とした神の国」という発言をして世間では非難ごうごうであったが、この発言を政治的抗争の口実にしようとしている野党の根性も実に見下げた思考である。
言う方も今日的状況に疎い面も拭い去れない。
しかし、それを以って揚げ足取りをしているような野党の言い方、政府攻撃の手法の稚拙さも実に展望を欠いた思考である。
いくら首相がリップ・サービスで「神の国」といったところで、今の日本でそれを信ずる人間がはたしているのか、と言いたいし、これを以って「軍国主義への復活」という発想に至っては、それに輪を掛けて日本の今日的現状を知らなすぎると言う事に他ならない。
新聞の投書欄には例によって首相を糾弾する類の発言が掲載されているが、こう言うマスコミというのは明らかに情報の操作をしているわけで、それが出来る社会というのは極めて健全な社会といわなければならない。
日本の進歩的知識人が憧れた社会主義国、私の言い方からすれば共産主義国では、体制を批判することはありえないわけで、体制を批判する自由と言うものは、死と隣り合わせになっていたわけである。
しかし、戦後半世紀の日本というのは、この体制を批判する自由という事を真摯に考えてこなかった。
それは自らが築き上げた自由ではないにもかかわらず、まるで空気か水のように思って、体制批判をしていれば誰も傷つく事の無い有り難い存在であった。
それが為、自らの責任という事を忘れ、自分の不幸は須らく政府の責任であり、政治の責任であり、行政の責任である、という認識に陥ってしまっている。
マスコミの現代社会における意義というものを全く否定するものではないが、このマスコミそのものが時勢にすりよっているわけで、戦前のように体制の側に身を寄せる時もあれば、戦後のように反体制の側に身を寄せて、世間を煽ったりするわけで、そこにはオピニオン・リーダーとしての信念がない事が一番の罪悪である。
こういう日和見主義の日本のマスコミに対して、私は常に懐疑的でありつづけたわけで、マスコミは「第4の権力」とも云われているが、それが全く自制心と云うものを持ち合わせていない点が、今後の日本に大きな影響を与えるに違いないと思う。
先の戦争でも、我々の先輩諸氏はマスコミに踊らされ、艱難辛苦を甘受したわけで、軍国主義というものを日本全国に宣伝鼓舞したのは当時のマスコミ以外になかった、と云う事を胆に命じておくべきである。
特に特に、日本のオピニオン・リーダーを自負している巨大なマスコミに対して、常に警戒心を怠ってはならないと思う。
日本のオピニオン・リーダーとしてのマスコミを監視しつづける事が定年後の私の生甲斐になるやも知れない。
              平成12年(2000年)10月25日
                         長谷川 峯生

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