その15 文化大革命

共産主義・その15

中ソの仲違い

1993年、平成5年、ユン・チャン女史の「ワイルド・スワン」という小説が公表された。
そして1997年、平成9年、再びS・リッテンバーグ氏の「毛沢東に魅せられたアメリカ人」という本が公表された。
この2冊の本には中国の文化大革命について非常に示唆に富んだ記述があって、興味深く読んだが、これらの本の内容はまんざら嘘で固めたものではないと思う。
その証拠に、これらの本は中国国内で出されたものではなく、いずれも中国以外の地で出版され、世界中に文化大革命の本質を暴く効果を引き出している。
つまり、中国にとっては知られたくない内容の暴露である。
だからこそ外国で出版され、中国以外の地でなければ出版され得ない内容を含んでいたわけである。
こういう状況を考えると、中国の共産主義というものの本質を我々はよくよく熟考しなければならないと思う。
仮に日本の共産党が自民党政府の批判を北朝鮮や中国で出版しなければならないとしたら、我々日本人は如何なる思考に至るであろうか。
政府を批判するということは我々の日本国民の間では空気のようなもので、戦後の日本人で政府の批判を一度もしたことのない人間というのは捜しきれないのではないかと思う。
戦後の日本のマスコミ業界というのは政府を批判する事で飯を食っているようなもので、政府の提灯を持つような記事を書けば抹殺されかねない。
それほど我々は政府批判という事を無意識の内に行っている。
しかし、それで投獄されたり牢屋に閉じ込められたりした人はいないわけで、その事は如何に民主化の度合いが進んでいるか、という事である。
毛沢東が文化大革命を実践しようとした背景には自分自身がスターリンのような個人崇拝の象徴になりたかったからに他ならない。
それは取りも直さず、大躍進運動の挫折と、それに続く天災による国力の疲弊が、毛沢東を政治の現場からしばらく遠ざけざるを得なかったからである。
その事は逆に毛沢東に猜疑心を起こさせ、その猜疑心が「共産主義革命の挫折を導くに違いない」、と彼に思わしめたことが原因である。
その原因と思われる事は1956年、当時のソビエット首相フルシチョフがスターリンを批判した事による考え方の不一致である。
スターリンの暗黒政治も数えきれない程の悲劇をソビエット連邦にもたらしたが、フルシチョフはその是正に努めようとしたにもかかわらず、中国共産党の方は、その友党の変節を理解し切れなかったわけである。
その事は、中国の指導者もソビエット連邦のやっている事・ソ連の政治状況というものを真摯に見ておらず、プロパガンダを信じきっていたという事である。
スターリンが密告や暗殺を酷使して政権を維持していた、という真の姿を見ずに、その成果としての功績のみを鵜呑みにしていたわけで、そのスターリンが死んだ後には暗黒政治のゆり戻しとしての比較的開かれた世界が現出しても、それを理解する事が出来なかったに違いない。
フルシチョフは、アメリカとの軍拡競争に勝ちを占めることが出来るかもしれない、という自信から、アメリカに門戸を開いて、自分の方の優位を見せようとしたが、これが中国には気に入らなかったわけである。
フルシチョフがアメリカを訪問し、その次に中国を訪問したことも中国の自尊心を傷つけたわけで、自分と意見が合わないと、もうそれは修正主義であると相手を非難したわけである。
中国の共産主義者達の視点でソビエットの共産主義者を見た場合、ソビエットがアメリカに門戸を開いたということは、アメリカの帝國主義に迎合するものであるという風に写ったわけである。
こういう発言や発想は、案外、中国人固有のプロパガンダで、口先で大声でわめき散らして相手の切っ先を制するという戦法でもある。
ある種のブラフで、ハッタリでもある。
フルシチョフにして見れば、スターリンのやっていた密告と暗殺による暗黒政治をいくらかでも改善して、アメリカにも共産主義の成果を見せ付けて、共産主義の優位を誇示しようとしていたが、中国はこのソビエットのアメリカに対する態度が全く気に入らず、自分達は教条主義により固まってしまったわけである。
この体制を、その騒ぎが治まってから告発したのが冒頭に紹介した2冊の本である。
しかもこの2冊の本の作者というのは、外国の地に住みながら、又そうでなければ、それは公表され得なかったに違いないが、中国という地を離れた場所で中国を告発する書を表したわけである。
私の個人的な考えからすれば、非常に卑劣な行為と思うが、当事者からすれば、卑劣でなければ生きてはいられなかったに違いない。
気の毒な事とはいえ、それはその属した体制がそう成さしめるわけであって、我々、日本人からすれば、自らの属する体制をいくら批判しようが、命を奪われる事がない中で生きられるということは、非常に有り難い事と言わなければならない。
その「有り難さ」というものを、今の日本の進歩的と称する人々は解っていないのではないかと思う。
「有り難さ」が解らないということは非常に愁うべきことで、そのことは自分の置かれた座標軸がわからないということでもあり、そのことは同時に周囲の状況も把握できていない、ということにつながる。
その結果として唯我独尊的に「自分さえよければ」、という思考になりがちで、悪いのは全て周囲の状況がなさしめる、という発想につながるわけである。
即ち謙譲の美徳を放棄して、自分の思うとおりにならないのは全て政府、国家、その他の権力が悪いからだ、という思い上った思考につながっていくわけである。
毛沢東にして見れば、大躍進運動で中国にはユートピアが実現するはずであった。
ところがそうではなく、現実には貧困が益々浸透し、農民は危機に瀕し、人心は乱れに乱れ、党内には新たな階級が出現して、常に党内革命が必要になってきたわけである。
「ワイルド・スワン」の主人公も、S・リッテンバーグも、共に敬虔な共産主義者であったが、この文化大革命においては被害者の立場に立たされたわけで、それでも尚目が覚めず、共産主義者でありつづけようと努力していたわけである。
そして最後には党を裏切らざるを得ず、外国の地から中国共産党を告発しているわけである。
S・リッテンバーグなどは、アメリカにいるときから共産主義者である事に誇りを持ち、大きな待望を持ち中国に赴任し、中国でも共産主義者でありつづけたにもかかわらず、文化大革命の後先10年以上も抑留されていながらまだ目が覚めず、ここまで来ると私の実直な感情からすれば「馬鹿」としか言いようがない。
「ワイルド・スワン」の方も、これに劣らず熱烈な共産主義者であったにもかかわらず、文化大革命では熾烈な迫害を受けたわけで、共産主義者というのは同僚といえども全く情け容赦なく迫害するのである。
これも共産主義というものが本質的に持っている命題であって、革命を至上とする限り、人間を信用するということは既に革命の本質に反することであり、ある意味では避けて通れない事である。
共産主義革命の本質は、裕福なものの財産を没収して、それを労働者といわれる貧困なものに分け与え、皆が平等に生きられる社会を造るというものであるが、これは全くの絵空事で、こういう社会は成り立たないと云う事が、彼ら共産主義者だけが理解しようとしなかったわけである。
だから敬虔な共産主義者であればあるほど、その現実と絵空事との乖離がわからず、夢に向かって突き進んでしまったわけである。
そして共産主義者の作った政府というものは、その夢を政府の政策としてプロパガンダするものだから、その下の国民・民衆・大衆というのは、夢を食う獏になりさがってしまうわけである。
ソビエットの首脳がフルシチョフの時に、中ソ論争というのが表面化したわけであるが、中華人民共和国の誕生が1949年、中ソ論争が1960年、その間約10年であるが、この間に中国はソビエットから莫大な技術援助やら、社会主義国建設に関するノウハウを受けていたが、この中ソ論争を切っ掛けに、ソビエットは総ての要員を引揚げさせてしまった。
この援助に関しても、中国はソビエットに体よく毟り取られていたわけで、ソビエット人、いわゆるロシア人は、中国人よりもうんとうんとしたたかであった。
つまり技術援助と称して、ソビエットが中国に建設した各種工場その他の施設は、ソビエットが他の地域に建設した物よりも数段と高価なものであったわけで、ソビエットとしては技術援助という名目で、かなり有利な商いをしたわけである。
その上、引揚げる段階になると、根こそぎ引き上げたわけで、その狡猾さというのは、流石の中国人も舌を巻く程のしたたかさを見せつけたわけである。
共産主義者の友情というのはこの程度のものであったわけである。

文革が内包した大矛盾

共産主義者といえども、夢を食っては生きていけないわけで、敬虔な共産主義者というのは、この現実と絵空事の峻別ができないわけである。
文化大革命の根幹を成したのは紅衛兵の活躍で、元々は共産主義者の高級幹部の子弟が、自分達の親や学校の先生のやっていることを批判したことが原因で、それが広範に広がったわけである。
ということは、革命から10年以上も経つと、昔革命に奔走した共産党員、しかも古参の共産党員達も、それぞれの組織において立身出世をし、私生活も乱れ始めたわけである。
いわゆる官僚主義に陥り、保守的になり、御身大切という風潮が蔓延したわけで、それを垣間見た幹部連中の子弟が、これでは先が思いやられるという思いに駆られて、ある意味で共産主義の原点に戻る事を思索しだしたわけである。
その頃、日本でもはやり出した組織内における内部告発のようなものであったが、日本の場合は行政のシステムがしっかりしているので内部告発を裁定するのは司法の役目、という3権分立の概念が確立できていたが、中国の共産党内においては、この内部告発を受けてもそれに判定を下す公的機関がないわけで、その事はつまり自分達で告発して、自分達で裁いて、自分達で処罰をする、という事になってしまったわけである。
いわゆる革命そのものである。
共産主義革命というものが階級闘争である以上、階級というものを全否定しているわけで、その事は組織というものに価値観をおいていないわけである。
従来の人間の社会というものは、すべからくピラミットのような階級制度で凝り固まっていたわけで、それを全否定するということは、組織そのものを否定する事であったわけである。
ところが共産党が政権をとったところで、国民、人民、大衆というものを管理・監督しようと思うと、どうしても組織を組み立てて、それに頼らざるを得なくなってしまったわけである。
そういう過程を経て共産主義という下克上を信条とする雰囲気の中では、いきなり只の農民や、労働者が管理・監督する地位についたところで、組織の運営がうまくいくはずがない。
人を統治すると言う事にも、人心掌握のノウハウがあるわけで、それを欠いた人間がいくら号令を掛けたところで、人は動かなかったわけである。
それを無理に動かそうとするものだから、情実や、縁故や、賄賂が横行するようになってしまったわけである。
そして共産主義のもっとも忌み嫌う階級というものが共産党内にはびこってしまったわけで、党員とそうでないものの格差がだんだん広くなってしまったのである。
党員とそうでない人間との格差の存在は階級そのものであり、「党員である」と云うことの本質は、強固な党組織の中の人間という事に他ならない。
党がきちんと機能するということは、共産党という組織がきちんと組織だっていなければならず、その党員間の関係が全く平等で、上下の関係というものが無いとしたら、それは組織ではなく、無為徒食の輩の集合ということになってしまう。
中国共産党というのは無為徒食の輩の集団ではなく、勿論、烏合の衆でもなかったわけである。
ならば何ゆえに党の組織が疲労してきたのかと問えば、それは人間の持つ根源的な潜在意識があったればこそ、人が作る組織は疲労し、意識改革をする事によって、再び活性化するわけである。
毛沢東の文化大革命というのは、この再活性化を目指したものではあったが、その時、人々の環境が共産主義の世の中に変わってしまっていた事が大きな悲劇を引き起こしたわけである。
共産主義者といえども、その主体をなす中身の人間というのは、太古から連綿と続いた人と人の連携の中にあったわけで、この人と人の連携が共産主義という思想を得た事によって、太古からの生き方というものを否定してしまったものだから、新しい選択を迫られたわけである。
その新しい選択というものは、今まで人類が経験した事のない事柄であったわけで、それゆえに古いものを否定したり、古い伝統を否定する事につながったわけである。
太古からの人間の営みには、組織の決定には従わざるを得ない、というい暗黙の了解があったが、共産主義というものは、これを否定しているので、組織の中の主従の関係が確立していないわけである。
党の中で幹部と、そうでない党員との間で、おのおのがお互いに平等という事になれば、誰に物事の決定権があるのか定かではないわけで、その組織のトップに立ってみると、自分が何時如何なる時に、そのトップの座から引き摺り下ろされて平の党員になってしまうのか不安でたまらない。
ならば一層、今のポジションにいるうちに、出来るだけ私利私欲を蓄えておかなければならない、将来競争相手になりそうな人物は排除しておかなければならない、という結論に達する。
この考え方というのは、基本的に人間の持っている潜在意識に依拠するものである。
つまり、人間というのは、自らの生存を維持する為には、性欲と食欲というものを意識するとしないにかかわらず備えているが、それと同時に権勢欲というものも具備しているわけである。
しかし、この権勢欲というものは、人、人それぞれにその人の個性として極端に強い人と、そうでない人が混在しているわけである。
権勢欲の強い人は、どんな小さなグループに属していても、すぐに威張りたがるもので、これが極端になると、グループの顰蹙をかうことになる。
グループの人々からいくら嫌われても、本人はそれに気付かず有頂天になっているわけである。
ところが、これと同じ事が国政のトップで起きると、その下の国民、人民、大衆は大迷惑をこうむることになるわけである。
それが政権争いであり、権力抗争であるわけで、そこにもってきて組織上の上司を引きずり落とす事が革命の成就である、という思い込みに陥っている共産主義者達の集まりでは、上司の失脚は常に正義であると評価をされているわけで、何時如何なる時に寝首をかかれるかわかったものではない。
安定した社会ならば、組織上の失策というのは、人事の刷新で事が解決するが、革命というのは、常に階級というものを否定し、組織上の上司といえども、何時如何なる時に引き摺り下ろされるかわかったものではない。
その上、人々は皆平等だと思い込んでいるものだから、誰が組織のトップになっても事がうまく運ぶ、と思い違いをして憚らないが、現実の社会というのは、そう簡単に運用出来るものではなく、人の管理、組織の運営にも、それなりのテクニックとノウハウが必要なわけである。
中国共産党の党員、及びその幹部が腐敗し、組織疲労をするということは極めて人間的な事で、ある意味では人間の持つ普遍的な事実である。
しかしこれを純粋な共産主義というものを信奉している人から見れば、それは共産党の堕落としか映らないわけで、それゆえに「ワイルド・スワン」のユン・チャンの父や、S・リッテンバーグのような、真からの共産主義者というのはその堕落が許せなかったわけである。
けれども、彼らの思い違いというのは、共産主義があまりにも理想的であるが故に、人間の持つ潜在意識というものを過小評価した所にある。
自分はいくら純粋であってもいいが、人も自分と同じように純粋であると思い、又そうあらねばならないと思い違いをしたところに彼らの悲劇があったわけである。
共産党幹部の堕落は、その幹部の子供の世代が垣間見ているわけで、その中でも純粋な子供が、「この現状を許してはならない」というわけで紅衛兵という組織を作って、自分達の親や、自分達の先生を糾弾しだしたわけである。
紅衛兵というのはもともと共産党の高級幹部の子弟が親の堕落を見て奮起して出来あがったグループである。
いわば純粋な青少年が腐敗堕落した親に反抗するという構図であった。
そこにもってきて、純粋な共産主義者であればあるほど、階級というものを否定しているわけで、階級闘争の名のもとに、誰彼かまわず吊るし上げをし、挙句の果てには、暴力を振るって死に至らしめる事までしでかしたわけである。
革命には暴力が付きまとい、革命と名がつけばなんでも許されるわけだから、同朋や上司をいくら殺した所で、彼らには痛痒を感ずるところが無いわけである。
こういう子供の行為、それが共産主義にとっても益するものであったとしても、若い世代がこういう行為、無秩序を助長するような行為に走るのを、自分の政権維持の手段として利用するという発想は、その根底にある意識として、国民を愚弄しているという事に他ならず、我々にはない発想である。
その事は中国共産主義の精神的バックボーンというものが、従来の人間が太古から引き継いできた、人間の持つ倫理観というものを全く無視している、といわなければならない。
中国大陸に住み続けた人々には、大なり小なり儒教や道教、はたまた仏教の要素があってしかるべきであるが、共産主義というのは、それを全部否定しているわけで、その意味からすれば、人は自分の持つ全知全能で体制に順応して生きていかなければならないという事になる。
延安からはじまった長征を克服して、国民党との内戦を勝ちぬき、その結果として共産主義社会を設立し、中華人民共和国なる国家を築いたのも、体制・(時の流れ、周囲の状況、人々の雰囲気)に順応したからともいえる。
しかし、再び体制が文化大革命の時代になれば、今までは順応できた人が、新たな再革命による新体制にどこまで順応出来るか定かではなかったのである。
ユン・チャンも、S・リッテンバーグも、第1の革命では順応できたが、第2の再革命には順応できなかったわけである。
それは無理もない話で、第1革命のときは倒すべき相手というのは国民党であり、富裕階級であり、資本家であり、帝國主義者達であったが、第2革命では共産党員が共産党員を告発・淘汰する革命であったが故、内ゲバの様相を呈しているわけで、仲間内の殺傷であったわけである。
ソ連のスターリンは秘密警察を利用して暗黒政治を行い、政敵を次から次へと暗殺して行ったが、毛沢東は文化大革命という第2革命で、幼少の世代を動員して、中国全土に混乱を撒き散らしたわけである。
あらゆる組織で、組織のトップにいるというだけの理由で、幼少の子供達に吊るし上げを食い、その結果として農村に下放され、運の悪い人は命まで取られたわけである。
人に、特に職場の同僚や同朋に、修正主義とか反革命というレッテルを貼り、それが本当かどうか、その裁定を下すものが全くいないにもかかわらず、そういう虐めが革命の名のもとに実施された、というところが不思議でならない。
そしてもう一つ腑に落ちない事は、「下放」という事で、強制労働させる為に農村に行かせるという事であるが、このことは農村というものを全く差別した発想であり、農業従事者というものを侮蔑した発想だと思う。
毛沢東は農民を開放したといいながら、農民の生活というものは革命後10年たっても未だ苦痛以外の何物でもなかったわけで、それだからこそ農村で農作業をするという事に懲罰の意味が存在していたのである。
社会主義国として農民を昔の封建制度から解放したのならば、その次には当然農村の社会基盤整備をしてしかるべきだと思う。
毛沢東の生涯のスローガンは、農民に十分食わせる事であったわけで、その意味からしても、彼は自分の政策を誤ったに違いない。
農村を旧体制から開放したのならば、誰でもが喜んで農業に勤しめるような環境を整える事が、彼の生涯のスローガンを適える事でなければならなかったはずである。
ところが党の高級幹部を下放して、思想改造をする為に農村に送り込むということは、農村の生活というものが、牢獄に等しい苦役を強いられている、と言う事に他ならない。
ならばその地でもともと農業に勤しんでいる人々は、どういう気持ちでそこで生活しているのか、はなはだ疑問である。
つまり、共産党の高級幹部にとっては、農村の生活が牢獄の生活に等しいと思ったからこそ、自分の意に沿わない人間をそこに下放したわけである。
その事は明らかに都市と農村では階級差別があったということである。
すなわち共産主義の本旨からずれている、といわなければならない。
つまり革命後10年たった時点でも、共産主義社会というものはきちんと整備出来ずにいたわけで、それには大躍進運動の挫折があり、中ソ論争でのソビエットとの軋轢があったわけであるが、そればかりではなく、共産主義そのものの中に拡張主義が内在しており、常に拡張しつづけない事には、革命そのものが頓挫してしまうというアキレス腱が潜んでいたからである。
毛沢東が大躍進運動の失敗で政権の座を退いて見ると、「誰かが自分の後釜を狙っているのではないか」、という疑心暗鬼にかられ、政権維持の為に紅衛兵の勃興を嬉々として迎え入れた、ということが言えていると思う。
毛沢東の考えを忠実に具現化しようとしたのが紅衛兵であったが、その紅衛兵の最初の頃、それらを構成していたのは高級幹部達の子弟であった。
その事は、そのまま自分達の親や先生を告発せざるを得ない状況を作ってしまったわけである。
毛沢東にとって紅衛兵というのはまことに都合の良い存在である。
毛沢東の心配の種である「自分の後釜を狙っている人」というのは、この後衛兵の親の世代であるわけで、その子供達が自分の後釜を狙っている連中を糾弾してくれているのだから、これほど有り難い存在もまたとないわけである。
もともと共産主義というものが階級や秩序を否定しているのだから、親や先生といえども、自分達の子供に対して納得出来る説明がつかず、彼らの吊るし上げにあうという状況が出てきたわけである。
その吊るし上げが言葉だけですんでいる間はまだしも、それが暴力沙汰にエスカレートしてくるともう収拾がつかなくなってしまったわけである。
そして、古い習慣、古い価値観、古い伝統、等々古いものはなんでもかんでも全部悪いことだ、という宣伝が行き渡ってしまうと、それに基づいてありとあらゆる価値観が冒涜されてしまったわけである。
その過程をコントロールする機関もなく、それが全中国に広がってしまったものだから、もう完全に人間の理性が行き渡らなくなってしまったわけである。
はじめは高級幹部の子弟の内部告発から始まったものが、毛沢東がそれを「革命の進歩である」、と吹聴したものだからもう手が付けられなくなってしまったわけである。
毛沢東がこの運動、ある種の内部告発を上手に利用して、政敵を葬り去ろうとした浅はかな発想があったればこそ、その後10年にわたって中国は大混乱に陥ったわけである。
「造反有理」という言葉がこの頃一斉を風靡していたが、これは「造反するものにはそれなりの理由があるはずだからそれは聞き入れるべきである」という当時の毛沢東の心理を表したものである。
しかし、共産党の一党独裁体制では、その造反が理にかなっているかどうかは問題外で、とにかく造反するものは正義で、その正義は実現されてしかるべきである、という安直な発想であったことは確かである。
我々の体制ならば、その造反が理に適っているかどうかを司法当局が決めるが、その前に、その造反そのものが法の定めの中に入っているかどうかが大問題になるはずである。
法の枠内の造反であれば、それは有効であるが、それ以外の場合は、違法行為として司直の決済を仰がなければならない。
ところが共産党の一党独裁体制においては3権分立が確立しておらず、若者の告発をきちんと裁定する機関がないわけで、自分たちで勝手に罪状を作って、勝手に処罰していたわけである。
つまりその事は無政府状態と同じであったわけで、中国全土が無政府状態であったとしたら、主権の存在そのものがあるのかどうかさえ疑問である。
そうは言うものの軍隊そのものはあったので、そこには武器もあるわけで、中国の内政が如何に混乱しようとも、領土の侵害にはおそらく雲霞の如く集まって来たに違いない。
それともう一つ不思議な事に、この文化大革命においては、毛沢東の妻であるところの紅青が大きな役割を果しているが、これもおかしな事である。
東洋的な思考の中では、妻は内助の功を尽くす事が妻としての美徳になっており、妻という立場で政治の前面に出る事は女性のたしなみの中に入っていない筈である。
たしなみ以前に制度としておかしくなければならない。
毛沢東の妻・紅青が政治局員のメンバーの一人であったということはを、もっとわかりやすい事例で示せば、クリントン大統領の奥さん・ヒラリー夫人が閣僚に入っているという事であり、2000年11月の時点で森総理の奥さんが大臣をしているという事である。
こんなバカな話があってはならないが、それがあったのが近代化を成した中国である。
大統領夫人、総理大臣夫人というのはその国のトップ・レデイーであることはには違いないが、その事とそれ故に政治に嘴をいれる、ということは全く別の次元の問題で、この峻別を曖昧にしていたのが毛沢東の中国共産党であったわけである。
これこそ公私混同の最たるものであり、まさしく古い価値観である事に間違いはない。
共産主義によって古い価値観を全部否定したからには、そこに新価値観のもと毛沢東の妻といえども政治の前面に登場し、いっぱしの政治局員として発言しても誰憚ることはない、と言ってしまうえばそれまでであるが、そこに組織疲労の前兆があった事も確かである。
共産主義社会という新しい価値観の中に、公私混同という古い価値観が混同していたわけで理想社会に対する二律背反である。
西洋では大統領夫人というのはファースト・レデイーとして通用しているが、それは政治とは一線を画しているわけで、あくまでも内助の功として大統領を補佐するのであって、政治に嘴を挟むものとは違っている。
しかし、同じ共産主義国であってもソビエットでは首相夫人、乃至は主席夫人が政治局員として公の場で政治的な発言するということはありえなかったわけで、これはあくまでも新中国に限っての現象である。
その事は、中国の伝統というものを全否定しているつもりでいても、私利私欲、縁故採用、公私混同という旧体制のしがらみを完全には捨てきれなかったわけであり、無意識のうちに中国固有の旧弊を引きずっていたわけである。
その挙句、毛沢東が死去すると、その夫人である紅青をあっさりと逮捕監禁し、文化大革命の総括をしてしまったわけで、この経緯というのはまさしく中国の古典的な政変と軌を一にするものである。
違うのは20世紀という時代を反映して、その政変劇には近代化した文明の利器が縦横に使われたという事である。
その典型的なものがプロパガンダの浸透であり、その為にはラジオとかテレビというマス・コミニケーションの発達をあげなければならない。
新中国が遅れているとはいえ、ラジオとテレビの発達というのは、日本ほどではないにしても、ある程度は浸透していたわけで、それを利用して政治的プロパガンダが広範に宣伝されたわけである。
アメリカ人でありながら中国共産党に帰依したS・リッテンバーグは、第1の革命の時点では、その忠誠が問われて意味もなく何年間も牢獄に繋がれていたが、それでも転向せずにその後この政治的プロパガンダに大いに協力したわけである。
彼は出獄後、放送管理局に職を得て、中国の対外宣伝と西側情報の分析に利用されていたが、文化大革命では再びスパイ容疑で投獄されてしまったわけである。
わたしの率直な感想で言えば、彼は「馬鹿」である。
オウム真理教の信者と同じで、麻原昇晃に騙されつづけたのと同じ事である。
2回の投獄で10何年も牢獄に繋がれながら、それでも自分が騙された事に気がつかず、最後に中国を離れ、中国の手の届かない所からいくら告発した所で、後の祭で彼の人生は戻る事はない。
しかも彼は西側陣営に対してその間裏切り続けたわけで、今度は西側で死ぬまで牢獄に繋がれても致し方ない。
しかしそうはなっていない。
彼は西側陣営に対して大いなる感謝をしなければバチが当たるのではなかろうか。
ユン・チャンの方は、もともと中国人であるから、西側の制裁はないにしても社会的地位というものを与える必要はない。
しかし、今はイギリスで生活し、社会的地位も得ている。
彼女も自分の祖国に裏切られ、その結果として自分の祖国を売ったわけである。
ソビエット連邦にしろ、中華人民共和国にしろ、共産主義国というものには全く人民の自由というものがないにもかかわらず、人々がそれに憧れるというのは、その政治的プロパガンダに騙されているわけで、人々の心がそれに取りつかれてしまうと、もう批判する事を忘れてしまう。
共産主義国家で、こういう悲劇が繰り返されるというのは、共産主義というものが革命を至上としている為で、革命が大事であれば、それには人の殺傷ということがついて回るわけであり、その上、組織というものが円滑に機能しないのだから、人民の安楽な生活というものは全く期待できない。
共産主義というものが平等な社会の実現に向けて前進する事は、人間の理想郷を創るが如き印象を受けるが、中華人民共和国の誕生は、その理想郷に1歩近づいたにもかかわらず、人々は平等になったればこそ、下の者が上の者を糾弾して、それを階級闘争と言い換えて憚らなかったわけである。
これが悲劇でなくして何であったか、と問いたい。
誠実な党員が、人々のために誠実に業務を遂行していても、それを妬む者や、失脚を狙うものが、一言「彼は修正主義者ではなかろうか?」という風評を立てれば、もうそれでその誠実な党員の行為は全否定されてしまい、あらぬ濡れ衣を着せられ、自由を剥奪され、活動は停止させられ、運が悪ければ死に追いやられるわけである。
これが人間の目指す理想郷であろうか。
ユン・チャンとS・リッテンバーグは、それを克明に告発しているわけで、この二つの書物で文化大革命の真実は明らかになった、といっても過言ではないと思う。
昔から人間の生存に関して性悪説と性善説というものがある。
共産主義は、この性善説に依拠しているが、人間というものは基本的に性善説では語りきれない部分を内在しているわけで、そこのところを考慮することなく、一律に理想郷を目指して突き進めば、その先には夢と希望があると信じるところに無理がある。

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