その14 中共の足跡

思想強化による引き締め

この現実が分かって見れば、これはあきらかに共産党、中国共産党の官僚としての組織が自然崩壊していた事になるわけであるが、その現況というのは、党首脳の独裁という部分に帰結する問題である。
この世の中のあらゆる組織は究極的には官僚主義になるわけで、民主的で開かれた組織というのは、この官僚的な部分に如何に柔軟性を持たせるか、という点に尽きると思う。
それには組織のあらゆる部分において、人の入れ替えを頻繁に行うという事が大事だと思う。
共産党の場合は、党員でなければ党の中枢には入れないが、あらゆる近代的な民主国家では、その政府要員というのは常に人が入れ替わっているわけで、組織の既定方針というのは常に微調整をしつつ運営されているわけである。
それが固定した組織と柔軟な組織の違いだと思う。
中華人民共和国を誕生させた毛沢東は、今までの諸国の指導者と同様に、自分の国が世界の諸国から見劣りがすると思っていたわけで、そこからの脱出が一番の目標と思ったわけである。
そして自分の国では碌に食うことも出来ない人々が沢山いることも合わせて承知していたわけで、そこからの脱出が政治的に一番の使命でもあったわけである。
その為には一刻も早く近代化を達成しなければならない、と思うのも無理ない話ではある。
毛沢東の頭の中には、食うことの解決が最大の関心事でもあったわけで、その解決には農民の解放ということが最大の課題だった事も承知していたわけである。
よって以上示してきた事によって、それを解決しようとしたが、これが見事に失敗したわけで、今度は民衆の意識改革に打って出たのである。
その為に毛沢東が実践した手法というのは、民衆に対して自分の意見を忌憚なく発表する事を奨励したわけである。
これが「百花斉放・百家争鳴」である。
毛沢東にして見れば、革命の結果として、旧体制から脱却できて、人々が喜ぶ様がフツフツと出てくる事を期待していたにもかかわらず、蓋を開けてみると、新体制に対する批判があまりにも多くあり、この現状を放置していればいつ共産主義体制というものが転覆されるか不安になってきたわけである。
旧体制を革命で転覆させてきた人々からすれば、今度は何時自分達が革命によって再び地に落とされるか不安に駆られるのも致し方ない。
人々に「自分の思っている事を忌憚なく言え」といっておきながら、それに呼応してそのまま自分の本音を言えば、それは反革命というレッテルを貼られて弾圧を受けるということになってしまったわけである。
ここに民主化の度合いが極めて低い、と私が論拠する原因がある。
独裁政治の典型的な欠点がここに露呈しているわけで、共産主義というものは最初からこの「共産党の独裁」という事が前提条件になっているわけで、それが綺麗事で国民や人民の意見を聞いたところで、それに耳を貸す度量は最初から無かったわけである。
共産党政権が人々の意見を聞くというときは、反革命分子を炙り出す為の手法であったわけで、政府の言う事に素直に順応すれば、それは自分の身を滅ぼす事につながったわけである。
毛沢東が「百花斉放・百家争鳴」を提唱した狙いは、あくまでも共産主義者がそのユートピアの実現に向けて、共産主義国家に向けて建設的な意見を集める事にあったことは論を待たない。
しかし、大衆に向かって「意見を言え」という以上、統治者の思惑に反する意見が出てくる事は致し方ない。
けれども、民主的という観点から見れば、そういう意見を内在する世の中というのが正常な民主的社会なわけで、それを自分と意見が合わないから封殺するという事では暗黒政治というほかない。
事実、共産主義社会ではこの暗黒政治が跋扈していたわけで、当時の日本にはこういうニュースは入ってきていなかった。
この時期、日本では戦後の復興の完成期で、第1次岸内閣が誕生し、安保闘争の前兆が始動しだしたときでもあり、キューバ危機の時期でもあったわけである。
地球規模で共産主義が猛威を振るって、ソビエットは人工衛星を頻繁に打ち上げ、ミサイル・ギャップが真剣に取り沙汰されていた時期である。
ソビエットの情報とか、中国の情報というのは、鉄のカーテン、竹のカーテンに閉ざされて、西側陣営には一向に見えてこなくて、我々の側はそれこそ共産主義の脅威に疑心暗鬼していた時期である。
それは鉄のカーテンの向こう側でも同じで、中国でも真剣になって核攻撃に備えて地下壕を掘っていた時期である。
西側陣営が共産主義というものを恐れた最大の原因は、それのもつ拡張主義にその根源がある。
共産主義というものは常に何かを革命していなければ、その命運を保てないわけで、その為には常に何処かで地域紛争を撒き散らさなければならなかったわけである。
共産主義というものが革命を至上主義と考えている以上、物事を解決するのに話し合いの入る隙はないわけで、常に問答無用の武力行使でしか解決の手法を持たないわけである。
地球規模で、如何なる民族も種族も、意識改革をしなければならないということは察知しているとしても、それを平和裏に行いたいと思っている矢先に、武力でもって一気のそれを実行しようとするものだから、どうしてもそこには無用な人の殺戮ということが起きてしまうわけである。
そして、人の集団というのは組織を形成する宿命を持っているのである。
人間が2人以上集まればそこには必然的に社会という単位が形成され、その社会という単位には必ず力関係の強弱が存在するわけである。
この力というものは、腕力の強弱のみならず、金の力もあれば、権力の力もあるわけで、それを運用するには必ず組織というものに頼らざるを得ない。
人の生存ということが、地球の皺によってそれぞれに隔離されていた時代には、それは集落の単位であったり、もう少し規模が大きくなれば部族の単位となり、さらにそれが大きくなると清王朝の末期に出来た軍閥という単位になるわけである。
人を統括するには必ず人の組織というものに依拠しなければならないが、この組織というものは往々にして疲弊するわけで、清王朝の崩壊も組織疲労であり、ソビエット連邦の崩壊も組織疲労の結果であったわけである。
よって人間の社会を形成している組織というものは、常に刷新しつづけなければならないのであるが、その為にある必然的な条件は、トップが折々に交代しなければならないという事である。
トップが交代しても、今までの既存の組織をそのまま使って人を統治しようとすれば、それもゆくゆくは組織疲労を繰り返すが、トップが交代したときに、既存の組織にメスを入れる事に留意すれば、組織の再活性化ということが可能なわけである。
ところが共産主義というのは、共産党の一党独裁がその至上主義になっているわけで、政権交代ということがその命題の中に入っていないわけである。
一旦政権を取った共産党は、今後一切政権を他に譲ることを考えていないわけである。
中華人民共和国が誕生してからというもの、中国を取り巻く国際環境というのは、東西の冷戦に阻まれて共産党の本来持つ拡張主義というものが実践できないでいたわけである。
そして、その冷戦の当事者たる米ソに対して、一刻も早く追い付き、追い越すことが、後進、新生中華人民共和国の大命題になったわけである。
ところが毛沢東という人物は、外国の事情に疎かったわけで、モスクワには行った事があるとはいえ、そこではスターリンに冷たくあしらわれ、世界がこの時点でどういう状況にあるのか認知する事ができなかったわけである。
よって、彼の頭の中ではあの長征の時代や、国民党との内戦時代の状況しか思い浮かばず、思想の強化を図ればより強い国家が建設出来る、と思ったに違いない。
それで彼の取った政策は、日本の明治維新に匹敵するような政策であったが、第2次世界大戦後の世界というのは、既に技術革新の時代に入っていたわけで、とても明治維新の発想ではついて行けなかったわけである。
人の集団には組織がつきもので、組織の統括なしでは社会そのものが成り立たないわけであるが、その為には思想の強化を図り、国民の一人一人がより強固な共産主義というものに帰依すれば、その組織というものが絆を強くすると思い込むのも無理ないことである。
毛沢東の革命の根幹にあるのは、中国の人々に食う事の心配をさせない、と言う事であったため、その手始めに農民の解放という事を真っ先に行ったわけであるが、農民というのもある意味でずるがしこいわけで、一人一人の農民は自己の利益につながらない事には動じなかったわけである。
農地解放をして、地主からただで土地をもらった時は素直に喜んだが、その後それを人民公社に再編成して共同生活をする段になると、働いても働かなくても食わせてもらえるとなれば、働かない方を選択するというわけである。
これは極めて自然な人間の姿だと思う。
共産主義の説くユートピアというのは、この自然の人間の欲求というものを無視して、人間の全部が善意の持ち主で、環境さえ整えれば、後は人は自然にユートピアに向かって進むに違いない、という盲信に依拠している。
人というのは元々そんな善意の心の持ち主というのは存在しないわけで、苦しい事と楽な事があれば、楽な方を選択するのが自然な人間の思考である。
資本主義というのはその対極にあるわけで、人が楽をするには如何なる手法・手段があるか?ということの模索の中にあるわけである。
人間というのは自然のままに放っておけば、必ず安易な道を選択する事がわかっている以上、それを常に理想に向かって方向付けをしようと思うとどうしても意識の革新を迫らねばならないことになる。
常に宣伝・鼓舞することが必要なわけで、これは主義主張を問わず、人を統治するためには必要不可欠な政治的行為でもある。
戦前の日本の天皇制の維持に関しても、天皇という錦の御旗がその象徴であり、アメリカでは民主主義というものがいろんな形で鼓舞宣伝されているわけであり、ソビエットでもアメリカに追い付き追い越せということが政治的スローガンになっていたわけである。

組織疲労と官僚主義

政治にスローガンが必要な事は、近代の主権国家には必然的な事ではあるが、それに強制が入ると、様々な問題が沸騰してくる。
共産主義というものは、その発想の原点に共産党の一党独裁という事を前提にしており、その目的に為には、人を殺傷してもそれは革命のために許される、というテーゼがあるわけで、ここが最大の問題点である。
こういう大前提のもとで、共産党の一党独裁を維持する為には、反対意見というものを抹殺しなければ、それが維持できないと思ったところに、暗黒政治の背景があったわけで、反対意見を認めれば共産党政権が維持できないと思い込んだところに、人民の不幸が潜んでいたわけである。
党にしてみれば、不幸な目にあった人というのは、革命の犠牲者なわけで、党の維持のためには致し方ないという結論になるのである。
よって、その党の維持のために、常に人々の思想強化が計られるわけで、それが「整風運動」であり、「大躍進運動」であったわけであるが、人々の考えを全部共産主義に変えてしまおう、という発想はあまりにも人を愚弄する発想で、それに従わない人間は、総てこの世から抹殺してしまおう、という政治は罪悪以外のなにものでもない。
ヒットラーのアウシュビッツと何ら変わるものではない。
ヒットラーは人種の違いをその動機にしていたが、ソビエットにしろ、中国にしろ、共産主義でないものを抹殺しようというのは、思想の違いをその動機にしているに過ぎない。
戦後の日本人の中の革新と称される人々は、ソビエットや中国をまるでこの世のユートピアの如く賞賛して止まなかったが、その実情はこのようなものであったわけである。
日本で、これら共産主義国の賞賛が許されたのは、我々の国が極めて民主的な国で、少数意見をそのまま温存させるゆとりを持っていたからである。
共産主義国家では反体制であるだけで首が飛んだわけであるが、日本では反体制が売り物にさえなっていたわけである。
日本を中国に売り渡したような発言をした浅沼稲次郎は、愛国少年に刺されて殺されてしまったが、あれは当然のことで、自分の国を他国に売り渡すような人間は、体制が抹殺しなくても個人に抹殺されても致し方ない。
しかし、共産主義国では個人が抹殺する前に、体制がそういう人物を根こそぎ抹殺しようとするわけである。
そうしなければ、共産党の一党独裁という大前提が維持できないからである。
共産主義国家の建設ということも、ソビエットという前例があるとはいうものの、まだまだ未知の体験で、試行錯誤がついてまわるのは致し方ない。
その試行錯誤の中で、人の命が奪われるという事では、その中に住む人々にとってはたまったものではない。
鉄の生産でも失敗し、人民公社でも失敗した共産中国は、国力が疲弊の極みに達したので、ある時期に至ってゆり戻しの時期があった。
つまり共産主義の締め付けを少し緩和した時期があったが、この時期には人々は生気を取り戻した。
しかし、党の首脳としてはこれでは困るわけで、その方針を提示した人々を、反革命というレッテルを貼って、再び奈落の底に突き落としてしまったわけである。
先にマス・コミニケーションの発達で、中国全土に中共首脳のスローガンが隈なく行きわったった事を述べたが、このゆり戻しの政策も、再び同じ経緯で全土に広がってしまったわけである。
その事は中国の人々といえども、人間の欲求には逆らえないわけで、自分で作った作物は自分で売買し、いくらかでも自分の自由になる金が欲しかったという事である。
つまり資本主義的な自由主義経済への回帰ということが潜在的に人々の意識の中に潜んでいたという事である。
確かに清王朝の旧体制では、地主の横暴ということはあったが、一般の庶民からすれば、農地解放で土地の名義は自分のものになったとしても、それを人民公社に再編成されてしまえば、自分の自由意思の発露という事は望むべくもないわけで、人は働かなくなってしまったわけである。
国民が働く事を拒否するような国家は、衰退する事は火を見るより明らかなわけで、党の首脳としては、それを座して見ているわけでには行かないのは当然である。
それで「大躍進運動」というものを展開する事になったわけであるが、人々の方はもうスローガンだけでは動かなくなってしまったわけである。
革命の熱気というものが失せてしまった以上、人々は実質的な実利の伴わない行為にはついていかなくなくなったわけで、それを強引に引っ張ろうとするものだから、思想的な締め付けが必要になってきたわけである。
思想的な締め付けと云う事は、すなわちその内部に敵をでっち上げて、それを攻撃する事によって、擬似革命を推し進めるということに他ならない。
つまり、少々違う意見を持っている人間に、「反革命を画策している」というレッテルを貼ることによって、それを追放するという事を行ったわけである。
その事は、いわゆる権力闘争を意味しているわけで、党首脳の間ですさまじい権力闘争を繰り返す、ということに他ならない。
共産党という組織をはたから傍観して見れば、その中で独裁者の地位を自ら横取りしようなどと思っている人間などいないように思う。
そんな事を考えるだけで自らの地位が危ないわけで、毛沢東の取り巻き連中にした所で、誰もそんな事を考えてはいないと思う。
毛沢東の政策の失敗を是正しよう、とする諌言は本当は中国人民にとっての愛国者であったに違いない。
そう云う諌言をする人々は、毛沢東を心から愛し、中国の民衆の真の擁護者であったに違いない。
決して毛沢東を蹴落として、自分が独裁者としての玉座に座るなどということは考えていなかったに違いないが、「裸の王様」になってしまった毛沢東にして見れば、そこまで思慮が回らなくなってしまったわけである。
その独裁者の心の琴線に振れるかもしれない恐れを抱きつつも尚諌言したのが彭徳懐である。
彼の心情からすれば、延安いらいの長征を通じての旧友である毛沢東の過ちを是正したい、というのが苦楽を共にした同志としての最良の行為で、毛沢東の地位を横取りしようなどという邪な発想はなかったに違いない。
しかし、その諌言を聞くほうの立場からすれば、そういう妄想に苛まれるのも致し方ない面があるわけで、それゆえに独裁者というのは常に孤独であったわけである。
折角自分の身を案じて諌言してくれる者を、こういう見方をして貶めるという例も、古今東西の歴史の中には掃いて捨てるほどあるわけで、その事は、逆に共産主義社会と云っても人間の持つ潜在意識というものは何ら変わるものではないということの証明でもある。
つまりは共産主義というものも、人間の矛盾を内包した現実の生き様と何ら変わるものではなく、その延長線上のユートピアというのは、砂上の楼閣にすぎないという事を証拠である。
彭徳懐の諌言というのは、彼が農村を視察した状況を会議で発表しただけで、それが原因で追放されたわけであるが、会議というのは真実を報告したにすぎず、統治する側とすれば、その真実を真摯な目で見直さなければならなかったわけである。
しかし独裁者というのはそう云う発想には至らないわけである。
政策の失敗というのはどんな統治者にも付いてまわる事で、それが失敗とわかった時点で、すぐさま軌道修正する事が統治者としての政治の根源であるはずである。
普通の民主国家ならば、政策の失敗がわかった時点で、統治者の交代と云う事が普通で、交代した次の統治者がその是正をするのが歴史の流れであった。
けれども硬直した独裁政治では、その政策の失敗という事を中々認めないものだから、被害が益々甚大化してしまうわけである。
その上政権の座から降りることがそのまま死を意味しているものだから、尚更失敗を認めたがらないわけである。
戦前戦後を通じ日本の政治の場合、権力の座から降りたものがそのまま生命まで抹殺されるような事は全くなかったが、共産主義の社会では、権力の座から降りたら最後、いつ暗殺されるかわかったものではない。
だから権力を持っているうちに、自分に対抗する勢力を抹殺しておかなければならないわけである。
それが解っているからこそ、権力者の取り巻き連中というのは、尚更心からの諌言という事を控えてしまい、権力者は益々「裸の王様」になってしまうわけである。
これは体制が如何なる物でも同じ構造を呈している。
権力者とその取り巻き連中の構図と云うものは、体制のいかんに係わらず、思想、思考がいかなるものでも、主義主張が如何なる物でも、同じ構図を取るものである。
独裁者というのは、この頚木から脱する事が出来ないが、民主的な政策決定では、常に微調整ということが可能なだけ、この弊害に陥る気配は少ないし、権力の座から降りたとしても、それがそのまま死につながる事は無い。
革命というものには常に熱気が付きまとうもので、熱気のない、冷めた革命と云うものはありえない。
旧体制を打ち倒し、新体制においても最初の内は、この熱気によって世の中というものはいかにも前進するかに見えるが、この熱気が冷めてしまうと、人々の気持ちの中にもマンネリズムが浸透してくるわけである。
それは共産党の云う民主的な一党独裁による世の中でも、資本主義による自由民主主義による世の中でも同じ事で、人々が生きる為にはある種の刺激が入用なわけである。
刺激という言葉には語弊があるかもしれないが、人々が生きる為にはある種の希望を持つことが必要と言い換えても良い。
資本主義の自由主義体制のもとでは、それは個人の欲望を満す方向に向かうわけであるが、個人の欲望を抑圧された共産主義体制では、個人の欲望ということはありえないわけで、個人の生きる為の成果というものは総て社会に還元されなければならないわけである。
資本主義の自由主義体制のもとでは、個人の欲望というのは、新しい車を買ったり新しい家を買う、という個人の夢を個々に満たす方向に向けられて、それが再び経済の回転を促進する方向に向かう。
ところが、共産主義・社会主義の領域では、そういう個人の欲望は再び階級を作り上げる方向に向かう、と解釈されるわけで、どこまでも皆が平等でなければならないわけである。
こういう世の中というのは実際問題としてありえないわけで、社会というものが複数の人間の集団で作られている以上、皆が平等ということは実現不可能な画餅に過ぎない。
それにもかかわらず、権力で以って人々をそういう方向に無理矢理、引っ張って行こうとするものだから、そこにはどうしても軋轢が生まれる。
その軋轢というのは、いわゆる共産党員とそうでない人々の間の階級闘争という形で露呈してくるわけであるが、ソビエットにしろ、中華人民共和国にしろ、そういう軋轢というものは力で押さえ込んでしまって、表面には出てこないわけである。
出てきたとしても、それは革命の勝利という言葉で片付けられてしまうわけで、革命の勝利の影で無用な殺戮がいくら行われたとしても、それは歴史の上には現れてこないわけである。
問題は、共産党員の中で、この革命の熱気が如何様に昇華したかと云う事が大事なわけである。
党員というのは、いわゆる選抜された特殊な人々のはずで、誰でも彼でも自己申告で党員になれるわけではない。
ここに共産党の抱える最大の矛盾が潜んでいるにもかかわらず、党員もそのシンパも、誰もがその矛盾に目をつぶっているのが不思議でならない。
階級闘争を旗印にして、この世の中から人々の間の階級というものを一切否定しようというのが共産党の趣旨であるにもかかわらず、自分達ではその階級というものを再構築しているわけである。
その上、この世の中の革新のためには、この選抜された階級の共産党員が、下々の人々、大衆・民衆というものをリードしなければならない、という二階層に分類して憚らないのがこれら共産党員の思いあがった思考である。
この選抜された共産党員の中では、強固な組織が形作られ、その組織全体が革命から日が経って、世の中が軌道に乗りかかるようになるとマンネリズムに陥ってしまったわけである。
これも無理のない話で、党の綱領から少しでも逸脱した事を言えば、たちまち反革命というレッテルが貼られると解れば、誰も異論を唱える者はいないわけで、党のトップは必然的に「裸の王様」になってしまうわけである。
党のトップが「裸の王様」になってしまえば、その組織の下部の部分は、官僚主義に陥らざるを得ないわけである。
官僚主義というのは主義・体制の如何にかかわらず、巨大な組織にはついてまわる事象ではあるが、それも程度問題で、行政が滞ってしまうような官僚主義では、そのうちに組織疲労を起こす事は火を見るより明らかである。
共産主義の社会の中で、共産党員の中で、官僚主義が跋扈するということは、我々、部外者から見ると考えられない事である。
しかし、いくら共産党員といえどもやはり人の子で、いくら体制が違っても、人として性癖というか、習性というか、潜在意識というものは変えようが無いわけである。
つまり、自分の身が大事で、自分さえ良ければ、その他大勢の人のことなど預かり知らぬ、という人間の基本的生存意欲の発露以外のなにものでもない。
我々の自由主義体制のもとでは、体制批判をしても職を追われることはあっても、それによって死に至らしめるような事は無いが、共産主義体制では、即人民裁判であの世行きである。
それが解っていればこそ、人々は体制に素直に順応せざるを得ないのである。
つまり、その事は政策の軌道修正が不可能という事で、トップの決めた事は、それがたとえ間違っていても、組織の中間で諌言する機会がなく、間違ったまま遂行しなければならないという事である。
政策・国策というのは、必ずしも思ったとおりに進まないのは、体制の如何を問わず普遍的な事で、政治そのものがある意味で試行錯誤の連続のはずである。
それをトップの決めた事を金科玉条として、一切の批判を許さず、いささかの修正も許さず、それに邁進するということは、わざわざ官僚主義を助長するようなものである。
組織に属する人々にとっては、この行き方が一番安易な処世術である。
言われた通りに鸚鵡返ししていれば済む事で、それさえしていれば、自分の身は安泰であるとなれば、誰も敢えて異論を差し挟む必要は無いわけである。
上層部から言われた通りに動いていれば、自分はその上司から叱責を受ける事はないわけで、その為に一般の市民なり、国民なり、党員がいくら不便を託っても本人には関係ないわけである。
これはある意味では責任を体制に転嫁する事と同意語であり、巨大な組織には体制の如何を問わず付いてまわる事でもある。
官僚主義というものが体制の如何を問わず付いてまわるものとしたら、それは人間の持つ基本的な、且つ普遍的な潜在意識としなければならない。
共産主義社会の中で、その選抜されて党員が、こういう人間の基本的な潜在意識のままに行動している事自体、既に共産主義というものから逸脱しているという事である。
その事は、自由主義体制の中の国家組織や、会社組織の中で働いている人と同じなわけで、共産主義でなければならない事とは相反する行為といわなければならない。
その事は、基本的に共産主義というものが、人間の理想を具現化する思考である、と言う事の中に内在している大矛盾なわけである。

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