その8 キューバ危機

キューバ危機の裏側

キューバに密かにミサイルを送り込む作戦というのは、明らかにソビエット側の共産主義の輸出の一環としての軍拡競争の結果であったわけで、フルシチョフの時代なっても、ソビエット連邦の基本的体質としての軍備拡張競争、乃至は共産主義の輸出体質というのは一向に変更される事がなかったわけである。
その上、この頃になるとソビエットというのはアメリカと同等以上の軍事力を持つようになっていたわけで、このミサイルというのも、それの誇示なわけであり、ソビエットとしてはアメリカの中庭に相当するキューバを、自分の陣営に引き入れる事は願ってもないことであったに違いない。
ここにミサイルを設置すれば、アメリカを南側から攻撃する事が出来るわけで、ソビエットにとってこれほど恵まれた条件は他にはありえない。
で、フルシチョフもキューバのカストロを最大限応援したかったに違いないが、そうはさせじと、アメリカが核戦争を覚悟してまで踏ん張ったのがキューバ危機であったと思う。
ソビエットのフルシチョフがキューバにミサイルを持ち込もうと思った、その発想の原点には、相手の、つまりアメリカのしていることを真似した、という部分があるように思われる。
このソビエット側の計画は、アナドウリ計画と呼ばれるものであったが、これによると、ソビエットはキューバに60発のミサイルと、同じ数の核弾頭を持ち込もうとしていたわけで、それはフルシチョフの弁によれば「アメリカと同じことをしただけ」ということになる。
フルシチョフの言う「アメリカと同じ事」というのは、アメリカがトルコとイタリアに核基地を持っていることを指しているわけで、アメリカはこの時点では世界の同盟国に核を配置していたことは周知の事実であり、それに対抗するというのが、ソビエットの側の言い分であったわけである。
いずれにしても、キューバという、アメリカの真向かいというか、中庭というか、至近距離のところに、核ミサイルを置かれて困るの当然の事で、ケネデイー大統領としては、何とか排除させなければならなかったわけである。
そういうわけで、側近を集めて国家安全保障会議という当然の成り行きに至ったわけであるが、ここでは軍を統括する軍人のトップというのは、短篇急な結論を導き出そうと努めたが、大統領はそう云う意見に組することなく、より慎重な手法を考え考え結論を急がなかったわけである。
こういうところは如何にもシビリアン・コントロールの見本のような情景である。
同じ場面をソビエットの状況に敷衍して想像してみると、スターリンというのは、こういう状況下で、自分の意見と合わない人間、異論を述べる側近、諌言してくれる側近というのを悉く遠ざけてしまって、側近にはイエスマンばかりを集めていたに違いない。
まさしく「裸の王様」の状態を呈していたに違いない。
歴史上に名を成した名君というのは、案外こういうケースが多かったように思われるので、スターリンだけが暴君ではなかったであろうが、世の中というものがだんだん近代化して、民主主義が広く世界に行き渡った状況では、いささか時代遅れの統治者であるといわなければならない。
だいたい共産主義社会が真に民主的であるとすれば、党のトップやら、首相の座というものは、輪番制で交代交代で務めてもおかしくない。
代議員の大会によって決められて事だ、と言ったところで、反革命だとか、粛清の対象とか、その罪状を決めるのは、党のトップの意向次第でどうにでもなる社会のはずで、これでは封建領主時代よりももっともっと時代に逆行しているわけである。
それに反し、アメリカはやはり政治の民主化の度合いというものが、ソビエットとは比較にならないほど進んでいたわけで、偵察機がキューバのミサイルを発見してからというもの、安全保障会議というものが有効に機能して、次々と大統領が手を打つ事を助けたわけである。
この「手を打つ」という云い方そのものが大統領の決断であるわけで、閣僚、側近というのは、その決断をするための助言をする事に徹していたわけである。
大統領がその助言をもとに有効な決断、決定するということは、その部下との信頼関係が無い事には成り立たないわけで、アメリカにはそれがあったのである。
助言をしてくれる部下を信頼していないからこそ、ソビエットの場合は、反対意見の持ち主を粛清したり遠ざけたりするわけであるが、これでは政権のトップの者が「裸の王様」に等しい状況を自ら作っているようなものである。
ソビエットのフルシチョフが、アメリカと同じ事をしている、という言い分には一理ある。
第2次世界大戦後のアメリカは、ソビエット連邦の領土拡張主義というものを警戒し、ヨーロッパの復興を促すという大義名文のもとに、ソビエットを囲い込む政策をとり、NATO諸国に核を配置してきたのは、共産主義の拡大を危惧するアメリカにとっては必然的な行為であり、それが為、これは東西冷戦の根源的理由になっていたのであるから、ソビエットがそう言うのもある面では致し方ないところがある。
自由主義陣営にとっては、共産主義の拡大とか、共産主義の輸出というのは、実に困った事で、民族自決の理想と言えば体裁が良いが、基本的に政治体制を決めるのは、その民族の自主権の発露に他ならない事は論を待たない。
しかし、その民族が真に民族の自主権でもって自らの政治体制を決めるのならば、それは民族自決という言葉が字義通り通用するが、この場合、往々にして共産主義というものが専横しがちである。
今までの、各地の、各国の成り行きを見てみても、共産主義者乃至は共産党というものは、あらゆる国で、ある程度の勢力にはなるが、それ以上にはならないわけで、それ故に、彼らは革命という手段に訴えざるを得なくなるのである。
ある程度の勢力までは維持出来るが、過半数にはならないわけで、そこでその地の共産党勢力というのは、ソビエットに救いの手を依頼すると、ソビエットが多くの軍事力を投入して、既存の勢力を粉砕してしまう、というのが彼らの常套手段であったわけである。
こういう状況を見るに付け、アメリカはそれを座して見ているわけにはいかず、既存の勢力の側に立たざるを得なくなるわけである。
この時もカリブ海で同じ状況が起きたわけで、カストロという、本当の民主化の旗手とは程遠いような野蛮な男が、共産主義革命でアメリカの資本を全部国有化して、共産革命をなしたわけで、そういう国が、自らの土地にソビエトのミサイル基地を作ろうとしているわけである。
この状況がアメリカにとってはなはだ困る事は我々部外者にもよく理解出来る。
そもそもカストロがアメリカ資本を凍結して、それを国有化するということは、ある種の言葉のアヤで、卑劣な表現をすれば、私物化したという方が実情をよりよく表していると思う。
カストロが野蛮であろうが何であろうが、ソビエットにとってみれば、カリブ海の真中に共産主義の国が出来れば、これほどありがたい事はないわけで、いくら軍事援助をしてもお釣りが来るぐらいである。
その上、その軍事援助の仕方が、これまた非常に卑劣で、このアナドウリ計画というのは、農業支援という体裁をとって、それに携わる軍人は、全て農業技術者という触れ込みで、85隻の輸送船で45000人の人間を動員したといわれている。
しかもU2が空中撮影したのが1962年の10月16日であったが、この計画は、その前年の10月から行われていたわけである。
カストロが政権を取ってからわずか2年後には、ソビエトはこのカリブ海に触手を動かしていたわけである。
こういう状況であってみれば、アメリカの安全保障を担っている軍人達が一刻も早くキューバのミサイル基地を粉砕しておきたい、という衝動は尤もな事である。
しかし、ケネデイー大統領にしてみれば、ただ単にキューバを叩くだけでは事がすまないわけで、もしそれをすれば当然ソビエットからの報復ということを考えなければならず、そう単純に空爆を実施するわけにはいかない。
この辺りにも冷静な判断力が機能している証拠である。
我々、日本人の歴史、特に先の太平洋戦争の経験を振り返ってみれば、こういう状況下では、精神主義が台頭しがちで、やってしまえば後は何とかなるという泥縄式の発想に陥りがちであるが、アメリカ人の発想は、あらゆる状況を合理的に考え、議論を重ね、精神主義の隙入るところを極力排除する思考である。
ここでケネデイー大統領の一番の危惧は、西ドイツのベルリンの事が最大の心配事であったわけである。
もしキューバをあっさり空爆してしまえば、ソビエットはドイツに報復に出るのではないか、という懸念であった。
当時ドイツにはNATO軍の数倍のソビエットの軍事力が集中していたわけで、キューバを空爆する事は簡単なことであるが、もしそれをした場合、ドイツに駐留しているソビエト軍が一挙にベルリンに侵攻すれば、ヨーロッパというのはひとたまりもない。
それとケネデイーが心配したもう一つの事は、核による報復である。
もうこうなれば核兵器の全面的対決であり、第3次世界大戦という事に必然的にならざるを得ないわけで、冷戦がホットな戦争に摩り替わってしまうということは、人類そのもの滅亡の淵に立たされているということに他ならない。
こういう場合、国のトップに立つ人間というのは、あらゆるコネクションを最大限利用して、最良の選択肢を探り当てる努力をするものである。
ケネデイーはこの時、閣僚の外にもう一人の人物に意見を聞いている。
それはもと空軍のトップにいた、戦略空軍の生みの親というべき、ロバート・ロベットという人物で、彼はこの時点で銀行家であったが、こういう柔軟な発想のケネデイーは、あらゆる方策と手段を講じて、自らの決断に誤りのないように知恵を絞ったわけである。
ロバート・ロベットの役割というのは、強行に空爆を主張する空軍の発言を押さえるのと、「核の使用も辞さない」という強い意思を、先方に解らせるためであった。
ケネデイーといえども、自分の側近の強硬論を押さえきれないと判断したわけで、そのためには自分の人脈をフルに使ったわけである。
そのもう一方では、弟のロバート・ケネデイー司法長官に命じて、ソビエットとの接触を探り出していたのである。
いわゆる取引の材料を探していたわけである。
ソビエットのフルシチョフの心配は、アメリカが直接キューバに上陸して、せっかく誕生した自分の陣営を殲滅してしまうのではないか、という点であった。
もしそうなれば、今までのソビエトの苦労も水泡に帰してしまうわけであるから、それはソビエットにとっても困ることになるわけである。
ケネデイーがソ連との取引の材料を探し出した、ということは、お互いのカードを握り締めながら、ブラフを掛け合おうとしていたわけである。
ケネデイーがアメリカ国民に、キューバで何が起きているのか発表したのは、U2がキューバのミサイル基地を発見してから一週間たった後の事である。
外交というものに、秘密の漏洩ということが重要なフアクターになっている以上、そうなんでもかんでも情報公開する事は、国益に反しているということである。
民主主義の国であれば、国民の考える国益と、統治者の考える国益というものには、当然温度差の違いというものがあるわけで、その間のギャップを少しでも少なくした上で発表ということになるのも極当然な事である。
情報公開というと、日本では何でもかんでも洗いざらい公にしてしまえば、それで事が済むという印象を受けがちであるが、事が2国間の外交、特に安全保障に関わる緊急事態であるとすれば、全ての情報を洗いざらいぶちまけてしまえば国益を損なう事になりかねない。
我々、戦後の日本人というのは、こういう場面で、国益という思考を全く蔑ろにしており、自分の国の国益を害する発言、発想、思考というのは、相手の国益を益する事になるわけで、主権国家の国民として、こんな馬鹿な話はないわけである。
国益というものの概念がないということは、主権国家の主権という認識が欠けているということに等しいように思う。
米ソが国益を賭けて、ブラフを掛け合っているということは、双方がお互いの国益にとって最上の結果を引き出そうと躍起になっている証拠である。
ケネデイーは最初にミサイルが発見されてからの1週間というもの、いろいろな意見を聞き比べて、最良の選択をしようと模索していたが、軍人達が強行に推してくる空爆という手段も考慮に入れながら、海上封鎖という手法に考えを固めつつあった。
これはソビエットからキューバに持ち込まれるミサイルを、海上で臨検して、上陸させないという発想であるが、いわばある種の宣戦布告でもあったわけである。
正面切った宣戦布告はしないが、実質、宣戦布告に近いもので、言う事を聞かなければ核を使いますよ、という暗示でもあったわけである。
ケネデイーがアメリカ国民に発表したということは、同時にソビエットにもアメリカの意思をそのままストレートに表示した事にもなるわけで、フルシチョフはただちにアクションを開始した。
フルシチョフの最初のアクションは、キューバのミサイル発射の担当者と、核弾頭の担当者に対して、「決してそれらを使うな」という指示であった。
この海上封鎖は10月24日に行われたが、このとき数時間の差で、ソビエットの輸送船が核弾頭を積んだまま、封鎖ラインを通過していたということがその後判明した。
こういう処置をしながら、裏では秘密の接触が行われ、そこには秘密の取引さえも存在していたわけである。
秘密の取引というのは、トルコの核ミサイルの撤去であり、これはソビエット側の持ち出したカードであったが、アメリカはこれを呑む代わり、ソビエットはキューバからミサイルを撤去するというものであった。
しかし、これはヨーロッパ諸国にも連絡されず、ケネデイー一人の判断で行われたわけで、ケネデイーにしてみれば、トルコのミサイルは時代遅れのもので、それを撤去した穴は潜水艦発射のミサイルで補完すればいい、という魂胆が根底にあったからである。
しかし、問題はそれがヨーロッパ諸国・NATO諸国の安全保障に深く関わっているにもかかわらず、アメリカの独断でしても良いのか、という倫理の問題であった。
この倫理の問題があるからこそ、アメリカはそれを秘密にしておかなければならなかったわけである。
こういう風に、外交、特に安全保障に関わる問題というのは、何でもかんでも情報開示する事はありえないわけで、我々は今日情報公開ということを安易に考えがちであるが、外交交渉には秘密がついて回るということも認識しなければならない。
後日談ではあるが、ソビエットというのはアメリカの海上封鎖の前に核弾頭を計画通りキューバに持ち込んでおり、それはU2偵察機でも発見できなかったわけである。
キューバ危機というのは、文字通り一触触発の危機であったが、米ソの首脳はよくその対応を過たず切り抜けたものである。
何処かでボタンの掛け違いがあれば、それこそ核戦争になり、第3次世界大戦なっていたところである。
今この事件を振り返ってみると、これはフルシチョフの先走りという印象が強いように思える。
何度も述べてきたように、ソビエットとってはアメリカの庭先に近いカリブ海の真中に、自分の陣営に協力する国が出来れば、これほど有り難い事もないわけで、その状況に有頂天になりすぎて、はしゃぎすぎたという感がする。
今思えば、米ソの両首脳とも、核は使える状態にしつつも、使う気は無かったということが判明したが、これはまさしく一触触発の危機であったわけである。
この時、組織の中間の者が先走りをしたとしたら、もう手に負えない事態になっていたことは明らかである。
体制が違っていても、組織の中間の者がよくトップの言う事を聞いたからこそ、この危機が乗り越えられたといっても良いと思う。
振り返って、我が日本の歴史を見てみると、特に日中戦争から太平洋戦争の過程というのは、軍という組織の中間の者が、統治のトップの意向を悉く踏みにじった結果であった。
日本の政治のトップとしての天皇も、政府も、如何に戦争を回避するかに心を砕いていたにもかかわらず、帝国軍人という軍の組織が、天皇の心のうちと反対の事を押し進めてしまったわけで、その50年後に起きた米ソの危機の時と状況が全く逆になっていたわけである。
米ソと、体制は全く逆転したにもかかわらず、双方とも、軍人というものが時の為政者、統治者に対して、実に従順で、その意をよく汲んで、先走るような事をしなかったからこそ今日があるような気がしてならない。
そして、双方が妥協するについては、お互いにブラフを掛け合い、カードをちらちらさせながら、相手の手の内を読み取ろうと努力し、裏からの闇交渉も辞さず、とにかく核戦争だけは避けなければ、という意思を推しとおしたわけである。
トルコのミサイル撤去というソビエット側の要求を飲む事を決意したケネデイーの考えは、トルコのミサイルは既に時代遅れになっている、という認識があったと同時に、潜水艦によるミサイルというものが既に実戦配備になっているという状況のもとで、この部分はソビエットの譲ってもたいした損ではないという判断があったわけで、ソビエット側の条件は、アメリカがキューバに武力侵攻しない、という極めて現実的な要求であったわけである。
キューバというのは、革命以降も、同じキューバ人による反革命、キューバ侵攻というのがたびたびあり、それは悉く失敗していたわけで、それを支援していたのは他ならぬアメリカであったわけである。
ソビエットの立場にしてみれば、せっかくカリブ海に誕生した自分達の陣営が、再びもとの木阿弥に帰ってしまえば何にもならないわけで、そうはさせじと、ソビエットからはるばるミサイルを持ちこんでまで、キューバを軍事支援していたわけである。
アメリカがトルコのミサイルを撤去し、キューバに侵攻しないという約束が出来れば、フルシチョフとしてもこれ以上危ない綱渡りをする必要はなかったわけである。
ケネデイーのとった海上封鎖という手法も、実に絶妙なテクニックで、実質的な宣戦布告であるにもかかわらず、相手に逃げ道を空けておいてやったようなものである。
こういう外交というか、政治というか、戦争回避のテクニックというのは、我々、日本人の政治感覚の中には見出す事が難しい。
我々の歴史を見れば、いきなり真珠湾攻撃という奇襲作戦で、相手を戦争の場に無理やり引きずり出すという、がさつな手法になってしまった。
それも相手の罠に嵌った事も知らずに、勝った勝ったと嬉々としていたわけで、アメリカ側の時の大統領ルーズベルトは自分の方から宣戦布告をするという愚を犯すことなく、ジャパン・パッシングの整合性を握り、戦争遂行の大儀名分を手中にしたわけである。
相手に選択の余地を与えた上で、「やるならやってみよ」という態度を示しながら、「そちらがやればこちらもやるぞ」という態度をはっきりと表明したのがこの海上封鎖という発想であった。
戦争は政治の延長線上にあるといわれているが、まさしくキューバ危機というのは政治の延長線上のことで、ここでは政治と外交と戦争が渾然一体となっていたわけである。
これはアメリカ側のみならず、ソビエットのフルシチョフにとっても、同じ状況に立っていたわけである。
この状況をよくよく洞察してみると、こういう危機の時には、もう体制の相違というのは問題にならない。
戦争というのは統治者が趣味で行っているのではなく、国益の追求という大命題に乗っかってやっている政治的行為なわけで、この国益という部分に、体制の相違が反映されているのではないかと思う。
国益というものは、それぞれの主権国家が、それぞれに持っているわけで、その国益というものを如何に実現させるか、ということが主権国家の統治者の使命のはずである。
国益というからには、それは自らの国民の側にあるのではなく、主権の外側に向きがちなものに違いない。
その概念が主権の内側に向かえば、それは国内政治ということになり、外側に向かえば、それは外交であったり、戦争であったり、安全保障であったりするわけである。
米ソの両首脳が、国益というものを秤にかけてポーカー・ゲームをしており、必死になって相手の手の内を探り、ブラフを掛け合っているとき、その下の部下、つまり軍部というものが先走った行動をすれば、これは国家の主権そのものがぐらついてしまうわけである。
この鉄の規律というものをアメリカはデモクラシーにより維持し、ソビエットは共産党の党則というか、ある種の上からの締め付けというか、粛清という恐怖政治をする事によって、そういう行為を抑圧していたわけである。
ところが我々が今世紀に犯した過ちの大部分というのは、政府のトップの意向を軍部が悉く踏みにじった事による悲劇であったわけである。
キューバ危機においては、核というものがいつでも使える状況であったにもかかわらず、米ソの首脳はそれを使う事を最初から避けており、それはあくまで抑止力としての存在を誇示するだけに止め、その裏の政治的駆け引きによって解決する腹つもりであった。
こういう国家のトップの意図を忠実に具現化するというのは、案外難しい事で、往々にしてトップの意図に反して組織の中間層が先ばしるケースが見うけられる。
ケネデイーがその対応を苦慮しているとき、幕僚である軍人達は、即刻空爆を実施してミサイルを強制的に破壊してしまう、という手段を進言したにもかかわらず、ケネデイーがうんといわず、海上封鎖という穏やかな手法で以ってソビエットのフルシチョフの妥協を引き出した、ということはケネデイーの政治的勝利だと思う。
フルシチョフも、彼なりの国益であるキューバという自陣営を失うことなく、トルコにある目に上のたんこぶを取り除くことができたわけで、妥協の価値がそれなりにあったわけである。
このキューバ危機というものを見ても、国家の危機管理という問題は、政治と外交、および安全保障と深く係わり合っているわけで、安全保障だけを取り出して議論する事はありえない。
それと相手の国との交渉事である限り、自分のほうの都合のみを推しつけたところで、相手からの妥協はありえないわけで、やはりそこには「肉を切らせて骨を切る」というギブ・アンド・テイクの精神が無い事には事の解決にはならないと思う。
そういう状況を考えてみると我々、日本民族が半世紀前に行った軍人の横暴ということは、如何に民主化の度合いが未熟であったかと言う事が出来る。
人間というのは習熟して物事に練達するのであるから、時代がそういう情況を呈したと言ってみたところで、責任回避以外の何物でもないわけで、政治の延長としての戦争に敗北した事を時代の所為にせいにすることは、自らの民族としての人間の能力とか、知性を蔑ろにするということに他ならない。
人間に知性とか、理性、知恵というものがあるとしたら、国民を塗炭の苦しみから救う方向に、そういうものを向けなければならないと思うが、我々の場合、敢えて、その渦中に飛び込む方向にそれが向いてしまった、といわなければならない。
ケネデイーが海上封鎖という方針を決定したとき、10月24日に始めてアメリカ国民にその事が知らされたわけであるが、その間約1週間のタイム・ラグがあった。
日本の新聞論調の言い方を借りれば「空白の1週間」乃至は「密室の1週間」という言い方になるであろうが、統治する側にしてみれば、物事を決定するまでには多少の時間が必要でもあり、物事の悉くを洗いざらい大衆の前にさらけ出す必要もないわけで、そういう面も、我々は見習う必要があるように思う。
我々も先の大戦では嘘の発表ばかりを聞かされてきたので、政府の公表する事柄には、特に神経質になりがちであるが、それも政治の手法の一つではある。
発表すべき事と、すべきでない事の選別ということが大事なわけであるが、それと同時に、その発表のタイミングという事も、その内容と同じ位の大きさで重要な要因である。
この時アメリカの全軍でデフコン 2・DEFCON 2が発令された。
これはアメリカの全軍にまさしく「臨戦体制を取れ」という内容の命令で、アメリカのあらゆる戦闘部隊は、何時でも出撃出来る準備を完了しておけ、というものである。
今の平和ボケの日本人には想像も出来ないであろうが、まさしく国家有事の一番緊張した状況である。
DEFCONというのは、いうまでもなくデフェンス・コンデイションということで、強いて日本語にすれば防衛体制とでも云うことであるが、これには5段階あって、DEFCON 1から5まである。
DEFCON 1は既に戦闘状態にはいった状況で、DEFCON 5は平時の状況をしめしている。
よって、DEFCON 2というのは、戦闘体勢にまさに入らんとする状況を示しているわけで、軍の組織としては、何時、如何なる状況でも、ただちに出撃出来る体制を維持しなければならないわけである。
こういう状況を想定して、その状況に応じて、待機の態勢を整え、あらゆる状況に即応するという考え方というのは、やはりアメリカ流の合理主義の発想が根底にあるということだと思う。
日本の自衛隊もこれに準じた行動をとることになっているが、こういうシステムを構築するという点では、アメリカの合理主義というものを、我々、日本人は超えられないような気がしてならない。
これまで見たように、キューバ危機に関するアメリカ大統領の政策決定の過程というのは、まさにアメリカ流の合理主義に根付いたシビリアン・コントロールの最良の見本を見るようなっものである。
軍のトップがいくら空爆を進言しても、大統領は首を縦に振らず、空爆という荒っぽい行為を押さえ込みながら、一方では相手の妥協を引き出す裏工作に奔走し、相手の妥協を引き出すについても、表向きは核の使用も辞さない、という強硬姿勢を示しつつ妥協点を探る、という政治手法は世界のリーダーにふさわしい行為であったと思う。
一方のフルシチョフも、キューバをミサイル基地にする事にかけては妥協せざるを得なかったが、もう一方の手ではトルコのミサイル基地を撤去させるという利益を得、体面を保つ事が出来たわけであり、それなりの政治的利益というものは掴んだわけである。
アメリカが海上封鎖した時点で、ソビエットの核はキューバに運び込まれた後であった、という事から考えるとまさしくキューバ危機というのは一触触発の危機であったわけである。
双方の軍人の中で、一人か二人の指揮官が先走れば、完全に世界大戦、第3次世界大戦、しかも核戦争の渦中に巻き込まれたわけで、米ソの両首脳がいくら核の使用に慎重であったとしても、軍の組織の中間の一部分が先走った行動に出れば、両首脳の意図は木っ端微塵に吹き飛んでしまったわけである。
そういう危機を孕みながらも、フルシチョフが妥協して、キューバからミサイルを撤去したということは、フルシチョフの大英断であったに違いない。
この事例に比べ、日本が過去に犯した過ち、すなわち今次の大戦に嵌り込んで行った過程をつらつら振り返ってみると、軍というもののシビリアン・コントロールというものが如何に稚拙で、民主主義というものが未成熟であったかという事に行きつく。

我々の危機管理の稚拙さ

国策決定も、我々の日常生活における諸々の生き方も、物事を決めるということにおいては全く同じ事をしているわけで、その場面を再現してみると、民主的な物事の決定と、そうでない場合が一目瞭然と理解出来る。
我々の場合、会議の場での発言というものに本音の部分が少なく、周囲の雰囲気を考慮しつつ、誰をも傷つけないことの配慮が先にたってしまって、本音というものを会議の場で振りかざす事が少ない。
こういう重要な会議の場に集まる集団というのは、全く未知の人を無秩序に集めて会議をするのではなく、決定すべき事柄に深く係わり合っている人々が集約的に集められて会議をするわけであるから、出席者同士というのはお互いに顔見知りの場合が多い。
いわば仲間内の会議になりやすいので、我々の場合には、いわゆる以心伝心ということに流れがちであるが、アメリカ人の場合は、仲間内だからこそ本音を出し合う、という全く我々とは逆の発想になっているようである。
我々、日本人の以心伝心というのも案外頼りにならないもので、言葉が少ないが故に、了解事項が全く正反対に受け取られる場合が往々にしてある。
それに付けても仲間を庇い合うということが我々、日本民族の最大の欠点である。
その事は、ルールよりも人情の機微を優先させるということに現れているわけで、ルール違反に対して非常に寛大で、ルールの厳正なる施行よりも、違反ではあるけれど人間味のある処置を優先させるという気風になって残っているところが我々、日本民族の民主化の度合いが未成熟な証拠だと思う。
キューバ危機に際してケネデイー大統領の取った処置、決断というのは、我々の物事の決定の仕方にとって大いに参考になる部分がある。
危機管理という面で、国家、特に軍が危機に対処する体制というものを、5段階に予め類別しておいて、トップの判断が出た祭には、如何なる状況下でも、ただちのその体制に移れる、という準備体制というのは我々にとっては大いに参考になる。
我々の国でも、消防と警察は、それに似た体制を作っていると思うが、行政サイドという面では、そういう対応の整備が不充分ではないかと思う。
消防も警察も行政の一環ではあるが、安全保障という点からすれば、内政的なもので、日本は憲法で戦争放棄しているのだから、それ以外の準備態勢というのは不要である、という思考はあまりにも独り善がりな発想であろうと思う。
戦後半世紀以上の時間というものは、我々の同朋が、この思い込み、独り善がりで独善的な思考から一歩も出ることがなかった。
戦後の日本人の誰も彼もが、日本の憲法では戦争を放棄しているので、日本に危機をもたらす国は存在し得ない、という思考に嵌り込んでしまっていた。
ところが、北朝鮮という隣国が、日本の上空を超えてミサイルを飛ばしたとなると、慌てふためく事になるわけである。
北朝鮮としても、日本を直接攻撃するつもりでミサイルを飛ばした、とは決して言わない。
あくまでも実験の域を出るものではない、という言い方に徹しているが、この実験そのものが日本にとっては危機なわけである。
しかし、平和ボケの日本人は、その本質さえ知ろうとはしていない。
相手の言い分を鵜呑みにして信用している。
我々、日本人というのは、今までの歴史を常に対症療法で切り抜けてきた民族で、これから起きるであろう事柄を予測して、それを迎え撃つという発想に乏しい。
自分達の先の予測を避けて通る事を生業としている節がある。
先のことを予測するということは、その予測があたる事もあれば、あたらない事もあるわけで、あたらなかった事も考慮に入れて合理的に考える、という発想に乏しいような気がしてならない。
危機管理とか安全保障というのは、実に金の掛かることで、我々は、戦後アメリカとの安全保障条約、そしてアメリカの核の傘の庇護のもとに、危機管理にも、安全保障にも、金をつぎ込んでこなかった。
宇宙船地球号の乗組員として、普通の主権国家の一員として、自前で安全保障をまかなうとしたら、とても今日の日本の繁栄はなかったに違いない。
戦前の日本というのは、ある意味で、自前で安全保障を維持しようとし、独立国として普通の国足らんと欲したにもかかわらず、周囲の状況がそれを許さなかったわけである。
自前で安全保障を維持し、独立国として普通の国足らんと欲すれば、それは必然的に帝國主義的拡張主義にならざるを得ないわけで、それは国家体制の如何を問わず、そうなってしまう。
誰にも頼らず、自前で自立しようとすれば、どうしても周囲の状況に依拠して、強いところにはゴマをすり、弱いところは上から圧迫して、自分自身を支えなければならない。
宇宙船地球号の乗組員の一員として、独立自尊を維持するということは、墓場の石塔のように、孤立して屹立しているわけではない。
お互いが政治、外交、経済、貿易という、見えない糸で結ばれて、絡み合って渾然一体となって存在しているわけで、墓場の石塔のように、一つ一つが周囲と無関係に存在しているわけではない。
こういう状況を敷衍して眺めてみれば、主権国家のリーダーというのは、先の見通しというものを常に考慮に入れ、それを見誤らないように、常に自分のブレーンを最良、最高のものとして維持しなければならない。
人間の社会というのは、常に複数の人間の存在を前提として築かれているわけで、組織というものを抜きには考えられない。
シビリアン・コントロールも一種の上意下達の形態である事に変わりはないが、この当たり前にして普遍的なことが、当たり前に機能してこそ、組織というものの意義が失われずにあるわけで、日本のかっての軍部のように、上長の意向を全く無視して、自分の好き勝手な行動をすると云うことは、組織崩壊の尤も顕著な事例に他ならない。
国家というシステムを、如何に堅牢な組織として維持するか、ということは統治者に求められる最大の政治的力量には違いないが、我々の戦前の軍部の在り方というものは、その点から見て如何に未熟であったかということに尽きると思う。
キューバ危機の時の日本の状況というのは、池田勇人が首相をつとめ、日本社会党が江田三郎から成田知巳に交代したりしているが、この時点での日本社会党の論理というのは、如何にも子供っぽいもので、大人の議論として、噛み合わないのも当然の成り行きであった。
先の大戦中、戦時中に、アメリカのB−29に対して防空頭巾や竹槍で対抗しようという発想と軌を一にしたようなもので、そういう稚拙な発想のままで、安全保障ということを論議していたわけである。
米ソが核弾頭でお互いに攻撃しようかどうか、といって相手の出方を探り合っているときに、原子力潜水艦の日本寄港を認めるとか認めないという低レベルの議論をしているわけで、この発想の幼稚さというものは、旧軍人の発想の欠如と全く軌を一にしている。
その事に彼ら自身気がついていないわけで、彼らの頭の中にある思考というのは、自らの政府に対して反対する事のみで、これでは中華人民共和国や、東側陣営のソビエット連邦の国益を代弁しているようなものである。
自分の国を不利な方向に導くような人間は、何処の国でも相手にしないわけで、共産主義者が真剣に革命を成就しようとすれば、ソビエットもミサイルを配置したり、核を分け与えるという軍事援助は惜しまないであろうが、その革命の意思が曖昧なうちは、露骨な内政干渉は手控えるというのがソビエット自身の国益でもあったわけである。
その意味からすれば、この時の日本の政治状況というのは、まだまだ自民党が頑張っており、共産主義革命というのは現実味がなかったわけである。
そういう状況下であってみれば、ソビエットも日本の革新としての社会党というものを信用し切ってはおらず、むしろ馬鹿にしていたのではないかと思う。
日本の政治家の最大に欠点というのは、国政に関する議論が出来ない、という点にある。
政治家というものが国策についてほとんど勉強しておらず、感情論に依拠した多数決という政治手法を取っている限り、日本の政治家には、真の政策論議はありえない。
米ソの首脳が核を使うかどうかで腹の探りあいをしているとき、日本では自衛隊の演習に関し、その電話線を切って、演習を妨害するという事件、いわゆる恵庭事件というのが起きた。
この事件は、自衛隊の演習を民間人が妨害したということで、日本では大いに問題視された事件であったが、事件そのものは人を傷つけたわけでもなく、たいした被害を与えたこともないので、差ほど重要視する必要はない。
問題は、軍の行動を妨害する国民の存在ということを、我々は深く考察しなければならない。
戦後の日本には、いわゆる軍というものは存在していないので、自衛隊の演習を妨害しても、それは軍に反抗した事にはならない、という言い分にも一理あるかようにみえる。
戦後の民主教育というのは、軍国主義の排除という大義名分のもと、国家に忠実になるということを罪悪視する傾向があるが、それが一番問題なわけである。日本も、国際社会に通用する普通の国家、乃至は国際連合に寄与する普通の国家としてありたいと思うならば、主権国家の必須条件としての自前の軍隊というものを持つ必要がある。
今日の日本の自衛隊というのは、実質、アジアでは最強の部類の軍隊のはずであるが、それを維持している我々日本の国民の中には、未だにそれを継子扱いにして、正式に軍隊として認知したがらない傾向がある。
自衛隊を軍隊と呼べば、日本は再び戦争への道を突き進むに違いないと、「暑さに懲りて膾を吹く」類の心配をする人がいるが、そういう人は、我々の同胞の民族性というものを全く理解していない人に等しい。
昨今の日本の若者の姿を見て、再び戦争をしでかすような覇気のある人がいると思えるであろうか?
間違った思い込みほど恐ろしいものもないわけで、今の日本の現状を見て、武器を取って他国に戦争に行く若者が果して本当に居る、と思う方が馬鹿か阿呆である。
今の日本は、まさしく正真正銘の平和ボケの人々、烏合の衆の集団に過ぎず、武装としてはアジア最強かもしれないが、それを操るべき人間の方は、アジアでも最低の集団で、愛国心に欠け、自分のことだけしか考えない、利己主義で傲慢な人間ばかりである。
国家の危機に、身を挺して同胞の為に献身を惜しまない人間というのは皆無といってもいいと思う。
国民の大半がこういう精神状態の中にあるのに、今更他国に戦争を吹き掛ける日本人など存在するわけが無い。
やられても逃げるばかりで、反撃する気力を持ち合わせている人間が皆無であると思う。
しかし、それでもなお自衛隊を罪悪視する人々というのは、自分の同朋の現実の姿というもを全く知らない人々で、こういう人々が大声で反政府スローガンを叫ぶということは、まさしく亡国に寄与する行為である。

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