その8 キューバ危機

共産主義・その8  キューバ危機 平成11年8月29日

アメリカの喉元に位置するキューバ

ソビエット連邦の独裁者・スターリンが死去したのが、1953年3月の事で、その後はしばらく外相を勤めたマレンコフが首相の座を射止め、9月にはフルシチョフがソビエット共産党第一書記長の座を確保した。
フルシチョフが党第1書記に任命されたということは、政権を得るための第一の関門を通過したと云うことであり、スターリンが死去してからフルシチョフが政権を得るまでの間は、マレンコフとブルガーニンが合せて5年間の間があった。
この5年間というものはヨーロッパにとっては、あいも変わらず戦々恐々の5年間であった。
その中でも最大の恐怖はハンガリー動乱であった。
これも従来のソビエットの政権獲得というか、覇権確保の常套手段で、ハンガリーの内部で共産党の躍進を阻もうとする勢力を、ソビエットが武力で鎮圧した騒動であるが、共産主義というものは民族自決を標榜しておきながら、その行為というのは、それを裏切る事ばかりをしてきたわけである。
それはまさしく1940年のソビエットによるバルト3国の併合と軌を一つにしている。
ハンガリーの共産党を支援するという名目で、ソビエットの軍隊がハンガリーの民衆を弾圧したわけで、いわゆる直接侵略と全く同じ事である。
これは共産主義革命の輸出と同じであり、同時に帝國主義的領土拡張と同義語である。
こういう矛盾を内包したまま、第2次世界大戦後のソビエットというのも世代交代していたわけで、フルシチョフの最大の特徴というのは、今まで神聖とされていたスターリンを批判した、という点で世界中をアッと驚かせたところにある。
だいたい自分の国の指導者を批判できない体制というのは、根本的におかしな事である。
共産主義体制のもとで、今まで散々旧体制の君主や、貴族や、富豪を批判しておきながら、共産党の天下になったら、党の指導者を批判することができない、ということ自体が大矛盾なわけである。
彼らにしてみれば、革命の創始者であるところのレーニンや、ソビエットを曲がりなりにも近代化したスターリンというのは、偉大な指導者である事には違いなかろうが、だからといって、それを神聖化すること自体、共産主義の内部に潜む矛盾である。
党の先輩指導者を神聖化するということは、共産主義というイデオロギーを剥ぎ取った、人間本来の人間性に根ざした行為といわなければならない。
即ち、主義主張というものは、人間の理性が編み出した、人間の知恵と、人間の頭脳の産物であるが、自らの指導者を崇め奉るという行為は、人間の基本的な潜在意識のなさしめる現象に過ぎないわけである。
フルシチョフ以前のソビエットの体制というのは、この人間が従来持っている潜在意識というものを、共産主義者の体制というものが上手に利用していたということに他ならない。
人を批判するという行為も、人間の極自然な、普遍的な感情のはずで、それをすれば共産主義乃至は共産党というものが反体制というレッテルを張る事によって、本来の人間の潜在意識というものを押さえ込んでいたわけである。
自由というものを体験したことのないソビエット、いやロシア人々というのは、そういう環境に置かれると、自分の座標軸を見失ってしまって、ただただ党の言う事を鵜呑みにし、それに従うしか術がなかったわけである。
そういう環境の中で、フルシチョフが先輩指導者、党の党首、卓越した政治家としてのスターリンを批判するということは、ソビエットの人々にとっては驚天動地のことであったに違いない。
これと同じ事象は我々、日本人も経験している。
即ちそれは昭和天皇の神格化で、戦争に負けて、その神格化が否定された時の驚きと同じ物といわなければならない。
国難に直面した時には何かを神格化して、国民を一つの定められて方向に導くためには、そういう象徴が必要であったわけである。
ところが我々の場合はそれは象徴でありつづけたが、旧ソビエット連邦の場合は実際の行為者、統治者そのものが神格化したところに差異がある。
零戦や戦艦大和が現実のものとして存在する時代に、天皇が神様であると言う事自体全く馬鹿げた事であるが、それが国家統一、戦争目的遂行の為にそういう虚言が罷り通っていたわけである。
一方ソビエットにおいて自国民を虐殺した張本人が神様と崇められるということは、恐怖政治の裏返しの現象で、神様と思わないことには自分が抹殺されてしまうわけである。
この両者に共通する事は、神様の取り巻き連中が架空の象徴を隠れ蓑として自分の利益を保持しようとした保身以外のなにものでもない。
国民と統治者の間に位置する中間管理者が、自分の保身の為に虚像を利用し、その虚像を暴露することが批判であったわけである。
このフルシチョフの時代、1956年、ソビエットはハンガリーに積極的に触手を伸ばし、ハンガリー動乱という形でハンガリーを武力でもって自らの陣営に引きずり込んでしまった。
こういう一連の勢力拡大の手法というのは、海を越え、アメリカ合衆国のお膝元のキューバにまで飛び火したからたまらない。
キューバというのは、日本やフイリッピンに比べればアメリカ合衆国には一段と近い国であり、そのためその基幹産業というものがアメリカ資本に牛耳られてしまうのはある面で致し方ない事である。
キューバ人がしっかりしていれば、そういう轍を避け得たかもしれないが、所詮、楽天的なラテン系の民族なので、アメリカ人のくびきを脱する気概も、気力もなかったに違いない。
国連の言葉でいうところの低開発国の一つに過ぎなかったところに、カストロという共産主義者がいきなり現行政府に対抗する勢力として浮上してきたわけである。
そして、このカストロは、1959年農地改革を旗印にして革命を起こし、それが一応の軌道に乗ると、次にはキューバのアメリカ資本に牛耳られた基幹産業を全て国有化してしまったわけである。
アメリカ人の資産であるアメリカ系基幹産業を全部没収してしまう、と云うことは自由主義の立場からすれば容認出来ることではない。
アメリカとしては切歯扼腕すれども、相手がソビエットの子分に近い共産主義者であれば、そう安易に成敗する事も出来なかったわけである。
それと反対に、こういう事態を見て、大いに援助をしたがっているのが、それと対極の位置にいるソビエットに他ならない。
で、そのソビエットは、積極的にキューバのカストロに武力援助をしたわけである。
キューバというのは、東欧諸国のように、地続きの土地ではないので、列車や道路を利用して戦車を大量に送り込むという事はありえない。
そういうわけで、武力乃至は兵器として、その時点で一番最新的、且つ合理的なミサイルというものをキューバ国内に船で持ち込んだわけである。
キューバという土地は、ソビエットから見てみれば、アメリカを包み込むためには願ってもない位置にあるわけで、東西冷戦の最中であってみれば、ソビエットがキューバを支援する事は必然的な成り行きであったに違いない。
アメリカもキューバの共産化を座して見ていたわけではない。
いろいろな反革命の運動を支援したものの、それらはいずれも成功しなかった。
一つの主権国家が共産化するのには、その国の国民の知的レベルというものが大いに関係しているような気がしてならない。
要するに、教育の進んだ国ならば、そう安易に共産化しないが、無教育な人々、無教養な人々の多い国では、どうしても共産化してしまいがちである。
貧富の差が大きいから、国民に教養がないのか、教養がないから貧富の差が大きいのかわからないが、共産化する国、民族というのは、いずれもその格差が大きいところである。
貧しい人々にとって、土地を金持ちから取り上げ、貧民に分かち与える、というスローガンは何とも魅力的に写るに違いない。
それが証拠に、共産化した国々というのは、中華人民共和国から、ベトナム、キューバという風に、先進諸国にはない貧富の差の大きい国に他ならない。
こういうところに住む人々が、自らの意思で共産主義というものを選択しているとは到底思われない。
共産主義というものの何たるかも知らずに、ただ土地がもらえる、というだけで現行政府に対抗しているだけのように見える。
その時代の、その土地の、現行政府の要人が優れた人物ではない、と言う事も重々理解出来る。
縁故、収賄、贈賄、身内びいき、という慣行が日常茶飯事に行われ、公私混同が行き着くところまで行っていることは想像し得るが、そういう状況を自らの力で脱却できないでいるからこそ、共産主義に蚕食されるという成り行きは、部外者としてもよく理解出来る。
こういう相手に対して、アメリカがいくら外側から支援しても、そう安易に相手の意識改革を促せるものではない。
しかし、アメリカ側も、そういう状況を座して見ているわけにはいかないわけで、成功はおぼつかないとわかっていても支援せざるを得ない。
もしこういう国、低開発国というものが、共産主義のドミノ倒しのように、世界中に蔓延したら、自由主義陣営としては、はなはだ困った事に成る、というアメリカの焦りというものも、我々には手を取るように分かる。
しかし、アメリカのこういう支援は結局のところ功を奏せず、ソビエットが崩壊するまでは、漁り火のように、地球上に広がってしまった。
その結果として、無為な人殺しが蔓延したわけであるが、これは一種の内戦の形をした民族内部の抗争なるが故に、差ほど表面化する事はなく、秘密裏に行われていたわけである。
共産主義というものが「革命のためには人を殺しても構わない」ということを信条としている限り、こういう悲劇というのはついて回る事は必定である。
しかも、国際社会で主権を認められた主権国家の内部の問題であるとすれば、それは主権者としての選択の問題であったわけで、内部で如何に不合理な方法、理不尽な手法でもって思想犯を取り締まろうが、第3者が関与する問題ではなくなってしまう。
カストロがアメリカ資本の企業を国有化し、土地を貧しい人に分け与えるという農地改革を旗印にして、キューバの首相になったとしても、それはキューバ人の選択の一つであったわけである。
キューバのカストロにしても、自分一人では到底アメリカに対抗し得る武力を維持する事は出来ず、そういう面ではソビエットに頼らざるを得なかったわけであるが、アメリカの喉元にキューバという足がかりを得るということは、ソビエットにとってはこれほど有り難い事もなかったわけである。
そのための軍事支援は、ソビエットの国益にとってっも、時宜を得た思惑であったわけである。
よってソビエットとしては、キューバにミサイル基地を造ることになったわけであるが、これもアメリカの手前、おおぴらに実行するにはあまりにもアメリカを刺激しすぎる、という配慮があったに違いない。

日本とアメリカの会議の違い

そんなわけで、キューバもソビエットも、秘密裏にミサイル基地を建設したつもりでいたところ、それをアメリカの偵察機が察知してしまったわけで、ここに米ソの冷戦がホットな第3次世界大戦にも発展しかねない一大危機が潜んでいたわけである。
1962年・昭和37年10月16日の朝、一機のU2型偵察機がキューバの上空を飛行中、地上にミサイルらしきものを写真撮影し、それを分析したところ、明らかにミサイルと判定され、ただちに当時のケネデイー大統領に報告された。
大統領はただちに国家安全保障会議・EXCOMを召集、ここには当然の事、4軍の長と若干の政府関係者が召集されたわけであるが、この時の模様を詳細に検討すると、アメリカのシビリアン・コントロールの有様を垣間見る事が出来る。
この有様というのをNHKが放映しているが、その前に、やはりNHKの製作した、日本が太平洋戦争を決意したときの模様を再現したものと照らし合わせて見てみると、明らかに危機管理についての日米の政府高官の意思決定のプロセスの違いを見る事が出来る。
軍人というものは、何時の時代でも、如何なる状況でも、戦う事を信条としているだけあって、常に好戦的であるが、その気持ちを如何に押さえ、セーブするかということが、シビリアンとしての大統領の真髄でもある。
日本の場合、天皇陛下の前の御前会議においても、日本民族としての特質が遺憾なく発揮されており、我々の歴史の失敗は、天皇陛下が立憲君主として自分の意見を言わなかったところに民族の悲劇が潜んでいた。
我々の場合、つまり最大限に重要な会議であるにもかかわらず、そこに列席している人達が本音で発言せず、以心伝心で、事の成り行きに任せる、という雰囲気を払拭し得なかったという点が民族滅亡の淵にあったわけである。
ところが、アメリカ人の会議の仕方というのは、自分の意見、考えというものをおおぴらに発言し、質問し、納得がいくまで議論を戦わせる、という雰囲気の会議である。
他人の意見を聞き、自分の意見を述べ、自分の考えを開陳し、活発に議論するという事と、決まった事を遂行するということは、全く別の行為である、という認識を会議に出席している全員が共通して持っている、という点が我々の民主主義と根本的に違っている。
我々は、重大な会議において、自分の発言で人を傷つけたり、誤った結論を導くのではないか、ということを恐れて努めて発言しないように振舞うのが美徳と思う節がある。
しかし彼らアメリカ人というのは、こういう場で実にフランクに自分の意見を開陳している。
やはり私の言葉でいうところの「民主化の度合い」「民主化度」というものは我々とは大いに違っている。
「民主化の度合い」というものは、その民族の持つ潜在的な生き方、発想の仕方、地理的条件によって形作られた生活習慣というものに大きく左右されているような気がしてならない。
我々は農耕民族として、狭い地域の国土に密集的に生きてきたうえ、比較的単一民族で、言わず語らずのうちに意思の疎通が可能であるが故、あまりの雄弁というのは、逆に人々の顰蹙をかいがちであり、「男は黙ってサッポロビール」というように、あまり饒舌に語らないのが男の美学になっている。
だから日本人の会議では、「こんなことは当然皆解っているだろう」という憶測の元に、必要な事も言葉として表さないので、「狐と狸の騙しあい」とか、「腹の探り合い」という重苦しい雰囲気になってしまうわけである。
会議で議論する事と、その結果として会議で決まった事を遂行するという事は全く別な事で、ここにアメリカ・デモクラシーの中のシビリアン・コントロールというものの真髄を見るような気がする。
NHKが放映したケネデイー大統領がキューバ危機に対処したときの録音テープを聞いてみると、国家安全保障会議・EXCOMに参列していた面々は、当時のアメリカ政府の要人を網羅した人々であったことは論を待たないが、中でも安全保障会議と名を打つだけあって、国防関係のトップが座していたのは不思議ではない。
そういう彼らがしきりに「キューバを空爆して一気に制裁を加えてしまおう」というのに対して、大統領はそれを諌め、懐柔し、他の方策、他の道の選択を模索している様子が手にとるようにわかる。
50数年前、半世紀以上も前に、日本がアメリカと戦争をするかどうかの選択を迫られた御前会議においても、当時の天皇陛下は、戦争遂行に反対の意思を持っていたにもかかわらず、それを積極的に口に出さなかったものだから、なんとなく開戦になってしまったわけで、君主として、はっきり意思表示をすれば、その後の日本の道は違っていた事は間違いない。
アメリカ人の会議の仕方というのは、その場に居る人には遠慮なく意見の開陳を許し、意見を述べたからといって、それでもって評価をしない、という点は明らかに「民主化の度合い」が進んでいるように思う。
意見を言った事と、会議の結果としての結論は、全く関係がないわけで、会議の結論としてそれが間違っていたとしても、それは会議をまとめたリーダーの責任になるわけで、意見を述べた人の責任に帰するわけではない。
日本人の会議というのは、出席者があまり意見を云わないものだから、なまじ意見を言うと、その結果の責任まで背負い込まされるので、「物言えば唇寒し」ということになってしまう。
会議のリーダーの責任と、発言者の責任が曖昧模糊としているので、責任が誰にあるのかさっぱり解らない事になってしまうわけである。
会議で事を決めるということは、当然、その結論は、その会議のリーダーによるわけであるが、結論に至るまでは、いろいろ意見、考え方、発想の披瀝があって然るべきである。
そういう様々な意見の中からリーダーは最適なものを取捨選択すれば良いわけで、様々な意見を出させるためには、リーダーとしては、手の内に持っている情報を、つまりカードを皆に一様に開陳しなければならないことは論を待たない。
キューバ危機に関して言えば、そのカードとはアメリカの偵察機U2が空中撮影した写真に他ならない。
ソビエットがキューバにミサイルを持ち込んでいる、という確実な情報を握った事により、アメリカとしてはその対抗手段が必要になってくるわけで、それには大統領の決断によるところが大であるが、その大統領に決断をさせる補助として幕僚がいるわけで、その幕僚が会議の場で本心を語らなければ、大統領の側近としての価値を失うことになってしまう。

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