その6 ヨーロッパ戦線

共産主義・その6 平成11年7月25日

西洋人の人種的偏見

スターリンという男は29年間、約30年間ソビエット連邦という共産主義国家の首脳部の一人、ほとんど独裁者という政治的位置をほしいままにしていたことになる。
レーニンの没後その後釜をついたのが1924年のことで、それからというもの第2次世界大戦終了後もかなり長い期間、ソビエット連邦の独裁者として君臨していた事になる。
彼が死去したのが1953年の事で、この年は日本の年号で言えば昭和28年で、NHKが始めてテレビ放送をした年であり、石川県内灘では米軍の射撃訓練場で地元民が米兵に撃たれた事に憤慨する抗議行動を起こした年であり、引揚げ船の興安丸が中国からの引揚げを再開した年であった。
彼がソビエット共産党書記長という政治的地位を独占していたということは、政治の民主化を唱える共産党、および共産主義の本旨とは大きくかけ離れたことといわなければならない。
30年間も一人の政治家が主権を代表する立場に君臨しつづけていたら、組織疲労することは火を見るより明らかで、事実その地位に君臨し続けた裏には、粛清というライバル抹消の機構があったわけである。
意見の違うものを次から次へと抹消してしまうという手法でもって、政権を維持したとしか言い切れない。
国家の主権というものも実にいいかげんなもので、もともと人間の生活には直接的に関与するものではない。
人間が人間の頭の中で考えた概念に過ぎない。
そして、人間というのは、この概念に縛られて、自らをその概念の中に閉じ込めようとして戦争というものを引き起こしていたのではないかと思う。
ドイツとソビエットは不可侵条約を結んでおきながら、その裏ではポーランドという主権国家を分割していたわけで、このことはドイツの人々も、ポーランドの人々も、ソビエット連邦の人々も、個人としてはその生活に全く関与するものではなかったが、それに主権という概念が入り込むと、ドイツの行為もソビエットの行為も全く許しがたい行為という事になってしまう。
私は近代日本が犯した過ちの中でもアメリカと戦いを始めた、ということは最大の過誤だと思う。
しかし、これにも遠因があるのではないかと思う。
アメリカとソビエットというのは、あの第2次世界大戦というものを連合軍として轡を並べて戦ったわけであるが、この時の両国の首脳者というのは、スターリンとルーズベルトであった。
そして、イギリスと言えばチャーチルであったわけで、何れもヨーロッパ系の人間であったが、彼等は基本的に人種差別の意識を潜在的に持っていたのではないかと思う。
この時代の歴史を俯瞰的に眺めてみると、スターリンも中国共産党というものアジア人なるが故に全く信用しておらず、ルーズベルトに至っては明らかにアジア人を蔑視していた。
彼等は第2次世界大戦を終わらせるために何度も会談をしているが、そういう会談を重ねれば、自ずからお互いに信頼関係が生まれ、主義主張が多少異なっていても、共存共栄が可能であったにもかかわらず、その後の歴史はそうなっていない。
ドイツとソビエットが、いづれは裏切ることを前提の結んだ独ソ不可侵条約が破綻すると、ソビエットは当初ドイツ軍に徹底的に侵略されてしまった。
これはドイツは最初からこうするつもりの上での計画的な行動だったので、ある程度不意打ちを食らったソビエット側の撤退というのは致し方ない面がある。
しかし、こういう状況下で、アメリカのルーズベルトというのは、このソビエットに対して武器供与をしているわけで、歴代のアメリカ大統領のうちでも、ルーズベルト大統領というのは共産主義にかなり寛大であったのではないかと思う。
ソビエットという主権国家が、ドイツとの戦争に四苦八苦しているうちはアメリカもソ連に対して寛大でいられたが、戦争が終結して、その戦後処理を如何にするかという段階になると話しが通じなくなってしまったわけである。
ある意味で、ソビエットの我侭を押さえきれないという構図である。
ソビエットとドイツの間の地域というのは、第2次世界大戦ばかりでなく、ヨーロッパの歴史において、国境線が東に西に、時の勢力圏によって何度も何度も行ったり来たりしている。
ドイツが攻め込めばそこにはソビエットによって殺された死骸がころころしており、ソビエットが再びその地を奪還すれば、ドイツによって殺された死骸がころころしているという有様で、その地に住む人々にとっては、まさに地獄の様相を呈していたわけである。
それが今でも続いているのがコソボである。
問題は、ソビエットというのは、あの戦争をソビエットのみで勝利に導いたのではなく、アメリカという援助がなかったならばどうなっていたのかわからないという点である。
私の個人的な信義からすれば、そういう状況下であったとすれば、アメリカとソビエットというのは仲良く共存共栄を図ってしかるべきではないか、という事である。
それが出来なかったというのは、スターリンの領土拡張主義、乃至は帝國主義的野心の存在が大きく左右していたのではないかと思う。
独裁者ということであれば、それは旧の革命前のニコライ皇帝などと何ら変わるところがないわけで、旧の支配階級というのはそれなりに帝王学というものを備えていたことから考えると、統治者として全くの素人が、共産党という暴力集団の上に乗っかって人々を睥睨していたということに他ならない。
共産主義というものが、労働者の労働者の為の政治を目指すということが本旨であるとすれば、党の官僚化ということはありえないにもかかわらず、それにもまして、一党独裁と言う事である以上、スターリンというのは暴君以外の何物でもなかった。
共産主義というものが民主的な政治を追求するものであったならば、一人の人間に約30年間にもわたって、政権の座を委任することを許してはならない、というのが共産主義の本旨でなければならない。
この事実こそ共産主義の大きな矛盾であったが、人が人を管理すること自体、つまり政治をするということ自体、既に矛盾を内包するものではあるが、矛盾を内包していても、それが国民の福祉と幸福につながるものであれば、それはそれで致し方ない。
それに反し、共産主義が内包する諸矛盾というのは、国民を不幸に導くものであって、国民の福祉にはつながらないものばかりである。
アメリカのルーズベルト大統領と、ソビエットのスターリンというのは、第2次世界大戦というものでは手を組んで連合軍として共に戦った間柄のはずである。
いわば戦友同志であり、我々の一般的な常識からすれば、戦友同士というものは仲良く辛苦を分け合うというのが普遍的な思考であるが、この両者は戦争が終わるやいなや、露骨に領土的野心を露にした。
戦争で領土を取る、という行為は言わずと知れた帝国主義的発想なわけであるが、ソビエットのスターリンと言う為政者は、完全にこの帝国主義的野心に犯されていたわけで、自分は共産主義国の政治指導者でありながら、心は18世紀の帝国主義に浸っていたわけである。
そしてヨーロッパ人として潜在的にありがちな人種差別主義でもあったわけである。
人種差別主義という点ではアメリカのルーズベルトも同じである。
日本を太平洋戦争に引きずり込んだのは明らかにルーズベルト大統領の謀略に嵌まったわけで、こういう謀略がアメリカの対日政策の中に入っている、ということを見ぬけなかったのは我々の側の落ち度というほかない。
日本が真珠湾を攻撃したとき、「これで対日戦が出来る」と言って小躍りしたと伝えられているが、これがルーズベルトの本心ではなかったかと思う。
彼、ルーズベルトは明らかにアジア人を蔑視していた。
彼は日本人を嫌ったばかりでなく中国人も嫌っていたに違いない。
ところが日本と中国というのは既に戦争状態に入っており、中国の国内というのは、蒋介石の国民党と、毛沢東の共産党と、日本の軍隊との三つ巴の混乱状態で、その中でも日本が目覚しい進展をするのを一番恐れていたわけである。
アジアが混迷している限り、彼等はあまり心配はしていないが、その中で日本のように、かなりの勢いで近代化するアジアの国を恐れていたのである。
このルーズベルトと同じ発想をソ連のスターリンもしていた。
スターリンに至っては、中国の共産党さえも信用しておらず、毛沢東も周恩来も眼中になかったような節がある。
スターリンが中国人として信を置いていたのは、毛沢東や周恩来よりもむしろ国民党の蒋介石であった
なぜスターリンが中国共産党よりも国民党の蒋介石に信を置いていたのかといえば、蒋介石のほうが日本に対して対抗する力が強いと思っていたからである。
ソビエットのスターリンも日本の軍事力というものを過大評価しており、その意味からして、中国よりも日本により恐怖心を抱いていたのである。
アメリカのルーズベルトもソビエットのスターリンも、日本がフジヤマ芸者を売り物にしているうちは安心して蔑視しておれたが、日本があまりにも急進的な近代化を推し進め、アメリカやソビエットと技術的に対抗し得る力を持ってくるようになると、何とかしてこれを押し止めなければならない、という焦燥感に駆られたわけである。
中国にはこういう目を見張るような近代化というものが存在せず、彼らヨーロッパ人としては安心して睥睨し、蔑視し続けれる。
ところが日本というのは、日の出の勢いでヨーロッパ人の文化や技術に追いつきかねないので、彼等はそこに黄化論の生まれる根拠を見出していたわけである。
ヨーロッパ人とアジア人の間に文化の格差が大きければ彼等は安心しておれるが、この格差をせばめる民族に対しては敵愾心を奮い立たせるわけで、彼らにしてみれば、自分たちが追いつき追い越されるという焦燥感に苛まれるわけである。
それが人種差別という形になって現れたのが、ルーズベルトの策謀であり、日本を戦争に引きずり込んだ遠因である。
ルーズベルトにしろスターリンにしろ、アジア人を人間と見なしていなかったわけで、彼らから見ればアジア人は家畜並に見えていたわけである。
人種差別というのは明らかに偏見以外のなにものでもない。
しかし、人間の持つ偏見というのは、人間としての基本的性癖だと思う。
人はそれぞれに夢や希望を持つのと同じように、その裏側の心理として、偏見や怠惰な心というものも同時に持ち合わせているに違いない。
この人種的偏見の問題というのは、特にヨーロッパ地域においては非常に顕著で、その根底にはキリスト教とユダヤ教の確執が大いに絡んでいるに違いない。
宗教がこういう人種的偏見を助長するということは、宗教の根本的な大矛盾だと思う。
20世紀の初頭においてソビエット連邦のスターリンも、第3帝国のヒットラーも、ともにユダヤ人の迫害ということを行ったわけであるが、これこそ人種的偏見のもっとも顕著な例に他ならない。
迫害する側とされる側という見方をすると、どうしてもする側が悪人でされる側は善人という構図になりがちであるが、私に言わしめれば、される側にもされるだけの大きな理由があるように思う。
仮に改宗を迫られ、改宗しなければ命を保障しない、と脅されたとしたら、そんなものはさっさと改宗すればいいと思う。
日本でも江戸時代に行われた宗門改めによって、キリスト教信者の宗旨変えがなかば強権力によって実施され、それに抵抗して殉教した人もいたが、殉教した人が立派で、宗旨替えに応じた人は何か信念がない、という評価が確立している。
しかし、こういう評価というのは何処か偽善に満ちているような気がしてならない。
自らが真の生を全うしたければ、強権力の前に膝まついても何ら羞じる事はないと思うが、人はそういう行為を心の内では軽蔑している。
心の内で軽蔑するというの事が偽善を助長するわけで、その偽善が表面化したものが人間の下す評価というものである。
ヨーロッパで行われたユダヤ教の迫害というのは、日本の宗門改めなど比較にならないほど、これのもっともっと規模の大きいものと見て間違いない。
人間の理想を具現化したとされる共産主義体制のもとでも、同じくファシズムのナチス・ドイツでも、体制が全く正反対にもかかわらず、ユダヤ人を迫害するという目的は一致しているわけで、そのことは体制が如何に違っていようともユダヤ人を嫌うということは生理的に体の中に染み付いてしまっているということである。
そのことは理性や知性で感情をコントロールし得ないということであり、ヨーロッパのある一部の人々にとっては潜在的な気質とまでなってしまっている。
一般に宗教というのは人間の心の平安を目指すものであるはずのものが、世俗的な行為のお守りと化してしまっている。
人々は仏様やキリスト様にお参りをしておいてから、世俗的な悪事をしようとしているわけで、もし宗教に帰依している人々の心が本当に平安であったとしたら、この世はもっともっと住みやすいものになっているに違いない。
政治家が政治をするのに、朝家を出るとき、仏様なり、キリストにお参りをして出てきたとしたら、それは自らの宗教を冒涜している事になる。
政治と宗教というのは一番お互いに関わりにくいものの筈であるが、人類の歴史というのは往々にしてこれが一緒になってしまっている。
「人が人を統治する」という事は宗教人の中ではあってはならないはずのものである。
だから「人が生きる」ということは、そのこと自体が既に宗教とは大矛盾しているわけで、そういう矛盾を含んだ宗教であるとすれば、自分の死を賭してまで遵守する必要はないわけで、時の為政者が「宗教を変えなさい」といえば、素直にその言う通りのことを聞けば死に至ることはないわけである。
人々は宗教に殉ずることを美談として見ているが、これも人間の勝手な思い込みに過ぎないと思う。
宗教などというものは、もともと矛盾を内包しているわけで、そういう矛盾だらけのものを、死を賭してまで遵守する必要はないわけである。
宗教というものをもっともっと積極的に、自らの生きる為の方便として、逆に利用する方が人間の生きる道としては正しいように思う。
自らの宗教に殉死するよりも、時と場合によっては、あちらの宗教こちらの宗教という風に、自分の都合で好き勝手に選択できるものとして捉えた方が人間として気楽に一生を送れるような気がしてならない。
スターリン、ヒットラー、ルーズベルト、彼らヨーロッパ系の政治家というのは、そのことごとくが大なり小なり人種差別主義者であり、人種的偏見を持っていたわけで、彼らに掛かればアジア人というのは人間の内にも入っていなかった、ということを我々は胆に銘べきである。

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