その5 独ソ戦の考察

共産主義・その5 平成11年7月20日

権力は公認の暴力であった

ソビエットを語る時いつも問題になる事項はその秘密主義である。
共産主義者の共産党、ソビエット誕生の時の共産党というのは、人と違う考え方を容認することをしなくて、分派活動というものを許さなかった。
人と違う意見を述べると、それが反革命とか反政府活動とかいう理由をこじつけらて囚人にされてしまうので、人々は言いたいことも言えず、沈黙せざるを得ない。
人々が沈黙しているので、政府、ソビエット政府というのは、国民に向かって口を開けば、それがことごとくプロパガンダにつながってしまい、国民はその裏側に隠されている真実というものを知る術を持たなかったわけである。
その一方で、ソビエット政府というのは、西洋というよりも西側の知識人を招聘して、盛んにソビエットのプロパガンダの提灯持ちをさせた。
例えばイギリスの詩人、H・G・ウエルスであり、バーナード・ショウであり、そういう西側で名声を博した知識人を招いて、彼らには嘘の現実を見せ、信用させ、それを西側に宣伝するように仕向けたわけである。
何処にでも、何時の時代にも、そういうお人好しというか、オッチョコチョイというものはいるもので、日本の知識人というのは、まさにその類に近いのではないかと思う。
時が過ぎてしまえば、「騙された」で済んでしまうが、その中で生活している人々にとっては騙されたでは済まされない問題である。
ソビエット連邦が始めて5ヵ年計画に着手したのは1928年という年で、その時代が世界的に見てどういう時代だったかというと、アメリカは非常に乱れており、シカゴにおいては禁酒法をめぐるトラブルで、アル・カポネとFBIのエリオット・ネスの攻防華やかりし頃であり、日本では関東軍が政府のいうことを聞かず、独断専行して満州事変を引き起こし中国に武力行使をしようとしていた頃の話である。
日本の年号で言えば、昭和初期の頃の話で、この頃からソビエット連邦では、第1次5ヵ年計画を始めたわけであるが、その成果は思わしいものではなかった。
ところが、それではソビエット政府の面目が立たないわけで、それを糊塗する為に、西側の最も人気のある知識人に、ほんの事実の一部を見せて、それがさもソビエット連邦の全部であるかのごとく宣伝に努めたわけである。
そうして外部に対しては共産主義の成果を鼓舞し、内に向かっては国民を叱咤激励したわけである。
この時代のアメリカとソビエット、もっと解りやすく云えば、旧ロシアと新天地に住むアメリカ人の、人々の生活の違いというものを考えてみると、そこにある大きな違いは、そこに住む人々に歴史の重みがあるかどうかの違いだと思う。
普通の我々、日本人の常識から云えば、長い歴史と伝統を持った人々の方が優雅な生活にひたりがちに見えるが、事実は正反対なわけである。
ロシアの人々というのは、ロマノフ王朝の前からそこの地に住み続け、何代ににもわたって農耕に勤しみ、農業に従事していたに違いない。
ところが、この伝統が安楽に安住する習性を植え付け、進取の気性に取り残されてしまったので、文字通り農奴という階級を形作ってしまったわけである。
ところがもう一方のアメリカの方は、ヨーロッパからの移住者であったわけで、古い伝統というものが一切存在せず、あらゆる物を自分達で築き上なければならなかった。
アル・カポネも自分なりの悪の職業を築き上げたわけで、その意味ではヨーロッパのマフィアとは別の努力をせざるを得なかったわけである。
時が禁酒法の時代でなかったならば、彼はそれほどまで有名になれなかったかもしれない。
ところがこの禁酒法というのも人間の理性の賜物で、それは聖人君子ならば容認できる法であっても、人間という俗物は、悪いと判っていても止められないということが洋の東西を問わず普遍的なことであった。
カポネはその人間の弱点を突いて金儲けをしようとしたわけで、そこでエリオット・ネス率いる官憲と衝突したわけである。
ソビエットで赤軍という正規軍が、農民としての自国民から穀物を略取するのとは全く違った場面である。
20世紀の初頭において、アメリカという巨大国家と、ソビエット連邦という2つの巨大国家の違いは、そこに住む人々の歴史が大きく作用し、それがこの2つの巨大国家の在り方に大きく影響しているように思われてならない。
民族の歴史が長い方が、その生存のためには有利に作用するのではないか、という我々の普遍的な認識は大きく修正しなければならない。
古くから土地に束縛されて生きてきたロシアの人々は、その歴史が長いが故にそれに安住してしまい、進取の気性に欠けていたが、フロンテアとして自らの意思で新天地に移った人々というのは、自ら進んで自治という概念を取得してきた。
この自ら進んで自治という概念を持つか持たないか、という差は大きな違いであるように思われる。
古い伝統の中で、歴史の重圧に打ちひしがれていたロシアの農民は、階級というものの中に押しつぶされてしまいがちであり、それをマルクスも、エンゲルスも、レーニンもその古い呪縛を融きほどこうとしていたわけである。
ところがもう一方の新進のアメリカという若い国家では、そういう階級というものが存在せず、自己の努力のみで人は覚醒することが出来る、という信念が普遍的になっているがゆえ、悪人は悪人で自分の世界を構築しようとしたわけである。
そこに人としての理性のみで成立した禁酒法という、人間の原始的俗物性を真っ向から否定する法律が出来たものだから、それを実効あらしめようとする体制側と、それをビジネス・チャンスと捉えるギャングとの抗争が起きたわけである。
当時の日本といえば、明治維新を経て近代化の途上ではあったが、日本も古来からの歴史と伝統に寄りかかって生きた来た民族であるから、これが近代化を達成するには、大きな軋轢を経なければならない時期に来ていたわけである。
近代化ということは、ある意味で意識改革であったわけであるが、この意識の改革において、日本は西洋先進国の後追いをしたところに問題があったわけである。
いわゆる帝国主義であり、レーニンの帝国主義に関する5つの特徴を悉く網羅した意識に陥り、それを軍事力で推し進めようとしていたことに間違いない。
軍事力が無ければ、それを推し進めることは出来ないわけで、その意味からして、富国強兵が国是となっていたわけである。
封建時代をかいくぐったばかりの日本は、この時点ではまだまだ貧乏のドン底であった。
そこから脱却しようとすれば、隣の中国に新天地を見出すほかなかったわけで、それこそ中国が当時の日本の生命線であったわけである。
21世紀にさしかかろうという時点では、それが「悪」と認識されても、その当時は、それしか我々、日本人の生きる道は他にありえなかったわけである。
これこそ帝国主義の見本そのものであったわけである。
ところが、この時点でソビエット連邦の行った政治的行為というのは、新しい国家建設という大義名分は立派であるが、その裏側では、自国民の略奪、暴虐、粛清、密告という人倫に反することを悉く網羅していたわけである。
それが国家の名において成されたわけで、マルクスが「ロシアでは共産主義革命は不可能である」と言ったものを無理に押し進めたものだから、その軋轢はソビエット連邦の中の人々に降りかかってきたわけである。
共産主義者とその党である共産党というのは、基本的に階級を否定し、民主的政権を樹立するというのがその本旨であるように宣伝していた。
世襲化していない政治家、つまり労働者や農民を政治体制の中に取り込むという意味では民主的という言葉も整合性があるかに見えるが、これは言葉のトリックで、共産党が他の意見、他の考え方を容認しない、という一事で以って、それは非民主的といわなければならない。
ところが政権を掌握したソビエット共産党というのは、これを実行に移してしまったので、そこにあるのは民主的とは名ばかりの独裁政治そのものである。
それに異を唱えれば反革命であり、祖国への裏切りであり、反体制というレッテルを貼って抹消してしまったわけである。
政治の上の言葉というのは実にいいかげんなもので、同じ言葉でも全く正反対の意味で使われることが普通である。
それに整合性を待たせるのは権力以外に何も無いわけで、この権力というのは一体何であるのかと問えば、それは暴力以外のなにものでもない。
公認の暴力以外のなにものでもない。
人を殺しても構わない、という為政者のお墨付きがあれば、それが権力に成り代わってしまうわけである。
そこにあるのはアル・カポネのギャングの世界と全く同じで、ソビエット連邦では、あれと同じ事が国家レベルで行われていたわけである。
被害の程度から云えば、アル・カポネなどその足元にも及ばないに違いないが、そういう暴力の支配する社会が、ソビエット連邦の内側には存在していたわけである。
しかし、これは今日の視点で見た場合の事で、その渦中にある人々、その時代というのは、それが真剣に実施されようとしていたわけである。
為政者もそれを真剣に検討し、国民の側もそれに夢を託し、ユートピアの実現を夢見ていたわけである。
しかし、人間の歴史というのは、一方で事を起こせば必ずそれに反対する乃至は反抗する勢力というものがつきもので、為政者が決めた通りにはなかなか事が運ばないのが普通である。
政治の本質は、そういう反対意見を如何に慰撫するかという点に尽きると思う。
それによって為政者の政策が民主的か否かの違いが起きてくる。

巨大プロジェクトの意義

スターリンが第1次5ヵ年計画を実施に移したのが1928年で、その翌年1929年にはアメリカが大恐慌に見まわれた。
このときアメリカはニュー・デイール政策というもので、巷にあふれた失業者を吸収する政策を行った。
米ソともに巨大な国家プロジェクトにとりかかったわけであるが、片一方は人々を強権で圧迫する恐怖政治でそのプロジェクトを完成しようとしたのに対し、片一方は人々の自尊心を最大限に活用して、自らの幸福は自らの力で獲得する、という発想でもって事を押し進めたわけである。
その結果として、ある程度は両方とも大きな前進を見たが、このプロジェクトの結果というものをどの時点で評価するかということになると、大きな差が生じていた。
第2次世界大戦の前後で評価すれば、それはソビエット連邦の方に軍配が上がるかもしれないが、その後ソビエット連邦が崩壊してしまった、という歴史的事実から見れば評価は逆転する。
我々、歴史を語る時、その大部分が政治史になりがちである。
しかし、本当の歴史というのは政治だけの歴史ではないわけで、そこには文化文明というか、科学の発達とか、技術の発達というものを抜きには語れないように思う。
新生ソビエット連邦の初期に、囚人とか、政治犯とか、反体制活動家とか、反革命の烙印を押した人々をシベリアに送ると言った場合、そこにはシベリア鉄道の発達というものを抜きには語れないわけであるが、その話は一向に歴史の舞台には上がってこない。
帝政ロシアから、新生ソビエットロシアの時代に至っても、このシベリア鉄道というのは延々と建設が進んでいたに違いない。
それこそ政治犯をはじめとする囚人を使って、日夜シベリア鉄道の建設というものは進められていたに違いない。
この鉄道の発達というのはあまり歴史の舞台には上がってこないが、これは新たな航海時代の登場といっても良いと思う。
海上交通の発達を経て、陸上輸送の革命を経たわけであるが、それが20世紀の終わりには、人間の究極の移動手段として、戸口から戸口、ドア・ツウー・ドアという自動車の輸送に移ったわけである。
が、こういう技術革新というものは歴史の変遷に大きく関わり合っている様に思うが、そのことに関して世の歴史家というのはあまり注目を払おうとしていない。
この第2次世界大戦の前の頃、20世紀の初頭というのは、アメリカもソビエットも、ともに巨大な国家プロジェクトに現を抜かしていたわけであるが、このことは今の価値観からすると、その全てのプロジェクトを否定しなければならない事であった。
つまり自然破壊と環境破壊の最も顕著な例であったわけで、人が文化をより高め、より良い生活を目指すと云う事は、その華々しさの裏に同時に自然に対する反抗があったわけであり、それは必然的に自然破壊と環境の破壊をもたらすものである。
我々が合理的な生活を送りたいという願望の裏には、自然の破壊と環境の破壊が貨幣の表裏のようにくっついているわけである。
アメリカのニュー・デイール政策によるTVAダムの建設にしろ、ソビエットの5ヵ年計画による巨大プロジェクトにしろ、それらはいずれも自然破壊と環境破壊という問題を引きずっていたにもかかわらず、この当時はその事は何ら問題にならなかった。
そのことが問題になってきたということは、人々の生活があまりにも豊かになり、飽食の時代に入ったために、人々は自らの悩みを自らで作って、そのこと自体を苦悩することで生きている証を見つめようとしているに過ぎない。
ある意味で、成熟しすぎた社会に生きているということでもある。
ここで敢えて話題を環境問題に逸らして見たい。
21世紀に差し掛かろうとしている今日、我々は環境破壊とか自然破壊という問題に直面している感がする。
しかし、これはあまりにも恵まれた環境に我が身を置いている為の贅沢といわなければならない。
アメリカが大恐慌から立ちあがるために取ったニュー・デイール政策というのは巨大な開発計画をする事によって公共投資を喚起し、人々の雇用を確保するという趣旨であり、ソビエット連邦の巨大プロジェクトは同じように旧体制を打破して新世界、つまり人々の生活を近代化しようという趣旨であった。
あの時点ではそれが人々の生活を潤すと考えられていたわけであるが、今日の視点から見れば明らかに自然破壊であり、環境破壊であったわけである。
しかし、自然破壊であるから駄目だ、環境を破壊するから駄目だ、という発想は現代に生きる人々の奢った考え方だと思う。
自然とか人々の置かれた環境というのは、人間が何も手を加えなくても自然の力でそれは自然に崩壊する事もあるわけで、これは災害と呼ばれている。
日本でおきる災害はその大部分が人災だともいわれているが、人は寿命が来れば自然と死んで行く事と同じで、自然が自然を破壊したとしても何ら不思議ではなく,それこそ自然の摂理である。
この世の中に100%の安全などというものはありえない。
昨今の自然破壊や環境破壊の論議はその100%の安全を要求するもので、その主張の裏側の心理を解析すれば、それは補償という形で金を引き出す為の手段としか思われない。
100%の安全を行政サイドに要求すると云う事は、それがかなえられない事を承知の上で、金という形で自分の欲求を満たしているに過ぎない。
全く不可能な事を行政サイドに要求する事自体、自然界の中の万物の霊長としての人間の思考を侮った考え方だと思う。
戦後の日本の民主主義のゆがんだ形が露呈した姿だと思う。
こういう巨大プロジェクトが完成した時には、自然界の生態系が狂う事は確かであろうが、自然界というのは自然による災害とか天変地変というものを何度も克服して今日があるわけで、自然界の生態系そのものが、その都度新しい環境に順応してきたわけであり、それこそが自然の本当の姿だと思う。
自然破壊や環境破壊というのは無いに越した事はないが、それも人間の側としては受け入れざるを得ない。
それが嫌だとしたら、我々は労苦の多い生活を強いられ、文明の利器の利便性にはあずかれないわけである。
文化的な生活がしたいといいながら、それに必然的に付随してくる自然や環境は壊してならない、ではあまりにも傲慢な思想といわなければならない。
人間が生きていること自体が既に自然破壊であり環境破壊を引き起こしている事を知らなければならない。
文化文明の発達の恩恵を腹いっぱい享受しながら、その発達に対して不満をぶつけているわけで、そのこと自体、人がこの世に生きていることの矛盾である。
その意味からすると、人の生存にとって、戦争をすると云う事は、極めて自然なことのはずである。
人が生きているということについて云えば、その生きることの象徴として、自分の領分を他人が侵せば敢然とその侵犯に対して立ち向かう、という事は人の世の常識であり、生きとし生けるものの自然の姿である。
極めて自然な行為のはずである。
文化文明の発達というのは、こういう自然の人の在り方というものを否定することが人間の精神の向上と思い込んでいる節がある。
人間の理性というのは、如何に、人が本来持っている自然の感情を殺すか、という点にあるわけで、理性的な人間というのは、人間の本来の自然の姿から一番遠いところに在る精神を崇拝することである。
人が自然のままの感情を素直に表現したり、自分の感情に素直に行動すると、それは野蛮と称せられて卑しまれてしまうわけである。
20世紀初頭のアメリカとソビエットの双方で同時期に行われた巨大国家プロジェクトは、その発想の原点が大きく違っていたわけで、片一方は失業対策として、片一方は近代化の一環として行われたわけで、それは同時に自然と環境の破壊を必然的に生み出す性質のものでもあった。
西洋人の文化、いわゆるキリスト教文化というのは、常に自然と対立するもので、人間が自然を克服することは神の理にかなった行為で、それは「悪」でもなんでもなかったわけである。
つまり、自然を克服するということは「善」であり、自然破壊とか、環境破壊を侵しても、人間の方がより良い生活が出来ればそれは「善」として容認されていたわけである。
ところが20世紀の後半になると、ここで人類としての価値観が大逆転してしまったわけで、自然を破壊したり環境を損ねる行為は「悪」という認識になってしまったわけである。
ソビエット連邦の5ヵ年計画というのは、人間の英知として、人々の理想の社会に映ったわけであり、人が人の頭脳で考え出した理想社会の仕組みは、人の欲望のままに左右される資本主義よりもユートピアに近いと思われていた時期があった。
これは「人が考え出した理想主義の社会である」ということを念頭に入れない、いわば大きな妄想であったわけであるが、その当時の人々は、それが妄想とは思わず、真からそれを信奉していたわけである。
イギリスBBC放送が企画した番組には、その妄想を信じた人々が嬉々として新生ソビエット連邦の国家建設にまい進している場面が映し出されていた。
その巨大な国家プロジェクトに嬉々として参加している場面を上手に宣伝し、それをプロパガンダに仕立て、国民を鼓舞するということは、近代化を推し進めようとする国家の首脳部としては当然の行為である。
ところが我々、歴史を知ろうとするものにとっては、そういう場面の裏側を探ることが大事なわけで、国家の宣伝を鵜呑みにするだけならば、踊りの輪の中に入った無知蒙昧な大衆と何ら変わるものではない。
結果的に見て、新生ソビエット連邦の5ヵ年計画というのは、西洋先進国と比較すると、長い目で見て失敗に帰している。
レーニンなり、スターリンが考えていた近代化としては、ある程度の成果をもたらしたことは確かであるが、それがそこに住む人々の生活の向上につながっていたのかと問えば、答えは「否」といわなければならない。
政治の本質というのは、一言で言えば、国民に如何に豊かな生活をさせるかということだと思う。
日本が太平洋戦争にのめりこんで行かざるを得なかった理由もそこにあったように思う。
世界各国の政治指導者が、自国の領土を保全し、自国の権益を如何に維持するかに努め、自国の貿易を如何に拡大するか、ということに腐心するのも、究極のところ、自国民の生活を如何に豊かにするか、という点に尽きると思う。
ところが人類の長い歴史の中では、その政治の本質を見失ってしまう政治家が往々にして出てくるわけで、政治の本質を忘れ、自己の権力抗争に明け暮れたり、私利私欲に走ったり、とかく人間の本質と、政治の本質を取り違える政治指導者というのが浮上してくるのが歴史の面白いところである。
レーニンがロシアという西洋文化圏の辺境の地に共産主義革命という種をまき、その革命の種をソビエット連邦という巨大な木に育て上げたのは紛れもなくスターリンであったが、その過程には途方もない犠牲が伴っていたわけで、その犠牲について、共産主義者というのは知ろうとしない。
誰でも自分の恥部は隠しておきたいもので、その恥部を白日のもとにさらけ出すという事は、ある意味で嫌な趣味といわなければならないが、これが歴史というものである。
前にも述べたことがあるが、革命というのは、自国民の血を流すことであり、対外戦争というのは、他国民の血を流すことだ、という私の主張は的を得た言葉だと思う。

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