近代化を図るという口実のもとに、壮大な実験が開始されたわけであるが、それは同時に粛清の時代に入ったわけである。
自分に反対する相手を次から次に殺してしまう、という政治手法は封建主義以前の問題で、まさしく「秦の始皇帝」の独裁制の再生に匹敵する行為である。
それが20世紀初頭のロシアに地で再現されたわけである。
共産主義と共産党の理念である土地の国有化とか、大企業の国有化というのはそこに従事する人の勤労意欲を減退させてしまう。
イギリスの社会主義政策も基本的にこの路線と同様の政策であったが、やはり国有企業というものは、そこで働く人々勤労意欲というものを阻害するという弊害の部分は共通に持っていたわけである。
土地を国家が独り占めして、上から「おまえはこれこれをいくらいくら作れ」と命令してもは、その結果の如何を問わず食える、ということになれば誰も率先して働こうとしないのも当然である。
やってもやらなくても食える、と言う事であれば誰も苦労を買って出るものはいないわけである。
これは日本でも同じである。
旧国鉄を見れば一目瞭然である。
これではダメだ、ということで新経済政策別称ネップというものが始まった。
これはゴルバチョフのぺレストロイカと同じようなもので、一種の改革解放経済で、少し強権力のタガを弛めたわけで、ある意味で革命の揺り戻しといってもいいと思う。
前の自由主義経済に戻ったようなものであるが、少し規制を緩めると、一様に一般大衆の経済活動は活発になり、市場は活気に満ちたように見えたが、如何せん、旧の価値観が木っ端微塵に破壊されてしまっているので、経済として完全には機能し得なかった。
だからそれを打開するためには革命の本質に再度戻って、上からの計画経済に立ち返らざるを得なかったわけである。
革命と反革命のはざまを経て一気に近代化に向かおうとすると、計画経済に頼らざるを得ないという状況は理解できるが、これを推進するには強力なプロパガンダ・宣伝が必要になるわけである。
そしてそのプロパガンダが強力に推し進められ、非常に多くの人々がそのプロパガンダによって近代化の為に協力するという態勢が出来た。
国家が率先して近代化を図る、ということは何処の主権国家も大なり小なりしたわけであるが、それはある意味で、その国家が近代化に取り残されていたからそういうことになるという面もある。
日本の明治以降の近代化への道も同じようなものであったが、ソビエットの場合、日本以上に後進国であったので、そのプロパガンダそのものが熱気を帯びていた。
工業の面に関して言えば、国家の首脳部が机上で計画を作り、それに従って事を進める、ということもある程度容認できるが、農業に関して言えば、農業というのは自然の気候に左右されがちである上、地域の特性もあり、民族の風俗習慣にも大きく根ざしているわけで、農業に関与したこともない党の官僚が、いくら計画を作ってその通りに事を運ぼうとしても、そう安易に出来るものではない。
計画経済というのは、所詮、国民、労働者にノルマの達成を迫るもので、農業というのは、年々その収穫量が違うわけで、計画の通りには行かないのが普通である。
そういう無理な、矛盾に満ちた農業改良計画の犠牲になったのがウクライナのような穀倉地帯の人々であり、農業計画の矛盾の犠牲になったのがウズベキスタンの牧畜を営んでいた民族である。
放牧や牧畜を主体とした農業を営んでいたこれらの人々に、無理やり耕作を押し付けたところで出来るわけがない。
ところがそれを押し通したものだから犠牲者が跡を絶たないわけである。
これは共産党の横暴としか言いようがない。
まさしく権力の横暴以外のなにものでもなかったわけであるが、これを党内から改善しようとすると、抹殺されたわけである。
工業の近代化というのも、文字通り無から有を作り出すことで、強力なプロパガンダで、農村から5体満足な青年男女を駆り集め、工場の基礎から作り、溶鉱炉の基礎から作り、地下鉄の入り口から作る、ということはある意味で国民の熱気がなければ成し得ないことであった。
先に述べたBBCが作ったテレビのドキュメンタリーには、こういう建設に携わった人々の声が収録されているが、この企画は大変なことだと思う。
20世紀の初頭、日本では大正時代の中ごろの出来事であるが、例えばシベリア出兵に参加した人の声を収録した番組があったであろうか。
例えば、朝鮮独立運動の3・1運動を鎮圧した側の日本人の証言を収録した番組があったであろうか。
厳密にいえばNHKはこういう歴史の証言を取り上げた番組もたまには作る。
作れば作ったで非常に貴重な映像となるが、今度はそれを見る方の人がいない。
こういう番組はどうしても暗いイメージになりがちで、見る方の側にもそれに耐えうる知的好奇心がないことには、なかなか視聴者の心を引きつけられないという宿命がある。
一般大衆の歓心というのはどうしても軽量浮薄な番組に流れてしまって、重厚な内容を含む番組は見てもらえない。
そういう軽薄な現代の日本国民の存在を通じて、我々は、自らの歴史から逃れようとしている、と内外から批判せれても致し方ない。
内外の批判は我々の歴史認識に反省を促す大きな声でもある。
BBCがこの企画をした時点で、ソビエットでは溶鉱炉を基礎から築き、工場を整地作業から作り、地下鉄を入り口から作った人々が、この世に生きていて、それを誇り高く語る、というのは共産主義者といえども見上げたものである。
工場の近代化というのは、いわば物作りの近代化であり、比較的数量で計ることが可能なだけ、目に見える形で具現化することが出来る。
石炭の採掘にしても、地下鉄の工事にしても、比較的目に見える形で具現化し得るので、そのことは逆にノルマという形で労働者の肩に掛かってきやすい。
事実、共産党は計画の実現にはこのノルマという概念でもって労働者にハッパを掛け、それを上手にプロパガンダに載せ、国民、一般大衆、一般労働者の尻を叩いたわけである。
ある炭坑で、スタハーノフという名の炭坑夫が、人の倍以上のノルマを達成したので、その彼を特別に表彰し、労働英雄に祭り上げ、それを例のプロパガンダに載せ、国民に大々的に宣伝した。
日本でも戦時中によく行われた軍国美談のようなもので、そういう話を聞かされた国民は、我も我もと後に続いたわけである。
計画経済のノルマで人民を追いたて繰るという手法にも盲点があって、ノルマで表される数字というもの信憑性が問題である。
ノルマを達成すると社会から表彰されるという状況が定着すると、嘘のノルマが報告されるようになり、一度嘘のノルマがそのまま評価されると、次にはそれを下げられないという悪循環に陥り、嘘の上に嘘を塗りたくってその場を繕うという仕儀に陥ってしまう。
映像に映っているこの時の国民、今生き残っている革命の盟主達は、一様に目を輝かせてその時のことを語っているが、この当時の共産党のプロパガンダというのは、これほどすさまじい様相を呈していたということでもある。
その中の証言で、レーニングラードではニュース専門の映画館があり、共産党員が誇りを持って、こういう建設現場で作業している光景を毎日宣伝していたという証言があった。
このように、国策遂行を映画を利用して宣伝するという政治手法は、この時代の一つの大きな特徴で、いわゆる文明の利器を上手に政治的に利用したということが言えていると思う。
この時代の為政者が、国策を、国民や一般大衆に広く宣伝しなければならないと気づくということは、いわゆる民主化の方向に一歩近づいたわけで、そこが君主制とは違う意識である。
それと同時に、映画というメデイアが発達してきたということも言える。
この時代の前においては、一般大衆に対する宣伝のための手法が存在せず、それこそ君主の一存で事が決まるというのが普遍的な政治であったわけであるが、メデイアというものが発達してくると、必然的にそれを政治的にうまく利用する方法というものが生まれてきたわけである。
それはアメリカのルーズベルト大統領が、ラジオを通じて対日参戦を国民に呼び掛けたり、ヒットラーやムッソリーニが映画を利用したことはよく知られた事実である。
映画という文明の利器としてのマス・コミニケーションを利用して、国策遂行の補助機関にするという発想は、時の為政者にとっては当然の帰結であったに違いない。
今で言うところのプロモーション・ビデオを見るようなものであるが、それを見た一般大衆が、その内容の真偽を疑いもせず、一目散にそれに傾倒してしまうというところに、大衆というものの無知蒙昧な部分が垣間見られる。
こういう現象はなにもロシア人だけのことではなく、我々も同じように、そういう行動をしていたわけで、つい50数年前には軍国美談に何も違和感を感ずることなく、国に奉仕することが「善」だと思いこまされていたわけである。
あらゆるメデイア、特に映画というメデイアは、作る側の作為というものがそのまま画面に現れるわけで、作る側でなんとでも工夫というか、作為というか、大衆に知らしめなければ、という意思を反映させることが可能な媒体である。
当然、送り手の意思のままに作られるわけで、それを受ける側としては、その裏側まで斟酌しなければならないが、普通の大衆はそこまで気が回らない。
画面に写されることを信じるほかないわけで、それがあるからこそ、為政者の側で、その媒体を最大限利用するわけである。
このBBCの企画したテレビ番組でも、そのところに問題提起が成されているわけで、映画で見せるユートピアというのは、ソビエット連邦の何処にも存在していないにもかかわらず、さも在るかのように宣伝されていたわけである。
一言で云えば、ソビエット連邦というのは、自国民に対して嘘八百を並べて国民を鼓舞させていたわけである。
そして、その国民は、それを心から信じて疑わないわけで、そういう映画を見て、次から次へと、あらゆる国家プロジェクトに参加する若者がいたわけである。
日本の軍国美談とも相通づるものがある。
封建制度から脱皮して、近代国家への建設の過程という問題で、同じような後進国同志の発展のスタイルとして相通づるものがあったのかもしれない。
ところが、人が人を統治するという意味で、この2つの国を比較してみると、決定的な相違がある。
それは人命尊重の思想である。
ソビエット連邦というのは、如何にも人命軽視の国家で、自国民の人間を意図も簡単に殺してしまう、というところが決定的な相違である。
国内の内戦も一応収拾し、新しい5ヵ年計画という国家プロジェクトを始めようとすると、労働者が不足しだした。
すると囚人を利用することを考え出し、この囚人を無理やり作り出す、という手法を取りだした。
我々の感覚からすれば言語道断の政治であるが、これが労働者を解放すべき共産主義と共産党の政治であったわけである。
そもそも共産主義者のいう共産党というのは理にかなっていない。
党というからには、同じようなグループが複数存在して、それらの間で意見の交換が活発に行われて始めて党としての意味を持つわけで、他の意見を封殺するような政党は政党ですらないように思う。
赤軍というのも基本的に普通の概念ではありえない矛盾に満ちた存在である。政党が軍隊を持つということ自体矛盾に満ちた存在だと思われてならない。
共産党イコールソビエット国家、ソビエット政府というものであれば、多少整合性があるが、政党が軍隊を持つという限り、それは私兵の域を出るものではないと思う。
共産党イコールソビエット国家であれば、党を強調する必要はないわけで、それはそのまま国体を表すものでなければならないと思う。
映画という媒体を利用して、共産党のプロパガンダを全面的に強調することにより、何も知らない民衆を幻惑させて、それを国土建設の推進力にしようという発想は、最初から国民を騙すものである。
政治をするということは、如何に国民を騙すか、ということでもあるが、それが国民の福祉に貢献するものである場合は、多少とも弁解の余地がある。
しかし、この時代のソビエット連邦の共産主義者達の頭の中には、共産党員の共産党員による政治しか念頭になかったわけで、プロパガンダ映画で嘘の宣伝をしておいて、国民を巨大国家プロジェクトに引きずり込む、という手法は極めて狡猾な政治手法といわなければならない。
戦前の日本でもこれと類似のことは行われていたわけで、軍国美談を当時の利用でき得る限りの媒体を酷使して、国民にそれの拡散を図ったというの点から見れば、ソビエットのみを糾弾するわけにはいかないが、少なくとも国家建設プロジェクトに囚人を使役に使うという発想だけは、我々の方にはなかった。
正確に言うと全く無かったわけではないが、大々的には無かったというべきかもしれない。
北海道における公共工事には明治時代に囚人が使われたことがある。
しかし、これはあくまで犯罪者としての囚人であったわけで、労働者が足りないから誰でも彼でも囚人に仕立てて使役に使うというものではない。
この20世紀初頭に、ソビエット連邦で行われていたことというのは、国家目的、特に巨大プロジェクトの遂行の為に労働者が足りなくなると、誰でも彼でも見境無く囚人に仕立てて、監獄に送り込み、監獄に送り込まれた囚人は、新たな労働力としてただでこき使われたわけである。
政治犯と称する犯罪はもともとありえない犯罪で、ソビエットが労働者の不足を補うために編み出した、他の国ではありえない犯罪の名称である。
また共産党に異を唱えれば、そのまま反革命の烙印を押され、これも政治犯ということにされてしまうわけで、まさしく新経済政策の実施は、そのまま暗黒政治の始まりでもあったわけである。
為政者の意図によって製作された映画を見た人々は、ソビエットの新経済政策の効果というものがまさしくユートピアに映っていたわけで、ああいう国家の建設ならば協力を惜しんではならない、という心境に陥るのも無理の無い話である。
事実それを信じて労を惜しまなかった人が掃いて捨てるほど居たわけである。
新経済政策というのは、5ヵ年計画が終了した時点で始めてこのようなユートピアが完成するわけで、それはあくまでも計画がきちんと実施されたときの架空の姿であったわけである。
計画というものはそのほとんどが計画通りには事が運ばないもので、それは洋の東西を問わない普遍的なことであった。
これはソビエット連邦だけのことではないが、あらゆる組織において、計画を作るセクションと、それを実施するセクションというのは、離れているのが普通である。
計画を作るセクションというのは、実施者の気持ちを解することなく、実施者側の真の要望を理解することなく、机上において極めて理想的なプランを作りたがるもので、計画を作る側とそれを実施する側では大きな乖離が存在するのが普通である。
ソビエットにおいてもその例に漏れず、計画を作る側とそれを実施する側では大きな乖離があったにもかかわらず、計画の遅れを「反政府運動だ!」と決め付けるに至っては、もう言語道断を通り越して支離滅裂というほかない。
事実、計画の遅れを理由に強制収容所に送られてしまう人が後を立たないわけで、それが政治犯と称する囚人となり、強制労働に狩り出されるわけで、これでは中の人々はたまったものではない。
しかし、ソビエット連邦内の人々というのは外の情報を知らないものだから、世界中何処に行ってもこのようなものに違いない、という情報砂漠に生かされて居たわけである。
映画という映像による媒体は、人々を管理する側の独占で、管理される側にしてみれば、それに対抗する情報発信の手段を持たないものだから、情報というのは常に管理する側からされる側へという一方通行でしかない。
中の人々にしてみれば、映画に写されている場面を確認しようにも、その手段がないわけで、それを信ずるほかない。
20世紀の初頭とその末期の約100年という時間差を一緒に論ずることは出来ないが、この間の相違というのはマスコミの発達ということを抜きには語れない。
その中でも映画というのは映像に訴える媒体であるだけに、その影響というのは計り知れないものがある。
しかもそれは為政者の都合でどういう風にでも脚色が出来るわけで、為政者の宣伝としてはこれほど優れたものもない。
第2次世界大戦が終わった後では、テレビというものの発達が著しく、そのあまりの普及ぶりに、為政者がそれを独占することが出来なくなってしまった。
その面から見れば、テレビというのは為政者の裏側までも遠慮会釈なく暴露してしまうので、逆に為政者にとってはテレビを如何に手なづけるか、と言う事が新たな課題となってきた。
ところが共産主義国家というのは、共産党の独裁政治なわけで、国民の意向というものを一切考慮する必要がないので、テレビの放送ということを、規制とか統制でがんじがらめにしてしまうわけである。
そうすれば国民は余分な知識を得ることもなく、体制に素直に順応してしまうわけである。
計画経済というものが計画通りには事が運ばない、というのは古今東西、普遍的なことで、それだからこそ計画という概念が出来ているのではないかとさえ思えてくる。
計画が計画通りに運べば計画でなくなってしまうわけである。
計画通りに運ばないからこそ計画なわけである。
で、新生ソビエット連邦も、一刻も早く近代化を計り、アメリカ、イギリス、フランスという先進国に追いつかなければならない、という焦燥感から計画経済で以って一気にその遅れを挽回しようとしたけれども、計画というものが、予定通りに進まないものだから、誰かにその責任を覆い被せなければならなくなった。
ある意味で、政治の失敗の責任を転嫁すべき対象を探し出さなければならなかったわけである。
普通の我々の認識からすれば、計画が予定通りに進まなければ、計画の方を修正して、その責任を転嫁するようなことは発想の原点に存在していない。
しかし、その意味からすれば、責任の追及が甘く、悪い事をした人間を糾弾する、という意識が薄いということも言えている。
それに反し、新生ソビエット連邦で行われたことは、計画が予定通りに運ばないと、その組織の責任者が反政府活動をしたという事で政治犯にされてしまうわけである。
こんな馬鹿な話も信じられないが、BBCの企画した番組では、そういう風に報道されている。
つまり、共産党にとって都合の悪い事は、何でもかんでも反政府活動というレッテルを貼って、政治犯にしてしまい、強制収容所を経由して、ただの労働者に仕立て上げてしまうわけである。
一つの後進国が一気に近代化を図るときにはどうしても重工業から手をつけがちで、生活必需品を普及させて、軽工業を育てるところまでは知恵が回らない。
今まで無学文盲の一般大衆を、いきなり重工業に降り向けたところで、早々、安易に重工業が生育出来るものではない。
重工業が近代化のバロメーターであるところは間違いないが、国の近代化という意味からすれば、本当は農業の育成を通じて、食糧の安定供給を一番に図らなければならなのではないかと思う。
これも先に述べたように、それまでに手を付けたことは手を付けたが、共産党幹部の机上の空論で事が運ばれたので、犠牲者のみ輩出して一向に効果が上がらなかった。
それと同じ失敗を重工業でも犯しているわけで、こういう失敗の犠牲者というのは百万単位で輩出しているわけである。
こういう失敗も、組織の中間管理職の反政府活動の結果として、犯罪者に仕立てて強制収容所送りにしてしまい、巨大国家プロジェクトの労働者として酷使する、というのがソビエット連邦の共産主義者の政治であったわけである。
これが共産主義者の政治というものであるが、そこにあるのは、今まで何度も述べてきたように、共産主義というものが革命をその基本理念としている限り人命軽視にならざるを得ないわけで、それは共産党の共産党のための政治と言うに等しいわけである。
ならば共産主義者の間、乃至は共産党の中では、人々の気持ちが一枚岩として統一されているのか、というとそうではない。
けれども、共産党は分派活動を党議で禁止してしまっているわけで、現行政府と違う意見を述べれば、それは即ち反政府活動というレッテルを貼られてしまうわけである。
後進国が近代化を進める時期には、ある程度、強力な指導力の発揮ということも必要ではあるが、その指導力が嵩じて独裁政治になってしまったところがソビエット連邦の悲劇の始まりである。
これを悲劇と見るか、喜劇と見るか、で共産主義に対する許容力が伺えるような気がしてならない。
1990年にソビエット連邦が解体して以来というもの、案外元の共産主義体制の方が良かった、という感想を述べる市民もいる。
これも尤もなことだと思う。
だいいち革命が起きて以来というもの、既に75年近くも経っているわけで、その後に生まれた人々というのは、自由というものの本質を知らないでいるわけである。
そういう人達が、自由主義体制になれば何をして良いのか戸惑っている、というのが実情ではないかと思う。
革命の前の資本主義体制、人から管理されない自由というものを感覚的に知らずに生育した人々にとって、自由主義体制の元での経済システムというのは、腹黒く、小賢しく、目先の利く、要領のいい人間だけの世界のような思いがするのも当然なことだと思う。
共産主義者の共産党というのは、労働者に開放された国の建設ということを詠い文句にしているが、人が人を管理するという意味において、人が真から開放されるということはありえないわけである。
いかなる体制においても、人が真から開放されるというのは、人間の英知の中ではありえても、実際の行政の場ではありえないことである。
人が集団としてグループを形成して生きている限り、自由奔放には生きられないわけで、何らかの規制は必ず出来てくる。
自由主義体制というのは、その規制を自らの自主規制に重きを置こうとしているが、共産主義体制というのは、ごく限られた共産党のエリート集団が、人を管理する手法を人間の頭脳の中で考え、それを実施に移すというものである。
人の集団としての意思というものに重きを置いていないので、そこにはどうしても軋轢が生じ、管理される側は忍耐を強いられるわけである。
この時に、その忍耐を強いらねばならない方の立場、管理する側の強権をカモフラージュするために、先ほどから述べている宣伝、デマゴーグ、キャーンペンが必要になってくるわけである。
そして、問題は、この共産党の強権の元になっている人を簡単に殺す、という認識である。
ソビエット連邦の初期に、共産党員が、党員といわず農民から旧体制の管理者から工場の労働者に至るまで、党の行政の失敗になりそうなものを悉く抹殺する、という政治手法はまさしく恐怖政治に他ならない。
共産党の政治局員の意見が行政の基本の柱になる、というのは致し方ない面があるが、それに異を唱える者を片端から処刑する、というのは恐怖政治以外のなにものでもない。
行政の失敗を国民の側に転嫁するということは、我々の認識からすれば言語道断の行為であるが、それが罷り通っているということは、人を管理する側の知性の問題だと思う。
旧体制であるところの封建領主というのは、その身分や地位が世襲化されていたという面から、人を管理する知恵というものを持っていた。
日本の例でいえば、徳川家康の「百姓は生かさぬよう殺さぬように」という人の管理上の哲学があった。
ところが革命で政権を毟り取った共産主義者というのは、今までの体制を壊すことは出来ても、これから先、国家を建設するという知恵も、理性も、学識も兼ね備えていなかったわけである。
旧体制を壊すこては出来ても、ユートピアを作る手法については何一つ知恵を持っていなかったわけである。
これも尤もなことで、人は壊すことは簡単に出来るが、建設するということは壊すほどには簡単に出来ないものである。
革命というものが、人を殺すことを前提にしている以上、旧体制を壊すことはいとも簡単に出来る。
しかし、物を作るということは、創造性が必要であり、知恵が必要であり、計画性が必要であり、人の管理手法が必要であり、金が必要であり、あらゆる物を有効に活用して始めて物が出来あがるわけで、壊すほどには簡単に仕上がるものではない。
それには、こういう事例に即した経験が必要なわけであるが、この時代のソビエットの政治局員というのは、そういうことを一切合財無視して、机上の計画だけでユートピアが出来あがると思い込んでいた節がある。
この間違いは、ソビエットの初期の政治局員、特にレーニンが共産主義者と共産党員の資質というものを買かぶっていたからだと思う。
確かに20世紀初頭のロシアの中で、マルクス、エンゲルスの哲学を理解し得たのは限られた知識人に違いない。
工場の労働者や農民が革命の本質を理解していたわけではない。
だからロシア革命の初期においては、革命を遂行した人々というのは、知識人に違いなかった。
ところがそれ以降の党の在り方というのは、党と意見を異にする人々を全部殺したり、追放したり、強制収容所に送りこんだりして、党の中から知識人というものを悉く排除してしまったので、残っているのは党員としての滓ばかりであったに違いない。
そういう共産主義者として、党員として、滓が党の政治局員として行政を司っていたから、その後の政治が紆余曲折したわけである。
民族の歴史というのも大きなうねりの中にあるわけで、我々の日本でも、先の戦争、第2次世界大戦、中でもアメリカに参戦した戦争というのは、大きな政治的失敗の例であるが、これも日本が近代化を押し進めた時の明治の元勲がいなくなった時代だからこそ起きたわけである。
国の将来という大きな視野、視点が欠落した結果であると思う。
そのことは、日本人でありながら、自分の民俗性というものを全く知らなかったわけで、20世紀初頭のソビエット連邦の共産党員、政治局員というのも、これと同じ轍を踏んだわけである。
人が人を管理するということについても、当然それにはノウハウがあるわけで、旧体制においては、それが世襲化されていたが故に、凡庸な管理者であってもそれを補佐するものがいたため、ある程度の安定は維持されていた。
ところが、そういうノウハウを一切持たない知識人と称する共産主義者乃至は共産党員が、机上の計画だけで行政がスムースに進むと思ったら大間違いであった。
だから、当然の帰結として、巨大プロジェクトは失敗に帰したわけであるが、その失敗を再び一般大衆の側に押し付けて保身を図るということは、我々には考えられないことである。
その保身のテクニックとして、ここでも党の強力なプロパガンダが活用され、それは革命の敵、階級の敵というレッテルを貼ることによってなされたわけである。
農業改革の基本方針であった集団農場に積極的に賛同しない農家を、クラークという烙印を押すことによって、反政府活動として強制収容所に送りこんだり、工場において単純な操作ミスを反政府活動にでっち上げたりして、これもまた囚人とされてしまうわけで、こういう理不尽な行為の積み重ねを、党の権力で以って強力に推し進めたわけである。
対外的には、5ヵ年計画の良い面のみを大々的に宣伝しながら、その実情はひた隠しにしていたわけである。
よって外から入るニュースは悉く国民に知らせないようにし、自分の側の不都合なニュースも外に漏れないように最大の気配りをしていたわけである。
旧体制の封建主義体制から近代化を目指して飛躍しようとすれば、人の意見をよく聞き、一番ベストなものを選択的に採用して、それに向かってまい進するというのが近代化の理想的はシナリオのはずである。
日本の明治維新では「万機公論に決すべし」という天皇陛下の所信が示されたので、明治の元勲達は、おおむねその線に沿って政治を成した。
ところがソビエット連邦では、共産党に異を唱える者は殺されてしまうわけで、これでは為政者は「裸の王様」にならざるをえず、歴史はその通りの軌跡を描いたわけである。
共産主義者と共産党の目指すユートピアというのは、本質的に、民主化され、開放された社会が出来あがるはずであった。
ところが人に意見を言わせないシステムというものは、そういうものとは正反対で、人に密告を奨励したり、責任を転嫁したり、ノルマという餌で釣ったり、という行為は人間の品位を堕落させる以外のなにものでもない。
民主化とか開放された社会とは全く逆の方向を向いているわけで、それが75年も続けば、中の人々がモラルを喪失するのも無理ない話である。