革命は武力なしでは成り立たないという意味で、アメリカの西部劇と同じだと述べたが、アメリカとロシアで決定的に違ったことは、歴史の長さの違いのような気がしてならない。
アメリカの歴史というのはいうまでもなく移民の歴史で、単一民族が100年も200年も営々と築いてきたものではない。
アメリカ土着の民族も居たことはいたが、彼らはアメリカの歴史から除外されてしまっている。
で、そういう前提条件があるにもしても、アメリカには革命というものが起きず、ロシアと中国にだけ革命、共産主義革命というものが起きた、ということは何か人為的な要因、社会を構成する人間の側に起因する因果関係があったに違いないと思われる。
まず考慮に入れなければならない要因として、アメリカには底辺の生活をしている人々というのが、黒人とかメキシコ人、ないしは日本から行った移民とか、中国から来た移民という層が社会の底辺を形成しており、封建的な土地所有というものが無かったからに違いない。
革命の起きる条件として、この封建的な土地所有というものが必須の要因となっているわけで、それが200年300年という単位で継続したところでそれが起きているように思う。
共産主義の主題は言うまでもなく土地の開放であり、農民の側の願望も、自分の土地を持ちたいという願いであったわけで、こういうスローガンを掲げれば、無知蒙昧な農民の支持が得られたわけである。
アメリカで農業に携わっている人達の基本的理念は、効率的な農業の在り方であり、食料の確保がビジネスになっているという意味で、農業に要する土地を如何に効率良く利用するか、という発想の違いが共産主義革命が起きるか起きないかの違いになっているのではないかと思う。
アメリカの農業経営者というのはいわゆる事業の経営者と同じ感覚であり、そこで働く人々というのは、これもまた労働者、工場の労働者と同じ感覚で、ロシアの労働者や中国の農民のように土地に束縛された立場ではなかったわけである。
彼らは流動的で仕事を求めて流れて行く事を何とも思っていなかったので、土地への執着ということが無かった。
労働者として低賃金に甘んじなければならなったのは同じだとしても、待遇改善を求めてストライキをするよりも、それは経営者との交渉で解決すべきであると理解していたに違いない。
自分が低賃金で働かされていることを社会の所為とは思わなかったわけである。
その事は、別の表現をすれば、資本主義というものが彼ら労働者の側にも骨の隋まで沁み込んでいたということに他ならない。
アメリカの土着の民族、今の言葉で言えば、ネイテイブ・アメリカン、いわゆるインデアンは、土地の封建的支配ということを経験せずに今日に至っているわけで、ここには農奴というものは最初から存在していなかったに違いない。
ヨーロッパから渡ってきたキリスト教徒達は、非常に敬虔は人達で、農業に従事する人々を搾取するという形で支配をしなかったので、ここには封建主義的土地所有というものが無かった。
現実には巨大な土地所有というものが「風と共に去りぬ」という小説の中に書かれているように、無いとは言えないだろうが、それは個人の契約の結果としての土地所有で、ヨーロッパのような古い成り行きで世襲化した土地所有というものではなかったように思う。
だからアメリカにも共産主義者というものはいたには違いないが、それは共産主義革命にまで発展することはなかった。
それともう一つ忘れてはならないことに、やはり政治のシステムがしっかりしていたということをあげなければならないと思う。
アメリカという国は不思議なことに、銃の国で、銃で倒れた大統領もジョン・F・ケネデエイーだけではなく、数多くの大統領が銃で撃たれているが、その時に政治の空白が出来たということは全く無いわけで、こういう政治的にしっかりしたシステムが世界の警察官たらしめているものと思う。
翻って、ロシアの状況というのは、何百年も農奴の立場の人間が、19世紀の初頭に、近代化の波に乗って都会に出てみると、そこでは単純労働だけで生活できる手法があり、最初はそれで生活の糧を得るほかなかったが、来る日も来る日も単純労働で、夢も希望も失いかけた労働者に「万国の労働者よ団結せよ!」と、シュプレヒコールを浴びれば,その気になってしまうのも無理無い話だったにちがいない。
何世代にもわたって虐げられてきた農奴と、何世代にもわたって裕福な生活を享受していた貴族、文化人としての上流階級とが、近代化の波をもろに受けて、その双方が右往左往してしまったわけで、その隙に共産主義者が楔を打ち込んでしまったという構図と思って間違いない。
米ソの冷戦が終結して10年を経過したけれど、この二大大国というのは極端に違う社会制度の元で半世紀近くを対峙しつづけてきた。
今、この作文はソビエットについて語ろうとしているのでアメリカに付いて述べる事は横道に反れることになるが、アメリカでは何故革命が起きなかったか、ということも少しは考察する値打ちがあるように思う。
アメリカという国は周知のように移民の国で、最初はヨーロッパからの移民が大半を占めていたが、その内他地域からの移民も新天地を求めて流入してきた。
ヨーロッパから移民が入る前からこの地にはもともとこの地を住処とするネイテイブ・アメリカンがいたわけである。
ところがヨーロッパからの移民はこれらネイテイブな人々を徹底的に圧迫してしまって、インデアン居留地に押し込めてしまった。
新天地は文字とおりヨーロッパからの移民にとって新天地になったわけだが、そうなると自ら自分達の安全を確保しなければならず、その為には自らの自治ということ真剣に考えなければならなかったわけである。
自分達の家族を守る、自分達の生活する場を守る、自分達の住む地域を自分たちで守る、という自治の精神は必然的に醸成されてきたわけで、その点が同じ大国であるロシア、ひいてはソビエットとは大いに違っていたわけである。
自治ということが重要な社会規範となれば、システムとしての社会制度というものも自分たちで管理運営しなければならず、それは同時に秩序ある社会システムの構築ということになる。
よってアメリカではこういう社会システムを維持していくためにも、銃の規制が出来ず、未だに銃が市民生活の中にあふれており、銃による犯罪が蔓延しているにもかかわらず、銃を取り締まるという法案は常に市民の反撃を食らうわけである。
「自分を守るものは銃しかない」というのが彼等の自治の根底に潜んでいるわけである。
日本のような農耕民族では、豊臣秀吉の刀狩でさえ安易に協力し、まして銃など市民生活には全く不要と考えがちであるが、アメリカでは銃こそが住民自治の根底にある規範なわけである。
考えてみれば、アメリカという国の生い立ちを思えば無理もない話で、ヨーロッパから最初に移民してきた人々にとって、自分の身を守る手段、方法といえば銃しかなかったわけである。
国土が広く情報に隔離されて生きてきた分、古い歴史の残滓を引きずっていたわけで、自らの自治という自覚には未だに覚醒されないまま今日に至っている、とみなして良いと思う。
民族の歴史が長くなれば、その歴史と共に引きづってきた慣習とか、因習とか、古老の知恵というものはなかなか捨てきれないもので、歴史を学ぶ上で封建制度とか、帝國主義とか、こ難しい単語を並べて利巧ぶって語っていても、突き詰めればそういうことであった。
ロシアでは人々の歴史が長かったため、社会的規範の精神的な刷新が遅れたわけで、アメリカというのは大きな矛盾を含んではいるものの、先史の歴史がなかった分、自分達で何とかしなければならない、という圧迫感が住民の自治ということを自覚させたわけである。
ロシア・ソビエットの状況というのは、私自身行った事がないのでマスコミからの知識の切り売りから想像しているだけであるが、アジア大陸の半分近くを占めるロシアという国は、片一方はヨーロッパに接し、もう片一方はアメリカに接していたといっても良いと思う。
事実、アラスカという州はアメリカがロシアから金で買った国土なわけで、アメリカとロシアというのは狭い海峡があるとはいえほとんど接しているわけである。
その意味から推察すれば、ロシアの極東、即ちシベリア地方に住む人々というのは、ほとんどネイテイブなアメリカ原住民と同じだといっても良いと思う。
その根拠に、人種的に見てもネイテイブ・アメリカンというのは我々と同じモンゴロイドで、我々日本人からロシアの極東地域に住む人々、アメリカ・インデアンからアンデスに住む人々まで人類学上同じ人種である。
よって帝政ロシアの時代においてはヨーロッパ系のロシア人というのは、シベリアをあくまでも辺境として扱い、モスクワやぺテルスブルク等の都市から見れば、「シベリア送り」ということは、離れ小島に島送りされるような恐ろしい処置であったに違いない。
そして不思議な事に、ヨーロッパの人々はアメリカ大陸には憧れを持って渡ってきたのに、ロシア人はシベリアという新大陸・未開の土地に送られることを罪科として捉え、生きる希望の方向が逆さまになってしまっている。
ロシア人の方は、新天地に送られても、罪人として監視人の管理の元で生かされていたからかもしれないが、それならばオーストラリアはどうなるのか?と問いなおさなければならない。
オーストラリアは旧イギリス連邦の罪人の送り先、それこそ島流しの集積場所そのものであり、巨大な監獄そのものであった。
それが近代化した資本主義国家に成り代わっているわけで、同じような条件の元で、ロシアのシベリアが近代化に立ち遅れた事はやはりその地域に固有の理由があったに違いない。
それは原住民の存在ではないかと推察する。
アメリカという国が資本主義国家のチャンピオンになり、オーストラリアが近代的なオリンピックを開催するほど近代化したとはいえ、この両者の社会の主体はネイテイブな人々ではないという事を直視しなければならない。
ネイテイブなアメリカ・インデアン、もともとオーストラリア大陸に住んでいたアポリジニアの人々というのは、この近代化した社会の根幹を成す地位を占めているわけではない。
彼らはこの繁栄の中で底辺を形付くっているわけで、社会の繁栄の正面に立っているのは総てヨーロッパからの移民の子孫達である。
その状況はロシア、いや旧ソビエット体制の中でシベリアに住んでいた人々にとっても全く同じで、彼らにも社会の表面に立つ場は与えられていない。
「アメリカでは何故革命が起きなかったか?」という問いの答えは、ネイテイブな人々を政治の場・社会の構成員から排除してしまって、ヨーロッパ系の人々のみで社会を構成したからに他ならない。
ヨーロッパの人々でも旧大陸に残っていた人々には革命の波は押し寄せて、それに飲まれかかった事はしばしばあったので、ヨーロッパ人だから革命を受け付けなかったというわけではない。
要は、古い伝統とか、因習とか、習慣とか、価値観を温存したまま、その精神的変革が出来なかった地域で革命というものが成就できたわけである。
アメリカでも政変ということは大統領が銃で撃たれる度に起きていたわけで、この政変が真にスムースに移行するところに、アメリカの政治のすばらしいところがある。
ケネデイーがダラスで撃たれた時、副大統領であったところのジョンソンは飛行機の中で宣誓してそのまま大統領になり、政治の空白ということは瞬時もなかった。
これは政治システムが真にきちんと整理され、同時に機能していたという事である。
同時に、大統領といえども独裁者ではなく、ニクソン大統領はウオーター・ゲート事件で見事に失脚している。
ウオーター・ゲート事件というのは「盗聴したかしなかったか?」という事件で、人を暗殺したとか、公金を横領したという事件ではない。
これらのアメリカの政治というのは、まさしく民主主義の見本を見せ付けられているようなもので、こういうものを見せ付けられると我々は何でもかんでも民主主義でなければならないと、すぐに単純に思い込んでしまいがちである。
しかし、民主主義というのも大きなリスクを背負い込んでいる事を見落としがちである。
大統領が銃で撃たれるということも、アメリカ民主主義の抱える大きなリスクの一つである。
銃による犯罪が多発しているにもかかわらず、銃を規制することが出来ないのも、民主主義なるが故の大きなジレンマである。
これも民主主義のリスクといわなければならない。
我々の発想からすれば、銃による犯罪が多発すれば、それを規制するのが行政の役目ではないか、と思い全員がそういう方向に向いてしまう。
我々は、全員がそう思ったことをそのまま実践するのが民主主義の具現化だと思い込んでいるが、民主主義というのは結果で評価するのではなく、そのプロセスが大事なわけで、「全員一致ならば総てが正義か?」ということを話し合う事だと思う。
話し合う過程では、全員の意見の一致を見ると云う事はありえないわけで、どこで妥協するかという問題が付随的に出てくるし、妥協点が民主主義の結果であるわけだから、それに対して全員が納得出来るものではない事は火を見るより明らかである。
大統領が銃で撃たれてもなお銃の規制をしようとしないアメリカの民主主義というのは、私自身不思議でならないが、現実のアメリカの政治というのは、それでも一向に民主主義を後退させる方向にはなっていない。
アメリカでは国民の一人一人が銃を持っても猶余りあるほど銃が出まわっていると聞くが、それでもそれが革命という方向に向かわないのは、この奥行きの深いというか、重厚なというか、懐の深い民主主義の存在がそれをなさしめているに違いない。