20世紀の怪物・共産主義

日本とこの宣言の係わり方

彼らの言うように、人類というのは、その誕生の時から、支配されるものとするものの階級が存在していたわけで、これは人間というものが社会という集団を形成して生活をしている限り免れようのない現実である。
彼らの言うように、仮に労働者が支配する側に立ったところで、支配されるものとするものの立場が逆転しただけのことで、そういう二重構造が変容したわけではない。
ただ単なる主役の交代というだけのことで、階級制度がなくなるわけではない。
問題は、支配される側の自由をどこまで容認する社会が目標なのか、という点に尽きると思う。
過去の人間の歴史を見ても、必ずしも知脳的に優秀で、頭脳明晰な人物のみが統治者として君臨していたわけではないと思う。
世の歴史書の中でも、統治者の悪行をあげつらう類のものが数々あるところを見れば、世の中において、統治する側の人間といえども必ずしも人間的に優秀でない人が多かったに違いない。
仮に、彼等のいうような革命が成就できたとして、旧来の資本家を絶滅し、プロレタリアートの国家が出来たとする。
そこでは自分の財産を持った人は一人もおらず、みな同一労働は同一賃金で納得したとしても、それを維持して行く為には誰かが管理しなければならない。
つまり管理者が要るようになるわけで、そうなればすぐにでも管理するものとされるものという階級が出来あがってしまう事になる。
階級闘争というのは革命の成就したその日から生まれる事になるわけである。
人が複数、限られた場所で生きて行くということは、必然的に管理するものとされるものが出来るわけで、古代ギリシャの直接民主主義というのは、人の数が多くなればありえないわけである。
限られた場所で人々が原始共産社会を実現したとしても、人は孤立して生きていけないわけで、孤立して生きているように見えたとしても、その中では管理するものとされるものという階級そのものは存在しつづけるに違いない。
人の集団を一つの社会として維持していくためには、管理するものとされるものの階級化、差別化、役割分担ということは避けて通れない道のはずである。
ある一つの民族、集落、村落の隣には又それぞれに違う民族なり、村落なり、集落なりがあるわけで、それらが恵まれた環境に置かれていれば相互の諍いは生じないが、いったん状況が変われば相互に生存競争をするわけで、それが人間の持っている本性である。
人が金を儲けたいと思うのも、人間の持つ本性の一つであり、人が私有財産に固執するのも人間の持つ本性の一つである。
「公共の為には私有財産を少々犠牲にしても致し方ない」、という発想ではなく、私有財産というものを全部否定して、それを「持ってはならない」というのでは人々は納得しないのもむべなるかなである。
19世紀の中期において、「共産党宣言」を書くような人、マルクスとエンゲルスのような知性の人から見ると、今までのような人間の本性丸出しの統治者というものは、そのことごとくが馬鹿に見えたに違いない。
人の数から言えば、統治する側の人、封建制度に依拠した封建的な地主、荘園の領主、地方の代官、僧侶の類に至るまで、そのことごとくが既成権益に群がっているただの無能力者に見えたに違いない。
こういう馬鹿な統治者が、数の上では膨大な数の人間を虐げている現実を見るにつけ、正義感に苛まれるのも判らないではない。
ところが不思議なもので、人間の織り成す社会、人間集団というのは、頭の良さとか、判断力の正しさ、というものさしでは測れないわけで、歴史に名を残すか否かという事は、完全なる結果論に過ぎず、そういう意味では歴史から処世術を学ぶことは出来ない。
ただあるのは個人の生き方のみで、誰を手本にするか、という参考意見を探ることだけで、あの偉人の行った通りのことをすれば間違いない、という確信というものは存在し得ない。
しかし、頭脳明晰な統治者であろうと、凡庸な支配者であろうと、既存の社会秩序を真っ向から否定するものを容認するほど甘くはないと思う。
つまり、共産主義というものは、統治する側からすれば、決して受容することのない論理であり、支配される側、統治される側にしてみれば、これほど痛快な心理も他にありえないわけである。
常に統治されつづけている大衆の側からすれば、何時かはこういう時代が来ることを願望するのも無理ない話しであるが、しかしこういう時代が現実に実現したとしても、それは主役が交代しただけで、構造が変わったわけではない。
冒頭に掲げたマルクスとエンゲルスの共著である「共産党宣言」というものが明治維新の前(1848年)に書かれたという事実には我々は驚異を感じずにはおれない。
明治維新(1868年)というのは、この本が書かれてから20年も経ってから成されているわけで、その時に既にヨーロッパにおいてはマルクスやエンゲルスが現実の世の中をこのように愁う状況があった、という事には今更ながら驚きである。
尤も、その時点ですぐにこの本の趣旨が日本に入って来たわけではないが、日本においてはこういう考え方というのは全く成り立たなかった、というのはやはり今の言葉で言えば近代化が未成熟であったという他ない。 身分制度は過酷で、厳然とし存在していたが、それを引っ繰り返さなければならないという意識は生まれていなかった。
江戸時代を通じて大名と庶民というのは全く別世界の生活を余儀なくしていたに違いないが、その中からこの著者のように、差別意識をモロに露呈した発想というものは生まれてきていない。
この頃、日本においては江戸文化は爛熟の極に達していたが、志ある人々というのは、勤皇佐幕で擬似革命ゴッコの明け暮れていたわけである。
その状況は徳川幕府の威信が落ちてきたと言う事に他ならないが、ヨーロッパのように近代産業が勃興して、新しい裕福な支配層が新たに生まれた、というわけではない。
堺の商人のように、金持ちの商人が生まれた事はあるが、これが社会変革をもたらすような力を持ったわけではない。
幕府の威信の低下と同時に、雄藩の地場産業が隆盛になって、力の均衡が崩れてきたということはありうるが、何しろ我々は鎖国政策で、鎖国という国を閉ざした状況から、大航海時代とか、帝國主義的植民地政策とか、重商主義いうものと無縁な生活を送っていたわけである。
そういうものを抜きにして近代産業の勃興ということはありえないわけで、その意味からすれば、やはりヨーロッパの文化・文明からかなり遅れていたといわなければならない。
その上、我々の同朋の中においては、貧富の差ということをあまり意識していなかった節がある。
我々の先輩諸氏を精神的に拘束する思想として、儒教というものがあって、この儒教では金に固執するということは人間としてはしたない行為であるという意識があり、「武士は食わねど高楊枝」という俚諺にもあるように、金にこだわる事は人の道としては卑しいものである、という哲学が普遍的に広がっていた事にもよる。
それに輪を掛けたのが士農工商という身分制度の普遍化である。
商業、金を扱う生業というものを一番下に位置付けた身分制度の認知により、金儲けという行為が人の道として卑しい行為である、という認識が大部分の人々の心を支配したいた。
こういう当時の日本を知ったうえで、この時のヨーロッパの状況を見てみると、やはりそこには隔世の違いがあったわけで、その後の明治維新で、我々の先輩諸氏が西洋に学ぼうとした意気込みも分らないではない。
そこには100年のタイム・ラグ(時間差)が存在していたわけである。
ヨーロッパがアジアに先んじて近代化に脱皮し、日本が江戸時代250年という鎖国の中で独自の文化を醸成していた事には、やはりそこに民族の違いという大きな要因があったのではないかと思う。
この問題を考察する時、そこには地勢的な環境が大きく左右しているのではないかと想像する。
世界地図を見れば一目瞭然なように、我々の日本というのは極東に位置した小さな島国で、四周を海に囲まれ、それが自然の要塞の役目を果していたわけで、それが逆に自らが国を閉ざすには最適であった。
それに反し、ヨーロッパの地勢というのは、複雑に入り組んだ陸地と海で形成されている。
ロシアとか中国というのは陸地だけで、その陸地は面としての広がりを持っているが、海という交易の場面を考えると非常に不便であったわけである。
それに較べると、ヨーロッパの地形というのは、海と陸が交互に入り組んだ複雑なものとなっており、これがそこに住む人々にとって開放的な気風を育んだに違いない。
そのような開放的な気風が大航海時代を現出し、地球の裏側からさえ多量の物資を持ってくる事に成功し、それに付加価値を付けるという事を考え付いたわけである。
その上、海が入り組んでいたので、交易ということが太古から繁盛しており、人々は商業の意義ということに我々のような嫌悪感というか、卑下した考え方は持っていなかったように思われる。
それにひきかえ、我々の側は、江戸時代の社会制度上において、士農工商と、商業というものの価値観を一番下においていたわけで、その意味からしても我々は近代の産業というものに対する意義を悟る事に遅れたわけである。
ここで私個人の意見を述べるとすれば、昨今の日本でも金融という業界が一番堕落しているように思われてならない。
そもそも額に汗して働く事を遺棄し、金利を計算し、利さやで金を稼ぐ生業というものは、江戸時代の士農工商の発想を超えるものではないと思う。
額に汗して働く労働という観点からすれば、金融業界というのが一番楽で、一番儲かる業界である。
だからといって、そういう業界に日本の高等教育としての優秀な大学を出た若者が率先して入ろう、という気風とその根性が我慢ならない。
日本が第2次世界大戦に負けて50年以上、半世紀以上を経過しているが、その戦後の繁栄の中で、日本の若者というのは、青年らしい覇気を失ってしまって、老獪な老人のような発想に陥り、「楽して儲けること」に血道をあげ、優秀な若者ほど競ってこの業界に入ろうとする心境は嘆かわしい限りである。
戦後の日本で、金融をはじめとするサービス業の方が製造業よりも賃金が上ということに何かしら割り切れない不条理を感じずにはおれない。
話がそれたが、19世紀中ごろまで、日本では商業とか経済という分野ではヨーロッパに比べると意識の面で完全に立ち遅れていた。
しかし、我々は、その面が劣っているからといって人間として、民族として、ヨーロッパ人よりも劣っていると思う必要は全くない。
マルクスとエンゲルスが最初に「共産党宣言」を発表した時から今日に至る150年という時系列の中では、ヨーロッパと我々日本の間には様々な紆余曲折というか、試行錯誤というか、文明の衝突というか、文化の錯綜というか、一言では言い表せない確執があった。
その全期間を通じて共産主義というものは連綿と生き続けていたわけで、その意味からすれば、これは人々の意識の根底に完全に根付いた哲学といわなければならない。
それも無理もない話で、この宣言には苦しんでいる人々を救済しなければならない、という人間の善意がそこに横たわっている以上、これを頭から否定する事は人の良心が許さないわけである。
だからその部分のみを敬愛して、主義そのものを全部の人が全否定するということはありえなかった。
苦しんでいる人を救済するということは、いかなる人々も反対しえない整合性を秘めているわけで、問題はその手段と方法にあるわけだ。
「共産党宣言」というのは、その手段と方法に暴力革命をも辞さないとしている所に問題があるわけで、革命というのは我々の住む日本という土壌には適していない。
日本の歴史を通じて、我々の歴史には革命というものが存在していない。
一般民衆の反乱というのはあったが、これはあくまでも反乱であって、一般民衆が反乱で統治権を握ってしまう、という革命というものは存在していない。
織田信長が天下を統一しようとした。豊臣秀吉が天下統一した。 徳川家康が江戸時代を築いたといっても、これは革命ではないわけで、あくまでも政変の域を出るものではない。
士農工商の士分の政権争いの域を出るものではないわけで、一般庶民が大名を殺して、自分達が統治したというものではない。
これは今の言葉に置き換えて説明すれば、明らかに反民主主義であったわけであるが、我々の歴史というのは民主主義とは程遠い社会的規範の中で生きてきたわけである。
ヨーロッパと我々の歴史的発展の中で、民主主義というものさしでそれを較べて見れば、確かに我々の側は100年という隔世の感は免れない。
しかし、その事は我々の側が劣っているということではない。
けれども、明治維新を経験した我々の先輩諸氏の中には、その違いの本質を本当に理解することなく、我々の持つ文化・文明は西洋よりも劣っていると勘違いしたものが大勢いる。
だから西洋のものはなんでも素晴らしく、我々の持つ古来の文化は劣るものである、という認識から脱却できないものも数多くいたわけである。
日本の共産主義者といえどもその範疇から抜け出してはいない。
だから戦後だけでも50年、半世紀を経過した今でも、このマルクス・エンゲルスが150年も前に書いた信条を尊敬し、崇め奉っている時代錯誤の人々がいるわけである。
ヨーロッパの近代化というのは個の尊重ということが基盤にあるわけで、金持ちになるのも、ホームレスになるのも個人の責任である、ということがその前提条件として連綿と人々の意識の下にあるわけである。
それに反し我々の場合、相互扶助という精神が民族のバック・ボーンにあるわけで、個の尊重ということには精神的な重きを置いていない。
その反面、困っている人、時、ケースではお互いに助け合いましょう、という相互扶助の精神があるわけである。
戦後の民主主義ではこの相互扶助の精神と、民主主義というものが混同されて使われているが、基本的には相反する思考であったはずである。
共産主義の基本テーゼである「働かざるもの食うべからず」ということは、働こうにも働けない者は食う値打ちがないよ、という事であり、個の確立を前提とした結果としての労働を賛美しているわけで、食にありつけるかどうかは個人の責任に帰しているわけである。
それに反し、我々の古来の考え方というのは、運命共同体の一員として、今働けないものでも皆で協力して扶養しましょう、という発想が根底にある。
日本に昔からある「村八分」という差別は、運命共同体の暗黙の了解に納得しないものへの「制裁」なわけで、この暗黙の了解というのが明文化されていないので、何か古臭い封建主義的な長老政治のような感がするが、限られた条件の中で皆が生きのびる為の方便であった事を再認識すべきである。
私の個人的感情から、大江健三郎は嫌いな文化人の筆頭であるが、彼がノーベル賞を受賞した時に「曖昧な日本」という趣旨で演説をした。
確かに我々日本民族というのはこの「曖昧」という一言で言い尽くされている。
人間が生きて行く上で曖昧という事は、今の価値観からすればマイナスのイメージであるが、これは西洋の個の確立ということの対極に位置する思考である。
ヨーロッパでは古代から個の確立ということが顕著に現れており、自分が成功するのも失敗するのも自分の責任である、ということは人々の間にごく自然に浸透していた。
よってこの発想の延長線上に、世襲の権力とか、権威というものを不必要に崇める、という思考が醸成されていなかったが、我々の側はそれに反し、世襲の権力とか権威というものを超えることに精神的な脱皮乃至は飛躍が必要であった。
それを我々に強いたのが他ならぬ戦後民主主義としてアメリカ占領軍から押し付けられた民主化であったように思う。
ヨーロッパにも王侯貴族とか世襲の封建領主というものが存在していたが、その対極には、そういうものと一切係わりのない一般大衆というものが居り、これらは既存の王侯や領主に何ら権威や権力を感じていないので、革命というものが普遍的に違和感を持たなかったわけである。
デモクラシーというのは個の確立が基本の所にない以上成り立たないわけで、その意味からすると、我々の側は太古の時代から個の確立ということに関して不透明であったゆえ、真のデモクラシーというものは成立しえないように思う。
今日、我々は民主主義の社会制度の中にいるように錯覚しているが、これは表層民主主義で、真のデモクラシーとはほど遠いものだと思う。
我々の側においては未だに個の確立ということが不充分で、自分の都合の悪い事は総て他人の所為にしがちで、他人には義務と責任を厳しく要求しつつ、自分ではそれから免れようとする、という思考は真の民主主義というものが完全には根付いていない証拠である。

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