20世紀の怪物・共産主義

まずはじめに「共産党宣言」

共産主義に関して少し思考を巡らしたくて、会社の帰りに丸善書店に立ち寄り「共産党宣言」という本を購入してきた。
岩波文庫で相当前から出ていたことは知っていたので、店員にいきなり、「岩波文庫の共産党宣言を下さい」と言ったらモノの5分もしないうちに探し出してきてくれた。
若かりし頃、本屋の店先に並んでいたことは知ってはいたが、まさかそれがこうも簡単に見つかるとは不思議な気がしてならない。
しかもその店員が二十歳にも満たない若い娘で、「はい、どうぞ!」といって手元に持ってきてくれたことにはいささかの驚きであった。
以前から薄っぺらな本である事は知っていたが、わずか300円足らずの本であった。
で、その共産党宣言をおもむろに広げてみると、その本文の書き出しから「ヨーロッパに幽霊が出る、共産主義という幽霊である」という書きだしで、その後の世界をまさしくぴたりと予言している風に見えた。
そしてその最後が「万国のプロレタリアートよ団結せよ!」で終わっている。
ここから私の思索の旅、精神の自慰行為が始まるわけであるが、この「共産党宣言」というのは言うまでもなく、カール・マルクスとフリードリッヒ・エンゲルスの共著であることは論を待たない。
よって、それが出版された背景というものに思いを巡らしてみるのも一興かと思う。
この「共産党宣言」が最初に出版されたのはロンドンにおいて1848年となっている。
ということは、19世紀のちょうど真中あたりの時期であるが、この時期というのは一体どういう時代背景があったのであろうか?
世界史を紐解いてみると、アメリカは南北戦争の前であり、フランスでは2月革命があり、それがウイーンとベルリンに飛び火してそれぞれ3月革命を連動ささせ、イギリスでは穀物法が廃止され、自由貿易政策が取られるという状況で、いわば封建主義体制というものが瓦解し、崩壊する過程の中にあったわけである。
時代の大きな変わり目にあたったわけで、こういう時期には人々の意識も大きく変わるものであり、その指針として共産主義というものが浮上して来たに違いない。
カール・マルクスとフリードリッヒ・エンゲルスが「共産党宣言」を出したからこの世に共産主義というものは蔓延したわけではなく、既に彼ら二人がこの著を出す前に思考の一つとして、一つの哲学としての共産主義というものが存在していたわけである。
だから冒頭の「ヨーロッパに幽霊が出る、共産主義という幽霊である」という書き出しになったのであろう。
そのことは、既にそれまでの社会が末期的状況に陥っていたことを証明していたわけで、この宣言は時代の変化を先取りした感がある。
しかし、この1848年という年を日本の歴史に置き換えてみると、アメリカの使節としてペリーが4隻の軍艦を従えて浦賀に来る(1853年)前の出来事で、明治維新(1868年)の20年も前にあたる。
この時代のヨーロッパというのは封建主義による大土地所有に伴う貧富の差が増大し、それに反し、手工業の分野においてマニファクチャーや商業が徐々に台頭してくる時期であり、工場による大量生産、大量消費の曙の時代であったわけである。
領主に隷属する農民は極限にまで貧困に陥り、それらが工業の方に流れ、労働者層というものを形成しかけた時代であったわけである。
その意味において、この著者は、その当時の時代を鋭い観察眼で見ている。
しかも、それが今から150年以上も前のことで、ここに書かれた内容に関しては今の時代にはそのままでは通用しない部分があるが、考え方としては十分通用する部分がある。
そして労働者が社会の趨勢を担う時代が来る、ということを指摘している点で、極めて先見性に富んでいるといわなければならない。
それはこの時点から以降に近代工業の時代が来る、と言うことを予見しているわけで、世界の歴史はまさしくその予見どおりの軌跡を描いたわけである。
この「共産党宣言」の言わんとするところは、最後のほうにある部分で、「共産主義者はこれまでの一切の社会秩序を強力的に転覆することによってのみ、自己の目的を達成されることを公然と宣言する」という部分は、何時の時代においても、何処の主権国家においても、誰でもが認めがたい部分である。
こういう内容の事を、公然と、声高に叫ぶ者を容認する治世者、統治者、管理者というのは、どんな状況においても存在し得ない。
「既存の社会秩序を公然と転覆する」という点で、明らかに思いあがっているわけで、まさしく共産主義者の共産主義者たる所以である。
だから共産主義の最終目的の達成という、この部分において、ユートピアの建設、労働者の国の建設というその趣旨には大いに賛同できるが、それを達成するための手法、方法、手段としては、いろんな方策があるけれど、その方策を提唱する者をいちいち宗派違い、セクトの違いとして排除しようとするところが純粋共産主義者の狭量なところである。

その趣旨の私的見解

この「共産党宣言」は思想の純粋培養、共産主義の純粋培養を目指した文章で、それを掲げている限り、既存の体制からは歓迎されないことは明らかである。
一切の社会秩序を強力的に転覆する、ことを容認するような体制というのはこの世に存在しないのが当然で、普通の主権国家であれば、昔も今も、当然こういう思考は非合法にならざるを得ない。
マルクスとエンゲルスがこの宣言文を書上げた頃の時代というのは、封建領主が農民を搾取し、その農民はその搾取に耐え兼ねて都会に流れ、都会の工業労働者を形成した。
都会の工業労働というのは、熟練を要せず、文字通り労働を金に変えれる一番手っ取り早い手法であったわけである。
この二人が、こういう状況を目の当たりにして、世の中は支配する者と支配される者の二種類しかいないと思ったのはうなずける。
封建領主は農民を支配し、工業労働者は工場主によって支配されているのを見て、「この格差をなんとして解消しなければならない」と思い込んだに違いない。
そのためには支配する側というものを徹底的に排除して、労働者がその地位を継がなければならない、と思ったのも無理無いことであるが、その後の150年の人間の歴史は、見事にこの予言を覆してしまった。
この共産党宣言にはアメリカとロシアに関する論旨が抜けているが、この二つの地域はそれぞれに別の道を歩いたので、この宣言の中で注目されなかったのも致し方ない。
しかし、そのアメリカに関する注目の視点はさすがに鋭いものがあり、的を得た観察がなされているが、如何せん、南北戦争の前のアメリカのことであるので、そこまで神経が行き届かないのも致し方ない。
その反面、世界の歴史というのは、この宣言では言及されていないところのロシアで、この宣言が実践されたというところが非常に興味あるところである。
この宣言が冒頭で告白しているように、こういう論旨の考えならば、今も昔も、これを容認する統治者というのは存在し得ない。
だいたいが統治する者というものを認めず、自らが統治をする、という思い上がった思考に共感する人がいるわけない。
「既存の体制をぶち壊す」と公言してはばからない政党を容認する統治者、支配者、管理者がいるわけがない。
だから冒頭の告白のように「ヨーロッパに幽霊がいる、共産主義者という幽霊がいる」という事になるわけである。
共産主義というものが、この二人が、この宣言を書く前からあった、ということになると正確には一体何時からそういう思考が生まれたのか不思議である。
やはりそれが生まれる前提として、封建領主の農民搾取と、工場主の労働者に対する搾取がそこに横たわっていたとおもわれる。
そういう状況を目の当たりに見て、これは「農民や労働者が人間らしい生活をする環境を作らねばならない」という人類愛からこういう発想に至ったものと思う。
だけれども、余りにも過激すぎて、並の人間ではついて行けない思考である。
そして、その純粋性を重んじれば、ますます過激になり、それに派生して出てきたより温厚な思想を攻撃する仕儀にいたっては墓穴を掘る以外の何物でもない。
歴史の流れは実際そのように流れたわけで、共産党宣言の論旨に忠実になればなるほど、他の穏健な志向の人を抹殺して行ったわけである。
「人類の歴史は階級闘争の歴史である」という、この宣言の中にある一説には共鳴する部分が大いにあるが、彼ら二人は、この中の階級というものを未来永劫、普遍のものと考えている節がある。
戦後の我々、日本人の歴史を見れば、昔、貧乏であったものが優雅な生活をしたり、昔、裕福なものがしばらくすると零落したりという風に、人様の生活というのは常に流動的である。
金持ちがいつまでも金持ちたり得ず、貧乏人も努力次第で何時かは金持ちになり得る機会が平等に与えられているのが世の中というものである。
ところが、これら二人には、そういう発想は微塵も現れていないわけで、そのことは彼らが生きていた時代には、そういう事が夢想だに出来なかったに違いない。
だから彼らは階級というのは何時までも固定化されているもので、金持ちはどこまでいっても金持ちで、貧乏人はどこまでいっても貧乏人のままである、と思い込んでいたに違いない。
彼らが生きていた時代においては、これが普遍的な現象であったかも知れないが、何しろ150年以上も前の状況であるから、それは致し方ないにしても、それを全面的に改善しようとする発想は、ある意味で健気な思考である。
そういう周囲の状況を理解したうえで、なおかつ世の中の状況を変えなければならない、となれば勢い過激な発想にならざるを得ない。
ブルジョアはどこまでいってもブルジョアのままで、労働者はどこまでいっても労働者のままで、使い捨ての状況に置かれていると思い込めば、急激な社会改革が必要と思い込むのも致し方ない。
戦後の日本の経済状況を見るに付け、経済というのは、常に進歩しているわけで、その経済の進歩を下支えしているのは言うまでもなく科学技術の進歩である。
中世の封建制度のもとで工場主が台頭してきた背景には、科学的な技術の改革、改善があったからにほかならず、この時期にも未熟ながら労働の合理化というものが労働者を単純作業に駆り立ていたわけである。
労働が単純だからこそ、誰もがそれに参加でき、そのことが逆に労働のコストをより下げる方向に作用したわけである。
近代工業の礎は言うまでもなくイギリスのジョージ・ワットの蒸気機関の発明であった。
それがヨーロッパ全土に普及して、あちらでもこちらでも蒸気機関が稼動するようになれば、必然的にその原料であるところの石炭産業が隆盛となり、それに伴う石炭採掘の労働者が必然的に生まれてきたわけである。
その石炭採掘で取れた石炭で動く機械の主たるものは、紡績工業であったわけで、蒸気を動力とした紡績というのは、今で言うところの大量生産方式がこの時期に芽生えたということに他ならない。
紡績となれば、それには当然、その原料としての綿花の収集や、羊毛の収集が必要になってくるわけで、これらの作業はいわゆる今の言葉で言えば単純労働で、この時代の無学文盲の大衆が一番現金を得やすい仕事であったに違いない。
この時代のヨーロッパにおいて、綿織物や毛織物の産業が興隆してきたということは、その前提条件として大航海時代がその前にあり、帝國主義的植民地支配というものが普遍化していたという事に他ならない。
人間の生活というのは一気に改善されるものではなく、徐々に新しい状況に順応しているわけで、ある出来事の前にはそうなるべき状況が横たわっているはずである。
革命という事で言えば、「時期が熟す」という表現がまさしくそれにあたるわけで、革命も長い時間を掛けて徐々に世の中が変われば、これは革命とは言わないわけである。
そういう変化の中で、地球上の離れた地域から産業上の必要なものを集めて来るということも、社会の変革の一つとして既にこの時代に芽生えていたわけである。
そういう前提条件の中で、時代の流れとして、近代工業が芽生えてくると、この時点で既に金を持っている人は工業に投資するわけである。
人が事業に金を投資するという行為は、極めて人間的な、自然な信条の発露なわけである。
人は誰も金が欲しいわけであり、今もっている金を少しでも増やしたいというのは、人間の欲望としては極々ありふれた自然の摂理なわけである。
共産主義というのは、目の前の金持ちと貧乏人の格差を全否定しようとするが、これは「人間性を無くしてしまえ!」といっていることと同じなわけである。
人間の欲望にも個人差というものは当然あるわけで、食うだけあればそれで満足する人と、使っても使っても使いきらないほど持っていてもさらに欲しがる人もいるわけで、共産主義というのはこの個人の欲望の振幅の大きさを否定しようとするところに最大の欠陥がある。
しかし、事業というものはある程度の規模になると、一種のゲームになってしまって、使っても使ってもさらに金を欲しがる心境というのは、もう人間の欲望を超越して、ゲームを楽しんでいるとしか説明がつかない。
片一方では、マルクスやエンゲルスが救済しなければならないと思うほどの貧困に打ちひしがれた労働者がいるわけで、同じ人間でありながらその間にこれほどの格差のあることを容認し得ないという心境は、人間の、そして彼等の善意としか説明がつかない。
この時代に、ヨーロッパにおいてこういう状況が露呈していたことは、現代の見地からすれば、「人権の未発達」という事でしか説明がつかないが、彼等の視点の中には、この時点でまだ人権意識というものは垣間見る事が出来ない。
目の前ではこういう悲惨な状況が繰り広げられていたことは確かであろう。
こういう状況を目の当たりにした彼ら二人には、この先の世の中というのは、こういう労働者と、その労働者から搾取する資本家の両極端に分裂して行くに違いないと写ったのもむべなるかなという感じがする。
確かに、この時代のイギリスをはじめとするヨーロッパの状況は、そういう風に写ったにちがいないが、社会の状況というのは常に変化しているわけで、人が人を支配する思考も、常に変化してきたわけである。
人が人を支配する社会である限り、支配される大衆と、支配し、統治する側の隔壁というのは解消しえないが、これはこの世に人間が複数存在する以上致し方ないことで、人が幸福に生きるためには、その隔壁が温和なものでなければならない。
資本家と労働者、金持ちと貧乏人、強力な権力者と無知蒙昧な一般大衆、という大きな開きのある隔壁では、社会そのものがギクシャクするわけで、その隔壁を温和なものにするためには、ある程度近代科学の発展を利用するほかない。
この宣言が書かれて150年以上経過した今日では、そのことがはっきり証明されているわけで、この当時にはまだその部分が未熟であったといわなければならない。
その後、今日に至るまで、人類はさまざまな科学技術の進化を達成してきたわけで、この宣言の言う事を時代遅れのものとしてしまった。
しかし、この時代においては、それはまさしく革新的な発想であり、この時代の世の中を憂いていた人にとっては、おおいに共鳴するものがあったに違いない。
とは言うものの、この発想は既に1852年、宣言が発表されてから4年後には、同じドイツ内のケルンにおいて有罪宣告を受けているわけで、宣言が発表された時点で、それが人々を惑わすものである、という見解が示されていたわけである。
それも無理のない成り行きだと思う。
「これまでの社会秩序を強力的に転覆する」ことを公言してはばからないようなものを既存の支配階級、統治者側が容認するわけがない。
これは統治される側の論理で、この宣言でも述べているように、人類の歴史というのは明らかに統治するものとされるものの葛藤の歴史であったことは否めないが、統治する側をこれだけ全面否定してしまったら、人間の集団としての社会そのものが成り立たないわけである。
現に、旧ソビエット連邦の歴史というのが、それを見事に証明したわけで、この宣言の作者にしてみれば、その実践と結果を見ることが出来なかった点が不幸であったにちがいない。
思うに、この作者は、その時代の労働者の姿を見て、その余りにも惨めな状況に同情したあまり、こういう文章になったと思うが、もしこの宣言が人への同情から生まれたものだとしたら、人間というものに対する思慮が足りなかったのではないかと思う。
哀れな人を見て同情するということは、人間の感情の中でも、最も素晴らしいものであるが、社会というのは感情とか同情とかで論ずることは出来ないし、してはならないと思う。
昔は貧乏人の中でも家を持たない人間を「乞食」と呼んでいたが、今は「ホームレス」と呼んでいる。
この「乞食」「ホームレス」を見て、人はああいう気の毒な人を何とか人並みに生きさせなければならない、と同情を寄せる。
何処にでもある、極ありきたりの風景で、人としての極当たり前の発想はであるが、本人達がそれを享楽していると言う事を忘れてはならない。
今の日本の世の中で、乞食やホームレスなどしなくても自分一人ぐらいなんとしても生きていけるわけで、そういう努力をしない、というのは本人の意思なわけである。
その事ははたから見れば「気の毒な!」と思われるような人々も、本人の意思でそういうことをしているわけで、仮にそういう人々を収容する施設を作ったとしても、そういう施設におとなしく収ってはいないと思う。
事ほど左様に、人間を感情論で見るということは間違いの元で、冷静な知性と判断力で、相手を見極めなければならない。
マルクスとエンゲルスがこの当時の労働者の生活の惨状を見て、こういう人達を何とか救わなければならないと思うことは、非常に人間的に素晴らしいことであるが、そのためには「社会秩序を全否定しなければならない」という結論は、誰にも受け入れらないのも致し方ない。
人類の歴史というのは、洋の東西を問わず、案外似たり寄ったりの発展し方をしている。 狩猟採集生活から農耕生活にいたる過程を経てきたわけであるが、農耕が民族の生存の大命題であるうちは、その元である所の土地の所有という点で、同じような発達の仕方をしてきたわけである。
それは究極のところ、土地を持ち、自分は直接耕作をしないで他人に耕作を依頼する側と、耕作をするだけでその収穫物の大部分を土地の所有者に搾取されてしまう人々を生み出してきたわけである。
いわゆる、持てるものと持てないものの二極分化が出現したわけであるが、これは全地球規模で人類の発展の過程でどこでも現出した現象である。
人間の集団としての社会が、こういう状態を呈したということは、それなりにその時代の人々の人間の根源的な欲求があったに違いない。
巨大な地主に生まれた人は一生食うに困らない、という状況は未来永劫続くものではなく、水飲み百姓が未来永劫それを続けなければならない、というのも程度の差の問題で、未来永劫その状態が継続するというものではないと思う。
世の中というのは常に回っているわけで、仏教で言うところの輪廻があるように思う。
そのサイクルの問題で、当時の人は、今に比べて平均寿命が短かったので、一人の人の生存中にこういう下克上の状況を見れなかった、ということはあるかもしれないが、貧富の差というのは常に変化していると思う。
ただしその変化というのは、人間の側が常に努力して変化の兆候を探り、世の移り変わりに順応しなければならず、それは誰でもが出来ることではなかったに違いない。
俗に「目先の聞く人」という言い方があるが、まさしくそういう感覚の持ち主でないことには、世の中の変化の兆しをキャッチし得なかったに違いない。
そういう見方をすれば、昔も今も、人の成功不成功の機会は同じであると言う事が出来る。
この宣言の言わんとしているところは、既存の社会秩序を全否定して、新しくこの世の現出してきた労働者というものが平等な社会を作る、というところに主眼があるが、これは私に言わしめれば人間を知らない者の発想だと思う。
確かに、片一方では、自分で汗水出さずに不労所得で酒池肉林の生活をしている人がいる一方、労働者というのは一日中汗水垂らして働いても一家を養えるか養えないかのぎりぎりの線で生きている人がいたのは事実であろう。
だから、この状態を転覆して、労働者が優雅な生活をする社会を作ろうとして、それが実現したとしても、社会を統治する者とされる側の二重構造というのは解消できるものではない。
主役が変わるだけで、社会の形態そのものが変わるわけではない。
このマルクスとエンゲルスの時代から今日に至るまで、共産主義者の陥っている最大の盲点は、自分たちが大衆とか、労働者を指導するという点である。
これは実に思い上がった発想で、共産主義というものを宗教と断定するならば、大衆の上に立って人々をリードする、という思い上がった発想にも整合性が見出せるが、共産主義というのは宗教ではなく、哲学の分野に入る。
哲学となれば、これは人間の英知の結集でなければならず「共産党宣言」もその英知の結集と見なければならない。
人間の英知を集積した哲学とすれば、彼らが思い描く所の「人々を上から指導監督する」という思考は、一般大衆というものを極度に卑下した思考に凝り固まっているとみなさねければならない。
そういう観点から共産主義を見てみると、昔も今も、この思い上がった発想から抜けきれていないところに世の混乱を招く最大の原因である。
普通の宗教ならば、その教えは個人の我侭を押さえる方向に作用するが、共産主義はそれとは反対に、個人の我侭を武器として、それを外に向けてぶちまける方向に作用するよう仕向けている。
だから統治する側としては、それを容認するわけにはいかないのも致し方ないわけで、旗揚げと同時に禁止を食らう憂き目に会うわけである。
それともう一つ留意しなければならないことは、彼らが無知蒙昧な大衆をリードしなければならない、と思うその根底には、やはり真実の無知蒙昧な大衆がそこに存在していたということが言えると思う。
特にこの時代の労働者というのは、それこそ文盲で日本で言うところの読み書きそろばんということに縁遠い人達ばかりではなかったかと思う。
これも人類の歴史の過程では致し方ないことで、どの民族、その国家でも、時代をさかのぼれば、こういう状況が普遍的であったことは否めない。
文字の普及も、教育の普及も、科学技術の進歩と共に徐々に解消されてくる、というのが人類の歩んできた道である。
その過程が文化であり、文明であるわけで、19世紀の中期においては、まだまだ字の読めない大衆の存在というのが、イギリスを始めとするヨーロッパには極ありふれた光景であったわけである。
そういう中で、恵まれた人々だけが、文字で自分の思考を綴る事が可能であったわけで、この時代の善意に満ちた人の思考というのは、目の前に繰り広げられている貧富の格差の是正と言う事を当面の目標とするのも致し方ない面がある。
しかし、字の読める限られた人、文字をもてあそぶことの出来る限られた人の善意に満ちた、如何にも人道的な発想といえども、既存の秩序を頭から否定するような意見を、そう安易に容認するわけに行かないのも、歴然たる事実であったに違いない。
この時代、この二人の目に写った状況というのは、金持ちはますます金持ちになり、貧乏人はますますその数を増やすに違いない、という思い込みに陥いりやすい場面が展開していた事は想像するに余りある。
この両者はけっして交差することのない可及的な直線で離れて行くものと見えたとしても致し方ない。
当時の状況を考えるとそう思うのが当然であったかもしれない。
貴族とか不在地主というのは、ますます富を集積し、労働者は一日10時間労働で、まるでぼろきれを捨てるように使い古されていたわけで、その格差のあまりにも違いすぎる状況をまのあたりにして、こういう状況は覆さなければならないと青白い知性が囁いたことは想像出来る。

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