まえがき

昨年2月(平成11年)に父親が90歳という天寿を全うした。
長男としてこの父親の生涯を考えてみると実に多難な時代を過してきた事に驚かされる。
生まれたのが明治時代で、青春時代が大正で、昭和の時代になると人生の内で一番輝かしき時であるはずが、一番苦難な時であったに違いない。
父と同世代の人たちというのは、今では数は少なくなったとはいえ、まだまで大勢生きているわけで、その人達は我家の父と同じような苦難な道を歩んでこられに違いないと想像する。
その父親の遺伝子を受け継いだ私が生まれたのが昭和15年の事で、西暦で言えば1940年の事である。
自分の生まれた年から換算すれば今年が還暦で、その年が西暦2000年になる事は生まれる前から必然的に決まっていた。
今回の作文は、父親の生涯や、自分の半生の間に、我々の生きてきた環境というものが非常に大きな変化にさらされていた事を実感し、その原因は一体何であったのか?ということの思索から始まった。
この20世紀という時代は、日本にとって見れば、ほとんど我が父親の生涯と軌を一にしているわけで、この激動の20世紀においては共産主義というものが非常に大きな潜在能力として地下水脈のように流れていたのでないかと思う。
旧ソビエットのように、又は新生中国のように、それを表面に掲げて国家建設を行った国もあるが、アメリカやイギリスのような西洋先進諸国といえども、共産主義の旋風を避けては通れなかったわけである。
共産主義というものは20世紀の地球上の人類にとって計り知れない影響を及ぼした事は間違いないわけで、20世紀初頭に起きた共産主義革命というものは、地球上の人類の半分を飲み込んでしまった。
しかし残りの半分は、この旋風に懐疑的であり、反抗的であり、必死に抵抗したが故に、共産主義という渦に巻き込まれる事無く、今日の繁栄を築いているわけである。
父も私も若かった頃、父の書棚の中に左翼系の書物を見つけ、私は密かに盗み読んだものであるが、その父は完全なる反共主義者であった。
その影響でもなかろうが私自身も共産主義というものには懐疑的であったけれども、戦後の日本の在り方というのは共産主義者達が自由気ままに活動の出来る有り難い世の中であった。
それはひとえに憲法で思想信条の自由が保障されていたため、共産主義者であるという理由だけで身柄を拘束される事はなかったから政府批判というものが空気のようになってしまったわけである。
そのことは民主化の度合いが進んでいるという事に他ならないが、こういう状況に対して、その有り難さを感じていないのが今日の進歩的知識人である。
そのことは民主主義には義務と権利が表裏一体となっているという事を忘れ、権利のみ主張して義務の方を忘れてしまっていると言う事である。
特に戦後のマスコミというのは完全に共産主義のシンパとしか言いようの無い発言を繰り返してきたわけである。
日本のマスコミが共産主義や社会主義に偏った報道を繰り返すと云う事は、それが彼等のポーズであって、戦前に体制べったりであった事と同根である。
つまり日本のマスコミというのは本当の意味での日本人としてのアイデンテイテイーを失って常に日和見であったという事である。
そのことに関しては本文中にも折々言及しているが、この件に関してはそれだけでもう一冊書かなければならないぐらいインパクトが強い。
西暦2000年という年に還暦を迎え、定年を迎える事になったので、その後の人生ではこの作文にもっともっと骨と肉をつけてみたいと思いながら一応ここで取り纏めてみたのが以下の冊子である。
平成12年10月31日加筆修正を加えた。

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