| 歴史が眠る多磨霊園 |
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吉岡彌生 |
よしおか やよい | |
| 1871(明治4)〜 1960(昭和35) | |
明治・大正・昭和期の医者、女子教育家 | |
| 埋葬場所: 8区 1種 7側 9番 | |
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1892(M25)医術開業試験に合格、日本女医第一号の荻野吟子から数えて27人目の女医。故郷静岡で父の分院で診察した。 ドイツへの医学修行の夢のため、二度目の状況。朝は至誠学院に通い、夜は開業医として患者を診た。 95弥生が25歳の時に4歳年上のドイツ語塾の至誠学院校長、吉岡荒太と結婚。99荒太が重い糖尿病に倒れ、翌年学院を閉鎖。 その年の1900(M33)弥生が医学生として学んだ済生学舎は、風紀の乱れを理由に女学生の入学を不許可とし、 翌年には在学中の女学生も閉め出した。女学生には医学へのいっさいの門戸が閉ざされたことを知った弥生は、女医学校の設立を決心。 療養中の荒太と二人三脚で1900わが国最初の女医養成機関として東京医学校を創設し校長。12昇格した東京女子医専の校長となる。 女医教育、女性の教養と地位の向上につとめ、戦時中は東京婦人会委員長・大日本婦人会顧問など。 敗戦後、公職追放されたが、52(S27)解除とともに東京女子医大(医専の後身)の学頭となった。 <コンサイス日本人名事典>
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